19、背負っていた闇
アキラちゃんの口から、とんでもない言葉を聞いてから、一体どのくらい時間が経ってたのかも分からない。もしかしたら、ほんの一瞬だったかもしれない。だけど、私と、アキラちゃんは長い長い本当に長い沈黙の中にいたように感じられた。
お店の店員がカチャカチャと食器を洗う音が聞こえる。平日の深夜でも賑わう歌舞伎町の外の音が、ガラス越しに聞こえてくる。しばらくしてからアキラちゃんは椅子に深く腰掛け、腕を組んでため息をついた。
「ごめん。こんな話、怖がるからミキちゃんに言わないほうがいいかとも思ったんだけどさ・・・でも、やっぱりちゃんと話しておこうと思って・・・・」
「・・・ううん。いいよ・・・」
私は静かに首をふり、アキラちゃんを見た。アキラちゃんは少し微笑むと、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「・・・昔ね、私が最初に夜の仕事を始めたお店が上野でね・・・・『MOON』なんかよりは全然小さな箱の店だけど、そこそこ人気のあるお店だったんだ。その店で彼女と出会ったの。私とはタイプが全く逆の子だったんだけど、同じ時期に入店したのもあって、わりとすぐに仲良くなったんだ。お互い夜の仕事初めてで分からないことだらけだったから、なんだか一緒だと心強くてさ。彼女は山形から上京してきた子で、目鼻立ちがはっきりした美人さんだった。その頃のアタシは、ナンバーワンとか、ネオン街に憧れてる、よく居る若い子ってカンジだったかな。」
アキラちゃんはそういうと、水の入ったグラスを手にし、少しだけ水を飲む。
「そんな私が変わり始めたきっかけが、色管理ってやつね。当時担当だったボーイに迫られて、アタシも悪い気がしなかったから付き合っちゃったんだ。カッコいいほうだったし、いいお客さんに優先的に付けてもらえてたし。それに、彼の事、結構本気で好きになっちゃっててさ・・・他にも沢山女がいるのも知らずに、色管理だって事も知らないで、一人舞い上がっちゃってね。」
・・・え・・?アキラちゃんが、付き合ってたの・・・?
「アタシはもうその時は彼の事と、どうやったら彼にもっと気に入ってもらえるかしか考えてなかったな。もっと成績上げなきゃとか、そればっかり・・・・。ナンバーワンになったら、彼にどんな風に褒めてもらえるんだろうとか、アタシが頑張れば彼を店長にしてあげられるとか、そんなことばっかり。ちょうど同じ時期、彼女も成績をぐんと上げてきた頃でさ、二人とも同じ時期に入店したからね。成長の度合いも一緒だったのかな。その頃から彼女とアタシは友達から、いいライバルになった。毎日毎日、毎月毎月、どっちが勝った、どっちが負けたって競いあってね。何ていうの、切磋琢磨ってこのことかな。お互い忙しくなっても、仕事終わりにたまに二人で飲みに言っては仕事の愚痴言ったり、お客さんの話したり、嫌な女の話したりしてさ・・指名が同じテーブルもいくつもあったから、お互いに上手くお客さんに営業かけて、来て貰って、ボトル入れて・・いいコンビって感じだったの。」
ちょっと嬉しそうに、アキラちゃんは微笑んだ。なんだかいままで私が見たことも無いようなアキラちゃんの表情だった。懐かしそうで、それでいてちょっと哀しそうで・・・
「でもね、そんないい時間は続かなかった。・・・アタシがある日、お客さんとアフターして朝方に家に帰ろうとしたときに、ばったり会っちゃたの。・・・彼と、彼女がラブホから一緒に出てきたところにね。・・・彼、アタシと付き合いながら、彼女とも付き合ってた。」
「ええっ!?」
私は思わず大きな声を上げて驚いてしまった。・・その彼、アキラちゃんと仲いい女の子とも付き合ってたの!?
