帝国
第二十一代ホーストン国王に就任したマリアはいくつもの革新的な政策を打ち出した。それらは理想としては最高の政策であったが冷たい現実の刃に切り裂かれ、国内に混乱をもたらした。まず彼女が行ったのは減税であった。これまで貴族たちは臣民に対して重税を敷いていた。マリアは民の不満を解消するために王国と貴族の収入を減らして民の生活を安定させようとしたのである。しかしそれを貴族たちが受け入れるはずもなく各地で新王体勢の安定を名目に重税を課してこれまで以上の収入を確保した。民はこれまで以上の重税に喘ぐことになり逃亡者が続出した。クロムバッハ侯爵は政府の意向を無視して増税を行うそれらの貴族の討伐を進言し、唯夜そして伯爵に任じられたコリントも反対する貴族を武力をもって排除し、王の威光に従う貴族を中央から派遣して領主に就けるべしと叫んだ。女王が行った政策が国内に新たな波乱を呼び起こそうとしているのである。
「そもそも陛下はなぜあの時、ゴエティアに慈悲をお与えになったのです? 彼さえ粛清してしまえば今日の憂いはいくらか減ったはずです」
クロムバッハが眉間に皺を寄せて言う。それは廷臣たちが思うところであった。マリアの政策に反感を持つ貴族たちの一部はゴエティアに帰順しだした。今、マリアに味方する者たちはほんの一握りである。
「…ゴエティアはフェールハイト帝国の皇族の血を引いています。彼は彼にとって有利な条件での講和を結ばなければ帝国を内戦に介入すると伝えてきました」
廷臣たちは驚いたが唯夜はその理由がわからなかった。ゴエティアがフェールハイト帝国の支配者の血を引いていることは唯夜にとって初耳だがそれは他の貴族たちは知っていることのはずだ。彼が帝国に助力を求めるなどすぐに考えが至りそうなものだ。
「夜渡祇卿は知らなかっただろうがゴエティアは帝国に対して強硬な姿勢をとっていたのだ。前王陛下の御宇において帝国は我が国に臣従を求めてきたがそれに対して真っ向から反対したのが彼だったのだ」
クロムバッハ侯が首を振りながら唯夜に説明した。
「帝国の皇族の血を引きながら帝国嫌いだったと?」
「ああ。戦争になれば真っ先に戦うと申し出た彼は豊かな西方の領地を返上して北に領地を置き、いくつもの要塞を築いたのだ」
おそらくその時点では彼は本当に帝国を嫌っていたのだろう。皇族の血を引いているのであれば大した規模ではない王国の公爵で居続けるよりも帝国の中枢に入った方がより多くの権力や富を得ることができる。それを蹴ってまで反帝国の姿勢を貫いたのである。今回の内戦のためのブラフだったとも考えられない。
「確かに陛下の仰ることが真であるのなら我々はそれ以上の戦いを続けることも奴の首を王都の城門に吊るすこともできない…。排除のために帝国と渡り合う国力を増強するにしても貴族が思うように動かない…。なるほど手塞がりということか」
加えて帝国はホーストン王国の北のメズル王国に対して侵略している。メズル王国は軍神グルーム・ウルブザー侯爵が率いる軍団が奮戦して食い止めているがそれも足止め程度。あと半年も食い止めることができれば上出来といったところだろう。彼らが破れれば次はホーストン王国の番だ。つまりホーストン王国はゴエティアの影響があろうとなかろうと帝国の侵略の脅威があるのだ。
「どうせ帝国との決戦を避けられないならゴエティアをはじめ国内の反対勢力を一掃して国力を増強しておくべきでしたな」
アラフマン男爵が言った。その一言は女王であるマリアの判断を責めるような発言だったが彼を咎める者はいない。誰もがその言葉が正しいとわかっているからだ。
「まあでも陛下のお気持ちもわかります。自らの判断であれほどの大国を敵に回すのは…少し…いやかなり気が引けますね」
唯夜は頭を掻いて苦笑いを浮かべる。
帝国の領土は王国の十三倍。兵力は十二倍。有力な将軍も多く、政治も経済も安定している。両国の間には数字以上の差があるのだ。
「過ぎたことを言っても仕方あるまい。国内外の敵をどう排するかを話し合わねばな。差し当たってはゴエティア一派、友邦メズルの援軍要請、南のネルブリンゲンの蛮族どもの侵入…どれをとっても難題であり早急に対処すべき問題です」
帝国は一年前にメズル王国に侵攻し、王都の目前にまで迫っている。救援要請を受けた同盟国は次々と援軍を送っているが同盟国の一角であるホーストン王国は内戦を理由に派兵を断っていた。しかし内戦が終わった以上、援軍を送らないわけにはいかない。援軍を求める文書は数週間ごとに届くがその文面から伝わる焦りと怒りは次第に大きくなっている。もしメズルとその同盟国軍が今回の侵攻を跳ね返したとしてもホーストンに待っているのは同盟軍からの侵略だけだ。
