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夜を越えて巡る朝  作者: トウリン
夜を越えて巡る朝
19/25

決戦

 草木も眠る丑三つ時、当然のことながら、炊事場には誰一人いなかった。

「よし、私は行ってくる」

 ロイに教わったとおりの操作で口を開けた通路の入り口に片手をかけ、リオンはエルネストにそう告げる。同行した五人は、至る所に仕掛けを作るのに余念がない。

 今のところ彼ら以外動くものは存在していないが、他の二組が行動を開始すればどうなるか判らなかった。

「ご無事で」

 本心を押し隠す為、エルネストの言葉は少ない。

「無理はするな」

 リオンはそう言おうとし、止めた。自分が無事に戻ってこない限り、この乳兄弟は決してここを離れようとはしないだろう。

「待っていろ」

 一言、リオンは告げる。

「はい」

 暗色のマントを翻し、素っ気無いほどの潔さで通路の暗がりに消えていくリオンの背中を、エルネストは目では確認できなくなるまで見送った。


   *


 正面の廊下を走り、全く妨害のないまま、省吾しょうごは玉座の間へと到着した。

 外れたか、と周囲を見回した省吾の耳に、聞き覚えのない男の声が届く。

「やあ、坊主。栄えある玉座の間へようこそ」

 声の主を探して振り返った省吾は、玉座の両横に下げられたカーテンが揺れ、そこから一人の男、そして少女が現れたのを見る。

 省吾に付いてきた五人の男が、揃って銃を構えた。

「おやおや、随分たくさんのお守りを引き連れてきたものだな。ま、仕方ないか、坊やじゃ」

「……!」

 揶揄する男の声で血が昇りかけた省吾の頭に、その時、ロイの言葉が蘇える。

「頭を冷やせ、馬鹿野郎」

 目を閉じ、低く自分に言い聞かせた。

 顔を上げ、省吾は男を睨み据える。そのまま、背後に立つ男たちに告げた。


「あんたたちは勁捷けいしょうたちのところに行ってくれ」

「しかし……」

「俺は大丈夫だ」

 当然その言葉は聞き入れかねて顔を見合わせた男たちに、省吾の鋭い声が飛ぶ。

「行け!」

 並々ならぬ決意をそこに感じ取り、男たちは一瞬の躊躇の後、廊下を走り出す。


「坊主? 無理はしなくても良かったんだぜ?」

「俺の名前は、省吾だ」

 敢然と言い放つ。その気迫に、男は眉を上げた。

「そいつぁ、悪かったな。俺はキーツだ。キーツ・アンドロフ。イチの育ての親だよ」

「イチ?」

「おや、知らなかったか? こいつの名前をよ?」

「イチ……それが名前なのか?」

「ああ。こんな力を持っているのは、他にはいねぇからな。一人しかいないから、イチ。こいつの遺伝子は、分析するとニッポン系が一番強いらしい。俺は古語は得意じゃないが、古ニッポン語じゃ、一のことをイチってんだろ?」

 薄く笑いながらそう答えるキーツに、省吾は柳眉を逆立てた。


「そんなのを名前にすんなよ!」

「何言ってんだよ。こいつだって気に入ってんだぜ、なあ?」

 隣にひっそりと立つ少女に、キーツは同意を求める。

「はい。わたしはこの名前を気に入っています」

 感情の篭らない鸚鵡返し。人形のような少女の眼差しに、省吾は激しく首を振った。今までに出したことのないほどの大声を振り絞って、訴える。

「違う! 俺はあんたが思ってることを聴きたいんだ」

「無理だよ。こいつは凄ぇ力は持っているけど、感情は無いんだ」

「そんな筈は無い……絶対!」

 省吾は、あの時彼女が見せた怯えを、はっきりと覚えている。あれが感情の発露でなかったら、いったい何だというのだろう。

 硬く拳を握り締め、省吾は己の優位を確信しているキーツを見据えた。


「あんたがその子をそんな風に思っているなら、俺が連れて行く」

「お前が? こいつを?」

 銃を抜いた省吾を、キーツは面白そうに眺めた。そして、自分の銃を構える。

「いいだろう。お子ちゃまが何処までやれるか、見てやるぜ」

 言い終えると同時に放たれた銃弾を、省吾は横様に跳んでかわした。そのまま、飾り柱の影に隠れる。


   *


「勁捷、私はちょっと抜ける!」

 省吾と共に行った筈の男たちが五人だけでこちらへ走ってくるのを目にし、ロイは勁捷へ一声掛け、走り出した。

「ああ、ここは俺一人でも充分なぐらいだぜ」

 すでに二十人ほどの兵士が姿を現している廊下の先に視線を向けたまま、勁捷はそう返す。すでに罠は充分に仕掛けてあった。あと少し引き寄せれば、かなりの数を行動不能にすることができる。

