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夜を越えて巡る朝  作者: トウリン
夜を越えて巡る朝
3/25


「おーい、ショウ。こっち来て一緒に呑めよ」

 酔っ払いの胴間声で賑わう酒の席で省吾しょうごに声を掛けてきたのは、大柄な傭兵の中でも特に際立つ体躯を持った男であった。

 省吾はしばし記憶を巡らし、彼の名を探す。

 確か──

勁捷けいしょう……」

「おや、俺の名を覚えてくれてたのか。嬉しいねぇ」

 心底からそう思っているらしく、男は満面に笑みを浮かべてそう答える。

 ──あれだけ付き纏われればな。

 内心の呟きを無表情で隠し、省吾は肩を竦めた。

 この世界に足を踏み入れてから一年ほどになるが、積極的に彼に話しかけてきたのは、この勁捷なる男が初めてである。


 新しい仕事が入った前祝で盛り上がるオヤジどもと、省吾の周囲を取り囲む空気は、どこかが違っていた──浮いていると言っても良い。

 それが、否が応でも男どもの目を引いた。

 ほんのわずかな隙でもあれば、省吾の周りにはむさ苦しい奴らが群がっていたことだろう。

 それをさせなかったのは、ひとえに、省吾の得体の知れなさ故であった。


 年端もいかぬ子供でありながら、老練な傭兵どもを睥睨するその眼差し。

 戦い慣れた者であれば、その身のこなしを見るだけで彼がどれほどの腕前を持っているのかを察するだろう。

 僻地の農村を襲う野盗の群れを、一人で掃討したという噂もある――それも、一つや二つでなく。


 先行した噂が果たして真実なのか、それを知るには実際に戦場を共にするしかない──逆に言えば、わずかな実戦でそれほどまでに取り沙汰されるのが、その戦いぶりの証明であるのかもしれないが。


 とにかく、そのような諸々の理由から、省吾は遠巻きに眺められる存在であったのである。


「そんな地味ぃにしてないで、もっと景気良く呑めよ」

 宴も半ばにして声を掛けてきた唯一の男に対して、省吾は自分の杯を示し、きちんと呑んでいるということを暗に主張する。実際、すでに大ジョッキで六杯目に差し掛かっているところである──元傭兵の老人は、少年に酒の呑み方まで教えてくれていた。

 無言で応えた省吾に、勁捷が呆れたような声を出す。

「お前なぁ、酒ってぇのは雰囲気で呑むもんだぜ? 独りで呑んでもちっとも旨くなんかねぇだろ。若いんだからなぁ、パーッとやれよ、パーッと!」

 七日も生活を共にしていれば省吾の性格も把握されてくるのだろうが、如何せん、今日が初お目見えの者が殆どというこの酒盛りである。

 未だ成長期も終わっていないようなお子様がいい肴にならないわけが無い。

 まだ半分ほど中身が残っている省吾の杯に、勁捷はドボドボと勢いよく酒を注ぎこんだ。

 溢れんばかりになったそれを、省吾は見つめる。


 確かに省吾の名前はかなり知られている。だが、その名の売れ方に比して、あまりに省吾は『可愛い』過ぎた。よくよく見れば、その荒んだ目付きに気付くが、一見しただけでは人畜無害なただの子供にしか見えない。

 男どもにしても、仲間の噂を軽んじるわけではないが、いざ実物を目の前にしてみると、ガセではないのかという疑惑が浮かんでくるのを抑えることは難しいのだろう。


 好奇心に満ち満ちた視線が、少年に集中する。


 省吾はその疑惑を払拭すべく、差し出された杯を受け取った。そして苦も無くそれを呑み干す。

 中身は、大の大人でも一息に呷ることは無い、強さで有名な蒸留酒である。見守っていた野郎どもの間から、感嘆のどよめきが沸き立つのも無理は無かった。

「やるなぁ、おい」

 心底からの感嘆の声を上げた勁捷に、省吾は小さく肩を竦める。いつもながら、何がそれほどまでに男たちを感心させるのか、彼にはさっぱり解らなかった。

 自分の姿が目の前にいるこの男のようなものだったら、もっと驚きは少ないのではないだろうか。敵を欺くにはうってつけなのだが、こういう時、なかなか成長しない自分の身体が、省吾には何だか悔しかった。


 何処と無く仏頂面になった省吾を、勁捷がどこか面白そうに横目で見る。

「お前さ、『仲間』を信用してないだろ」

 言われた台詞が一瞬掴めなくて、省吾は怪訝な顔をした。

 これから共に戦おうという者たちを信用していないわけがない。確かに、傭兵などいつ敵味方に分かれるかが判らない職業ではあるが、それでも、一度同じ雇い主の元に付いたら、相手を信じなければ、とてもではないがやっていられない。

