13、お客さんにメール
初出勤の次の日、目が覚めたのは昼近くだった。
夕方からの舞台の稽古にむけて、朝ごはんと昼ごはんが一緒になったような食事をとる。この時間にパジャマ姿で居ることがあまりなかったので、なんだか不思議な気分。最近はめったに見ることがなかった昼のドラマを観ながらパンを頬張る。
「あ、メール・・」
ふいに携帯が鳴り、メールが届いた。使ってもう3年目の年季の入った携帯だ。
「アキラちゃん・・!」
おはよ~☆起きてた?昨日は遅くまで付き合わせてゴメンね!今日も出勤?
昨日メールアドレスを交換したので、さっそくメールを送ってくれたのだ。私は急いでメールの返信を作った。
「おはよ~・・今日も出勤だよ!よろしくね・・・・と」
家にいると、ついついメールを打ちながら一緒に文章を読んでしまう。今日からはしばらく舞台の稽古の後にお店に出勤だ。アキラちゃんからのメールに返信を打ったあとで、知らない番号から着信があるのに気がついた。なんだろう?登録されていない電話番号から着信があるなんて、滅多にない。ワン切りとか色々あるから、なるべく知らない電話番号は出ないようにしているんだけど・・・。よく見ると留守電にメッセージが入っている。恐る恐る聞いてみることにした。
『おっはよーミキちゃん!!岩村でぇすっ!まだ寝てたかな?留守電の声、可愛いねっ!起きたら電話ちょうだいね!!」』
「・・・・・。」
このハイテンションな声・・名乗らなくても直ぐにわかった。岩村が何の用だろう?てか、なんで私の携帯番号知ってるんだろ。履歴書見てわざわざ電話してんのかな?とりあえず私は『留守電の声、可愛いね』と言われたのが何だか気持ち悪くて、自分の声で留守電のアナウンスを流していたが、すぐさま元の設定のアナウンスに切り替えた。しぶしぶ岩村にリダイヤルする。
「・・もしもし・・あの、おはようございます。ミキで・・・」
『おっはよー!!ミキちゃんっ!!』
挨拶もそこそこに、岩村の威勢のいい声が受話器から鳴り響く。
『ミキちゃん、昨日は場内指名おめでとう!!さすがだよ~!』
「は、はあ・・・ありがとうございます。」
『で、場内もらった人にはもう、連絡したよね!?』
「え?・・いや・・まだ・・」
確かに昨日、場内指名をもらったお客さんと連絡先を交換したけど・・・名刺はバッグにしまったままだ。
『ダメダメ~!!場内指名もらったら、そこからがスタートなんだから!次の日の昼までには連絡しないとダメだよ!』
「えっ?そ、そうなんですか??」
私は電話を持ってないほうの手で、必死にごそごそとバッグの中をあさる。
『場内指名なんてその場のノリだけだったりするから、その後の営業で本指名になるように繋げないと!これ、大切だから覚えといてね~!』
「は、はい・・・」
これも夜の世界独特のルールというものなのか。
『昨日はご馳走様でした☆と~っても楽しかったです!・・とか、そんな風に送るんだよ!!』
岩村が声色を変えて女っぽく・・・いや、オカマっぽく喋りだした。
「は、はあ・・・」
メールの文面まで指導か・・・。
『すぐに連絡してね!今日は21時30分からの出勤でいいのかな?遅刻しないようによろしくね!』
「・・・はい・・」
それだけ伝えると岩村は電話を切った。お客さんへの連絡なんて、週末の時間があるときでいいかと思ってたんだけどな・・・。わざわざ電話までよこして岩村から言われたので、とりあえずメールを送ってみることにした。
「えーと・・昨日は・・ご馳走様でした・・ハートマーク・・・と~っても楽しかったです!・・こんな感じ?」
とりあえず岩村に言われた通りにメールの文面を打ってみた。うーん・・勝手がよくわからん・・。でもテレビとか漫画でよく見るような『営業メール』ってこんな感じだったかな。昨日場内指名をもらったお客さんは、ゲーム機や携帯、カメラ、音楽器機などを扱う、大手企業の人で、プログラマーをしているという樋口さん、30代半ばの感じがいい人だった。昨日は会社の仲間で歌舞伎町に飲みに来ていたという。
ご飯を食べ、シャワーに入って仕度をはじめる。家から稽古場までは30分くらい。まだまだ時間はあるが、昨日遅く帰ってきたこともあり何も準備をしていなかったので、少し早めに仕度にとりかかることにした。
シャワーを出て髪を乾かし、部屋に戻ってみると携帯にメールの着信があった。
こんにちは!昨日はこちらこそありがとう!初めて行ったお店だけど、すごく楽しかったよ。また一緒に飲もうね!
