始まり
「ここは貴方がいた世界ではありません。貴方たちにとっての異世界。その大大陸パンゲアの北東部に位置するホーストン王国王都エレンの王宮です」
「?」
青年は首を傾げた。言葉は通じているが何もわからない。彼女の言葉を一つずつ噛み砕いていく。
「ここは俺がいた世界じゃない?」
その時、兵士が叫んだ。
「貴様、王の御前であるぞ。平伏し、頭を垂れて発言の許可を得てから口を開け!」
槍を彼の喉元に突きつける。
「おかしいな。俺の国には王なんていませんでしたよ。近しい存在はいますが頭を平伏したことはありませんね」
眼下に鈍く輝く銀に全身の血が沸き立つのを感じる。
「戯言を抜かすな!」
他の兵士たちも槍を近づけてくる。その瞬間、何かが弾けた。左手で目の前の槍を掴み、右手で兵士の槍を持つ手を捻って得物を奪うと石突で喉元を突いた。鎧のおかげで傷を受けることはなかったが脳震盪を起こして倒れた。
「貴様っ!」
他の兵士たちが襲い掛かってくる。一人の兵士が突き出した槍を掴んで引っ張って体勢を崩して転倒させると頭部を蹴り飛ばして気絶させる。
残りの八人は突出を避けて彼を囲もうとする。素早い動きだったがわざわざ囲まれるのを待ってやる道理はない。前方の兵士に飛び蹴りを食らわせて倒すとそのまま前進し、玉座に座っていた少女めがけて走り出した。
少女の傍に控えていた銀の鎧の女が剣を抜いて飛び出してくる。
「陛下に指一本触れさせはせん!」
女は青年の槍を剣で受け止めた。
「そこまでです」
少女の声で彼らは動きを止めた。
「…勇者殿はまだこの世界に来たばかり。右も左もわからない状況で不敬を問うては我が国の狭量を笑われます。双方、武器を収めてください」
女は剣を引いた。兵士たちも警戒しながらも引き下がった。
「申し遅れました。私はホーストン王国国王マリア・フランベルです。貴方のお名前をお聞きしてもいいですか?」
「夜渡祇唯夜といいます。姓が夜渡祇で名が唯夜です。はじめまして」
唯夜は名乗った。少しずつ情報を手に入れなければならない。そのためには敵を作るべきではない。女に槍を渡し、膝を床について敵意がないことを証明する。
「はじめまして異界の勇者。ここは貴方の知る世界ではありません。異なる理で築かれた世界です。その理の一つが魔術の存在であり、貴方はその魔術によってこの世界へと召喚されたのです」
正直何を言っているのかわからないがそういうものだとしておく。深掘りしたところで得られる情報はないだろう。
「突然お呼び出しして申し訳ございません。それと先ほどの非礼をお許しください」
少女は頭を下げた。それを見て周囲の者たちはざわめいた。
「へ、陛下! そのように謝罪をなさっては…」
唯夜は頭を掻いた。
「勇者と仰いましたが私は何のために召喚されたのですか?」
「…勇者とは世界に変革をもたらし、救う者と我が国に伝わっています。私は貴方にその役割を期待しています」
「ではこの世界は革新と救済を求めているのですか?」
マリアは俯いた。
先ほど武器を交えた女が進み出る。
「ここからは私が説明させていただく。私はアンネ・エルネスト・ヴィッターヘイム。陛下の御身をお守りする騎士だ」
アンネが手を叩く。すると兵士の一人が巨大な羊皮紙のロールを持ってきて唯夜の前に広げて見せた。それは一枚の地図であった。
「この大陸は大別して三つに分けることができる。北方のフェールハイト帝国、南方の鳴帝国。そして中小規模国家がひしめく大陸中央部。我がホーストン王国は大陸中央部でも北東に位置し、まだ隣接していないが…フェールハイトの圧力を受けている。同盟国は東のマルンデッタ王国のみだ」
「へー」
唯夜はさして興味もなさそうな声で反応した。
「我が国は三百年前にクルブルト王によって建国され、王の信任を受けて貴族が国内に所有する領地を経営している。禁軍を除いた兵権も各貴族が有しているため長期にわたる戦争によって貴族共の権力が強くなってしまった。昨年、名君であらせられたウィリバルト前王陛下が崩御され、その次の王位は前王陛下の一人娘のマリア陛下が継ぐこととなったのだが…貴族共は三年前の大地震で行方不明となったイリアス殿下を見つけて次代の王に担ぎ上げてきた。結果、この国を二つに割る内戦が生じてしまった」
「それで…私に何を求めてるんですか?」
彼は自分の戦闘力に対してそれなりの自信を持っていたがそれが国家の命運を左右するほどのものではないことを理解していた。
