裏切れないもの
唯夜らは先にヒューベルに向かっていた部隊と合流した。将校らは唯夜らの慌てた様子を見て何事か問うた。
「そんなに慌ててどうなさったのです閣下。それにその女性は…」
セレスが唯夜の隣にいるイリアスを見た。
「話すと長くなる。とりあえずこの国にいられなくなった。みんな急いでヒューベルに戻るぞ」
唯夜は仲間たちを急かしながら事情を話した。
「なるほど。ゴエティア如きにしてやられましたな。しかもかなり手痛い一撃を受けたようで」
フェルナーが特に何も気にしていなさそうに笑う。
「イリアス王女の色仕掛けを陛下の家臣に目撃させて陛下と閣下の反目を誘い、閣下を取り込めれば良し。できずとも懐柔した近衛に始末させればいい。それも失敗したとて陛下と閣下の激突は必至。どちらが勝つにしても決着はそう簡単につかない。双方が弱り切った後、漁夫の利を得るつもりでしょうな」
フェルナーの考察に皆が同意する。
「ものの見事に嵌められたな」
唯夜は髪を掻きむしった。唯夜の配下には謀略に長けている者はいない。アルドゥインも元は下級官吏であったことから宮廷での権力闘争には疎い。これから戦い続けていくためには権謀術数に長けた人材が必要となる。
東の空を見上げる。昼前の空には黒雲が立ち込めていた。
領土に戻った唯夜はすぐに文武官を集めて会議を開いた。とはいっても緊急会議であり、州都にいる者たちだけが参加している。
「さて面倒なことになりましたな。どうなさいますか。万が一に備えて戦争の準備でもしますか?」
フェルナーが口元に余裕の笑みを浮かべて尋ねた。
「いいや。これまで通りにすべきだ。変に軍を整えれば本国に要らぬ警戒を与えることになる。あくまで伯爵閣下が平和をお望みであるという前提ではありますが」
オイゲンの発言で全員の視線が唯夜に集まる。唯夜は小さく息を吐き、立ち上がって頭を下げた。
「まずはみんな、迷惑をかけて申し訳ない。俺の軽挙でみんなに危険を及ぼすことになった。でもできるだけ穏便に解決したい。俺の首一つで騒ぎが収まるならそれでもいいと…思ってる」
最初に声を上げたのは第二軍団長セレスだった。
「他人はいざ知らず私は閣下に忠誠をお誓い申し上げております。閣下がこの地を統治なさるご覚悟があり、クルル王女殿下の御承認あらば我らはこれまで通り変わりなくお仕えさせていただきます」
要するに上級王の娘のクルル次第であるということだ。唯夜がクルルを尊重していることを彼女たちはよく知っている。
彼女はヒューベルの将軍たちの中で最も年若い武将ながら攻守ともに調和のとれた戦術眼を有するとともに真面目な性分で一癖も二癖もある将軍たちを束ねている。他の将たちほど華々しい武勲はないが彼女が協力すると言うなら他の者たちが異を唱えることはしないだろう。
会議の参加者は漏れなくクルルに視線を集める。
現在の唯夜はヒューベルにとってホーストン王国に関する災いをもたらしうる存在だ。しかも異国どころか異界の人間だ。功が大きいとはいえ外部の人間だ。ヒューベル人は協力的であれば外部の人間でも容易に受け入れるが追い出す決断をするのも容易である。
クルルが口を開く。
「…父が死んでから我々は数度、滅亡の危機を迎えました。しかし唯夜様のご助力あって乗り越えることができました」
それは将軍たちだけではなく文官たちも認めるところであった。上級王亡き後、ヒューベルには指導者がいなかった。上級王の娘のクルルは文武官を束ねて乱世を乗り切れる器ではない。文官武官にも国の命運を背負える者はいなかった。唯夜というヒューベルにしがらみのない外部の才能ある人間だからこそ外敵を討ち、なあなあで済まされてきた内政問題を片付け、ヒューベルを強くした。彼がいなければヒューベル領は他の国々の侵略を受けて滅びていたかもしれない。
「これまで助けられておいて災厄を呼び込みそうになれば切り捨てるような生き方は私はしたくありません」
彼女はあまり会話が得意ではないことは他の者たちから聞いている。それでも彼女は拳を震わせて言葉をつづけた。
「私は臆病者の軟弱者です。でも卑怯者にはなりたくありません。唯夜様。私たちは貴方への恩を忘れません。今度は私たちが…貴方を守ります。ですので…その…これからもここにいてほしいのです」