・・・という、昨日の樋口さんからの返信だった。やっぱりいい人!いつもこんないい人ばっかりだったらいいのに・・・。それはそうと、こんなメールのやり取りで自分の指名としてお客さんが来てくれるものなのかな?岩村にいわれた通りにやってみたが・・なんていうか、いまいちしっくりこなかった。
「えーと・・・昨日教えてもらった、お勧めのノートパソコン・・・今度探しに行こうと思います・・・と。」
昨日はお話の中で、私がノートパソコンの購入を考えている話をしたら、樋口さんの得意分野だったらしく色々と詳しく教えてもらったのだ。そろそろウチでもネットが観れるようにしたいな・・・と。まあその前に舞台のチケットノルマを稼いで、舞台が終わってお金を貯めてからなんだけど。最近じゃオーディション情報なんかもネットのほうが充実していて、そのたびに漫画喫茶に通うのは結構大変なのだ。オーディションによっては、応募用紙をダウンロードしなければならないものも多く、やっぱり自宅にネットの環境というのはこのご時勢必要になってきた感がある。
樋口さんにメールを送り、稽古の持ち物の準備を始めた。
その日の舞台稽古は18時から中野のスタジオを借りて行った。稽古初日は出演者の顔合わせと、『本読み』だった。本読みとは、出演者が揃って台本を通して読む。だいたい顔合わせ初日に、あわせて行われる。初見の台本を手に、割り当てられた台詞を読むのだが、役者の演技力や表現力がこの『本読み』であらわになる。ベテランさんや、力のある役者さんは初見の台本の『本読み』の時点で台詞の行間を読み、その作品・配役の空気を一瞬にして作り出すことができる。
今回の主役は、若手の今売り出し中の俳優の男の子と、最近はあんまりぱっとしないアイドルの女の子だった。名作・ロミオとジュリエットを現代版にしたような作品で、私はロミオの事が好きなジュリエットの友人の役だった。ミュージカルのような音楽劇で、歌もいっぱいある。脇役ではあるけど、ちょくちょく登場する役で、ちょっとした歌のソロもあるのでかなり嬉しい。他にも同じくらいの歳の役者さんがいっぱいいて、すぐに仲良くなれた。
舞台の本番は年明けの1月末。チケットノルマもどうにか稼げそうだし・・・あとは稽古と仕事の両立をがんばるぞ!
稽古が終わったのは21時ちょっと前。急いで仕度をして、皆に挨拶をし、『MOON』へと急いだ。
「?あれ?」
駅へと急ぐ私のカバンの中で携帯が鳴った。足を急がせたまま携帯を見ると岩村からの着信だった。
「もしもし・・?」
『もしもーし?ミキちゃん!?今どこ!?』
「えと・・まだ中野ですけど、時間にはちゃんとお店に着きます・・」
すぐに駅が見えてきたので、切符を買おうと私は小銭入れを探して、片手でカバンの中を探った。
『了解ー!今さ、結構まりあさんのお客様とか入ってて、お店混んできたんだけど、まりあさん指名の飯岡さんから、ミキちゃんも場内指名もらってるから、なるべく急いでねー!』
飯岡さん・・・私が始めて『MOON』で接客した、、まりあさんの常連の、あのお客さんだ。私も場内指名もらってるって、どういうことなんだろ?いまいちお店のシステムを把握しきっていない私は、とりあえず岩村に『急ぎます!』とだけ返事をして電車に飛び乗った。