戴冠式
ヒューベル軍一万八千騎は八千の捕虜と共に国境付近で一晩を過ごした後、メルエベスキ王国に攻め込んだ。畑を刈り、森を燃やし、家畜を奪い、家を焼く。住民たちからは食糧を奪って追放した。
「殺しと暴行と家畜、食糧以外の略奪は禁止だ。破った奴は八つ裂きにしてやるからな」
それが唯夜の命令だった。そして彼はその禁を破って女を強姦した兵士七名を自ら斬首して首を晒し、全軍の戒めとした。
城はいくつかあった。しかしそれはヒューベル軍の鎧を着せた捕虜たち脅して攻撃させて陥落させた。また、急造りであったが投石機を作って攻城の助けとした。奪った城の城主や将校は皆殺しにし、兵は捕虜にした。城壁は徹底的に破壊し、財宝を奪った。貴族の屋敷を襲って貴族を人質にし、家財を強奪する。彼らの暴虐はメルエベスキ王国西部全域に及んだ。人家は必ず焼かれ、城は一つの例外なく破壊した。まるで津波の如き苛烈で素早い進軍だった。それは意思持つ災害に他ならなかった。
王都ベレンディンを視界に捉えた時、メルエベスキ王国国王プルフェモン三世から和平条約の申し出が届いた。
「国王様は損害賠償と捕らえた貴族たちの身代金を払うと言ってきた。吹っ掛けてやろうか」
唯夜が返答として出したのがメルエベスキ王国の年間予算の九割である。プルフェモン王は驚き、返答に時間を要すると返したが唯夜は即決を求めた。プルフェモン王は金額についての交渉を願い出てきたが唯夜は拒否、投石車を使って王都に数百の人間の頭部を投げ込ませた。王は折れて唯夜の設定した金額を支払うことを決定した。唯夜は王都の宝物庫の七割を前金として受け取り、帰路についた。ヒューベル領に戻った唯夜を民衆が歓喜の声を上げて迎えた。人々は彼を雷光と呼んで称えた。
メルエベスキ王国は一連の戦いで六万の兵を失い、穀倉地帯であった王国西部による収穫も望めなくなった。国王直属の騎士団も壊滅させられ、その威信と国力は大いに損ねられた。周辺諸国にその知らせは轟き、夜渡祇唯夜をヒューベルの悪魔と呼んで恐れた。メルエベスキ王国は再侵攻に及ぶ力と意思を失い、近隣の国々は敵対よりも友好関係を結ぶことを選んだ。
唯夜は王都に召還されることになった。
「此度の働き、見事でありました。また援軍を送ることができなかったこと申し訳なく思います」
「お気になさらず。元より期待はしておりませんでしたから」
唯夜の答えに騎士たちは色めきたった。しかし誰も声を出せなかった。国内外の諸問題によって一個小隊の援軍も送ることができなかったのは事実であるからだ。
「おかげでメルエベスキからもらった賠償金と身代金を独り占めできます」
「どれほどの金額を約束させたのですか?」
「最上級金貨五十枚です。一括払いが無理だったので担保として王都の宝物庫の財宝を七割ほど預かっています。これで領土を発展させることができます」
「五十枚⁉︎」
宮廷が驚愕に揺れた。通常の金貨は日本円に換算すると一万円程度になる。大金貨一枚は金貨百枚と交換される。上級金貨は大金貨百枚の価値を持つ。最上級金貨は上級金貨十枚と同等である。つまり今回の戦いで日本円に換算すると五百億円を手に入れることになったのだ。この金額はホーストン王国の年間予算の九割に値する。
廷臣たちが唾を飲み込む音が聞こえた。彼らのうちのほとんどが考えることは一つ。どのようにして唯夜にその金の一部または全部を王政府に引き渡させるかということだ。唯夜は王都から遠く離れたヒューベル地方に赴任する際、マリアから単独で軍を興し、戦争を起こす権限と和平条約とそれらに関する協定を結ぶ権限を与えられ、それらによって得た物は全て彼に所有権が帰するということを命じられた。目まぐるしく変化する情勢に対して遠方の王都にいちいち伺いをたてていては勝てる戦も勝てなくなる。そして東の国防と発展を一手に担うことになった彼のモチベーションを上げるために彼の働きによって得た財産等は彼がそのまま懐に納めることを認めたのである。マリアなりに彼を遠く危険な辺境に送り込むことを気にしていたのである。