唯夜の目頭が熱くなった。目を閉じ、顔を伏せて表情を隠した。
「現在、ヒューベルは苦難の時期にあります。乗り越えるべき課題は多く、道は険しい。それでもいつかヒューベルがこの乱世を生き残り、戦乱の終わりを迎えることができたなら、その暁を皆で迎えたい」
その言葉を聞いてアリクブケが立ち上がって吠えた。
「姫様のお言葉、真に至言なり! そのお言葉をもって我々の指針と致しましょう」
諸将は唯夜に従うという意見で一致した。だがそもそもヒューベルの臣ではないフェルナーやオイゲン、アルドゥインらは元から唯夜の家臣。クルルの言葉に多少の感動を覚えたものの唯夜に従うことはすでに心に決めている。彼らが問いたいのはクルルではなく唯夜の意思だった。唯夜の家臣たちを代表してオイゲンが立ち上がった。
「私は元より閣下にのみお仕えする覚悟。お尋ねしたいのは閣下がこれまで通りホーストンの王冠に傅かれるのか、それともご自身が頭上に冠を戴くのか。それについて閣下のお考えをお聞きしたいのです」
オイゲンの言葉に唯夜は動揺した。しかし諸将はそうでもなかったようだ。唯夜には四万以上の兵がいる。重なる勝利と改革によって兵や民の心を味方につけている。大国とは言えずとも国家を築くことができるはずだ。この場においてマリアに協力しようと考えているのは唯夜だけであり、他の将校たちは何の役にも立たないホーストン王国のいざこざに巻き込まれて血を流すくらいならクルルと唯夜を担ぎ上げて新国家を樹立した方が良いと考えていたのだ。
「俺はマリア陛下に背くつもりはない。冠を被るつもりもないぞ」
「その女王が差し向けた近衛兵に殺されかけたのをお忘れか」
アリクブケが言った。
「我らは元より閣下はホーストン人ではありませぬ。ホーストン王に仕える義理などない。メルエベスキの軍勢がこの地を攻めた折、奴らは一兵も派遣していなかったのですぞ」
他の将や文官も彼に賛同する。それほどまでに独立心が強いのならばなぜこれまで独立しなかったか聞きたいと思ったが聞ける状況ではない。
「我らは姫様と閣下にお仕えしているのであってホーストンに仕えているのではありません。過去も現在もホーストンに良い印象はありませんし未来にも見込みがなさそうですな」
そう言い放ったドゥムアの言葉は一種の嫌味が込められていた。仕えても全く利益のないホーストン王国に仕え続ける唯夜への嫌味だ。とはいえ彼らは唯夜に従うという考えに変わりはないらしく唯夜の意見の表明を待っていた。
唯夜は皆の顔を見渡した。
「俺はマリア陛下に呼ばれてこの世界に来た。おかげでお前たちと出会えた。お前たちと出会えてよかったと思ってる。だからそのきっかけをくれたマリア陛下には感謝してる。だからマリア陛下を悲しませたくない。いや今更だけどさ」
諸将はそれを聞いて互いに顔を見合わせた。彼らとて唯夜に出会ったことを後悔したことはない。唯夜がヒューベルのために全力を尽くしていることは誰もが知っていた。
「閣下は怜悧な頭脳をお持ちですが根は凡庸でございますな」
アリクブケは笑って諸将に向かって言った。
「これならば我らは主君から切り捨てられる心配もせずに存分にお仕えできる。皆も閣下のご判断に文句はなかろう?」
「閣下がそう仰るのなら構いません」
彼らは今後の動向について話し合った。結局は政府やゴエティア一派の動き次第という結論に収まった。会議が終わってからも唯夜はこの状況を打開する方法を考えた。マリアもゴエティアもすぐに攻撃してくることはないだろう。両者が手を組んでくることは有り得ないだろうし戦いを挑んできたとしても主戦場はヒューベル軍の真骨頂を発揮できる平原だ。コリント将軍を上手く受け流せば勝ち目は十分。
だがまず考えるべきは戦いを回避する方法だ。何人もの仲間や敵を死なせてようやく内戦を終わらせることができた。それが自分が原因で再び内戦が始まったとなれば笑い種にもならない。
