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36、歪み

「ごちそうさまでした~!」

 私とまりあさん、そして飯岡さんでシャンパングラスを合わせる。グラスの涼やかな音が静かなVIPルームに響いた。


 ドレス新調デーは大盛況のうちに終わり、もうすっかり閉店時間。私も飯岡さんの席の他にも指名が被り、もちろんまりあさんも幾つも指名が被っていて・・結局二人揃って飯岡さんの席に着けた時間はほとんど無かった。それでも飯岡さんはオープンからラストまでいてくれた。・・・なかなか着かないから延長するのか・・・それともやっぱり飲みなれているから全然着かなくてもこんなに延長してくれるのかな・・。相変わらず飯岡さんは本当に『良いお客さん』だ。指名した女の子がこれだけ着かなくてもいつもと同じようにニコニコと・・むしろいつもよりも楽しそうにしていた。シャンパンだって、一体何本空けたんだろう・・。席に戻るたびに違うボトルがテーブルにあった気がするんだけど。

 私とまりあさんはお見送りの為に飯岡さんと一緒に席を立ち、通常のフロアを抜け、エントランスへ向かう。他のお客さんはもう送り出しをされてフロアからは一切姿を消していた。『MOON』では飯岡さんがラストまで居る時は、飯岡さんが一番最後の送り出しと決まっている。これはもう暗黙の了解のようなものらしいけど・・・他にどんなお客さんが居ても飯岡さんの会計を出すのは一番最後、もちろんボーイから飯岡さんに帰りを急かしたり、閉店を促すようなことも無い。お店にとって特別なお客さんですよ、といった意味なんだろうなぁ・・・。

「今日も遅くまでありがとうございました。あんまり着けなくてごめんなさいね。でも、どこに居ても早く飯岡さんのお席に着きたいなぁ~って思ってたのよ。」

 まりあさんがやんわりと、冗談交じりに飯岡さんにフォローを入れた。

「あははは。なかなか着かないのはいつものことじゃないか。イタリアで買ってきたそのドレス、ぴったりで良かったよ。1点ものだったから衝動買いしちゃったよ。」

 この高そうなまりあさんのドレス、飯岡さんが買ってくれたドレスなんだ!?・・どうりで高級感があるドレスのはずだよ・・しかもそれを飯岡さん、衝動買いって・・・。

「今度はミキちゃんにもドレス買ってこないとなぁ。あとでスリーサイズ教えてね。僕の予想だとねー・・・・・・バストが86くらいで・・Dカップ?当たり?」

 楽しそうに笑う飯岡さん。

「えっっっ!?な、なんでそれを・・・」

 図星・・・・なんだけど。

 飯岡さんのエロ親父トークは酔うといつもの事だけど、なんていうか、あっけらかんとしていて嫌な感じは全く無い。・・・それにしてもなんでサイズわかるの?

「もぉー。飯岡さん、ミキちゃんにエロトークはダメだってば!」

 まりあさんがわざとらしく呆れて見せる。

「はははは!ミキちゃん、図星だったでしょ!?まりあちゃんのも一発で当てたんだよ。ね、まりあちゃん?」

「もう!それも言わないでってば!・・・じゃあ飯岡さんの秘密もミキちゃんにしゃべっちゃうわよ~」

「あはは。それは困ったなぁー」

 大笑いをしながら3人でエントランスへむかう。今日一日、本当にバタバタしてて疲れちゃったけど・・・この最後の短い時間が楽しくて、なんか好き。疲れもどこかに飛んでっちゃうような気がした。


「マジでぇ!?すげぇーっ!!!」

 フロントに出たあたりでなんだか柄の悪い・・・だれの声かは想像がついたんだけど・・・酔っ払って騒ぐ声が聴こえてきた。

「「あ。」」

 私とまりあさんが一緒に声を発した。扉に続く階段下のエントランスのちょっとした広間には、あの杏ちゃん凛ちゃん指名の大人数のヤカラグループがまだ帰らずにたむろっていたのだ。店長と宮道が一緒になって談笑している。そこには酔っ払ってさわぐ杏ちゃんと凛ちゃんの姿も・・・。一緒に着いていたと思われる女の子達は、半ば呆れたようにちょっと距離を置いて『早く帰れ』といわんばかりに白けた目で見つめている。

