14 和解
「起きろ、鶴屋孫六」
沖の中将は、頭巾をすっぽりかぶって顔を隠している。部屋でぐっすり眠っている万福寺の和尚、鶴屋孫六を呼んでいる。
沖の中将の隣には、蓬野虎が静かに座っている。
「う……?」
和尚は、大きく呼吸をし、目を開けた。
ぼんやり周りを見ている。まだ目覚めきっていない。
蓬野虎が、和尚の顔を大きな舌で、べろりん、となめた。
「う、う……??」
和尚は、目を覚ました。半身を起こし、頭巾をかぶった沖の中将と巨大な蓬野虎を見る。
和尚は、目を見開き、大きく口を開けた。次にすることは口から大きな叫び声をあげることだ。準備は整った。
すかさず、沖の中将が和尚の口の中に丸めた布を突っ込む。
和尚は、予想に違わず、叫び声をあげた。が、布が詰められているために、濁った声が漏れただけ。
「驚かなくていい。鶴屋孫六。これは、お前が愛でていた虎だ」沖の中将が低い声で言う。
「う……???」和尚は、記憶にないぞ、と言った表情。
和尚は、虎をじっと見つめた。蓬野虎は動かない。
蓬野虎が動かないので、だんだん和尚も落ち着きを取り戻してきた。
「和尚、屏風のところに行きましょう」沖の中将は頭巾の下で微笑む。
和尚は、ゆっくり立ち上がり、明かりを持って屏風のところへ歩みを進めた。和尚の後ろから沖の中将と蓬野虎がついていく。
途中、天女の掛け軸がある部屋を通った。掛け軸の中で、天女が和尚を見て喜んだようにくるくる回って空を飛んでいるのが見えた。
和尚はそれに気づかず、屏風の部屋に歩みを進めている。
「和尚には、あれが見えないのでしょうか」沖の中将が蓬野虎にささやいた。
「見えないのかもね…」蓬野虎は、天女が掛け軸の中で所せましと跳び回っているのをおもしろそうに見ていた。
屏風が置いてある部屋に着いた。一同が屏風を見ると、竹藪の画が描いてある。中央部分が不自然に何も描かれていない。
「ここに、この虎がいたんだよ。そうでしょ、鶴屋孫六?」
沖の中将が屏風の空いた場所を指さすと、和尚は「あ」と言う表情。もごもご、何かを言い始めた。
「お、取るのを忘れていたね」
沖の中将は、和尚の口に詰めていた布をはずした。
「そうです、ここに虎がいたのに。なぜ消えた?誰が消した?」
和尚は初めて知った様子。誰かがいたずらをしたと思った様子で怒っている。
「いたずらではありませんよ。虎自ら屏風から抜け出て行ったのです」
「そんなわけ……」和尚が言うのを遮り、沖の中将が言う。
「そんなわけありますよ。ここに」
沖の中将は、にこにこと蓬野虎を指す。
和尚は、屏風の空いた場所と、蓬野虎を交互に何度も見返した。
「こ、この虎が、ここにいた?ふうむ、そう言われれば、この虎の顔に見覚えがある……」
おとなしく座っている蓬野虎を、和尚はじっくり眺めた。
「ど、どうしてお前は抜け出したのだ?絵が空になっとるではないか」
和尚は半分怒ったような、悲しいような複雑な表情で、おとなしい蓬野虎に言う。
「さすが和尚。いい質問をなさる。自問自答を推奨しますぞ」
頭巾の沖の中将がにこにこして言うと、和尚は困った顔をして蓬野虎を見た。
「うーむ……」
和尚は首をかしげ、屏風と蓬野虎を見比べる。しばらくして、答えた。
「うむ、わしが来なかったからか?」
「どうです?」沖の中将は、蓬野虎に投げかけた。
蓬野虎は、大きくうなずいた。
「……なんと!!……わしを待っていたのか……」
和尚は、やっと虎に申し訳なさそうな表情をした。
「それは、すまなかった。毎日会いに来るぞ。どうか、屏風に戻ってくれまいか」
和尚は蓬野虎に懇願した。蓬野虎は首を横に振る。
「なぜ……。それほどまでに、寂しかったのか……怒っているのか……?」
和尚は、困惑し、もう少しで蓬野虎にすがりつきそうになった。
「虎から話しを聞いているので、お伝えします」沖の中将がすかさず口を開いた。
「虎は寂しかった。が、怒ってはいない。和尚の毎日の読経のおかげで虎は霊能力を身につけ、自分で屏風から出て歩くことができるようになった。そこで出会ったのが蓬野姫である。姫の飼い虎になりたいとのこと」
「なんと!」和尚はすっとんきょうな声を出した。「……この大きな虎を……??姫が……??」
沖の中将は、ふふと笑った。
「蓬野姫におまかせください」
「………!!うう、……そうか……」和尚は虎を手放す寂しさ、自分がなかなか虎に会いに来れないこと、いろんなことを思い、もだえた。
「…………うーむ…………」
和尚は、床に座った。両手を合わせ、目を閉じた。瞑想している。
沖の中将と蓬野虎は、静かに待った。
蓬野虎が、うとうとし始めたころ、和尚が「えい」と声を出した。
「あいわかった。虎が生命を得たこと、まことに不思議である。だが生命を受け、虎の意志があること、わしは真向から受け止めよう。虎が姫の飼い虎になりたいのであれば、虎の意志を尊重しよう」
和尚は、はっきり言い放った。
「ご決断、みごとである」沖の中将が言った。
「虎よ、屏風はいつでもここにある。帰りたくなったら、いつでも帰ってこい。わしは、毎日この部屋を掃除すること、約束する。いつもきれいにしておくから、安心して帰ってきてほしい」
おとなしく座っていた蓬野虎がすっと立ち上がった。和尚は、少し驚いたが、じっと座っている。
蓬野虎は、座っている和尚の顔に近づき、べろりん、と大きな舌で和尚の顔をなめた。
和尚は、ぎゅっと目をつむり、虎にされるがままになっている。
蓬野虎は満足そうに、もう一度、べろりん、と和尚をなめた。和尚がふふ、とうれしそうに笑った。
帰り道、蓬野虎と沖の中将は白んできた空の下を歩いていた。
「姫、和尚の顔をなめましたね」沖の中将はちょっと茶化した様子。
「私じゃないわ。黄金自身が動いたの」
蓬野はまじめに答えた。
「へえ。黄金が自分で動くことがあるんだね」
「そうみたい」蓬野は他人事のように答えた。「私も初めての経験だからね」
真っ暗だった足もとに、元気そうな蓬が生い茂っているのがだんだん見えてきた。
「帰ろう」
蓬野虎と沖の中将は、家路を急いだ。




