レニンの悪魔
一風変わった援軍をコリント子爵は出迎えた。背丈は二メートルほどはあろう初老の男だった。筋骨隆々で顔や腕には数多の傷が残っている。歴戦の武人といった風貌だ。元の世界にこういった人間はいなかった。
「がははは。待っていたぞ夜渡祇男爵。卿が率いる援軍は百五十騎と聞いていたが倍に増えているではないか!」
「初めましてコリント将軍。途中、馬賊を組み込んだので」
「なるほどわかった! 疲れたであろう! 中に入って休め!」
コリントは唯夜の背中を叩いた。
レニン城には元々千七百の兵がいる。それが二千にまで増えたわけだが対する貴族連合は六千。レニン砦を攻略すべく日夜攻撃をしている。レニン砦はそこまで堅牢な砦ではないがコリントの奮戦によって何とか耐えていた。
「貴様、アンネめから聞いたぞ。盗賊どもを一人の犠牲も出さずに殲滅したらしいな。その知恵を貸せ。儂はそういうの好きではなくてな!」
コリントは大口を開いて笑った。
「で、ですが俺は経験もありませんし…」
「誰もが皆、童貞よ。処女よ。そこから大人になっていくものだ。必要なのは才能だ。貴様には才能がある。死ななければそのうち経験はついてくる」
「…わかりました」
唯夜は覚悟を決めた。
「敵の指揮官はどんな奴ですか?」
「プレジアン伯か。猪突に任せず多様な策謀を用いて嫌がらせをしてくる気に食わん男だ」
周辺の地図を見ながら唯夜は考え込んだ。
「この砦に油はありますか?」
「あるぞ。貴重だがな」
その夜、レニン城兵は門を開いて貴族連合軍に突撃を仕掛けた。夜襲にある程度備えをしていた貴族軍はすぐに態勢を整えて迎撃し、城内に押し戻すことに成功した。
「失敗したか…」
「失敗じゃないです将軍。作戦思い出して」
しかし全ての兵が城に戻ったわけではない。フェルナー率いる二百騎が城に戻らず貴族軍の包囲から脱していたのである。彼らはそのまま貴族軍の後方に迂回し、兵糧を全て焼き払った。
「任務完了だ。逃げるぞ。お前たち!」
「了解! にしてもあの男爵、よく俺たちみたいな賊にこんな重要な役を託しましたね」
「全くだ。ただの阿呆ではないらしいが…。面白いじゃないか」
馬賊たちは慌てふためく貴族軍の怒号を聞きながら夜の闇に乗じて消え去った。
貴族軍の兵士たちは火を何とか消したが残ったのは僅かな食糧のみであった。とても六千の兵を養える量はない。彼らは極めて短期間でレニン城を落として城内の食糧を入手する必要に迫られたのである。
兵糧のほとんどが燃えたという話は貴族軍レニン城攻略部隊の兵士たちにあっという間に広がった。兵士たちの七割が徴兵した農民たちで構成されている。その中にフェルナーの部下が数名紛れ込み、その事実を流していたのだ。また、彼らはいくつもの流言を流した。マリア王女が城を解放するために五千の兵を率いて援軍に来る、プレジアン伯は農兵の半分を殺して口減らしするつもりである、軍の中に裏切り者がいるなど事実無根の流言を流させた。農兵たちの戦意は失われ、今にも逃げ出しそうになっていた。それに危機感を覚えたプレジアン将軍はその日のうちに総攻撃を仕掛けることにした。
「全軍突撃! 奴らを皆殺しにせよ!」
プレジアンは農兵たちを突撃させた。あまりに貧弱な装備しか有していない農兵たちは城兵の必死の抗戦により次々と倒れていった。業を煮やしたプレジアンは騎士たちで構成される本軍を投入して攻撃を強化した。さすがのコリント軍も苦戦を強いられることとなり、騎士たちは橋を通り、堀をよじ登る。堀の中は貴族軍の兵士たちで充満し、突破されるのも時間の問題であった。
「今だ!」
城兵たちは油が入った袋を敵に向けて投げつけた。袋が破れて油が撒き散らされる。自分たちの体にかかった液体が油だと気づいた者たちは顔を青褪めさせた。城兵たちは次に火矢を放った。狙いをつける必要はない。油に火がつけばよいのだ。
業火が城の周りを取り囲む。堀の中にいた兵士たちは逃げる間もなく火に包まれ、焼け死んだ。数千の断末魔が青い空に響いた。
「悪魔…。悪魔だ…」
橋の上で動揺し、立ち止まっていた騎士たちも櫓から集中攻撃を受けて倒れていった。生き残った農兵たちはあちこちに逃げ散った。残った騎士たちが右往左往していると後方からフェルナー隊の奇襲を受けた。
「…撤退だ。撤退する」
プレジアン伯は奥歯が欠けるほど歯ぎしりしながら撤退を命じた。すでに三千の兵が戦死し、二千の農兵が逃亡した。残る千の騎士だけでは城を落とすことはできない。城の中から太鼓が鳴り響き、城門が開いた。コリント将軍を始めとする城兵千八百騎は雄叫びをあげながら突撃を開始する。
「うおおあらあああああああ!」
コリントは巨大なメイスを振り回しながら敵兵を薙ぎ払った。その一撃を受けた鉄製の鎧兜は凹み、内部の人体はひしゃげて潰れた。その突撃はまるで暴力そのものであった。唯夜も兵を率いて出陣し、敵兵を討ち取った。
「雑魚に構うな! 敵将の首だけを狙え!」
その時、前方の煙の中から兵士の首が飛んできた。唯夜の部下の兵士の首だった。正規兵が突撃していった方向だ。