「仲間は信じるもんだろ」

 愛想もクソも無い声で省吾が言うのへ、勁捷が喉の奥で笑う。

「酔えねぇってことは、信じてねぇってことだよ。もっと余裕ってもんを持ちな。せっかくいい腕してんだからよ」

 へらへらと薄ら笑いを浮かべている勁捷を、省吾は睨みつける。

 自分の倍は生きているであろう男の言葉に、彼は返せるものが無い。

 何も返せないということが、腹立たしい。


 殆ど変わらない少年の表情の中に微かによぎった悔しさを、勁捷は見逃さなかった。

 羨ましいほどの青臭さに笑い出してしまいそうになるのを、彼は懸命に堪える。そんなことをすれば省吾が青筋を立てるのは目に見えていた。

「ま、どうせ何時死ぬか判らんこの稼業だ。気楽に行こうぜ、気楽によ。人生、楽しんだもん勝ちだぜ」

 勁捷は手の平を広げて、省吾のまだ成長不充分な背中を叩く。思ったよりも骨張ったそれに、勁捷はふと、省吾が無口な理由に思い当たる。

 先ほど聞いた、省吾の声。それは未だ声変わりを終えていなかった。

 華奢ではあるが、すらりと伸びた四肢と大きな手足は、少年がまだこれからであることを示している。だが、それはすでに成長を終えた者でなければ解らないだろう。

 かつては同じ思いを噛み締めたこともある勁捷には、省吾の焦る気持ちが充分に理解できた。

 とは言え、若い時の悩みは、当人だけのものである。第三者が何を言おうが、水が油を拒むように、それが染み込むということはないだろう。

 ──人生五十年。そう易々と思うとおりになったらつまんねぇよな。

 独りごちて、その人生の半ば以上をすでに過ごしてしまった勁捷は話題を変える。本来こういった場で行われるのは、人生相談ではなく噂話の交換である。全てが真実であるとは限らないが、その『噂』が戦場において命運を分けるということも間々あることだ。


 勁捷は眉唾な話をする者がよくそうするように、省吾の顔に自分のそれを近付け、声を潜める。

「なぁ、ところでよ、『紅い目の魔女』の話は知ってるか?」

「紅い目の……?」

 省吾は記憶を捲った。

「ああ、聞いたことはある」

「一人でバルディアの特殊部隊を壊滅状態にしたらしいよな」

「ガセだろ」

 バルディアの特殊部隊といえば、世界で最も恐れられている集団と呼んでも過言ではない。それを、たった一人で……等と、尾ひれが付くにも程がある、と一刀の下に切って捨てた省吾に、勁捷は真っ直ぐに立てた人差し指を振って答える。


「いや、そうでもないらしいんだな、これが。バルディアは隠そうとしているが、かなり痛い目を見たのはホントらしい。まぁ、確かにたった一人でお隣さんの取って置きをやっつけたってのは眉唾もんだ。けどな、そういう名の部隊が組まれたってぇのは、ありそうな話だろ?」

「部隊……?」

「ま、これは俺の当てずっぽうに過ぎないが、少なくとも、たった一人であのバルディアをやっつけたってのよりは信憑性があるんじゃねぇの?」

「この国にそれだけの戦力があるってことか?」

「困ったことにな」

 台詞とは裏腹な表情で勁捷は言い、杯を干す。

「雇い主はバルディアのことを知っているのか……?」

 呟いた省吾に、勁捷は酒瓶を突き出しながら答える。

「知らん筈は無かろう? 情報収集は戦の最重要事項だぜ。ま、それでもお上に向かって楯突こうってんだから、俺たちの雇い主もなかなか好い度胸してるよな」

「無謀なだけだろ」

 つまらなそうにそう言った少年を、勁捷は面白そうに眺める。

「それが判ってて、何でお前はこっちに付いたんだ? バルディアのことが無くたって、反乱軍なぞ分が悪いもんだと決まってるだろうに」

「別に……理由なんか。金さえ払ってくれるなら、他の事はどうでもいい」

「おいおい、その年で。もっと、こう、熱いことは言えねぇのか?」

 嘆く素振りも大袈裟に、勁捷が首を振る。それ以上男の戯言を続けさせるのも鬱陶しくて、省吾はおざなりに問いを投げかけた。


「じゃあ、あんたは? 何で反乱軍に付いたんだ?」

 よもや省吾の方から仕事以外のことについて何かを訊いてくるとは思っていなかった勁捷は一瞬目を丸くし、次いで、ニヤリと笑みを浮かべる。

「俺か? 俺はな、その方が面白そうだったからだよ。国王側が勝つのは当然のことだろう? 何せ、元手が違うんだからよ。勝つのが判ってる方に付いてみたって、つまらねぇじゃねぇか」

 ま、危なくなったらさっさとケツ捲くって逃げるに限るがな、というのが勁捷の落ちであったが。


 果たして何処まで本気なのか。

 良く言えば余裕がある、悪く言えばいい加減と称される勁捷の台詞に、省吾は真面目に受け答えすることを放棄する。


 再びムッツリと黙り込んだ省吾に、勁捷はとうとう大きく笑い声を上げた。

「お前もな、生きる以外に何か見つけろよ。ただ食って寝るだけじゃぁ、人生、結構長いぜ?」

 自分の酒盃を少年のそれに軽くぶつけ、一気に中身を呷る。

 そんな男を横目で眺めている省吾には、彼の言葉を吸収するのはまだ難しいことだった。

 省吾は生きる意味など考えたことがない。彼にとって生きるというのは自分の命を繋ぐこと、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 物を食べ、凍える心配の無いところで寝る。

 それ以上に大切なことなどある筈が無い。


 それが、十数年生きてきた省吾の、唯一の信念だった。

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