34、月の魔力
嵐のような杏ちゃんと凛ちゃんの入店。あれから『MOON』では毎晩、同じ様な光景が繰り広げられていた。杏ちゃん達はいつも二人一緒に指名客を呼び、そのお客さん達は毎回大人数で来店した。一日に呼ぶ指名客は一組、たまに個別でもう一組くらいで・・・指名本数自体は少ないのだが、グループの頭数と、バカ騒してどんどんお酒を開けるので、毎晩相当な売り上げが立っているようだった。
私が偶然指名をもらったヤオーは、たった一度
『登録しとけ』
と、一言だけのメールをくれたきりで…こちらからメールをしても返事があるわけでもなく、ヤオーから何かメールが来るわけでもなかった。
ヤオーはいつもあのヤカラ達とつるんでいるわけでもないらしく、杏ちゃんと凛ちゃんのヤカラ客はヤオー抜きで何度か飲みに来ていた。特にヤオーの席の売り上げが欲しいとか、狙っていたわけではないから別にいいんだけどさ…来店する度に杏ちゃんと凛ちゃん、指名のヤカラ客とでコソコソ私のほうを見ては何か話してるのだけはやめてほしいんだけど。
「はあ〜…」
私は大きなため息をついた。営業終了後の店内。周りではボーイさんたちが明日の『ドレス新調デー』イベントの準備に忙しくしている。
「…名前っていってもなぁ…」 バタバタしすぎて伸ばし伸ばしにしていた名刺注文。まあいいや、と思っていたのだけど…ついには岩村に未だに私がカラ名刺を使ってる事が見つかってしまい、今日は居残りさせられてしまったのだ。なんでも一番早い所で1日で名刺ができあがってくるという。
目の前には膨大な厚さの名刺見本ファイル。
「こんなに数あったら選べないってば…」
ハートモチーフの名刺一つとっても、色・柄・さらには台紙の素材など様々。さらには既に誰かが使用しているデザインは使えないとか、文字を黒文字にするのか金文字にするのかとか、字体はサンプル通りにするのかどうかとか…選び出したらなんだか大変。更にもう一つ、私を悩ませているのが…
「名字っていってもなぁ…」
なんでも『MOON』では高級感を出す為?なるべくキャストの名刺には名字をつけるようにさせているらしい。私は別に『ミキ』だけでいいと思ってたんだけど…そうもいかないらしかった。そういや、エナさんも雑誌には藤咲エナって出てるし、まりあさんも桜井まりあって出てたしなぁ…。
私は幾つか候補を紙に書き出してみた。けど、なんだかしっくりこない。そもそも『ミキ』って源氏名自体、店長が勝手に決めた名前だから…そこに名字をつけるのって、すごく大変なんだけど。
「芸能人みたいな名字のほうが良いかなぁ…加藤ミキ?西野ミキ?…なんか普通だなあ。前田ミキ?…なんか違うし。倖田ミキ?…キャラ違うし。うーん…」
ぶつぶつ言いながら考え込む私。周りでは黙々とボーイさん達が作業を続けている。
頼みの綱のアキラちゃんといえば、『今日はちょっと飲みすぎて疲れた』と言って珍しく早々に送りの車で帰ってしまっていた。
仕方なく自分であれこれ考えているんだけど…まとまらない。そんな気も知らず岩村は
「源氏名ってめちゃくちゃ大切だからね!人気のモデルとかタレントみたいなカリスマ性がある名前にしてよ〜!なんなら、芸能人の名字パクってもいいしね!・・そしていずれは、ミキちゃんの名前も業界では永久欠番になるような…売れっ子になってほしいからさ!ね!!」
そう言って、ばしっと私の背中を叩くと明日の用意で忙しいのかどこかへ行ってしまった。店長レースがかかってる最初のイベント。色々忙しいんだろう。担当の女の子みんなと面接をして同伴や来店の予定などを書き出していた。長くいる女の子で明日の同伴や来店予定がない子には、みっちり営業指導してるみたいだし。かくいう私は、明日の来店予定も特に無いから・・・ちょっと気まずいんだけど・・。
「はあ〜…全然わかんないや…」
参考までに、と岩村がメイクルームから持ってきたキャバ雑誌。いかにもって名字は沢山あるけど…なんだか他の人が使ってるの真似ちゃうのもなあ…
「ミキちゃん、何してんの?」
不意に、背後から誰かが覗き込む。
「うわっびっくりしたぁ!!」
ぬっと顔を出したのは、細田君だった。
「前田ミキ…倖田ミキ…藤本ミキ…って、何これ?」
