5、時給
「お疲れ様でした!」
水商売初日。仕事が終わったのは午前0時過ぎだった。結局今日は最初から最後まで、まりあさんのお客さん・飯岡さんの席に着いたまま。たまにまりあさんが戻って来ては一緒に話し、まりあさんが再び席を外したら飯岡さんと談笑する。。。といった感じだった。
着替えをしようとメイクルームに向かうと、ほかの女の子達もまばらにメイクルームにやって来た。もうすでに帰ってしまった子もいるのか、始業時よりも随分と少ない。
・・・結構、労働時間って融通効くのかなあ?慣れない夜仕事で、正直もう眠い。飯岡さんの席で、あのシャンパンのあとも、ピザだのポテトだのフルーツだのかなり食べさせてもらって、お腹もいっぱい。酔いもだいぶ醒めたけど、ちょうどいい具合に気持ちよく、眠くなってきたのだ。この時間、いつもならお風呂からあがってTV観てるか、すっかり眠っている頃だし。
「あ!ミキちゃん、着替える前にこっち、店長室に来て!」
大きな声で呼ぶのは、出勤前に外であった小太りのボーイ・宮道だった。またもや宮道の案内でフロアの奥の扉から店長室へ。
「失礼しますー。お疲れ様です。」
「おう!お疲れ!そこ座って!」
なにやら書き物をしていた手を止め、店長が机から顔をあげた。店長室といっても、ほんのタタミ数畳分しかない、パソコン機器やら雑誌やら、ごちゃごちゃとした事務室のような部屋だ。
「あ。これ・・まりあさん?」
あれこれあたりを見回していた私の目に飛び込んできたのは、壁に飾られた大きな・・ポスターのような写真だった。そこに写るのは、多少化粧や色々な効果でかなり美化されているが、さっきまで一緒に席に座っていた、まりあさんだった。化粧品のCMかポスターかと思うようなポーズ。そこには『club MOON 櫻井まりあ』とでかでかと文字がのっかていたのだ。飯岡さんの話から、まりあさんがナンバーワンだってことはわかったけど、まさか本当に・・・そしてこんなポスターまであるとは、かなり驚きだ。これだったら、下手に売れないタレントやアイドルなんかよりずっと目立つし、それらしい。
「そう!これは今年の、まりあのバースデーの時に作ってもらったやつ。まりあに聞いてなかったんだ?あいつがナンバーワンだって。あ、忘れないうちに。これ今日の給料。」
「は、はい。ありがとうございます。」
中身を確認すると・・・福沢諭吉が2枚と、小銭がいくつか入っていた。た、たった4時間で!!??単純計算だと、時給5,000円くらい!?
店長が差し出した領収書にサインをする。毎日働いたら、いったい月にどれだけ稼ぐことができるんだろう・・・。
「いやー、まりあはさぁ、凄かったよ。入ってたった2週間で、前のナンバーワンだった奴を追いぬいちゃってさ。もう伝説だね。」
「に、2週間!?」
おお・・・。2週間なんて・・・・どうやったらそんなできるんだ!?
「ミキちゃんは、今日は働いてみてどうだった?やる気になった?できそう?」
そんな2週間の伝説を聞かされると、なんだか私にできるものなのかと不安になり・・すぐに店長の問いに返事をすることができなかった。
「まあ、まりあは特別だとして。2週間でそれだけ成績出せる子なんて滅多にいないから、安心して。それに・・まりあから言われたんだけど、まりあ専用のヘルプで出勤するなら、それでもいいよ。時給も保障できるし。」
「専用の、ヘルプ??」
「うん。今日みたいに、まりあのヘルプに専用に入ってもらう子ってこと。まりあ指名のお客さんの席には、まりあが認めた子・・・つまり決まった子しか着けないことにしてるんだ。もちろん、ミキちゃんにも新規のお客さんも掴んでもらいたいから稼動していない時は、どんどんフリーの客につけていくけど。どお?」
どうも何も・・・・意味がよくわからないので、断ることもできないというか・・・。
私がまたもや返事に困っていると、店長が畳み掛けた。
「ぶっちゃけ、時給って人それぞれなんだ。初めて歌舞伎町で夜働こうと思って提示される時給なんて、実は他の子と比べてめちゃくちゃ安く叩かれたりするんだよ。その点、まりあの専用ヘルプだったら、まりあと上手く仲良くやってりゃ、ある程度高い時給も保障されるし、楽だと思うよ。初心者で最初からこのいい環境で始められるなんて、ラッキーだとおもうけどなぁ。」
「じゃあ、それでおねがいします・・・・。」
なんだか半ば強引に決められた感じだったけど、時給5,000円も、もらえることになったのは良かったのかな??
「ああそうだ。絶対他の子に自分の時給とか、いくら給料もらってるとか話すのは、この世界絶対に駄目だからね。人によってみんな時給違うから。」
「は、はい・・・。」
この世界絶対に駄目って・・・。そんなに時給って違うものなのかな。とりあえず年齢確認の為、健康保険証のコピーをとってもらい簡単にポラロイドで証明写真となるような物を撮り、預かってもらっていた荷物と私服を受け取り、店長室を後にした。
人がほとんどいなくなったメイクルームに入ると、始業時より雑然と、あちこちにサンダルや脱ぎ捨てたストッキングやコンビニの袋などが転がって、ゴチャゴチャしていた。
「おつかれ。」
「まりあさん!?」
メイクルームの端の椅子に、すっかり着替え終わったまりあさんが座っていた。
「どお?働くことにした??」
「はい・・。とりあえず、しばらく頑張ってみようかと。あ、まりあさん専用のヘルプだって。ありがとうございます。」
着替える手を急がせながら答えた。
「うん。よろしくね。飯岡さんも凄い喜んでたし。ミキちゃんのこと、気に入ってた。」
「あ・・ありがとうございます。」
ジャケットをしめ、急いでストールを巻く。
「送りの車出るよー!ミキちゃん、早くー!」
この大声は、宮道というボーイの声だ。すっかり宮道は『小太り・大声』というイメージで定着しちゃったな。
急いで荷物をまとめてメイクルームを出ようとする。が、まりあさんは悠々と動こうともしない。
「まりあさんはまだ帰らないんですか?」
「うん。これからアフターだから。まだ帰らない。お疲れさま。またね。」
「お、お疲れ様です・・・」
仕事中に客席で見せた笑顔とは違って、疲れきったかのような笑顔だった。
そりゃナンバーワンで働いてれば、さすがに疲れるのかな。
私はものすごい眠気と戦いながら、急ぎ足で宮道の案内で送りの車へ乗り込んだ。
明日から本格出勤。とりあえず頑張るぞ。