32、ライター
突き返されたと思った私のカラ名刺に、連絡先を書けというヤオー。意外な反応に、私はどう返事を返したらいいのかと一瞬戸惑ってしまった。
「…おい、オレに連絡先教えるのが嫌なのかよ。」
「い、いえ!そんなことないですっ!」
私は焦ってポーチからボールペンを取り出そうとゴソゴソ探した。カラ名刺の裏側に電話番号とメアドを書き、改めてヤオーに手渡す。
「…あとでメール送ってやるから登録しとけよ。」
名刺を受け取ったヤオーは、ジャージのポケットにそれをしまい、再びソファーに背を預けてどっかりと座り込んだ。
「お待たせしました。」
ボーイの声にはっとして振り向くと、ちょうどさっき頼んだソルティドッグ10杯がずらり目の前に運ばれてきて…成り行きで頼んじゃったけど…こんなに飲めないよ。わりと小さなグラスに用意されたカクテルだったけど、流石に10杯ともなるとかなりの量。それに、さほどお酒に強いわけじゃないし…
目の前にずらっとならんだグラスに呆然としていたら、ヤオーがグラスを1つ手に取り、いきなり飲み干した。
「あー!うめぇ!」
…と、続いて2杯目を口にする。あ、あれ?ヤオーが飲んじゃってるけど…。私が呆然と見つめていたら、それに気づいたらしきヤオーがめんどくさそうに口を開いた。
「あ?…ああ、オレ焼酎とか飲めねーんだ。こいつらと飲み歩くと焼酎ばっかりだからな。だからイヤなんだよ。」
そう言って、杏ちゃんや凛ちゃん指名のヤカラ仲間をチラリと見た。
ヤオーは本当に焼酎が苦手らしく、最初に作ったグラスのお酒はちっとも減っていない。その代わりに出てきたばかりのソルティドッグはジュースみたいにガブガブ空けていた。
「あ〜!またヤオー、ヘタレな酒飲んでんのぉ?マジウケる〜」
めざとくヤオーの様子を見咎めた凛ちゃんが、茶化すように口を挟んだ。ついでに杏ちゃんもキャッキャと囃し立てて笑う。
「るせーな、お前ら。どうせ全部俺が払うんだから文句ねぇだろ。お前らは水しか飲ませねーぞ。」
ヤオーは再びめんどくさそうに、ソファーに背を預けた。
私は結局、ヤオーが頼んだソルティドッグを一杯だけもらい、チビチビ飲みながら席に座っていた。私があまり酒に強くないとわかったのか、特にヤオーは私にお酒を強要する訳でもなく…自分が飲みたいだけ飲んで、たまに喋りたい時に私に話しかけていた。
テーブルでノリノリになった他のヤカラ達がゲームをし始めても
「めんどくせぇ。」
と言って、ヤオーは参加せず。私もヤオーと一緒にひっそりとソファーに座っていた。
…なんだかヤオーって、想像してたのと全然違うかも…
私はそんなことを思いながら、不機嫌そうにしているヤオーの横顔をみた。
「…あ?何だ?俺の顔がそんなにおかしいか?」
私の視線に気がついたのか、ヤオーはギロっとまた私を睨む。
「あ、いえ、その…や、ヤオーさんは何でヤオーって呼ばれてるのかなって思って…」
私はとっさに、当たり障り無いような質問をしたつもりだった。…が。
「……」
ヤオーはそれきり黙ったまま、一言も口をきこうとしなかった。…やばい、なんかまずい事聞いちゃった!?私は焦りながらも、何も言葉が見つからなくてただ黙ったまま、隣に座っていた。
「あの、ごめんなさい…」
私はとりあえず、消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にした。なんとなくヤオーの機嫌が良くなっていたっぽいのに、悪いこと聞いちゃったような気がして・・・。
「別に。」
ヤオーは私を見るでもなく、ソファーに背をあずけたまま退屈そうに大あくびをした。
「…何か知らねぇけど、周りが勝手にそう呼んでんだよ。気にいらねぇけど、本名言う必要もねぇし、いいんじゃね?みたいな。」
「は、はあ…」
それだけ言うとヤオーは突然立ち上がった。
「おい、俺はもう帰るからな。」
ヤオーの大きな声に、ゲームをしてバカ騒ぎをしていたテーブルの全員が、一斉にヤオーを向く。
「え〜ヤオーさん、まじすか?」
「まだ飲みましょうよ〜」
「もう一件行きましょうよ!」
口々に他のヤカラ達がヤオーを引き止める。
「るせー。眠いんだよ。おい、ここで一回チェックしろ。」
ヤオーが急に私に話を振ってきた。
「え!?は、はいっ!」
大慌てで近くのボーイを呼び、会計してもらうように伝える。その間にヤオーは席を離れフロントまでスタスタ歩いていってしまった。ふと、ヤオーが座っていた隣のソファを見たらヤオーが使っていた細身のライターが落ちていた。
「や、ヤオーさんっ。忘れ物!」
私はライターを手に、人数いっぱいで出入りするのも大変なテーブルから半ば無理やり抜け出し、ヤオーを追いかけた。
「…あ?なんだお前、来たのか。あいつらまだ残ってくんだから一緒に座ってりゃいいのに。」
フロントでカード支払いのサインをしていたヤオーは、私の姿をみてまた不機嫌に言った。
「い、いえ…そういう訳には…」
あのテーブルにあのまま着いているのはちょっとゴメンなんだけど…。
私がまたぼんやりそんな事を思っていたら、さっさとヤオーは扉に向かって歩き出してしまった。深々と頭を下げる店長やボーイを、全く気にかける事もなくさっさ外に向かうヤオーの背を、私はまた追いかけた。
「ヤオーさん、これ!」
大急ぎでヤオーに追いつき、振り向いたヤオーにライターを突き出す。
「やる。」
「・・え?」
一瞬何のことかわからずにいると、ヤオーはめんどくさそうに口を開いた。
「お前にやるって言ってんだろ。ライター。」
相変わらずヤオーは短い言葉で乱暴に話す。
「い、いえ、そんなもらうわけには・・・。」
細身だけどなんかずっしり重くて、高そうなライターだし・・。私が使ってる100円ライターとは比べ物にならない高級感・・・
「やるっていってんだからもらえよな。・・お前、そんな100円ライターなんて使ってんなよ。100円ライターみたいな客しかつかねぇぞ。」
「えっ」
考えていたことが見透かされてしまったようで恥ずかしくなり、とっさにポーチと一緒に持っていた100円ライターを隠そうとしてしまった。
そんな私を見てちょっと笑ったヤオーは、「じゃあな」とだけ言うとそのまま歓楽街の雑踏の中に消えていってしまった。
・・・なんだか・・よくわからないけど変わった人・・・・
「・・ありがとう・・ございました・・・」
ヤオーの姿が見えなくなってしまったあとで、誰も居ないエントランスで、私は独り言のようにつぶやいた。