紅い目の少女
任務は終了した。
任務が終了したら、帰る。
彼女は歩きながら考える──いや、彼女は『考えた』事など無い。彼女の行動は、全て、『誰か』によって考えられたこと。彼女は、ただ、それを実行するだけ。
帰還した彼女を、三十歳前後の男が出迎えた。
「お帰り」
真紅の瞳が、そちらへと向けられる。
「ただいまもどりました、キーツ大佐」
彼女は無感動に、声を掛けてきた男に返す。
彼はキーツ・アンドロフ大佐だ。彼女を『助けて』くれた人。
だから、彼女は彼の言うことを聞かなければならない。
「お手柄だね。私も鼻が高いよ、イチ」
陽気なキーツの声を、彼女は耳に流し込む。それは脳に留まることなく、入ったのと逆の耳へと抜けていく。
『イチ』は彼女の名前。この特異な能力を持つ者は彼女一人しかいないから。そして、彼女は遺伝子的にニッポンの系統が強いらしいから付けられた、名前。
記号同然のその名前に、彼女は何の違和感も覚えない。何と呼ばれようとも、そんなことは彼女には何の意味も無いこと。ただ、それが自分を指しているということさえ理解していればいい。
「ありがとうございます。わたしもうれしいです」
そう返し、イチは先に立って歩き出したキーツの後に続いた。キーツは少女の反応の薄さを気にする様子も無く、得意満面で続ける。
「今回、お前の力を見せ付けたことで、彼らは出鼻を挫かれたことだろう。だが、これで引き下がるとは思えない。まだまだ気は許せないぞ」
滔々と続くキーツの言葉は、イチの頭をただ素通りしていく。彼の声が止まったのは、その足が止まるのと同時だった。
「さあ、お前の部屋はここだ。夕飯は後で運ばせるから、それまでは次の襲撃に備えてゆっくり休んでくれ」
「はい」
キーツに促され、イチは彼女にあてがわれた部屋に入る。飾り気の無い部屋に置かれたただ一つの家具であるベッドに上がると、仰向けになって両手を組んだ。
――あの力を使うと、いつも強い眠気に襲われる。
うとうとしながら、イチは先ほどのことを思い返していた。
いつもと同じように、一方的な戦い。
彼女が力を使うと、みんな同じような顔をして同じ言葉を叫ぶ。
――『化け物』と。
そして、少しでも彼女から離れようと這いずり始めるのだ。
どんなに屈強な男でも、イチが相手では獅子を前にした鼠のようなものだった。逃げることすらままならない。
彼らがイチに投げつけることができるのは、ただ『怖い』という感情だけ。
それはドロドロとまとわり付く、冷たい粘液のようなもの。振り払おうとして彼女が力を振るうほど、彼らから溢れるその感情は増えていく。
直にイチは、自分が手足のように簡単に使える力が、他の人たちには許容し難いものなのだということを理解した。
しかし、理解しただけである。
そのことに対して何かを感じるということは、無かった。
イチにとって、自分の力が他の人には無いということは何の意味もなかった。
ただ、この力があるから自分は生かされている、そのことだけは何となく解っていた。
しかし、それでは、生きるということはどういうことなのか。
生きるというのは、息をして、動くことができるということ。
イチにはそれしか解らない。
人は死ぬのを怖がる。
死ぬというのは、生きることが終わってしまうということ。
イチには、何故それが怖いことなのかは解らない。
しかし、イチを前にした男たちが彼女を恐れるのは、死ぬことを恐れるからなのだ。
本格的な眠りに落ちる直前、イチは小さなことを思い出す。
ああ、そう言えば、今日の相手にはいつもと違う顔をした人が居たな、と。
誰もが自分から遠ざかろうとするのに、あの人だけは近寄ろうとしていたな、と。
その目は、臆することなく、自分を真っ直ぐに見つめていた。
――あんなふうな眼差しを向けられたのは、初めてだった。
もしかしたら、あの人は自分に触ろうとすらしていたのかもしれない。キーツも触れようとしない自分に。
そう思うと、イチは不思議な気持ちになった。
――何でだろう……?