次の勝利を
唯夜が東方国境防衛の要、フォーケン砦に到着した頃には既に七千のヒューベル騎兵が集結していた。
「唯夜様、どうなさいますか?」
シーナが尋ねる。不安を隠せていないようだ。当たり前だ。敵兵力はこちらの六倍。ヒューベル軍はまだ味方の集結によって戦力差は少しずつ埋まっていくがいくらかき集めても敵の半分にしか届かない。
「大丈夫。心配すんな。策はある。要するに敵を一か所に集めなきゃいいわけだ。さて、敵さんに挨拶に行こう」
唯夜は集まった七千騎を率いて砦を飛び出し、国境を越えたばかりのメルエベスキ軍に弓矢による遠距離攻撃を叩きつける。侵略してきたメルエベスキ王国軍は騎兵が一万騎、重装歩兵が二万、民兵を主とする軽装歩兵が一万で構成されている。軽装歩兵は数合わせや補助以上の役割を有してはいないだろう。
降り注ぐ矢によってメルエベスキ軍の兵士たちが倒れていく。重装騎兵や重装歩兵は装備のおかげで損害は軽微であったが軽装歩兵たちはかなりの数が倒れた。メルエベスキ軍総大将マッセナ・オートウェンは重装騎兵に突撃を命じた。
重装騎兵たちが戦列を揃えて突進してくる。唯夜は退却命令を出した。ヒューベルの兵士たちは命令に従ってメルエベスキ軍を引きつけながら後退した。
「メルエベスキ騎兵、我が軍を追っています!」
「聞きしに勝る猪っぷりだな! 理性はどこに置いてきた!」
唯夜らはフォーケン砦すら通過して西へ向かった。騎士はそのまま追撃し、重装歩兵が空になっている砦を占拠した。砦の中には一切の武具も食糧もなかった。
猪突してきたメルエベスキ騎兵に対してヒューベル軍は逃げに徹した。絶えず動き回ることによってメルエベスキ軍を翻弄し、疲労を誘う。結局、日暮れと共にメルエベスキ軍は占拠したフォーケン砦に撤退していった。
翌日の朝には五千の兵が唯夜の本陣に到着した。メルエベスキ軍は城に四千の兵を残して出撃した。ヒューベル軍はさらに退却し、城や砦を放棄した。メルエベスキ軍はそういった城に数千ずつの兵を置いて更に進軍した。その次の日もヒューベル軍は逃げ、メルエベスキは血を流さずに城を確保することができた。占領範囲を見ればかなりの快進撃であった。しかしそこに一つの問題が発生する。補給の問題である。あまりにも速い進軍速度に補給が追いついていないのだ。占拠した砦に食糧はない。近隣の住民も食糧や家畜を連れて避難してしまっている。遊牧民族ゆえに畑もない。河川は遠く、水もない。本国からの補給もあるがまだ前線に届いていない。
その時、メルエベスキ軍全体を震撼させる情報が駆け抜けた。
「本国からの補給部隊が襲われただと⁉︎」
総大将オートウェンが酒盃を投げ捨てて怒鳴った。
「は、はい。加えて確保した砦から最前線に送り出した物資も襲われたようで…手持ちの食糧だけでは二日ももちません。ここは退却すべきかと」
「馬鹿者!」
オートウェンは副官を鞭で殴りつけた。
「我ら栄光あるメルエベスキ騎士に撤退の二文字はない! 現に奴らは我々を恐れて退却している。ここで我らが背を向けて逃げれば大挙して押し寄せて来よう。かくなる上はこのまま進撃し、州都ティハナを奪うしか道はない!」
彼は怒号を震わせ、全軍に前進を命じた。
彼の言葉は全くのはずれというわけでもなかった。唯夜がいた世界には軍隊というものは不可分の呪いを受けていると表現した者がいた。それは大量の人間が運営する組織である以上、安定した補給線を繋がねばならないということだ。それを絶たれた以上、残された道は引き返して国に戻るか、前進して敵の喉笛を噛み切るか。州都ティハナは城壁を持たない都市である。到達できれば陥落させるのは簡単だ。だからこそオートウェンは後退より進撃を選んだ。
「メルエベスキ軍二万二千が砦を出て西へ向かっています。ハナを目指していると思われます」
伝令兵が唯夜にメルエベスキ軍の動きを報告した。唯夜は想定していた状況の中で最も楽に勝てる方へ進んだことを喜んだ。これまでの用兵とこれからの用兵によって歴史に名を残すことになる。戦史研究家たちは彼を奇策に自身と国家の命運を賭ける博打師と評することが多いが実際には違う。敵が取り得る行動をいくつも予測し、どんな行動に出ても対処できるように前もって策を考えていたのだ。今回も十七ほどメルエベスキ軍の動きを予想していたのだが最も彼が望む動きをしてくれている。
「さあ出陣だ」
ヒューベル軍二万騎が決戦の時を感じ取り、咆哮をあげる。
