16、初指名
色々と騒動があった舞ちゃんは、あの一件でお店を去ることになった。次の日には舞ちゃんは、まだ誰も女の子が出勤しないうちにやって来て、黙々とロッカーを整理し、私物を持って帰ったらしい。なんだかんだと周りの女の子に絡んでいた舞ちゃんだが、最後は誰にも何も言わずに居なくなった。
舞ちゃんがお店を去ってから、少しは『MOON』も平和になったのか、大きな問題も起こることがなく半月が過ぎた。依然、不動のナンバーワンはまりあさんで、ダントツの売り上げと指名数を誇っていた。舞ちゃんの横槍が無くなり少し落ち着いたゆいちゃんも成績を上げてはいたけれど、まりあさんには到底及ばなかった。
それから、だいぶお店の常連のお客さんも覚えてきた。まりあさんのお客さんはもちろんだけど、ゆいちゃんや他にも人気のある女の子のお客さんも。色々な席に着いて少し分かってきたことだが、全体的にまりあさんのお客さんは『いい人』が多い。結構若い感じの人から、おじいさんまで・・年代も幅広い。職種も、もちろん普通のサラリーマンといった感じの人もいるけど、飯岡さんのように一晩で使う金額が大きい人が多い。びっくりしたのは芸能人のお客さんもまりあさん指名で来店するという事。こないだは超人気男性歌手グループの人たちが、仕事終わりにスタッフさんたちと飲みに来たのだ。そのグループのリーダーがまりあさん指名だった。前にアキラちゃんが言ってたけど、まりあさんはそのお客さんによって少しずつ接客・・というか雰囲気を変えているようだった。時には歳相応にはしゃいでみたり、時にはすごく大人びた色っぽい時もあったり、甘えていたり、また時にはお母さんみたいな包容力があったり・・・・まさに『女優』。巧みにまりあさんはお客さんの席ごとに演じ分けているようだった。
対してゆいちゃんは、もちろん同じように大金を使うお客さんも結構多いのだけど、どちらかというと千葉さんみたいにフツーのサラリーマンの人が、どっぷりゆいちゃんに『ハマって』使い込んでる、という感じのお客さんが多い気がした。一晩に何十万も使うわけではないけれど、ほぼ毎日のように来店したり、必ず毎週顔を出すお客さんが多い印象だった。それはそれで、素で接客していると言うゆいちゃんが、そこまでお客さんを虜にするなんて凄い事だと思う。
そんな中で私は舞台稽古とお仕事と・・・・なかなか落ち着けずに忙しくしてはいたけど、どうにか両方ともに慣れて、なんとなくリズムが掴めて来た。お店の他の女の子やボーイさん達とも話すようにもなった。アキラちゃんの他にも、まりあさんの専用のヘルプだという女の子とも仲良くなれた。結構みんな仲良くやってるという言葉通り、チーム・まりあの女の子は色々親切にしてくれる。
実は舞ちゃんの騒動以来、店長とはなかなか話す機会は無かった。私の中で、店長は結構怖い人っていうイメージが着いちゃったから、無意識のうちに必要以外では話さないように避けていたのかもしれないけど・・・。店長とは昔から知り合いだというアキラちゃんは『あんなの全然ブチ切れたうちに入らないよ』っていうけど・・・。そんなモンなんだろうか?
私は今日もいつも通り稽古を終えて、急いで店へとやって来た。なんだかんだ文句を言いながらも、今だにさっちゃんがヘアメを担当してくれている。最初にあれだけ文句を言われてちょっと私は苦手だったのだが、どんなに私の髪がぐちゃぐちゃな状態でも、さっちゃんの手にかかればびっくりするくらいサラサラで美しい髪・綺麗な女の子になるのだ。相変わらず無言で全く話してくれないんだけど。
「ミキちゃん、準備できた?急いで!」
ヘアメを終えたところで岩村の声がした。ちょうど着替え終えた私は返事をするとフロントへ飛び出す。今日も結構混んできてるのかな・・?ここ最近、稽古終わりに急いで出勤しては、お店に着いてすぐに女の子が足りなくて仕度を急かされる・・・という日が続いていたのだ。
フロントに飛び出ると、岩村と一緒に店長が待っていた。なんだろう・・普段平日はあんまりフロアに出てこないのに・・
「おめでとう、ミキちゃん。初指名!!」
岩村がいつものハイテンションで、満面の笑みで私の肩をぽんぽん、と叩いた。
「・・え?」
私が分けもわからずボーっとしていると、今度は店長が私に近づいてくる。
「ミキちゃん指名のお客様だよ。やるじゃん!」
私の指名・・?岩村に急かされてフロアへ向かうと、小さなボックス席に座っていたのは、いつか場内指名をもらった大手企業のプログラマーの樋口さんだった。
「ひさしぶり!会いに来ちゃったよ。」
ちょっと照れくさそうに樋口さんは笑った。・・そういえば・・・最近昼も夜も忙しすぎて、あんまり樋口さんとメールのやり取りもできてなかった。必ず返事は返すようにしていたけれど、返信がかなり遅くなってしまったり、ひどい時には翌日に返信何て日もあった・・・。
「ありがとうございます。・・ごめんなさい、ちゃんとメールのやり取りできなくて・・」
挨拶を交わして、席に着き、お酒を作ろうとする。
「あ、いいよ、新しくボトル入れてくれる?僕、麦焼酎がいいんだけど何かあるかな?」