 それまでニコニコしていたまりあさんも、明らかに一瞬ムッとした表情になった。

「あれぇ!?あれ、ナンバーワンのまりあじゃね!?」

 グループの一人がまりあさんに気づき、その声に他のヤカラも一斉にこちらを見た。

「すげー本物はじめて見たー」

「まりあちゃん、俺達の席にも着いてよ~」

「超すげぇー!ねーねーナンバーワンっていくら稼いでんの?」

 まりあさんはそんなヤカラ達に応える事無く、ちょっと微笑んだだけで、飯岡さんに申し訳無さそうに頭を下げた。

「ごめんなさい。・・すぐに店長に言って先にこのお客様達のお見送りしてもらうから・・」

「いやいやいいよ。一番最後じゃなきゃいけないなんて、僕がお願いしたわけじゃないから。お店のご好意なんだからさ、強要しちゃあいけないよ。」

 飯岡さんは全く気にする様子も無く、陽気に「ごちそうさまー!」と言いながらエントランスの人ごみを抜けて階段に向かった。

「い、飯岡さんっ」

 私とまりあさんは急いで飯岡さんの後を追って階段を駆け上がった。いつもは飯岡さんがラストまで居る日は、出口まで一緒に見送りに来る店長も、ボーイも誰一人として上がってこなかった。飯岡さんの姿も見えてたはずなのに、店長以外のボーイは色々仕事もあるだろうけど、店長すら見送りに来ないなんて・・・あのグループとの談笑がそんなに大事だったのか・・・

「・・さてその辺で車でも拾おうかな。」

 飯岡さんはコートの前ボタンを閉めながらあたりを見渡していた。

「・・あれ・・・?」

 そういえば飯岡さんのタクシーを随分前にまりあさんがボーイに頼んでいたはずなんだけど・・・。あたりを見渡しても呼んだと思われる車は全く無い。飯岡さんが帰る時は今まで必ず店の前までタクシーを用意してるんだけど・・。いくら週末の夜と言っても、都内を流しているタクシーは山のようにいる。呼んでもまだ来ないなんて、ありえない。なんだか嫌な予感がして私は階段を戻ろうとした。

「私、ちょっと確認してきます!」

「ミキちゃん、いいからいいから。」

 飯岡さんが私の肩を優しく叩いて引き止めた。

「大きな通りに出ればすぐに車拾えるよ。たまには僕も歩かないと、メタボにひっかかるからね。最近ちょっと出てきたかな~」

 わざとらしく自分のお腹を叩いてみせる飯岡さん。

「・・・本当にごめんなさい。あとで店長には私からちゃんと言っておきます。」

 いつにもまして真剣な様子のまりあさんの肩を、ぽんぽんと飯岡さんがなだめるように叩いた。

「本当にいいから。ね。みんな色々都合ってものがあるんだよ。ほらほらそんな困った顔したら美人が台無しだよ~・・・まりあちゃんも、ミキちゃんも今日はありがとう。いや、今日も、楽しかったよ!」

「でもっ・・・」

「いいの。僕が楽しかったなら、それでいいんだよ~。」

 そういって飯岡さんは私とまりあさんの肩を組んで楽しそうに笑った。

 店側が明らかに飯岡さんに対して失礼な対応をしているのにも関わらず、怒るそぶりどころか、逆に私達は飯岡さんになだめられてしまっていたのだ・・。そんなニコニコしてくれている飯岡さんを見ると、こんなに良い人に対してなんて失礼な事をしてるんだと、心が痛む・・・。せっかく楽しく帰る所だったのに・・・。ついさっきまで、あんなに3人で大笑いしていたのが、とても昔の事のようにさえ思えた。

 冷んやりとした冬の夜風が体に吹き付ける。だけど、それよりももっともっと気持ちは沈んで凍えそうだった。

「飯岡さんっ!!!!」

 大声と共に、バタバタと階段を駆け上がってくる音がした。

「良かった間に合った・・!!」

 息を切らして駆け上がってきたのは細田君だった。肩で息をしながら、飯岡さんを前にピシッと姿勢を正す。

「タクシー、あちらの通りに待ってもらってます!諸事情で店の前には呼べなくて・・・申し訳ありませんでした。ご案内致します。」

「うん。忙しいのにありがとう。それじゃ、まりあちゃん、ミキちゃん、おやすみ!」

 そう言うと飯岡さんは私達に手を振って、細田君と一緒に大通りに向かって消えて行った。

「さて・・・・」

 二人の背中が見えなくなったあたりで、まりあさんが口を開いた。

「・・・とりあえず、下に戻ろうか。薄着のままだから寒いし、冷えちゃった。」

 まだエントランスからは、あのヤカラ達の騒ぎ声が聞こえてくる。

「さっさとあの人達に帰ってもらわないと。」

 まりあさんは階段の下をちらっとみて、冷ややかにつぶやいた。


 もうすっかり閉店時間過ぎてるんだけど、一向にあのヤカラグループを帰そうとしない。お店にとって上客なはずの飯岡さんにもあんな調子だし・・・店長も岩村も宮道も、一体何やってんだろう・・

 

 

 

 

 

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