「夜渡祇男爵、閣下の武功凄まじきことは疑いようはなく、敵国から得た賠償金と身代金を閣下がお納めになることに文句を言う者はいない。殿下がお約束なさったことであるからな。だが現在我が国の財政状態は逼迫しており、国難といえる状況にある。協力願えないだろうか」
最初に口を開いたのは老貴族アラフマン男爵だった。腰が曲がった老人で、長く伸びた髭は地面に届くほどであった。彼は半世紀をかけて平民から成り上がった貴族であるが、たった一か月で男爵となり、ほどなくして子爵となって自分を追い抜いた夜渡祇唯夜をよく思っていなかった。
「助言なら喜んでさせていただきますが」
「そ、そうではなく…。助言は大事なものだが時に一枚の金貨は一言の金言より価値がありますゆえ…」
どうやら直接的に金を出せとは言えないようだ。唯夜はマリアによって保障された権利を行使しているだけで何一つ違法行為を行っているわけではない。王女の手前、手に入れた金を寄こせというだけの太い神経は彼の枯れた体には通っていなかったらしい。
「言いたいことがあるなら大声で言ってみてはいかがですか。気が晴れますよ」
老貴族は怒りに目を見開いたが理性でそれを押さえつけた。
「そうじゃな。味方同士で腹の探り合いをしても詮なきこと。閣下がメルエベスキ王国から得た金銭の半分を我々に融通してほしいのです」
直接的に言ってみたがどうにも歯切れが悪い。
「私の勘違いでしょうか。王都からは兵の一人も麦の一粒も送られてきませんでしたが本当に我が将兵が身命を賭して勝ち取った財を一滴の血も流さなかった者たちのために捧げねばならないと?」
唯夜の声にはこれまでにないほどの怒りが込められていた。メルエベスキ王国の攻撃から国と人を守るために万を超す兵が戦い、数千の兵が負傷し、二百の兵が倒れた。彼らの献身で手に入れた金銭をどうして安全な王宮で暮らす者たちに与えなければならないのだ。聞けばメルエベスキ王国の侵略行為に対する中央政府の行動は王宮内に終始していたらしく、軍部には具体的な命令は下されていなかったという。
「しかしこれは殿下の御為です。それを拒まれるとあっては殿下に背くことになるとお忘れなきよう」
唯夜が再び口を開こうとした時、怒声が響いた。
「恥を知れ! 夜渡祇殿が勝ち取った財を夜渡祇殿が処分することは殿下がお決めなさったこと! 夜渡祇殿とヒューベルの将兵が戦場で命を懸けて戦っている間、メルエベスキの軍兵の雄叫び届かぬ王宮で、血に濡れた刃の鈍い輝き見えぬ宮殿にて我らは何もしなかったではないか」
怒鳴り声を響かせたのはミハイル・クロムバッハ伯。顔を真っ赤に染めて老貴族を叱咤している。彼は軍議が纏まらないことを見越して自身の領地の私兵をヒューベルへの援軍に向かわせるべく初日から早馬を飛ばしていた。
「それだけならまだしも己の意見を通すために殿下を引き合いに出すとは何事だ! 無礼千万である! 貴族の風上にも置けぬ恥知らずがよくも殿下の御前に立てたものだ!」
唯夜が驚いて怯むほどの激怒だった。その一声でアラフマンは言葉を失い、黙り込んだ。クロムバッハはこれ以上怒鳴り立てるようなことはせず、マリアに非礼を詫びると家臣らの列に戻った。あまりの剣幕に唯夜は硬直していた。
マリアが唯夜に言った。
