序
生命の息吹を感じさせる色彩が消え失せた大地に、遥か上空の飛行機から、円筒が幾つも幾つも落とされる。地上には、もう、燃えるものなど何一つ無いというのに、その円筒が地面に激突すると同時にパッと朱の花が咲いた。その炎に照らされて、真夜中だというのに、昼のような明るさ。
昨日までは確かにあった小さな村も、今は跡形も無い。
彼女の血の色を透かした瞳を疎んじ、石を投げ付けてきた村人も、もういなかった。
何故、自分だけが生きているのだろう。
彼女には、それを疑問に思う余裕は無かった。あたり一面火の海で、頭からすっぽりと被った汚いぼろ布に火の粉が飛び移らない事を不思議に思うことすら、なかった。
むせるような熱気に、息が詰まる。吸った空気は喉を焼いた。
と、突然。
キィーンと、耳ではなく頭に、人の可聴域を超えた音が響く。
彼女の本能はそれが上空からのものだと教え、反射的に振り仰いだ。
炎の色よりも深いその真紅の瞳が、大きく見開かれる。頭上には、燃料の詰まった円筒が迫っていた。
目を逸らすことも、その場から逃げ出すこともできない。
もう、終わりだ。
絶望的な思いと共に、どこか安堵する気持ちもあった。
円筒が実際に風を切る音が、今度こそ、彼女の耳に届く。
終焉まで、あと一秒。
その時、何の意識もしないまま、彼女の頭の中で何かが弾けた。
全ては瞬きにも満たない瞬間のうちに終わった。
そして──それと同時に彼女の意識は失われる。彼女は、自分の身に何が起きたのか、自分が何をしたのか、知ることはできなかった。
彼女の他にこの地上に生きているものは無く、その時起きたことを見た者はいないかと、思われた。
しかし、空から焼夷弾を振り撒いていた人物は、見ていたのだ。自分の落とした爆弾の威力を確かめようと下を覗いていた、パイロットだけは。
残敵の掃討に駆り出されるような一兵卒に過ぎないキーツ・アンドロフは、その時見た現象を永遠の眠りに就くその時まで忘れることができなかった。真っ直ぐに落ち、地面に触れると同時に炎を上げる筈の焼夷弾は、しかしそうなることは無く、まるで見えない巨大な指でも存在したかのように、真横に弾かれたのだ。
彼は暫らくその場を旋回してみたが、上から見ているだけでは埒が明かない。意を決して、炎に巻かれないよう、少し離れたところに着陸する。
火の激しい場所を避けつつ、目的の地点へ急ぐ。
「うわ……っと、危ねぇ……」
火だけに注意していた彼は、危うく、足元に転がっていた焼夷弾を蹴り飛ばしそうになった。
不発弾。
例の弾に違いない。
更に足を進める。
そして、見えたもの。
先ほどは、キーツは自分の目が信じられなかったが、今度は、自分の頭が信じられなかった。
この戦場で、ついに正気を失ってしまったのだろうか。
襤褸切れに包まれて倒れ伏しているのは、どう見ても五歳ぐらいの幼女だった。燃え盛る炎は、彼女を避けてきれいに円を描いている。その現象も異様であったが、そもそも、この火の海でこんな子供が独りきりでどうして生きていられるのか。
『普通』では有り得なかった。
キーツの見つめる中、その視線を感じたのか、彼女が小さく身動ぎをした。それに合わせるように、炎が揺らぐ。
彼は、この幼女が自分のこれまでの人生を一新させる為の踏み台となってくれることを直感した。恐る恐る手を伸ばし、抱き上げる。
子供は、軽かった。