「ロイ、あの少年が一人でやると……!」

 擦れ違いざまに不安そうな声を投げてくる男たちへ目で返し、ロイは玉座の間に向かった。

「冷静になれと言ったであろうが!」

 その場にいない少年に向けて、苛立った声を上げる。


 失ってしまった息子と省吾を重ねていると言うことは、自分でもよく解っていた。それが愚かなことであることも。

 省吾と息子は全く別の存在であり、彼を救ったからといって息子を死なせてしまったことの贖罪には成り得ない。

 だが、それでも、笑うことすらろくにできないあの少年を助けることができれば、あの時から止まってしまっている自分の中の時を再び動かすことができるのではないかと、思ったのだ。


 頼むから、間に合ってくれ。


 神以外のものに、祈る。息子を亡くした時、同時にロイの中で神は死んだ。

 目指す場所は、そう遠くなかった。直に、絶え間なく響く銃声が聞こえてくる。足を止め、耳を澄ませて状況を窺った。


「やや劣勢、か……」

 省吾の銃声よりも、相手のそれの方がより頻繁に轟く。

「弾切れを狙うつもりなのか……?」

 省吾の作戦を慮り、ロイが呟く。気配を消し、開け放された玉座の間の扉へと近付いた。


 あと少し、というところで、唐突に銃声が止む。


 気付かれたか、と足を止めたロイの耳に、省吾のものではない男の声が届いた。


   *


 暗い通路を駆け抜けながら、リオンは、この先で待っている王の存在を、確かに感じていた。早く来いと、呼ばれているような気さえする。


 入り口からここまで、走り続けてきたその足が止まる。

 手元の小さな灯りが、通路が行き止まりになっていることを教えた。


「着いた、な」

 手探りで壁を調べると、右隅の方に小さな突起が見つかった。ロイに教えられたとおりそれを手前に引くと、ゆっくりと扉が開き始める。

 暗闇に慣れた目に、突然溢れた光は強すぎた。目を細め、何度も大きく瞬きをする。

 徐々に、周囲の様子が見て取れるようになってきた、と同時に、正面の椅子に深く腰掛けた人物の姿に、リオンは咄嗟に膝を突いてしまう。


「随分、遅いな」


 今の時刻がなのか、あるいは、会いにきたこと自体が、なのか。彼が敬愛してやまないその人物は、ゆったりとそう言った。


「王」

 立ち上がり、リオンは低く呟く。

「久しいな。息災だったか?」

 肘掛に頬杖を突いた優雅なその姿は、最後に見た時のままだった。


「再びお会いすることがあろうとは、夢にも思いませんでした」

「そうか? 余はそうでもなかったぞ」

 直立を崩さないリオンを、王は薄く微笑みながら見つめている。

「今宵は、王へ最後の進言に参りました」

「よい、聴こう」

 更に背筋に力を込め、リオンは続ける。


「どうか、民の暮らしをもう少し顧みてやってください。税を納めるだけの生活では、あまりに人間の生活というものからかけ離れています。きつ過ぎる締め付けは、いつか弾けます。その時の民の激情は、全て王に向けられることでしょう。そうなってからでは、遅すぎるのです」

 王は、その長い睫毛を軽く伏せたまま、微動だにしない。リオンは姿勢を崩さず彼の口から何らかの言葉が発せられるのを待った。

 実際にはそうでもなかったのだろうが、リオンには永遠のようにも感じられた時間の後、王の唇がようやく開く。


「お前は、余に、心優しき王になれと言うわけだな?」

「……」

「慈悲でもって民を治めるような?」

「……はい」


「できぬな」


 王の即答にも、リオンの視線は揺らがない。半ば予想した言葉だった。

「余は、偽善の結果生じる混乱よりも、恐怖でのみ成し得る安寧の方を望む。リオンよ、人は決して現状に満足できない生き物だ。わずかでも自由を与えれば、もっと自由を、と望む。それに応じれば、更に多くのものを。どんなに与えても、必ず、それに不平を唱える者が現れるのだよ」