「夜渡祇殿、私は貴方を地方領主に任じ、その防衛と発展を命じました。それに付随していくらかの特権を認めましたが私はその利権を奪うつもりはありません。ただ、アラフマンを恨まないように願います。彼は彼なりにこの国を憂いてくれているのです」
唯夜はちらりとクロムバッハ伯を見遣った。満足そうな顔を浮かべている。マリアは唯夜の権益を害さないと明言しながらも廷臣であるアラフマンの顔も立てた。抜け目ないのか優しいだけなのか判断がつきにくい。
「夜渡祇唯夜子爵、私は来月、戴冠式を行います。卿も参列してください。また同時に伯爵へ叙します」
「有り難き幸せ。」
領地へ戻った唯夜は戦後処理に追われた。戦争に参加した兵士への褒賞と戦死者の遺族への年金の支払い、敵味方の死者への弔いと埋葬、破壊された村や砦、道路の修復、避難していた人々への損害の補填、国境警備隊の増強などやるべきことは多かった。唯夜は手続きや実務などの才能はあまりなかったが指示を出すことは得意だったようで官僚や軍人たちを上手く動かすことができた。
次いで民族全体の変革を行った。これまで領土を与えられた各氏族の長が将軍職と領主職を兼任していた。百年以上続く支配体制であり、特に問題はなかったが先日のマルクレーヌ将軍による凶行によって上級王と氏族の王たちが全滅し、軍事・行政が壊滅してしまうという脆弱性が露になった。それに上級王は各氏族に対して絶対の権力を有していたわけではなく、あくまで連合政権の長としての立ち位置であったという。平和な時代はそれでいいかもしれないが乱世において権力者が分立している状態は決して良い結果をもたらさない。国家の意思決定を行う者が乱立していれば有事の際の決断が遅れ滅亡を招くことになる。その危うさはホーストン王国の内戦が証明している。
唯夜は氏族の伝統や文化を尊重しながらも中央集権化を進めることを決め、中央から人格に難がなく行政能力に長けた七人の役人を各地方に派遣し、領主として治めさせる。また、千騎長から優秀な者を引き抜き、将軍職につけ、五千騎の兵を与えた。加えて各氏族ごとに多少異なっていた法をいずれ統一させることを表明した。
要するにこれまで各氏族の長が持っていた行政権と兵権を領主職と将軍職二つの官職に分け、中央から派遣した者たちを就任させる。
北部トゥオン領 領主ダーガジャ 将軍セレス
北東部ズジェ領 領主アントニウス・モートン 将軍カルルック
東部フルブエア領 領主フォーン 将軍トゥイア
南東部ブルルベル領 領主ルルウ 将軍クトゥル
南部ベフェン領 領主オルフェー 将軍エイレーネー
西部キドゥレ領 領主ヒードゥエンネン 将軍ドゥムア
北西部ベーレ・ドゥーバ領 領主キェンレー 将軍アリクブケ
彼らは州都ティハナにて一堂に会し、唯夜に忠誠を誓った。また唯夜はヒューベル軍総司令官に就き、ティハナの軍一万騎を直接統帥することになった。
その後、唯夜は街道を行き来する商人たちに頼み事をしておいた。どのようなことでもいいから優れた才能を持つ者を連れてきてほしい、と。才能ある者を連れてきたら紹介料として金貨を支払い、それが高官に取り立てられればさらに報奨金を支払うというシステムで人材を集めることにした。一朝一夕で効果が出る政策ではないからしばらく待つことが必要だ。
その他に教育を広めるために工夫もした。ヒューベル地方の各地に残る伝承を編纂し、子供が読みやすい文章にしたのだ。また唯夜がいた世界の昔話を本にした。これを広めれば文字に興味を持つ者が増えるだろう。それに手紙による遠方の友人や家族とのやりとりを流行らせるつもりだ。文字の普及は学問の基礎である。様々なアクセスで読み書きを習得させる予定だ。