南方のネルブリンゲンの部族たちは略奪を主な収入源とし、周辺諸国を荒らしまわっている。そちらには北方でメズルへの援軍を編成していたコリント伯爵が向かっている。彼ならば問題ないだろうというのが会議の結論である。
「ゴエティアめは暫くは現状維持するしかあるまい。早急に始末できる問題ではないしな。となるとメズルへの援軍をどうするかだが…」
すでにメズル王国は兵力の半数を失っている。救援に駆け付けた八か国の救援軍は七割が戦死している。現時点においてメズル王国を始めとする九か国のホーストンへの怒りは我慢の限界に近づいている。その怒りを躱すには数千の兵の援軍では足りない。少なくとも一万の兵を送り、勝利に直接的に貢献しなければならない。兵もいなければ将軍もいないホーストンにとって無理難題である。徴兵を行えば数は集まるが戦意も統率もない民兵では略奪を行うことができない防衛戦に送ることはできないしそもそも大きな戦果を挙げることはできないだろう。コリント将軍とその配下の軍であれば誰も文句を挟む余地はないが彼は今、動けない。
だが他に一人だけいたのだ。四万五千の精鋭兵を率い、戦略・戦術にも長けた将軍が。しかしそれを口にするのは憚られた。彼は先のメルエベスキ王国から得た賠償金・身代金の一部をその義務がないのに国庫に納めている。対して王国は彼に対して爵位という形のない恩賞しか与えることができていない。これ以上の協力を求めるのは酷というものだった。アラフマン男爵でさえ口にすることができなかった。
それだけでなくヒューベルという土地の特殊性も彼らに危うさを覚えさせた。ヒューベル地方は三百年前にホーストンに従属した騎馬民族だったが二百年前に王国内で飢饉が起こった際に中央政府はヒューベル族の村を襲って食糧を強奪し、人々を虐殺したのだ。以降、ヒューベル族は独立宣言こそしなかったものの交流は途絶えた。恨みは今日まで残り、ヒューベル族の王国への憎悪は決して小さくない。かつては王国の役人が立ち入れば殺されるような土地だった。ヒューベル地方領主という称号はただの名誉職に過ぎず、領主は任地に赴かず、王都での仕事をしていた。それが今や夜渡祇唯夜という男が領主になり、少しずつ発展させている。しかしヒューベル族の人々は上級王の娘を補佐する彼自身に従っているだけで王国に忠誠を誓っているわけではない。唯夜は彼らの大地を二度も守り、彼らの文化に適応して生活を向上させようと努力しているが中央政府は彼らに何の恩恵ももたらしていないし二百年前の惨劇についてもマルクレーヌ将軍が起こした事件についても謝罪もしていない。その状況でどうやってヒューベル族の将兵に血を流せと求めることができるだろうか。
「恥がなければ人は獣と変わりませんが、恥を捨てなければそれ以外の全てを捨て去ることになる。人の世とはどうにもままなりませんね」
唯夜は笑う。会議に参加している者たちの考えが手に取るようにわかるからだ。しかしかといって無条件で自分から手を挙げてやるほど無責任ではない。今の彼にはヒューベル族七十二万の命を守る責任がある。戦争に赴けば決して少なくない数の兵が死ぬことになる。ボランティア感覚で名乗り出るわけにはいかないのだ。かといって救援に赴くことができる軍勢は夜渡祇軍だけ。救援を送らねば遅かれ早かれメズルは滅ぶ。その次はホーストン、ヒューベルに攻め込むだろう。だから反帝国勢力が多く残っている今のうちに戦わねばならない。犠牲は避けられない。であれば可能な限り犠牲を減らし、最大限の利益を人々にもたらす方法を模索するのが王や領主といった支配者の義務である。
「陛下、いくつかのことを約束していただければ私が二万五千の兵を率いて帝国の駄犬共を殲滅して参ります」
参列者たちが限界まで考え悩むタイミングを待って唯夜が手を挙げる。
「約束とは?」
「我が軍の遠征と戦後処理にかかる戦費を王国が負担すること、戦場に到着するまでの兵站を中央政府が確保すること、帰国後に陛下に従わない国内の賊の征討令を私に対して下すこと、我が軍が他国の指揮下に入らず自由に動くことを同盟国に認めさせること、国内の硫黄資源の採掘権を私に譲渡していただくことです」
マリアはしばらく考えたが他に手がないことをすぐに悟った。椅子から立ち上がり、唯夜に命じた。
「わかりました。国王の名においてその約束を守ります。出陣を、夜渡祇卿。戦って勝って帝国の尖兵を打ち払い、再び王都に凱旋しなさい」
「はっ!」
唯夜は会議終了後、すぐにヘスティアとシーナを連れてヒューベルに戻り、軍を編成させた。彼自身も各地を走り回り、二日半で軍を編成させた。もちろん唯夜も出陣し、直下兵のうち五千騎を率いることにした。




