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袖触れ合うも多生の縁  作者: 麦子
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1.3年生の春

昔のわたしに比べたら、今のわたしは随分たくましく図太くなったと思う。以前ならきっと、歩きながら堂々とカツサンドを食べる勇気なんてなかったはずだから。



桜並木の坂道をえっちらおっちら大股で歩いていく。学校に近づくにつれて不愉快な心臓の痛みが、ズキンズキンとつよくなってきた。やっぱり緊張してるんだなあ、と素直に認められるようになったのもわたしにとってはすごい進歩だ。もう太郎先生に、“青春一直線女子高生”なんて言わせないんだから。



「あ、太郎ちゃんセンセーだ」



前を歩いていた同じ高校の女の子たちがくすくすと笑い合いながら、一本の桜の木の真ん前で立ち止まっている太郎先生を指さした。せんせーい、とひとりの子が太郎先生に向かって手を振る。けれど太郎先生は、上を見上げて口をぱかりと開けたまま動こうともしなかった。



「太郎ちゃん何してんのかな」

「立ったまま寝てるんじゃない?」

「ありえるありえる。だって太郎先生だし」

「ね」



面白いから放っておこうよ、と誰かが冗談っぽく言うと女の子たちの笑い声が大きくなった。わたしは最後の一口になったカツサンドを口の中に放り込んでモグモグしながら、その一部始終をぼんやりと見守る。女の子たちが通り過ぎていったあとも、太郎先生は目を閉じてぴくりともしない。本当に立ったまま寝ているのだろうか。



「先生。太郎先生」



近づいてから、名前を呼ぶと太郎先生はすんなりと目を開けた。それから、何かをぱくんと口の中に閉じ込めてモグモグし始める。上を見上げていた視線がやっとこちらに気付いて、不思議そうに見つめてくる。だけどそのまんまるな瞳はすぐにふにゃりとゆるめられた。相変わらず口をモグモグと動かせたまま。



「先生、さっきから何食べてるんですか?」



すると先生は、べえと舌を出してみせた。覗き込んでみると、赤い舌の上にはしなしなになった一枚の桜の花びらが乗っている。太郎先生はすぐにそのピンク色をゴックンと飲み込んでしまった。ごちそうさまです、なんて律儀に両手を合わせながら。



「おはよう、吉野」

「はあ、おはようございます」

「んん、どうした?そんな不安そうな顔して」

「いえ…太郎先生は今日のごはんを買うお金もないくらい切羽詰まっているのかと思いまして」

「うはは、なんだそれー。吉野は相変わらずおもしれえーなー。よしよーし」

「いちいち撫でないでください」



楽しそうに笑いながらわたしの髪の毛をめちゃめちゃにする手はまったくゆるめない先生は、相変わらずひとの話を聞いてくれない。桜の花びらがまたひとつ、先生の髪の毛に乗った。春の陽気があたたかく揺れるみたいに、太郎先生の笑顔はいつも生温くて柔い。



「心配して損した…」

「心配してくれてたんだ。吉野はやさしいなあ〜〜」

「しみじみと感動しないで下さいウザいです」

「あれ、おっかしいな…またどこからか幻聴が…」



坂道を歩いていく生徒たちが太郎先生に気付いて元気よくあいさつしていく。太郎先生はちいさいこどもみたいにぶんぶんと両手を振って「おはよう!」と大声であいさつをかえしていく。わたしは先生の髪の毛にぴったりとくっついていた花びらをそっと摘んでみた。こんなもの食べて、お腹こわさないのかな?



「吉野も食べてみる?案外イケるよ」

「食べません、桜の花びらなんかちっともおいしそうに見えません」

「またそうやって決めつけるーよくないんだぞー」

「…桜もちは食べます」

「そうだな!おれも桜もち食べたいなあ」



そう言ってから懲りずにまた桜の花びらを食べようとする先生を慌ててとめた。太郎先生は少し不満そうな顔をして、でもすぐに表情をやわらかいものに変えた。表情筋が豊かなひとだ。



「今日は調子良さそうだな」



太郎先生が視線は桜を見上げたまま、いきなりそんなことを言ってくるものだから、今度はわたしがしかめっ面をする番だった。

そんなわたしを見て太郎先生は、笑う。笑う。わらう。ちっとも悪意なんてみえない笑い方をして。きれいに、やわらかく、あったかく。



「でもちょっと熱っぽいかもな」

「先生の手、つめたいですね」

「ほら、おれって心があったかいから」

「うわあ…」

「ここ、どん引きするところじゃないから!」



ゆっくりと背を屈めて、先生がわたしをじっと見つめた。先生の瞳の中には、拗ねた表情をした捻くれ者が映っている。



「そんな顔しなくても大丈夫だって。吉野が倒れたら、またおれがおんぶしてやるからな」



だからそうやって、また頭を撫でてこないでよ。うっかりにやけちゃいそうになるから。

やっぱりまだまだ素直になれないわたしは、素直ににやける先生の脇腹にグーパンチをお見舞いしてから急いで学校まで走った。




クラス替え発表の貼り紙を見て、担任の名前を見て、とうとう口元はだらしなくゆるみはじめてしまった。いつの間にか追いついてきた太郎先生が隣で同じように貼り紙を見上げて、嬉しそうにわたしの肩をたたいた。



「おれと吉野、同じクラスだな!」



その言い方がまるで、同級生みたいで全然“先生”っぽくなかったからわたしは我慢できずに声を出して笑ってしまった。そうだね先生、いっしょだね。うれしいよ、とっても。ぜったい言ってあげないけどね。



「1年間、よろしくな」

「ほどほどにお願いしますね」



春の陽気に浮かれまくりの先生に、こっそり教えてあげよう。商店街にあるパン屋さんに春限定のさくらジャムが売ってること。桜の花びらよりも、もっと春の味が堪能できますよ、って。先生はきっとうれしそうに笑ってくれる。



耳元で教えた春のおいしい情報に、やっぱり先生はうれしそうに笑ってくれたからわたしもつられて笑ってしまった。



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