「もちろん店内恋愛禁止ってきまりだったから、アタシも彼女も彼のことなんて話に出したこと無くて、知らなかった。・・・その時のアタシと彼の様子をみて、彼女もアタシ達の仲を察知したんだろうね。・・それから、私と彼女の関係が変わってった。何があっても絶対に負けられないし、絶対に負かさなきゃいけないって。負かすだけじゃなくて潰さなきゃって。・・・今考えたら超バカだよね。悪いのは彼なんだから、彼の事責めるべきだったのに・・・恋愛で頭の中おかしくなってたのかな。」
大きなため息をつき、アキラちゃんはまた悲しげな顔をする。
「それでも彼はアタシとも彼女とも関係を続けてた。どっちか選べない。どちらかがナンバーワンになったら、そっちと付き合ってる事を店長に報告して、正式に付き合いを認めてもらえるからとか唆されてさぁ・・。もうアタシも頭の中狂ってたから、彼の事が好きだとか、そんなことより彼女に絶対負けたくない一心でがむしゃらに頑張った。アタシも彼女も、えげつない手も使ったし、お互い酷いことをしたし、ひどい営業もした、いっぱいいっぱい無理もした。もう後に引けないってカンジかな。辛くて辛くて、店辞めちゃえば済むのに、辞めれないの。辞めたほうが負けになるから。もう本当にアタシも彼女もぼろぼろだった・・・毎日毎日、いらいらして・・限界だと思った。・・・・・でも、先に限界がきたのは彼女のほう。」
お店の店員が明日のスープの仕込みを始めたのか、大きな鍋からぐつぐつと湯気をたてている音が狭い店内に響く。
「あの日、仕事終わりに彼がアタシの部屋に来てたの。二人でビール飲んでまったりしてた朝方、彼の携帯に電話がかかってきてさ。彼女からだった。彼もしばらく電話を無視してて、アタシもきっと彼女の嫌がらせだと思ったから電話に出ないように言ってたの。でもね、着信がきれては、また着信が鳴って・・5分くらいずっと続いたから、さすがに彼もキレて怒鳴るつもりで電話に出たの。・・そしたら彼、真っ青な顔でアタシを見て『今、手首切ったからって言われた』ってね・・・」
「えええええっ・・・」
それまで黙って聞いていた私の指が、小刻みに震える。
「アタシも何度か行ったことがあるから、彼女の家は知ってた。でも、アタシの家からじゃタクシーに乗らないと行けない距離だった。・・・嘘かもしれないって、嘘だったら今度こそ今までの鬱憤と一緒に殴ってやろうと思って・・でも嘘であって欲しくて、一緒にタクシーで彼女の家まで行った。彼、彼女の家の鍵、持ってたのね。当たり前のように鍵を開けて入ってった。・・・・部屋に入ってから、風呂場で彼女を見つけて、彼女が病院に運ばれるまで、今でもあんまり思い出せないんだ。気がついたらお店の店長も来てて、目の前のベッドには、驚くほど青白くて、唇も真っ青な生きているのか死んでいるかも分からない状態の彼女が横たわっていた。・・・それからアタシは何日かお休みをもらって、しばらく休んで出勤したら、彼女はとっくに店を辞めてた。精神的に病んでしまっていて療養が必要だから実家に連れ戻されたって。・・・あの彼も全部の責任を押し付けられてクビになっていた。どっちの携帯も繋がらない。二人とも、何も言わずにいなくなったの。店長からは、彼女の事は誰にも言うなって口止めまでされた・・・・アタシに残されたのは何も無かったな・・・。色々なものを犠牲にして、がむしゃらに突っ走って、大切なもの全部なくして、残ったのは哀しさしかなかった・・・」
「アキラちゃん・・・・」
気がついたらぽろぽろと、涙がこぼれてきた。押さえても、押さえても、涙があふれてく。
「・・・しばらくして、結局アタシも色々めんどくさくなっちゃって、やる気も無くなっちゃってさ、店を辞めたんだ。・・・しばらくは浅草の実家でプラプラしてた。半分廃人みたいな生活だったな。それからだいぶ経ってから、名前も変えて、誰も知らないような上野の小さな場末のキャバクラで働き始めたんだ。・・・それからかな、今みたいなアタシになったのは。」
お店の店員が暖簾を中にしまい始めた。いつの間にか、新聞配達のバイクが外を走る音が聞こえる。
「ごめんね。重い話して・・。でもね、最初にわかって欲しかったの。昔のアタシみたいにおかしくなってる時には、きっと何言っても聞いてもらえないから・・。」
アキラちゃんはそう言って鼻をすする。ちょっぴり涙声のアキラちゃんは、それでも私に笑って見せる。
「ちなみにね、このアキラって名前、その子が使ってた名前なんだ。この名前で居る限り、絶対彼女の事忘れないし、自分がどんなにバカだったかいつでも思いだせるだせるじゃん。何の為に働くのか本当に見失ってた。・・・だからさ、ミキちゃんがこの先どんな風に働いてもいいと思うけど、絶対に見失っちゃだめだよ。自分が何のために働くか。大切なものは何なのか。店の男なんかの為にボロボロになるなんて、絶対だめだからね。」
何のために働くか・・・大切なものは何なのか・・・私は自分自身の心に問いただしてみた。・・たぶん今の私は、自分の目の前の事でいっぱいで、そこまで真剣に仕事を考えてないから答えが出てこないのかもしれない。それでも、その言葉は私の心にずっしりと響き、今まではなんだか漠然ともやもやとしてた仕事への意識の真ん中に、なにかはっきりとした芯ができたように思えた。
「・・・・彼女はアタシ自身・・・あの日の彼女はアタシだったかもしれないから・・・この名前と一緒に、ずっと背負ってくの。これが私の戒めかな。・・・ってカンジ?。」
そういって、久しぶりにアキラちゃんはイタズラっぽい笑みをみせた。この笑顔をみると、なんだか安心する。
いつも笑顔でテキトーぶってるアキラちゃんの、意外な過去を垣間見た。色々なことを背負って、乗り越えて今のアキラちゃんがいるんだ。ただのヘルプ専門のスーパーヘルパーなんて言ってたけど、やっぱりそうじゃなかった。
ネオンに彩られた、華やかな世界の裏側の、闇・・・。きっとアキラちゃんの話は、その闇の一部に過ぎないんだろう。その深い底が見えない闇は、これからどれだけ私の前に姿を現すのだろうか・・・