5 沖の中将、初参内
都はもののけの不安が満ち溢れている。しかし、つかの間の幸福が後宮に満ちていた。
「今日は、沖の中将様が参内されるそうよ」
「ええ!化粧をもっとまじめにすればよかった」
「しても、しなくても変わらなくてよ」
「それより、香をたきしめなくては」
「いけない!一番高級な香を切らしていたわ!」
後宮は、女たちが上を下への大騒ぎをしている。
「いったい、何事?」
蓬野姫が、浮ついた女たちに眉をひそめて侍女の山吹にたずねた。
山吹は、蓬野よりも五ほど年が多い、ほぼお姉さんみたいな存在である。
「はい、沖の中将様が来られるそうで」
「誰?」
「はい、うわさによると天皇の御子だそうですが、お母上が身分の低い方らしく、宮中の御子様とはご一緒の地位にはなれないそうです。ですが、御子様は御子様、せめて宮中で出仕できるようにとのおはからい。その沖の中将様が参内されるそうです」
「ふーん。つまらないことで大騒ぎしているのね」
「姫様、この沖の中将様、希代まれにみる美男子だそうです」
「ふーん…」
蓬野は、ちょっと天皇の御子の顔を見てもいいかなあ、と思った。
後宮では女たちが大騒ぎを繰り広げていたが、沖の中将が到着すると、ぴたり、と静かになった。
誰もかれも、自分が魅力的な女性であることを静かにアピールしている。
蓬野は、そんな女性たちをうっとうしく思っている。
「姫様、沖の中将様が、到着されたようです」
「ふーん、どれ、どんな御子様かしらね、ふふん」
蓬野の身分は、後宮内でも高い方だ。奥に近い場所に部屋を持っている。部屋の前に御簾を下ろし、その隙間から様子をうかがった。御簾とは、貴族が用いるすだれの高級品である。
蓬野は、後宮の女性たちのように殿方に興味を持つことができない。まだ気持ちが幼いのだ。冷めた目で成り行きを見ている。
でも、あんなにみんなが騒ぎ立てるのだもの。少し見るくらいの価値ある男性なら、いいけどね。
蓬野は、すっかり高みの見物である。
「姫様、本日は廊下にいつもに見られないほどの袖が出ているとのこと」
「ふん、あさましいわね」
蓬野は、そう言いながらも御簾の隙間から自身の着ている着物の袖を少しだけ出してみた。
宮中に呼ばれた貴族たちが、宮中の奥へ行く際、通っていく広い廊下がある。その脇には部屋が連なっており、たくさんの貴族の女性たちが控えて貴族を御簾の奥から出迎える。磨き上げられた広い廊下に姫たちの高価な着物のすそが漏れ出ている様子は、廊下に満開の花が咲いたようである。
部屋の前には御簾が下ろされ、中にいる女性たちの姿は隠れるようになっている。殿方に姫の姿が見えることはほぼない。同時に、姫が殿とお付き合いするチャンスも、よほどのことがないと、ないのである。
姫たちは、気になる殿方が通る際、「自分はここにいますよ」と静かに、それでいて力強くアピールするのだ。
殿方からすると、廊下を歩く際たくさんの袖が出ているとうれしいものだ。袖はどれも一流の品で、ときにはすばらしい香が炊きしめてあり心を奪われることがある。
もしかすると後ほど文を届けるかもしれない。仲が良くなって、結婚につながるかもしれない。
女性たちは、そんな淡い期待を自分の着物にものを言わせ、ひそかにアピールをするのである。
蓬野が脇息にもたれて沖の中将の一行が来るのを待っていた。
遠くから殿方の声や足音が聞こえてきた。蓬野の周囲の姫たちは、その音に気づくと一斉にざわめきを止めた。
「まもなく通られます」
山吹が蓬野にささやいた。
蓬野はちょっとだけ、緊張する。
そのとき、ガタン!と大きな音がした。
「きゃあ!」女性たちの叫び声。
「これは!何事」男性たちの慌てる声も聞こえる。
「中将様、ご無事ですか!」
「申し訳、ございません!」老女の震える謝罪の声。
「お前か!もしも中将様になにかあったら…!」
「大丈夫ですよ」怒れる男性の中で、微笑みを浮かべているであろう、優しい声が聞こえた。
女性たちの息が止まる音。
「姫、大丈夫ですか。お怪我はありませんか。うむ、御簾とは重いものだったのですね」
優しい男性の声。
「中将様、それは、わたくしが!それ、みなで御簾を拾わんか!」男性の声。
どやどや、走る音。
おお、と男性たちが安堵の声をもらしている。
蓬野は、何が起こったのか、気になってしかたない。
様子を見にいかせた山吹が帰ってきた。
「姫様、夕暮姫のおつきの者が沖の中将様を姫に見せようと御簾によりかかりすぎたため、御簾が沖の中将様に向かって倒れたようでございます。沖の中将様にはお怪我はなく、夕暮姫のお姿が沖の中将様に丸見えになったようでございます」
蓬野に山吹がささやく。
「ふん、はしたないわね」
女性が夫以外の男に姿を見せるなんて。下々の女のすることだわ。
そうする間に、蓬野の前に沖の中将の一行が近づいてくる。
周囲の姫たちが、静かにざわめき、息を飲む音。緊張や興奮でむやみに動いているのか、着物の袖がすれる音もする。
周囲が焦ると、蓬野はかえって落ち着くものである。
男性の一団が目の前を通っていく。
沖の中将は、一目でわかった。周囲の男たちとは、全く異なる雰囲気。
うわさどおりの美しい顔。優しい笑み。
それよりも、なあに、このオーラ。誰よりも強い。よくわからないけれど、ものすごく安心感がある。
「…………まあ…………」
蓬野は、小さく声をもらし、沖の中将が行った先をずっと視線で追っていた。
気づくと山吹が、ほおを赤らめ、うれしそうに蓬野を見ている。
「何?」少し眉にしわを寄せて山吹をにらむ。
「姫、やっと殿方に興味をお持ちいただけたようで。山吹、うれしいです……」
山吹は、泣いているふりをして袖で目を押さえる。
「う……」
山吹の期待外れである。男性としての興味はない。
「……姫様……?」
山吹は、蓬野をじっと見た。
「まさか、何か違う意味で興味を持たれたのですか……」
「うう……」
さすが山吹。図星である。
「姫様も、そろそろ殿君と睦まじくされてもよい年ごろ。そのように子どものままでおられては……」
「……わかってる……」
山吹は、いつまでも殿方にときめかない蓬野を残念に思っている。
蓬野は、沖の中将に今までに感じたことのないオーラを見て、強く興味を持った。