気になるのは二点。あの晩、二人の近衛兵が唯夜の部屋の間で扉を守っていたはずだったがイリアスを部屋に入れ、自分たちは翌朝にはいなくなっている。また、唯夜の部屋に侵入してきた近衛たちからは唯夜と会話をしようという意思を感じられなかった。裏切りを問う言葉は確かに唯夜に投げかけられたものだがその目は唯夜を見ていなかった。見ていたのは恐らくイリアス。彼女の反応で敵か味方かを判断したのだろう。唯夜の真意を問いただすつもりも、彼をマリアの元に連行するつもりもなかったということだ。マリアがそのようなことを命じるとは到底思えない。アラフマンは近衛を動かす権限がない。近衛師団長のアンネは暗殺じみたことを好まない。唯夜を無理矢理にでもマリアの元に連行して問いただすことだろう。
近衛の中にもゴエティア派の息がかかってる者たちがいるということだ。唯夜を殺せばヒューベルは内戦に関与できなくなる。関与するにしても唯夜を殺した女王に敵対するだろう。
「でも俺を殺すならイリアスを忍び込ませる必要はないな。イリアスが自分の意思で来たとも思えないし」
考えられるのはゴエティア一派は一枚岩ではなく、異なる行動をしている、もしくは他国が唯夜を排除すべく暗躍しているということ。それとも唯夜を陥れ、排除するための保険をかけただけか。
前者は有り得ない話ではない。現在のゴエティア派閥は内戦時は中立派だったがマリアの政策に反対して移ってきた者も多い。元からゴエティアに従っていた者たちと新参で意見が対立することは容易に想像できる。だが問題はその派閥にイリアスを唆すことができる者と近衛の一部を動かせる者、少なくとも二名がいなければならないということだった。片方はゴエティアとしてもう片方は誰か。そのようなことができる大貴族はいないはずだ。イリアスはそこについて話そうともしないのでこれ以上の考察は不可能という結果に至った。
そもそもの話、あの少女が本物のイリアス王女なのかどうかも不明だ。数年間、行方不明になっていた王女が見つかるというのもおかしな話である。マリアに反感を持つ貴族たちが似たような少女を見繕って王女と称している可能性が大きい。仮に本物だとしても唯夜の元に来たのが彼女自身かどうかも疑わしい。
後者も十分考えられる。近衛兵やその部隊長たちは貴族やその子弟らで編成される。中には他国の貴族の血を引く者もいるはずだ。そこから唯夜を抹殺するように命令された可能性もある。しかし近衛がそう簡単に他国の意思に従うとは考えにくい。
いずれにせよ今ある情報だけでは何もわからない。国内外の動向を注視しながら情報を集めるしかない。
「あーもうめんどくさ」
唯夜は自室に戻り、ベッドに倒れ込んだ。ベッドといっても羊毛や綿を繋いだ羊皮で包み、長方形に整えただけのものだが。
「唯夜様」
聞きなれた少女の声が聞こえ、唯夜は体を起こした。ベッドにはクルルが座っていた。考え事をしていたため気付かなかった。彼女は心配しているような、困ったような微笑みを浮かべている。
「ああ。ごめん。部屋間違えたよ」
「いいえ。間違えてはおられませんよ。お疲れのように見えたので肩や背中を揉んで差し上げようと…。ご迷惑でなければ…ですが」
彼女は顔を赤らめながら言った。
「顔に出てたか。心配かけてごめんね」
考えていることや体調がすぐに顔に出ることは赦那にもよく指摘されていた。彼女はそれを笑っていた。しかし腹の探り合いが常である貴族にとってその特徴は致命傷になり得る。
唯夜はクルルに促されるままうつ伏せになった。クルルはマッサージを始めた。
「随分とお疲れのようですね。もっと休んでください」
「俺はまだ疲れるわけにはいかないんだ。やらなきゃいけないことはまだたくさんある。俺に向いてないとは心底思うけどやるしかない」
青年は笑った。彼はこの世界に来るまで普通の高校生として暮らしていた。その世界はそれなりに豊かでそれなりに平和でそれなりに便利で。この世界とは大違いだ。この世界はそもそも人権という概念がない。この世界に来てわずか半年だがかなり苦労した。人間の醜い部分も見せられた。
「それでもやるべきことが俺の背中を押してくれる。俺を信じてくれる人たちがいる。だからまだ立ち止まれない」
「いいえ。貴方は少し立ち止まるべきです」
いつになく厳しい声で彼女は唯夜の言葉を否定した。
「どんな名馬も永遠に走り続けていればいつかは疲れ果て、死んでしまいます。立ち止まって、心と体を休めてください。どんな時でも私たちがお支えします。どうかそれを忘れないでください」