そしてマリアの戴冠式が行われた。マリア派の貴族や騎士、友好国の王族たちが参列した。予算がなく、国内外に敵を抱えているため式自体は質素に行われた。大陸北部で信仰されるスーヴィエータ神の司祭が跪くマリアに冠を与えた。太陽の光に照らされて彼女の姿が美しく参列者の目に映る。彼女を擁して今日まで戦い続けてきた騎士たちは不覚にも目の縁から一筋の涙を零した。最初期からマリアを支えていたクロムバッハは儀式の後、柄にもなく号泣していた。
内戦終結の功労者である唯夜はその後の晩餐会で一心不乱に食事を貪り食っていた。
「うん、美味い!」
「本国の料理は初めて食べますが…美味ですね」
今は亡きヒューベル領上級王の娘としてクルルも戴冠式に参席していた。生まれてからずっとヒューベル領内で育った彼女にとって外の世界の料理は物珍しく映ったようだ。マルクレーヌ将軍が接触するまでヒューベルとホーストンとの交流は断たれていた。なので互いの文化が入り混じることがなかったのだという。
「やあ、楽しんでいるかね」
空になった皿を高く積み上げた唯夜に苦笑いを浮かべながら近づいてきたのはクロムバッハ伯だった。儀礼用の礼服をきっちりと着こなし、右手のグラスには赤ワインが揺れている。彼はすでに侯爵に爵位を進めることが内定されていた。
「はい。おかげ様で」
唯夜は食事の手を止めて答えた。
クロムバッハはクルルに視線を移す。
「お初目にかかる、クルル姫。噂に違わずお美しい」
「あ、は、はい。お初目にかかります。クロムバッハ伯爵閣下」
クルルは慣れない挨拶とお辞儀をした。唯夜以上にぎこちない動きだった。ヒューベル人はこういった社交に慣れていない。そもそもの話ヒューベルには宮殿での社交の文化がないからだ。祝いの宴では大した作法もなく出し物や料理を楽しむのが彼らの文化であるのだという。
「マルクレーヌ将軍の凶行について謝罪させてほしい。我が国の内戦に巻き込んでしまい申し訳なかった。加えて先の戦役の際、何の助力もできなかったことをお詫び申し上げる」
伯爵は頭を下げた。
「あ、頭をあげてください。悪いのは…マルクレーヌ将軍です。そして父と民たちの無念はハートゥイア河畔で唯夜様と兵たちが晴らしました。憎悪の清算は終わりました。父ならきっとそう言います。だからこそマルクレーヌとの話し合いに応じたのです」
自分の掌に爪を食い込ませながらクルルは言った。おそらく彼女の中ではまだ踏ん切りがついていないのだ。今日の戴冠式も彼女は招待状をマリアから受け取っていたが断るつもりでいたらしい。それでも唯夜が連れてきたのだ。彼女はホーストンに良い印象を持っていない。無関係な内戦に巻き込まれ、父や兵士、民を多く失った。怒りは消えていないだろう。それでも生き残った者たちのために禍根を残さず前に進もうとしているのだ。普段は柔弱で決断力に欠いた少女だが強い心を持っていた。唯夜はその姿を見て自分が同じ境遇に立たされた時、同じように言えるのだろうかと自分に問う。答えは恐らく否である。親代わりのあの人が死んでから彼は空っぽだった。友人もいた。気にかけてくれる人たちもいた。しかし彼は立ち止まっていた。彼らとの間に壁を作って悲しみと記憶の籠の中に自らの精神を幽閉していた。それがこの世界に来て役割を得て忙しさにかまけて記憶を封じ、悲しみを押さえつけていた。それは彼にとっての前進ではない。逃避に過ぎないものだった。いつかは現実と折り合いをつけなければならないとわかってはいても現実と向き合うことを恐れていたのだ。
「強い姫君だ。失礼した」
伯爵は一礼して去っていった。