「は、はい・・」
『MOON』では飲み放題のボトルを安い焼酎と、ブランデー、ウィスキーの3種類用意しているが、初来店のお客様以外はそれ以外のボトルを頼む事が結構多かった。もちろんまりあさんの席ではキープボトル以外にシャンパンやワインが開くことも多い。私はお酒のメニューをボーイさんに持ってきてもらい、麦焼酎を入れてもらった。と、同時樋口さんは麦焼酎を麦茶で割りたいというので、麦茶をピッチャーで頼む。・・うちのお店はピッチャーで割り物を頼むと2,000円もするんだけど・・・いいのかな?私は始めての自分の指名、自分の売り上げにつながるお客さんのオーダーにちょっとビクビクしていた。
「ミキちゃんも何か頼んでいいよ。別に僕と一緒に麦焼酎じゃなくてもいいから。大金は使えないけど、ミキちゃんの飲みたいドリンクくらいは払えるから、安心して。」
樋口さんはそういうと、にこやかに笑った。仕事帰りか、きっちりしたスーツ姿に、おしゃれなネクタイをしていた。・・なんていうか、働く前まではキャバクラに来る人って、おじさんとかモテない人ばっかりかと思っていたけど半月働いてみて、そうでもないってことが分かった。この樋口さんだって、30代半ばでまだ若い方だし、フツーに彼女とかいそうだし、わざわざお金出して女の子と話に来るような人に見えないんだよね。
私は樋口さんの言葉に甘えて飲みやすいカルアミルクを飲ませてもらった。前回席に着いたときも好きな映画やパソコンの話になったけれど、今日はわざわざ樋口さんが私が欲しがってたノートパソコンのパンフレットをいくつか持ってきてくれていたのだ。
「今度、一緒にパソコン見に行かない?」
「えっ?」
二人でお酒を飲んでしばらく談笑していたところで、樋口さんからお誘いがあった。樋口さんパソコンとか詳しいみたいだし、一緒に探しに行きたいのはやまやまだけど・・今は舞台の稽古終わってギリギリにお店に滑り込む状態だし、最近は日曜日の稽古も増えてきた。何よりも、パソコン買うほどのお金なんか今無い・・・。
「あ・・でも・・舞台の稽古とかでしばらく忙しいし・・・」
「え!?ミキちゃん舞台とかやってるの!?凄いなー!詳しく聞かせてよ!」
「え、ええと・・・」
結局樋口さんに聞かれるまま舞台のお話とか、私のお話を色々していたらあっという間に時間が過ぎてしまっていた。1セット60分。樋口さんは延長して、結局3セットも居てくれた。途中、暇になったアキラちゃんが一緒についてくれて話を盛り上げてくれたおかげで、3セットもの長い時間、話に詰まる事無く接客することができた。アキラちゃんは私が話題に詰まったり、返答に困っていると何気に助け船を出してくれる。私が話に夢中になって、樋口さんのグラスのお酒が減っているのに気づかなかった時もアキラちゃんがさりげなく作ってくれていたり・・・さすがスーパーヘルパーを自負するだけあった。本当はこういうのって私もちゃんとできなきゃいけないんだよね・・・。初指名をもらって嬉しかったけど、アキラちゃんの仕事やまりあさんのいつもの様子を思うと・・・・私なんて足元にも及ばない。
「アキラちゃん、ありがとう・・。すごい、助かった。アキラちゃんって、実は結構凄いんだね。」
一緒に樋口さんをお見送りし、アキラちゃんにお礼を言った。初めての自分の指名にあたふたしていた私だけど、アキラちゃんのおかげで樋口さんは上機嫌に『また来るよ!』と笑顔で言って帰ってくれたのだ。
「こちらこそ、ごちそうさまでした♪・・・どお?スーパーヘルパー・アキラ、結構ツカエル子でしょ?」
アキラちゃんはまた、いつものようにいたずらっぽく笑った。・・・私もアキラちゃんと同じくまりあさんのヘルプとして働いているけど、私はまだまだ、アキラちゃん程にヘルプの仕事をできてないや・・・。
『ヘルプの仕事ができない子は、指名を取ることもできない』
岩村の言葉が蘇る。飯岡さんのアドバイスどおりに、まりあさんとか売れっ子の女の子の仕事を見て、一生懸命マネてみてるけど・・・売れっ子だけじゃない、スーパーヘルパー・アキラちゃんの仕事からも、ちゃんと見習わないといけないんじゃないかなって、思った。舞台だって、ダンスだって、いつも言われるのは『基礎』。基礎がちゃんとできてない人は上手くならないし、成長しないって。この世界のことはよく分からないけれど、ヘルプのお仕事って、基礎中の基礎なんじゃないかな。
私はアキラちゃんと一緒に待機席に向かっていたが、その途中、フロントで店長に呼び止められた。
「ミキちゃん!ちょっと店長室に来てくれる?」
「え・・はい・・」
一体なんだろう・・・。樋口さんの席での接客について、何かダメだしされるのかな・・・。後半アキラちゃんに頼りっぱなしだったから、やっぱり注意されちゃうのかな!?それとも、最近いつもギリギリで出勤してるから!?それとも、ついにヘアメのさっちゃんが私なんかの髪の毛いじりたくないって言ったとか!?
なんだろう、なんだろう、なんだろう・・・・・・・
私は心臓が飛び出そうなくらいバクバクさせながら、店長室へと向かった・・・・