「そんなことは……」

「無いと言えるかね?」

 押し黙ったリオンに、王は笑みを漏らした。

「少し大人になってしまったかな?」

 言われ、リオンは弾かれたように顔を上げる。


「人の暗い面しか見えなくなることが大人になると言うことならば、私は永遠に子供のままでも構いません」

 その時、確かに、王は微かだが声を上げて笑った。十四歳の時に近衛隊に入り、その後五年間伺候していたが、王の笑い声を聞いたのはこれが初めてだった。

「そうだな、余もそれを願う。行くがいい、リオンよ。お前はお前の信ずる道を行くがいい。余は余の信ずる道を行く」

「その道が交わることは無いのですか」

「無い。余とお前とでは、人間そのものに対する考え方が違いすぎる──根本からして違うのだよ」

 穏やかな表情で、王はそう告げた。


 王の心は深すぎて、リオン如きにはその底にあるものを見ることはできない。


 リオンは一度目を閉じ、開いた。最後の最敬礼を、深く、王に向ける。

「私はこれ以降、貴方に弓引きます。ですが、ご記憶ください。私の忠誠は、天神地神、どの神に誓っても貴方一人のものです」

 最後にその姿を目に焼き付けて、リオンは身を翻した。


 遠ざかっていくその足音が消えて短いとは言えぬ時が過ぎてから、王は立ち上がり、隠し通路の扉を閉めた。


「お前が正しいか、余が正しいか──それは時の流れが決めることだ。だが、まあ、自分の足で立ってくれるというのなら、余も荷が降ろせるというものだがな」

 苦笑と共に、そう呟く。


 それを聞くものは、いなかった。


   *


 省吾は不意に止んだ弾雨に、内心首を傾げた。

 ややして、軽い足音が響く。それはあの男のものでは在り得なかった。

 数歩で止んだそれを確かめようと、省吾は柱の陰からわずかに身を乗り出した。そして見えたものに、一瞬呼吸が止まる。広間のほぼ中央に立っていたのは、彼女だった。


「お前、キーツ! 彼女を下がらせろ!」


 だが、省吾の怒声に対して返された台詞は、まさに彼の血を全て噴き出させかねないものだった。

「お前が代わりにそこに立てばな。そろそろ互いに弾の無駄遣いだろう? 終わりにしようや。あと五つ数える間にお前がその柱の陰から出てこなければ、イチの右足を撃つ。更に五つ数えても出てこなければ、今度は左足だ。どうだ?」

「無駄なことだろ!? 彼女は銃の弾なんて簡単に防げる筈だ」

「ひとーつ。ああ、普通はな。ふたーつ。だが、俺がやるなと言えば、やらん。みーっつ──」

「彼女はあんたの味方じゃないのか!?」

 殆ど血を吐くような省吾の声に、キーツは嘲笑を返した。


「ああ。大事な大事な、俺の取って置きだ。だから、撃った後にすぐ治療してやるよ。よーっつ。……さあ、どうする?」


 考える余裕は、無かった。


「いつー……っと、出てきたか」

 省吾は、姿の見えないキーツの声がする方向を睨みつけながらゆっくりと中央に歩き出る。

「いい心掛けだな。まあ、女の子に怪我させるわけにゃ、いかねぇもんな」

 気配で、省吾は自分に照準がぴたりと合っていることを察する。

 かちりと、撃鉄の上がる音が微かに響いた。

 人形のように佇んでいる少女から、できるだけ離れる。

 全神経を耳に集中し、その時を待った。


 最初の銃声。


 省吾は、被弾覚悟でその銃声がした方向へ全弾を撃ち尽くす。あとは、相手の放った弾が自分の身体に食い込むのを待つだけだった。が、すぐに訪れる筈のそれは、優に一秒を数えた後でも感じられない。


 省吾は両目を開け、そこにあるものを視界に収め、驚きの為に更に目を見開いた。


「止まって、る……?」

 指先で突付いても、数十発はあるそれらは微動だにしなかった。

「あんたが、やったのか……?」

 他にこんなことができる者がいるわけが無い。省吾は少女を振り返った。と、同時に、弾丸が床に転がる甲高い音が続く。


「何てこった」


 いささか間抜けな声を上げ、キーツが柱の陰から姿を現した。彼が隠れていた柱には、省吾が撃った無数の弾丸が小孔を穿っている。そして、銃を手にしている方の腕には、赤い液体が伝っていた。


