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1 変死体

 今はむかし。平安の都。


 都の中央に大きく横たわる天皇のお住まいである寝殿。その周囲には、貴族たちの立派な屋敷が立ち並び、その屋根が太陽の光にまばゆく輝いている。


 それを取り囲むように、平民たちが住まうあばら家が無数に立ち並んで多くの人々が活発に行きかう。


 あばら家の集団の先には、大自然が広がり、田や畑、その向こうには人の手つかずになっている野原が広がっている。


 もっと向こうにはなだらかな山々が連なり、優雅な波形をつくっている。


 昼間には、心奪われるような美しい都。


 夜は暗闇に包み込まれる。山にはおぞましき姿のものたちがうごめき、都には人のおぞましき魂がさまよう。


 人間ともののけ、あいまじり住んでいる……。




 今日は、月のない夜だ。雲が薄く広がり、よほど強く光る星くらいしか見えない。


 その暗闇に、豆粒ほどの灯りがゆっくり進んでいた。


 一人の男がたよりない小さな灯りを持って歩いている。


 男はある貴族の使いだ。


 今日は遠くまで使いに行き、思っていたよりも時間がかかってしまった。


 夕暮れには町に到着できると思っていたが、このように暗闇になってしまった。


 ねっとりまとわりつくような空気が重い。


 急ぎたいのに、足もとにのびている草がからまって思うように進まない。


 くそ、どこが道だ?


 野にでも道はある。昼間なら、目で見てわかる。


 しかし、このように暗闇では、知らぬ間に野へ野へ来てしまったようだ。


 手元には豆粒のような灯りだけ。


 もっと月が出ていたらよかったのに。


 ふいに、男の足に長いつるがからまる。


 男はうかつにもバッタリ倒れてしまった。


 ひざと手のひらを地面に打ち付けてしまい、小さな灯りは消えた。


 「痛たた、……くそ!」


 男は起き上がり、痛むひざを押さえた。


 目を上げると、町の大きな影は、あそこに見えている。もう少しだ。


 急ごう。


 男の視線の先には、野の暗闇の中でもより一層黒く浮かび上がっている町の塊が見えた。


 男は数歩、進んだところでぴたり、と足を止めた。


 呼吸を止め、目を見張った。


 男の前を、牛より大きな何かが、金色にぼんやり輝きながら動いている……!


 もののけだ……!!!


 男は生きた心地がしない。


 金色のもののけは、時々立ち止まりながら、ゆっくり歩いている。


 男は、闇夜になりきろうとした。


 しかし、胸の音が耳の中でうるさく鳴り響いている。ねばく冷たい汗が顔といい、背中といい、ぬらぬらと流れて落ちていく。


 もののけに気づかれてはいけない……。


 そう思えば思うほど、耳の中の音がうるさい。体じゅうの血がうるさく走り回っている。


 静まれ、静まれ……!!


 男は必死に自分に言い聞かせる。


 男の体は、男の気持ちとは裏腹にもっともっとうるさくなる。


 着物が重たくなるくらい、汗が噴き出る。


 ああ、まずい、まずい、まずい……!!


 もののけは、男のすぐ近くまでやってきた。


 ゆっくり、ゆっくり、進んでいく。


 牛ほどもある巨大なもののけは、男に気づかないようだ。


 ひっく!!


 男の体が緊張のあまり、しゃっくりをした。


 もののけの光る二つの目が、男を見た。


 男の体から汗が止まる。


 呼吸も止まる。


 胸の音も止まる。


 男の全身が、もうだめだ。と言った。


 もののけの二つの光は、瞬きをしたように一瞬点滅すると、男から視線をそらした。


 金色のもののけは、再びゆっくり進み始めた。


 ゆうゆうと男の前を通り過ぎると、闇の中に消えて行った。


 男はしばらくそこで動けなかった。


 どれくらいたっただろうか、びゅう、と強い風がひとつ吹いた。


 男は闇を切り裂くような叫びをあげた。


 町の塊に向かって無我夢中で走り出す。


 男こそがもののけのようだ。


 声が枯れても叫びながら走りに走った。


 男は稲の揺れる田の間を走り抜ける。


 町へ入る門が、男の目の前に大きな影となって立ちはだかっている。


 男は門に吸い込まれたい一心で走る。


 もう少しだ。


 ここで死んでもかまわない。


 男は走った。


 足に大きな物が引っかかった。


 男は宙に浮かぶように飛び上がり、次に地面に激突する。


 全身をひどく打ち、男は立ち上がれない。


 痛みと戦いながら、男は立ち上がろうと躍起になる。


 くそ、何に引っかかったんだ?


 男は必死に半身を起こした。後ろを振り返る。


 大きな塊が地面に転がっている。


 なんだ、こんなところに……!!


 男は腹が立った。が、すぐにハッとする。


 塊の形は見覚えがある。人間だ。


 男は、体の痛みをこらえ、地面に転がる人間に近づく。


 「おい」


 声をかけてみる。反応がない。


 「おい。こんなところで寝ていたら、もののけが来るぞ」


 人間を揺すってみる。反応がなく、ぐんにゃりと異様な動き。


 「おい……?」


 男はもう一度、人間を揺すってみた。触っている手のひらに気持ちの悪い冷たさが伝わってきた。


 「!!!!死んでる!!!!」


 男は人間から飛びのいた。


 考えるよりも早く門に向かって走り出す。


 門の内側に住んでいる小屋の住民たちが、男の叫び声に驚いて通りに飛び出してくる。


 が、恐怖に満ちた顔で叫びながら走っている男を見ると、慌てて家族とともに小屋の中に逃げ込んだ。


 男は都の端から中央へ向かって恐怖をばら撒きながら走っていく。


 が、通報を得た検非違使に捕らえられ、屋敷が建ち並んでいる宮までは到達することはなかった。

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