私が源氏名候補として適当に書き殴っていた紙を手に取り、まじまじと見る細田君。…いや…適当に書いたヤツだから、見ないでほしいんだけど…。
「ちょっ!勝手に見ないでよっ!」
細田君の手から慌てて紙を奪い取り、名刺ファイルの下に隠した。
「あ。なんで隠すのさ。源氏名考えてるんでしょ?いいじゃん、見せてよ。」
「だって、恥ずかしいし。」
「…そんな恥ずかしい名前考えてたの?」
「そ、そういう訳じゃないって!」
「じゃあいいじゃん。見せてみて。」
「……。」
なんだか上手く丸め込まれた。しぶしぶ隠していた紙を差し出す。
「ふーん……何これ?芸能人のパクリ?」
「だからっ!まだ考え中なんだってば!!」
図星に突っ込まれ焦ってしまう。…だってさ、岩村が人気のタレントさんとかモデルさんの名字パクると良いよ!とか言うもんだからさ…。
「もっとミキちゃんらしい名前にしたほうがいいんじゃない?オリジナル感っていうか…芸能人のパクリしてもその芸能人と違うと名前負けするっていうか。」
「…そりゃそうだけど…」
そう簡単に思いつくわけもない。自分だって書き出した名前にしっくりこないなぁって思ってるんだけど。
私が一人焦っていた横で、細田君は顎に手をあて、少し小首を傾げて何かを考えてた。
「…うん、思いついた。」
「え?」
細田君はソファに座り、紙の余白にサラサラと何かを書き始めた。
「はい。」
手渡された紙を見る。
「・・月嶋・・ミキ…?」
「そう。なかなかいいと思うけど?気に入らない?」
ちょっと心配そうに細田君は私の顔を覗き込んだ。いきなり言われても…とはいえ、私が考えていた芸能人パクリネームよりはずっとしっくりきていた。
「でも、なんで月嶋?」
細田君の隣のソファに腰掛け、名前の書かれた紙を見つめながら何気なく聞いた。他にも色々思いつきそうなものだけど、あえて月嶋にしたのは何でなんだろ。・・もしかして、元カノの名前とか!?
「・・うーん。うちの店って『MOON』って名前でしょ。だから月に関する源氏名っていいんじゃないかなってさ。『MOON』って名前の店だけど、今在籍する女の子、誰も源氏名に月がつく子いないんだよね。みんな大抵好きな芸能人の名字とか、彼氏の名字とか、なんだか宝塚みたいな名字とかさぁ…そんなのばっかりなんだよね。せっかくだから月がつく名前の子が居てもいいかなって。」
月がつく源氏名…ふーん、今お店で誰も使って無いんだ?みんなの源氏名をフルネームで知ってる訳じゃなかったから、それは知らなかった…
「それにさ、月って特別だと思うんだ。」
「…特別?」
細田はそう言うと、何だか楽しそうに語り始めた。
「昔から人間も動物も、月からもの凄く影響を受けてるんだ。海の潮の満ち引きだってそう。ルナティックシンドロームって言って、満月の日には交通事故や犯罪が増加するってちゃんとしたデータもあるんだよ。」
「ええっ…なんか怖くない?」
「怖いっていうより、月の魔力って感じかな。それに月って、星と違って色々な姿を持ってるし。見上げる度に変化する美しい姿に…昔から人は心を惑わされるんだよ。月が綺麗な夜は他の星なんて霞んで見えちゃうしね。星の名前は知らなくても、夜空に輝く月の姿は誰もが知ってるし。」
熱く語る細田君の横顔はキラキラと楽しそうだった。
「…そ、そんな人の心を惑わす月を名前に持つのって、素敵じゃないかな?こういう仕事だしさ…」
熱く語り過ぎたと思ったのか、細田君はちょっと照れくさそうに頭をかいた。
人の心を惑わす…星の名前は知らなくても、月の姿は誰もが知ってる…かあ。細田君、なんだか詩人みたい。…でも、ちょっとその月の名前が気に入ってしまった。そんなに色々考えが合あった名前だったのに、元カノの名前なんじゃないかとか思って・・ちょっと申し訳なかったかな。
「月嶋ミキかぁ・・まあ悪くないから、これにしてもいいかな。」
私はそういって、細田君が書いてくれた名前の上に大きく丸をした。
「おい、ミキちゃんがなんで上から目線なんだよ。」
そういって細田君は私の頭をこつん、と小突いた。
人の心を惑わす、月の魔力・・・・その名前で私にもそんな魔力が備わるといいな・・・。