街道を進むメルエベスキ軍は後方から三千騎ほどのヒューベル軍の襲撃を受けた。ヒューベル軍は接近せず、遠矢でメルエベスキ軍を削っていく。重装兵の鎧は確かに頑丈だがヒューベル軍の弓は圧倒的に強く、信じられないほどの威力を誇っている。角度によっては鎧を貫通してしまうほどだ。
「おのれ…! 奴らを潰せ!」
メルエベスキ軍はヒューベル軍を追った。ヒューベル軍はメルエベスキ軍を引き付けながら東に逃げた。追撃は半日ほど続いたが追撃の愚に気づいたオールウェンは方向を転換し、当初の目的であるハナを目指した。しかしヒューベル軍は千騎以上の部隊を何度もメルエベスキ軍にぶつけ、挑発を続けた。誇り高い騎士たちは自尊心を大いに傷つけられ、彼らを追い回したが体力と時間を浪費しただけだった。そして夜、メルエベスキ軍は飲み水を失った。重い鎧を背負っての行軍は兵馬に疲労を与える。水の消費は激しく、食糧より先に尽きてしまったのだ。
その翌日、兵士たちは渇きと飢えに苦しみながら進軍を開始した。当然、速度は出なかった。だが進路上にそれなりの大きさの川があることは把握している。メルエベスキ軍はその数を二万を割りながらも西進し、先行していた偵察がようやく水場を発見した。騎士たちは大喜びで水場へ馬を走り出した。重装歩兵部隊を置いたまま駆けていく。その先に地獄が待ち構えていることを知らずに。
騎士たちは川へと近づき、心を弾ませた。しかし次の瞬間に彼らの心は凍土のように冷たく凍り付いた。川岸には無数の投石機と馬防柵が並べられていた。
「今だ!」
一万のヒューベル軍がメルエベスキ軍の後方に矢を射かけた。メルエベスキ軍は前方へ前方へと押し出され、投石機の射程範囲内に入ってしまった。その瞬間、投石機が油の入った袋を投げ飛ばした。前衛の騎士たちは油まみれになった。そして兵士たちは火矢を射た。赤き炎が青い空を焦がす。前衛を務めた騎士たちは火に包まれてこの世のものとは思えない断末魔をあげた。
「ひ、逃げろ!」
炎から逃れた騎士たちは後退を選んだが一万の兵を突破する必要があった。加えて側面からも三千ずつの騎兵が襲い掛かってきたのだ。飢えと渇きと疲労、煙と恐怖で混乱状態に陥ったメルエベスキ軍はヒューベル軍にとって格好の餌食だった。ヒューベル重装騎兵に突き崩され、砕かれ、ほとんどの兵が討ち取られた。総大将のオールウェンはヘスティアに討ち取られた。指揮系統を失ったメルエベスキ騎兵は逃げ惑った。
「退路を開けてやれ。窮鼠になられても面倒だ」
「はっ!」
ヒューベル軍は半包囲陣にあえて穴を開けてメルエベスキ軍に逃げ場を作ってやった。自棄を起こして死兵となって突撃されては被害が増えるだけである。加えて敵の動きを統制できるため追撃も容易である。
今更になって歩兵が追い付いてきたが逃げ戻ってくる騎兵とぶつかり、動きを止めた。陣形が崩れた瞬間を逃さず、総攻撃を叩きつける。
「戦果を挙げろ! 突撃!」
ヒューベル軍の士気は最高潮に達し、侵略者共を踏み潰していった。途中からはもはや戦闘とは呼べない虐殺になった。七千にまで数を減らしたメルエベスキ軍重装兵たちは近くの砦に逃げ込んだ。ヒューベル軍は砦を包囲し、オールウェンら将校の首を晒したり投石機で石や生首を投げ込んで敵の戦意を削いだ。侵略者たちは元いた城兵と併せて八千の兵がまだ残っていたが状況は悪化していくだけだ。メルエベスキ軍は夜になって城を打って出て夜襲を仕掛けてきたがそれを予期していた唯夜に撃ち破られ、半数が戦死し、半数は降伏した。
残るはこれまで彼らが占拠してきた城の駐留戦力だ。数は合計で一万六千と決して油断できない数だが騎士はいない。重装歩兵と軽装歩兵だけだ。それに九の城塞に分割されているから同時に相手する必要はない。しかも優先して前線に食糧を送っていたらしく食糧難は深刻だった。彼らは本軍の敗退を知って逃走した。しかしすぐに唯夜率いるヒューベル軍に捕捉され、その多くが撃滅された。また、国境近くの砦から逃げた者たちも国境の付近に待ち構えていたヒューベル軍別動隊四千騎に蹴散らされ、国に戻れたのは五千名程度のみであり、その他は降伏か戦死という結末を辿った。
「勝ちましたな。お見事」
フェルナーが唯夜の隣に馬を進ませた。彼と彼の隊は勇敢に戦い、将軍級の首を挙げるなどの活躍を見せた。
「ああ。でもこれからだ。負傷者は後退させ、残りは国境付近で一日の休息を。捕虜には食事と水を与えて本軍に同行させてくれ」
唯夜はこれで戦いを終わらせるつもりはなかった。一度戦いを始めたのなら、喧嘩を売られたのなら相手が再度刃向かう気力を失うまで徹底的に叩く。それが師の教えであった。