「イチ?」

 悲嘆に暮れている、という表現すら当てはまったであろうキーツのその声音に、少女が視線を向けた。


「すみません、キーツ大佐」

「お前、俺を裏切んのか?」

 貞淑だと信じていた妻に不貞を働かれた夫でさえも、これほど情けない声は出せないだろう。

 少女の真紅の瞳に見つめられていることを感じながら、キーツは続く言葉を呆然と聞いていた。


「わたしは、この人と会って、『恐い』ということを知りました。この人がわたしを恐がるのが『恐く』、この人が死んでしまうのが『恐い』と思いました。わたしは、キーツ大佐といっしょにいても、『死ぬこと』が恐いとは思えないのです。それは、『生きている』とも思えないということなのです」

 少女は、未だ信じ難い思いを満面に表している省吾へと視線を移した。

「この人といると、わたしは『生きている』と思えるのです」

 細い声で、たどたどしい口調。

 その陶磁器のような頬には、いつしか透明な雫が伝っていた。

 相変わらず一本調子ではあったけれど、省吾はやっと、彼女の声が聴けたと思った。


「キーツ大佐。わたしはこの人といっしょにいきたいです」

 少女は、キーツにそう告げる。

 まともにイチの視線を受けたのは、これが初めてかもしれない。キーツは唐突にそう思った。大きく息を吐き、肩を竦める。


「ちっ、これで俺の出世計画もおじゃんか」

「キーツ大佐?」

「さっさと行けよ。そこのクソ餓鬼と一緒によ」

 そう言って、キーツは背を向けた。

「ありがとうございます、キーツ大佐」

 何度も投げられたその言葉だったが、キーツの耳は確かにこれまでのものとは異なる響きを感じ取っていた。


 ――まあ、いいか。


 確かに、これで全てを失うことになるが、キーツは意外なほど、未練を感じなかった。

 キーツの背を見つめたままの少女を、省吾は自分の方へと向き直らせる。しっかりと、その真紅の瞳を見つめた。


 得難い、二つの宝石。


 そこから溢れ出す透明な雫を、指で拭う。何か不思議な気持ちがする。彼女のこの瞳が流すとしたら、血のような色をしているのかもしれないと、思っていたから。


「俺があんたに新しい名前をやるよ。……今日から、あんたは小夜だ。夜が明ければ朝が来る。夜が無ければ、朝は来ない。あんたは俺に、朝をくれたんだ」

 少女は軽く首を傾げて、何度かそれを口の中で転がした。

 変わらぬ平坦な口調で、ポツリと言う。


「小夜。わたしは、この名前が気に入りました」


 いつか、小夜は笑ってくれるかもしれない。その時は、またいっそう明るい朝が訪れるだろう。


 省吾は小夜を両腕で抱き締めた。細い肩が、すっぽりと自分の中に納まる。

 この少女は、これからも、様々な事に怯えるだろう。だが、これからは省吾が、それら全て、一つ一つ拭い去っていってやるのだ。


 ふと視線を上げると、初めて開放されたままの入り口に立っているロイに気付く。

「たいしたものだ、省吾」

 彼の口がそう動いたのが、見て取れた。

 省吾はロイに、会心の笑みで返した。


   *


 再び隠し通路から炊事場へ戻ってきたリオンは、そこに一人きりで残っているエルネストに奇妙な目を向ける。

 あまりに彼の纏う空気は暗かった。

「エルネスト?何をやっているんだ?」

 エルネストは、たっぷり呼吸三回分はじっとリオンを見つめ、最後に大きく息を吐いた。

「いえ、別に。ただ、もしもあなたが戻ってこなかったら、王を討ちに行き、それから私も首を斬ろうと思っていたところですよ」

 リオンはそんな従者を呆れたように見返す。

「そんなことをすれば、あの世で私がお前の首を斬り落とすぞ」

「構いません」

 事も無げにそう答えたエルネストに、リオンは心底からの呆れ顔を向ける。

「私よりも、お前の方がよほど融通が利かないと思うのだがな」

 そうぼやいて、リオンはエルネストを促して走り出す。

「退却だ。行くぞ」

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