2、二つ目の名前
新宿歌舞伎町…
人生で一度も踏み入れた事の無い街。暗くなったこの時間に、今まで足を踏み入れようと思ったことも無いこの通り。平日の夜だというのに、こんなに沢山の人が集まるものなのかと、ちょっと圧倒されてしまった。ただただ、早足に歩く由美先輩の後ろにぴったりくっついて歩く私。
一人じゃ絶対来れないよ~…
行き交う女の子はみんな華やかで、そして綺麗で。通りの店は夜だというのにキラキラと、そして騒がしく。テレビやドラマの中だけで見ていたような黒いスーツの男の人や、怖そうな人、髪の毛をぴっちりまとめて着物をぴしっと着た『いかにも』といった女性や、頭を盛った可愛い女の子…何もかもが初めての、別世界だった。
歩く途中、何人もの黒いスーツの男の人が由美先輩に声を掛けていたが、先輩は足をとめることも無く、軽くあしらっていた。
「咲ちゃん、ここ歩く時色々話しかけられるけどテキトーにかわしてね。テキトーに。」
「テキトーにって…言われてもあの・・・。」
だいたいあの黒いスーツの人たちが何なのかわからないままテキトーにと言われても…と言いかけた
時、先輩の足が止まった。
「まりあさん、おはようございます!」
なんだかやたらデカい声。声の主を探したらちょっと小太りな黒いスーツの男が店の前の掃除でもしてたのだろうか。ビルの前でホウキとチリトリを持って立っていた。20代半ば…まだ30代じゃない。カッコイいとは言い難いけど、髪の毛なんかちょっとロン毛で流していたりして。あ、なんかピアスつけてる?一応身なりには気を使っているようだった。
「おはよ。店長来てる?」
由美先輩はチラっと私の方を振り返った。
「この子、話してた子。今日面接してもらうハナシだったんだけど。」
「は、はじめまして!大山咲です!」
とにかく挨拶!挨拶しなきゃ!と、ちょっと焦りながらも頭を下げた。
一応、水商売の面接とあらば、やはりオシャレしてくべきだろうなと、自分の中では一番可愛いピンクベースの花柄のミニワンピースとそれに合うような茶色いブーツを合わせてみたりした。コートも自分の中では一番オシャレな部類に入るキャメルの皮ジャケットを着ていった。カバンはお気に入りのサマンサの白いキルティングバッグで、昔デート用にと買ったバッグだった。まあ正直、どれも安物ばかりで・・しかも一年以上前に買った年季が入ったものばかりだったけど…精一杯のオシャレだった。
小太りの男はチラリと私をみて、くしゃっと微笑んだ。
「早く咲ちゃんも、まりあさんみたいな服とかバッグ買えるようになろうね~」
・・・・・。
おお。
やっぱり安物オンボロはばれちゃうのね?!
「は、はい!頑張ります!」
恥ずかしい…。あまりの恥ずかしさに全身から汗が吹き出てきた。確かに由美先輩が持ってるバッグはブランドとかはわからないけど、かなり高そうなバッグ・・・・私は焦りを隠そうと、アタフタ威勢良く返事をしてしまった。
小太りの男はそのまま私たちを店内に案内してくれた。どうやら地下に降りる店らしく、ちょっと急な階段を私たちは降りていったのだ。
「うわー・・・・」
重い扉の先に見えた世界に、私は目を見張った。高級ホテルのレストランかと思う、毛足が長い絨毯が敷き詰められた店内。豪華なシャンデリアに綺麗な花。一番端の席が良く見えないほどの広さ。小学校の体育館くらいはあるんじゃないかと思った。ふかふかのソファーに、大理石らしきもので作られたテーブル、そこにはシャンデリアの光をうけてピカピカ輝くグラスが並べられていた。
一人あっけにとられている私をよそに、由美先輩はさっさと中へ入ってく。
「咲ちゃん、こっち!」
言われるがままについていけば・・・なんともう一つ大きな半透明のガラス扉がある。
「面接は、ここのVIPルームでやるみたいだから。入ってて。」
「び、VIPルーム・・・」
なんでも通常のフロアよりも高い料金設定の場所で、それなりのお客様が使うとか・・・・簡単な説明だけをして由美先輩はどこかへ行ってしまった。
だだっ広いVIPルームとやらに一人・・・・。今まで座った事がないようなふかふかソファー。こんな世界があったんだと、軽いカルチャーショックを受けた。不景気不景気とか言いながら、まったくそんな暗い話題とは無縁な世界のようだった。
「お待たせ。まりあの後輩なんだって?」
ちょっと怖そうな、ひげ面の男が入ってきた。・・この人が店長!?
「はじめまして。店長の林田です。」
「は、はじめまして。大山咲です。」
手渡された名刺を見ると・・・見た事もないようなデザインの名刺。なんていうか、和紙みたいな模様がある、厚手であんまり触りすぎると毛羽立ってきちゃいそうな名刺だった。
「じゃあ、とりあえずこの紙に簡単な履歴書いてね。簡単でいいから。」
簡単な履歴・・・・今まで書いてきた履歴書とはまったく違う履歴書。書くものは名前と住所、年齢、あとは服のサイズや身長・体重、スリーサイズ、今までの水商売履歴などだった。もちろん今までの水商売暦が無い私は書くことができず、やたら多くスペースがとられた水商売履歴は真っ白で、なんだか情けない履歴書に見えた。
「ふーん。初めてなんだね、水商売。服のサイズは7号か9号か。ふーん。スタイルはまあまあ良いんだ。タバコは?吸うの?」
「いえ。吸いません。」
「お酒、強い?」
「そんなに強くもないんですが、大好きです。」
こんな感じで、履歴を見ながら店長と一問一答。一体この職種の面接がどんなものかわからないから、全く終わりが見えない。なんだか不安がむくむくわいてきた所で、店長が履歴を見るのをやめた。
「じゃあ、今日から働いてく?」
「は?えっ?今日からですか??」
面接じゃなかったのー?それって採用なのかな・・どうなんだ。
「細かいことはおいおい教えるから、まずは一日働いてみて。給料も今日終わったら決めようか・・・。あ、そうだ名前まだ決めてないんだっけ?そうだな・・・・・ミキなんてどお?」
「え・・・その」
・・・いきなりどうだと言われても。答えに困ってると、店長は強引に
「よし、今日からミキで決定!!」
と勝手に決められてしまった。
私は大山咲。
でも、これからこの場所では『ミキ』という新しい名前で呼ばれる。本当にやってけるのかなぁ・・・・。