9 虎、他人を知る
老猿は、ウサギに頼んで、虎をある獣のところに連れてきた。
『小虎よ、この者と過ごしてみるがいい』
ウサギは、そう言い残すと帰ってしまった。
虎は、大きな体を緊張させ、おとなしく座っていた。
虎の目の前には、一羽の鶴がいる。
鶴は、長い首、長い足をピンとのばし、堂々と立っている。
虎は、この鶴が普通の鶴とは違うことはにおいですぐにわかっていた。
『なんか、怖い』虎は震えた。
鶴など、すぐに捕えて食べればいい獲物のひとつだ。
だが、この鶴は違う。強いオーラを放っている。
『私を襲ってこないのは、さすがね』
鶴は虎に言った。
『なんか、違うの』
『その通りです。私は霊能力が使えます』
鶴が長いくちばしをすっと振った。
大岩に負けない体重を持っている虎の体が、びょーん、と小石のように宙に舞う。
高い木のてっぺんくらいの宙で、虎はバランスを崩してばたつく。
『危ない!』
虎は宙で体をひるがえし、地面に叩きつけられないように着地体勢を取る。
『ふ』鶴が笑った。くちばしをちょっとだけ動かした。
虎の落下速度が急にあがる。地面に引っ張られるようだ。
『いけない!このままでは地面に叩きつけられてしまう!』
虎はすごい速さで地面に接近する。着地体勢を取ろうとがんばる。が、地面に引っ張られる力が強すぎる。
虎は、背中から地面に叩きつけられた。激しく土煙があがる。
『ぐう……』
虎はにぶいうなり声をあげ、背中のすさまじい痛みに耐えた。
『死なないのは、さすがね』
鶴は術をといた。
虎は、痛みでしばらく動けない。
『この程度で動けなくなるなんて、愚かね。もっと強くなりなさい』
鶴はまだ動けずにいる虎の体を再度、宙に浮かばせた。
虎はぐんぐん高くのぼっていく。
叩きつけられる!
虎は痛みをこらえ、四肢を着地に向けて構えた。
ぐぐっと、強い力で地面に向かって引っ張られる。
どおーん。
土煙をあげて、虎は着地した。土煙が収まると、虎が手、足を使って着地しているのがわかった。しかし、立ったまま動けない様子。
『立ったわね。よくできました。休憩』
鶴は、虎を褒めた。
『小虎、あなたはこれから獣の世界で暮らすつもり?それとも人間と関わりながら?』
『うーん……。人間と関わりたい』
『あら、そうなの。どうして?』
『それはね、……』
虎は、話そうと思ったら急に万福寺の和尚を思い出した。
大好きな万福寺の和尚。
毎日、話しをしにきてくれたのに。
……来なくなった。
虎は、不意に悲しくなった。金の瞳から、涙が流れた。
『うう、わあああーん……』
虎は泣き始めた。
思い出してしまった。悲しい。悲しい。悲しい。
虎は、悲しくて、悲しくて、逃げ出したくなった。
立ち上がり、走り出そうとした。
足が、動かない。
まるで、木の棒になったみたい。焦り、恐怖。
虎は動く頭と胴を激しく動かして抵抗した。
『大丈夫よ。動けないのは私の術』鶴が微笑むように目を細める。
虎は、泣きながら鶴を見た。
『小虎、私と一緒なのね』
鶴は虎の足を動けるようにした。虎は、数歩走ったが、すぐに止まって鶴のところへ戻ってきた。
鶴が座ったので、虎も近くに座った。
鶴が長い首をすうっと動かして、虎の額に頭をつけた。
虎の頭の中に、一気に鶴の思い出が流れ込んできた。
鶴が人間の男性と一緒に暮らした毎日。鶴は人間の女性に化けている。
楽しかった。うれしかった。一緒に暮らした人間が優しかった。
虎も暖かい気持ちで安らぐ。
そのうちに小さい子どもが鶴と人間の暮らしに加わった。人間との間の子どもを鶴が生んだのだ。
小さい子どもは人間の姿で元気に鶴と人間の間を走り回って遊ぶ。
鶴は、とても子どもを愛している。
この幸せが、永遠に続くのだと虎は思った。
遊んでいた子どもが、走りながら人間の姿から鶴の姿に変わって空を飛んだ。
それを見た人間は驚き、恐怖の声を上げる。里が大騒ぎになる。
鶴は、急いで人間の姿から鶴の姿に戻る。子どもの鶴を守るように空を飛んだ。そのまま人間の里を離れ、二度と戻ることはなかった。
虎の頭の中に、鶴の悲しみが流れ込んできた。
そこで、鶴は虎から額をはずした。
『鶴も人間が好きだったんだね。和尚が好きなんだよ。でも、もう一緒にいれない』
『悲しいね』
『小さい鶴は?一緒にいるの?』
『もう大人になって、ここにはいないわ』
『人間と、仲良くできないのかな』虎は金色の目をしょぼしょぼさせた。
鶴は悲しそうに目を閉じた。
『あきらめることね』
鶴のひとことに、虎の胸がつぶれそうな気持になった。
『自分は自分よ。小虎は強い体で生まれてきたこと、大切にするのよ。誰かに振り回されず、自分がしたいことを目指して生きるの』
虎が目をしょぼしょぼしていると、鶴がすっと立ち上がった。
『小虎、強くなりなさい。自分で考えて、自分の足で立つの。さあ、始めましょ』
鶴は目をきらりと光らせ、虎を空に浮かばせた。
虎は急なことで驚き、空中で慌てて体をくねらす。
『慌てない!どんなことが起きても、自分の状況を把握するのよ!』
空中で、虎は四肢で立つように足を踏ん張る。そのまま、高い空へ向かって急上昇する。
虎の足の下には、鶴がごまのように小さく見える。
このまま、下に落ちたら死んでしまう!どうしよう……?
虎の体が急降下する。
きた……!!!
周囲の景色は速すぎて見えなくなる。ただ地面が急速に近づいて来る。
叩きつけられるな!立つんだ!!
虎は急降下しながら四肢を踏ん張った。恐怖は、切り裂くようなまわりの空気にそがれて感じなくなる。
地面がどんどん近づいて来る。
立て!!!
虎は、目を見開き、四肢を踏ん張る。
地面に生えている草の一本一本が数えられるくらいに見えてきた。
虎の肉球が、草をゆっくり踏みしめた。
肉球に、虎の体重を感じた。
『できたじゃないの』鶴の声がした。
虎はハッとして声の方を見ると、鶴がうれしそうに目を細めていた。
『小虎、自分の力で地面に降り立ったのよ。私はずっとあなたを地面に叩きつけようと引っ張っていたのよ』
『え……!』虎は、驚いた。
鶴はふふ、と笑った。
『じゃあ、もう一回ね』
鶴は、再び虎を宙に浮かばせる。虎は周囲の山より高くまで飛ばされる。
虎が驚くより早く、虎の体は地面に向かって急降下を始める。
体に当たる空気が痛い。目が開けられない。でも、このままではいけない。
『止まれ!』
虎は四肢を踏ん張った。目を見開く。鶴の引っ張る力が強い。地面が近づく。
『止まれ!』
虎は体じゅうに力をこめる。
体に当たる空気がだんだん弱くなる。そして、止まった。
虎は、四肢を踏ん張った。
肉球の下には何もない。鶴が、虎を見上げているのが見えた。
『できたじゃない!』虎の足の下から、鶴がうれしそうな声を出す。
虎は、空中でしっかり足を踏ん張り、自分の力で立っていた。




