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袖触れ合うも多生の縁  作者: 麦子
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4.花とリボン

体育館入り口前にある自販機から、情けない悲鳴が聞こえた。覗いてみると、自販機前にしゃがみこんでうなだれている太郎先生がいた。ぶつぶつと何か呟きながら真っ黒なお財布の中を見つめてため息をついている。相当ショックなことがあったのか、わたしが横に立っても全く気付いていない。先生の頭のてっぺんにかわいいチョウチョがとまった。



「50円しかなかった…」

「お金、足りないんですか」

「うおっ」



声をかけてみたら、太郎先生は面白いくらいに肩をびくつかせて、手からお財布を落とした。チャリンと50円玉がひとつ、わたしの足元に転がった。拾い上げた先生のお財布は、とても軽い。哀れみの視線をこめてたっぷりと太郎先生を凝視すると、先生は涙目のまま黙り込んだ。



「…給料日前日でちょっと浮かれすぎました。ごめんなさい」

「もういい大人なんですから、お金の管理ぐらいご自分できっちりやってください。親御さんが泣きますよ」

「吉野、なんか学校の先生みたいだな」

「本物の学校の先生が何やってんだって話ですよね」

「ごめんなさい」



本当にこのひと、なんで先生になれたんだろう。叱られたあとのこどもみたいにしゅんとなって体育座りをしている太郎先生がチラチラと様子を伺うようにしてわたしを見てくる。「教え子にお説教された…もう25歳なのに…先生なのに…」と何やらメソメソとぼやく情けない声も聞こえてきた。

ちょっと可哀想になってきて、体育座りをしている先生を覗き込むようにして話し掛けてみる。



「なにが飲みたかったんですか」

「牛乳…。紙パックで、赤と白のデザインのやつ」

「100円ですね」

「あと50円…足りない…。これ飲まないと…力…出ない…」



こどもかよ、と突っ込みたくなることばを飲み込んで、自販機にお金をいれてボタンを押す。取り出し口から出てきた冷たい牛乳を先生の手に握らせると、まるい目をさらにまんまるくさせてわたしと牛乳を交互に見る。



「この間のお昼のお礼です。今日はわたしが奢りますよ、先生」

「吉野…お前…」

「じゃあ、わたし行きますね。購買にいる小日向さんを迎えに行かなくちゃいけないので」

「ありがとう吉野!!」

「うぎゃっ」



立ち上がろうとしたら、腕を引っ張られて思い切り抱きつかれた。完全なるセクシャルハラスメントである。ぎゅうぎゅうと痛いくらいに抱き締めてくる両腕の力に、グエッと変な声が出た。



「ありがとうな吉野!勿体なくて、飲めねえよ!」

「飲んでください!そして離してください、暑苦しいっ」

「だって、感動したんだもん!」

「牛乳一本でですか…お手軽な感動ですね…」



先生の鼻先が、わたしの髪の毛にくっついた。耳元でもう一度囁かれたありがとうの5文字に、なぜか心臓が跳ね上がった。急いで離れようとしたけれど、力がはいらない。



「吉野の髪、なんか花のいいにおいする。シャンプー?」

「かっ、かっ、勝手に人の髪の毛のにおい嗅がないでください、変態!」

「変態…ひでえよ吉野…」

「わたしにもたれかかったまま凹まないでください!」



わたしの肩に顔を埋めてメソメソし始めた先生の身体をグイグイと押したり叩いたりして四苦八苦していると、不意に背後からカランコロン…と缶ジュースが地面に転がる音がした。おそるおそる後ろを振り返ってみると、そこにはいつもの風呂敷に包まれている三段お重箱を抱えて立っている小日向さんがいた。

しばらく見つめあってから、慌てて「違うからね!誤解だから!」と顔をブンブンと横に振りながら必死に弁解するけれど、小日向さんには全く聞こえていなかったらしい。瞳をキラキラと輝かせて頬を赤らませながら、青ざめるわたしに向かって、ぐっと親指を突き立てた。



「大丈夫、分かってる。小日向なぎさはいつだって恋するお嬢の味方だよ」

「こ、恋っ!?ちがっ、違うよ小日向さん!誤解!」

「なにっ!吉野、お前恋してるのか!相手は誰だっ、先生に教えなさい、いや教えてください!」

「先生は黙っててください!そしていい加減に離れてください!」

「どうしよう、ときめきすぎて今日はもうおにぎり十個しか食べられないかもしれない」

「十個も食べられたら、十分だよ!…って、待って!小日向さーん!」



キャーと小走りで駆けていく小日向さんの背中を、太郎先生を無理やり引き剥がして慌てて追う。意外と足が速い彼女はあっという間に階段を駆け上がっていってしまった。



「吉野ー」



走りながら振り向くと、体育座りをしたままの太郎先生が牛乳片手に満面の笑顔で手を振っていた。



「牛乳、ありがとうな〜〜!」

「〜っ、うざい!」

「ははっ」



まだ春のにおいがする昼下がり、三年間履き慣れた靴で駆け抜ける学校の中、赤い頬っぺた、不規則な心臓の音、何もかもがなんだか恥ずかしくて堪らなかった。それがなんなのか分からないまま、結んでいる髪の毛の毛先に触れてみたりする。花の香りなんて、しないよ先生。



自販機の前でうなだれていた黄色いチョウチョがとまっているその揺れる後ろ髪に、触れてみたかった。なんて、そんなこと思ってしまった自分が一番変態なのではないかと思う。



「やっと、追いついた、小日向、さん」

「吉野嬢、わたし気付いてたよ。お嬢と太郎先生のこと、前から怪しいと思ってた。わたしのこの1ヶ月のお嬢観察計画は無駄じゃなかった…!」

「そんな理由でずっとわたしのこと観察してたの!?」

「年の差、禁断、教師と女生徒…なんてときめくシチュエーション…!ありがとうお嬢!」

「だから誤解です!」




生温かい屋上にて、髪の毛に黄色いチョウチョがとまったことにも気付かないわたしは、お昼休みが終わるまで小日向さんを説得し続けた。

違うよ、とことばを繰り返すたびに胸の奥よりさらに奥の部分から感じる、針に刺されたようなちくんとした痛みが深くなっていくような気がした。



わたしはこの痛みの意味を、まだ知らない。


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