「お前が探している男はここにいるぞ!」
煙から現れたのは剣を敵の血で赤く染めたプレジアン伯だった。それを見た兵士たちが数人同時に斬りかかるがプレジアンの神速の剣の前に倒れた。生半可な剣士ではない。気を抜けば殺される。
「お前ら行くなよ。俺が仕留める」
唯夜はプレジアン伯の前に躍り出た。
「貴様が例の異世界人か」
「まあね。あんたの処刑人でもある」
「抜かせ!」
プレジアンは走り出した。同時に唯夜も走り出した。プレジアンは剣を構えた。騎士らしい衝突をお望みのようだ。しかし馬鹿正直にそれに付き合ってやるつもりはない。抜いたナイフを相手の馬の足に投げつける。プレジアンの馬は前足を切り裂かれ、転倒した。プレジアンは空中に放り出された。その瞬間、唯夜は剣を振るった。プレジアンの首が胴体と離れて地面に転がった。
「プレジアン様ー!」
レニン城兵は歓喜の声を挙げた。一方の貴族軍の騎士たちは戦意を失って敗走した。コリントと唯夜は追撃を命じる。
「追え! 残りの奴らは物の数ではない!」
「今のうちに敵の戦力を減らしておくんだ!」
追撃戦は苛烈を極め、逃げ切ることに成功した騎士たちは三百人もいなかった。貴族軍は二千七百名近くの損害を出して敗走。マリア軍の圧勝である。
唯夜隊は十八名が戦死した。マリアから預かった兵から十六名、フェルナーの部下から二名である。唯夜は戦死した兵を敵味方問わず死体を集めて埋葬した。
「『回向とは我と人とを隔つなよ。看経はよし、してもせずとも』か」
唯夜は亡き師の教えを呟いた。
「どうかなさいましたか?」
「いいや。何でもない。師が教えてくれた言葉だ。死んだ人を弔う時は敵味方の区別はするなってことさ。数百年前の武将が残した詩歌だよ」
弔いを終えた唯夜は次に兵たちを労った。自身も負傷者の手当てに回り、その様子を見たコリントは変わり者と笑った。
コリント軍がプレジアン軍を撃破したという情報はその日のうちに王都に到着した。
「コリント卿の軍は夜渡祇卿の策を用いて敵軍を崩壊せしめ、夜渡祇卿ご自身は一騎打ちでプレジアン伯を討ち取った模様!」
「なんですって!?」
謁見の間は驚愕に満ちた。
「それと…夜渡祇卿は援軍に向かう道中、馬賊二百騎を麾下に加えたとのことです」
アンネは眉根を寄せて首を振った。彼がこの世界に来てまだ一か月も経過していない。だというのに彼の全ての行動は彼らに驚きを与える。同時にこの男に対する疑念を抱き始めていた。
「彼の功績はあまりに大きすぎる。王都の民を見よ。殿下を称える声より夜渡祇卿を称える声の方が大きいではないか」
「ああ。馬賊なんぞを配下に加えて何をするつもりだ…」
王宮での声を知る由もない唯夜は部下に騎射を習わせていた。フェルナー隊は騎馬の扱いに優れ、馬を走らせたままでの射撃も得意としていた。侍従隊もそれなりに騎射ができるがフェルナー隊に比べると劣っていると見える。正規兵の方は馬を止めなければ精確な射撃ができないほどだ。唯夜は元々弓を使うのは得意であった。最近習得した馬術との組み合わせに苦労したがフェルナーに師事して上達していった。
「まさか短期間でここまで上達するとは思いませんでした」
フェルナーは肩を竦めて言った。
「師がいいからな」
ホーストン王国東部にヒューベルと呼ばれる広大な平原が広がっている。ホーストン王国の一地方に過ぎないがマリア派にもイリアス派も属さず、中央政府からの命令を受け付けない半独立勢力である。そこに住むのは先住民のヒューベル人。定住しない遊牧民族で、優れた騎兵を多く有しており、三万に満たない兵力でありながら中央政府や諸外国と対等に渡り合っている。騎射は彼らから伝わってきたものであるという。
その後、唯夜は部隊を率いて何度も出陣し、敵の小部隊を撃破して戦果を挙げた。コリントは彼をずいぶんと気に入ったようで夜になるたびに彼を晩酌に誘った。親子以上に歳の離れた二人であったが存外気が合った。
「貴様、ずいぶんと飲める口だな!」
「この世界に来るまでは一切飲んだことなかったんですけどね。まだ大人とは認められてない年齢なんで」
「ほう。酒も飲めぬ人生など窮屈でたまらんぞ」
コリントが杯を傾ける。
「そうでもありませんよ。俺は元々、孤児だったんですけど引き取って育ててくれた人がいました」
唯夜は懐かしい日々を、暖かな幸せを思い出す。
「その人がある日ワインを買ってきたんですよ。すげー高いの。その人は俺が大人になったら一緒に飲もうってずっと棚にしまいこんでましたけど俺はその日が来るのが待ち遠しかった。酒が飲めなくても楽しみだったんですよ」
「では国にそ奴を置いてきたのか?」
「…二年前に殺されました。だからもうその約束は果たせません。あのワイン、一緒に飲みたかった」
酒のせいかつい口が軽くなる。
「でもこのワイン美味いですね!」
「当り前よ。儂の秘蔵のワインだ。殿下に無理を言って融通してもらった!」
愉快な老将は笑って唯夜の肩を叩いた。




