15 黄金、気づかない
沖の中将の屋敷の縁。満月が庭を明るく照らしている。
手入れの届いた庭に咲いた花々の向こうには、切りそろえられた低木がなだらかにのびて大きな池を囲んでいる。池には双子月が浮かんで輝いている。
沖の中将と春道は、双子月をうっとり眺めながら酒を飲んでいる。
「黄金は蓬野姫の屋敷で、おとなしくしているのだろうか」
「ふふ、どうやら姫は黄金を座敷の中で飼っているようだよ。家人たちが恐ろしがって近づけなくて困ったらしい」中将は、蓬野姫らしいなと微笑んでいる。
「なんと!けものを座敷にあげているのか」
「姫にとっては猫も虎も同じなのだろう。普通人には信じられないが、エサもトイレも黄金にしつけたらしいよ。家人たちもだんだん慣れて、今では猫同然だそうだ」
「へえええ………」春道は口をあんぐり開ける。
二人は月を眺めて酒を口に運んだ。
「万福寺の和尚のやつ、また新しい掛け軸を手に入れたそうだよ」春道が思い出してつぶやいた。
「……」沖の中将が何か言いたそうだが、黙ってかすかに笑った。
「あじさいの掛け軸なんだが、知らんうちにカエルがあじさいの葉の上に座っていたり、いなかったりするらしい」
春道が不思議そうに首をかしげていると、沖の中将ははじけたように笑った。
「???何がおかしい???」春道は目を丸くする。
「さすが、和尚だ」沖の中将の楽しそうな声が夜の空気を華やかに震わせる。
「よーし、これはどうだ?中将も怖がるぞ」春道は、自信ありげに話し始めた。
黄金は広い床の上に寝転んで、尻尾を動かしていた。
ぱたん。ぱったん。……ばたん。ばたん。……たん。
強弱をつけてみたり、リズムをとってみたり、いろいろ試した。
全然、通用しない。
黄金は不服そうに目を細めた。………遊んでよー。
黄金の金色の瞳には、蓬野が筆を持って紙とにらめっこをしている姿が映る。姫の隣には山吹が座っている。
山吹が一生懸命話していたが止めて静かになった。
黄金は大きな体をむっくり起こした。目をきらりと光らせ、音もなく、立ちあがる。
体勢を低く。足音なく、姫に近づく。
蓬野も山吹も気づいていない。
黄金はパッと走り出した。そして蓬野姫の一歩手前で止まる。……つもりが、床が板のせいで滑った。シューっと進んでしまう。
大岩のような黄金の体が、蓬野と山吹にどーん、とぶつかり、二人の姫は吹っ飛んだ。
黄金が蓬野に叱られたのは、言うまでもない。
黄金は外で遊ぶことになった。近くの山に登る。
やっぱり、山はいいな。
黄金は走った。山の二つ、三つなどあっと言う間に駆け抜ける。
夢中になって走り回り、エサも獲って食べて満腹になったころ、空が夕焼けに染まっていることに気づいた。
そろそろ、帰ろう。
黄金が都についたころには、すっかり日は落ちて真っ暗だった。
都大路には人影はない。盗賊や悪漢の輩がちらほらいたが、黄金の金色に光る体を見ただけで、みんな震えあがって物陰に隠れた。
黄金は、ゆっくりと暗い通りを歩いて行く。
ん?
暗闇の向こうから、重い物を地面に引きずるような音がかすかに響いてきた。
黄金は、興味深く目を輝かせると、物陰に隠れた。
ずるり、ずるり。……ずるり、ずるり。………。
引きずる音の合間から、人がささやいているような音が聞こえる。それは、だんだんこちらに近づいてくる。
ずるり、……「くやしや……」……ずるり、……「たぶらかしおって……」
黄金は耳をたてた。
「見つけてやるぞ……」……「どこにかくれておる……」………「沖の中将」
黄金は、目を見開いた。
暗闇で、人が歩いている。
黄金は虎だから、ただ見ていただけだが、人がこれを見たら卒倒するのは間違いがなかった。
暗闇で歩いている人は、十二単を着ていた。
長い着物の裾を、砂や砂利の地面にひきずっている。
着物は夜の露を吸ったのか、重そうだ。
着物の裾まである長い黒髪も、砂に洗われている。
「見つけてやるぞ……」……ずるり……。
「許せん……」……ずるり……。
……ずるり、………ずるり………。
黄金が見ている前を、十二単を着た人は、つぶやきながら通り過ぎていった。
黄金はおもしろそうに人を見送った。
黄金は虎だから気づいていないが、人なら気づいたはずだ。
十二単を着るのは高貴な姫だ。高貴な姫が、通りを自分の足で歩くことなどない。大抵、牛車に乗っている。
もしも、大事な用事でどうしても歩くことがあるとしても、身軽な外出用の着物に着替えるはずである。
十二単のまま、外に出ることなど、ありえない。
それが証拠に、黄金が再び歩き出して屋敷に帰る途中、盗賊や悪漢に交じって平民も、恐怖のあまり気絶して倒れている者が何人か見受けられた。
おかしなことがあるもんだなあ。
黄金は虎だから、わかっていなかった。
鼻歌を歌いながら、蓬野の屋敷に戻っていった。