「我々はまだ貴方の力を知りません。なので具体的に何をしてもらうかはまたいずれ。ですが今、私は貴方に問わねばなりません。夜渡祇唯夜、我々に力を貸してくれますか?」
マリアが尋ねた。
「…俺は…故郷に帰れますか? 貴方がたが私を呼んだように私を元の世界に還すことはできますか?」
「…いいえ。ごめんなさい。元の世界に還す方法は…ありません」
唯夜は拳を握った。
「私は元の世界に…一人だけ家族がいました。血の繋がりはありませんが一人ぼっちだった私を育て、導いてくれました。彼女は半年前に亡くなり、それから私の時間は止まったまま。心はどこにも向かえないまま立ち尽くしていました」
こみ上げてきた涙を拭う。もう泣かないと決めたはずなのに温かい涙が零れてくる。思い出すのはいつだって柔らかなあの笑顔。そして涙に滲んだ別れ。
「そんな生き方じゃ合わせる顔がない。俺は…最後まで全力で戦ったと、そう胸を張れる生き方をしていたい。いつか死んだ時、この人生に意味があったと、救えたものがあったと誇れる生き方をしていたい」
自分でもなぜかわからない。魂が熱く震える。
「無能の身でよければ喜んで。誰かの役に立てるなら俺は命を懸けられます!」
その叫びが空気を揺らす。
「その決意に敬意を。私はいずれ王となり、貴方の心意気に報います」
退室を命じられた唯夜は使用人に案内されて城の外へ出た。城の外には石造りの家が建ち並んでいる。中世ヨーロッパのような街並みであった。頬を抓ってここが現実であることを実感する。
「勇者様には王都にお屋敷が与えられています。そこを拠点にしばらくこの国を見て知るよう陛下はお命じです」
その使用人はすらりとした長身の女だった。夜の闇のような艶やかな黒髪は腰まで伸ばされている。同じ黒曜石の瞳はその意思の強さを窺える。動きは洗練され尽くしており、只者ではないと唯夜は直感した。
「申し遅れました。私、勇者様のお世話と補佐を仰せつかりましたヘスティア・オークニーと申します」
「俺は夜渡祇唯夜。よろしく。この世界について色々と教えてほしい」
この世界には一つの巨大な大陸があり、人々はパンゲア大陸と呼んでいる。騎士を重んじる北のフェールハイト帝国と優れた魔術師を多数擁する南の鳴帝国は合わせて大陸の半分ほどを支配している。属国を含めれば六割近くにもなる。この二つの大帝国は領土拡大を国是としており、日夜侵略戦争を行っている。残りの四割は大陸の中央に集中しており、四十ほどの国家が割拠している。彼らは同盟と戦争を繰り返し、統一はされていない。今、唯夜がいるホーストン王国の北にはメズル王国があり、その北にはフェールハイト帝国の領土がある。先代の第二十代国王ウィリバルト二世には二人の娘がいた。一人目はフェールハイト帝国の有力貴族マスティミア家から嫁いできた正妃との間に生まれたイリアス、二人目は側女の間に生まれたマリア。イリアスは姉であり、明朗快活な性格であると同時に家柄も良く、貴族の後ろ盾も多かったことから次期国王と称されていたが三年前、大陸北部を襲った大震災によって消息不明になっていた。そして昨年、ウィリバルト王が狩りの最中に落馬して没したため、マリアが王位に就くことになったのだがイリアスが発見され、ゴエティア公爵、メリウス侯爵を始めとする貴族たちが彼女を担ぎ上げたため内戦に発展した。その兵力は国内戦力の六割ほどであり、フェールハイト帝国が貴族たちを後押ししているため内戦は長期化している。貴族たちはゴエティア公爵の領土メールクーレンを本拠地として北方に集結し、兵を集めている。王国軍総司令官ホルディール・マクレーヌをはじめ有力な将軍たちが貴族たちについているため戦力差は絶望的であるという。誰がどう見ても敗北は必至である。
「…これ、どう見ても負けてない?」
「ええ。負けてます。だからこそ藁にも縋る想いで勇者召喚の儀を行ったのでしょう。異世界にはこういう状況を打破する策はないのですか?」
唯夜は自分の黒い髪を掻きまわす。
「あるかもしれないけど俺は政治家でも軍人でもないただの学生だったからなー。そういうのはよくわからないな」
「ああ、お屋敷に到着しました」
案内された屋敷を見て唯夜は呆気にとられた。眼前に広がっていたのは高い鉄柵で囲まれた広大な館だった。赤塗りの三階建ての本館に加え、数棟の建物が連なっている。中には庭園や訓練場、馬小屋、畑もある。一人で住むにはあまりに広すぎる。




