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転生

「自分が死ぬ時に泣いてくれる人のために生きて死になさい。それができたらきっと貴方の人生は幸運だったと言えるから。私が今、そう思っているように」

 それが今は亡き師の言葉。親代わりの優しい女性の言葉。青年はこれまでにないほど泣きながらその最期の言葉を受け取った。それから二年。その言葉を忘れたことはない。だがその意味を知ることなく無味乾燥な日常を過ごしていた。

 青年は友人たちと商店街を歩いていた。今日では珍しく、賑やかで人気の多い通りだった。夜渡祇唯夜

「おっ、唯夜ちゃん! この前、水道管修理してくれてありがとね! いい感じだよ!」

 土産物屋の老婆が青年に声をかけた。

「ああ。おばちゃん。見よう見まねだけど上手くいったよ。またなんかあったら言ってくれー」

 青年は人好きのする笑みを返して店の前を歩き去った。商店街の他の店の者たちも彼に親し気に声をかける。ここは彼が生まれ育った故郷。たくさんの関りがある。それでも彼は寂しさを感じていた。たった一人の家族を失ったその日から寂しさが彼の感情の肩に手を置いているのだ。この商店街が嫌いではない。友人や知人、初めての恋をした師と共に過ごした場所だ。思い出はいくらでもある。だからこそ好いてもいなかった。思い出したくない今は亡き彼女との楽しかった日々を思い出して悲しくなってしまうから。複雑な想いを友人たちとの他愛ない雑談で誤魔化しながら商店街を歩く。

「腹減ったな。昼飯にしようぜ」

 友人の一人が腹を摩りながら言った。確かにもう真昼。腹が減ってきた。腹の虫を鳴かせている者もいた。

「じゃあ今日は蕎麦食おうぜ。宮本さんの店の新メニュー食ってみ…」

 青年が答えた瞬間、青年は意識を失った。いってらっしゃい、そう懐かしい声で聞こえたような気がする。



「こんにちは。唯夜」

 目の前に立っていたのは懐かしさを感じる育ての親。腰まで伸ばした銀色の髪が揺れている。肌は雪のように白い。

「…赦那…」

 掠れた声で彼女の名を呼ぶ。

「忘れてなさそうで良かったわ。うん。よろしい」

 さほど嬉しそうでもない声で彼女は言った。しかしその微笑みはどうしようもなく上機嫌であることを示していた。

 彼は周囲を見渡した。周囲には何もない。ただ真っ白な世界が永遠に続いている。上も下も白い。だが足がついている感覚はある。見えていないだけで床はあるのだろう。そんな意味のわからない場所にいても自然と落ち着いていた。

「ここはどこ?」

「たった二年で随分大きくなったわね。鍛錬も欠かしてないようだし」

「無視すんなよ」

 彼女は舌打ちした。

「知ってたら自慢げに話してるわよ」

「だよね」

 青年は笑った。彼は彼女の性格をよく知っている。名前をくれた名づけの親であり、育ててくれた保護者であり、様々な知識を教えてくれた師であり、本当にくだらない話をしたり一緒に遊んだりした悪友でもある。付き合いの長さは十年にもなる。声音や表情、言動から考えていることは何となくわかる。

「まあでも危険な場所ではないから安心して。私、以前ここに来たことあるの」

「来たって?」

「知らないわよ。トイレで力んでたら目の前が暗くなって気づいたらここにいたんだから。まあでもその後の人生は悪くなかったわよ」

「はー適当。本当に適当だな君。説明がクソわかりづらい!」

 瞬間、彼女の蹴りが青年の股間に直撃する。下腹部の痛みに悶えながら青年は蹲る。彼女との生活において鉄拳制裁は日常茶飯事であった。

「そ、そういえば君…死んだんじゃなかったっけ?」

 青年は全てが壊れたあの日のことを思い出す。彼女は家に強盗が押し入ってきた時、彼を守って殺されたのだ。それがどうしてか目の前にいて会話できている。これは夢の中なのだろうか。

「ええ。死んだわよ。貴方がドジったからね。まあそれは置いといて…貴方はこれから今までいた所とは違う場所へ行く。貴方が全く知らない場所へ。大変なこともある。危険なこともある。それでも…きっと貴方はそこで居場所を見つけられる」

 しゃがんで彼の肩を優しく叩く。

「…え?」

「私が死んでから貴方、ずっと居心地悪かったでしょ。自分の居場所なんてないって、消えていなくなりたいって思ってたでしょ」

「え、いやまあそうだけどそっちじゃなくて…」

 彼女は青年を立たせた。滑らかな髪が彼の頬に触れる。もう会えないと思っていた彼女が今、目の前にいる。今更涙が零れてきた。

「貴方は私以上に器用で何でも人並み以上にできるけど精神が不器用なのよね。わかっていたけど」

 事実である。彼は目の前の恩人の死を受け止めきれずにいた。悲しくて、これまで彼女と過ごし、これからは彼女がいない世界に生きていたくないと心のどこかで思っていた。こんな寒い世界にはどこにも居場所はないと思っていた。

 女は青年の頭を下げさせて抱きしめた。柔らかい匂いが鼻腔をくすぐる。懐かしい匂いだった。

「大丈夫。先に地獄で待ってるから。疲れたらいらっしゃい。でもまだ貴方は疲れてはいないでしょう? それまで必死に走って、戦って、生きなさい」

 青年の背中を叩く。青年も彼女の背中に手を回し、しばらくの間抱きしめていた。それでようやく気付く。自分はこの人を愛していたのだと。二人は離れ、笑いあう。こうやって笑いあえる日々がどれほど大切なものだったか。失ってようやく思い知らされた。今となっては意味のないことである。

「俺にできるかな。俺は君を守れなかった」

「今度こそよ。守ると決めたものは命に代えても守り抜きなさい。そのためならどんな手でも使うのよ。必要なことは全て教えたはずよ」

 青年は頷いた。

 視界が白くぼやけていく。何となくわかった。もうお別れなのだと。

「遮那!」

 彼は叫んだ。

「俺、君のこと大好きだ! どこに行くかは知らないけど…約束する。大切なものは全部守る。それと…どんな世界でも俺は…また君に会いに行くから!」

 女は呆気にとられたような顔をした。そして小さく笑う。

「ええ。待ってるわ。それじゃ、良い人生を。幸せな旅を。いってらっしゃい」

「ああ。行ってきます!」

 視界は真っ白に染められた。



 目を覚ますと彼は冷たい大理石の床で寝ていた。幅十五メートル、高さ十メートル、奥行き三十五メートルほどの中世ヨーロッパ風の豪奢で広い一室で、華美な衣服を身に纏う男女が円陣を組んで彼を囲んでいる。彼らの顔には疲労と驚き、何より達成感が刻まれている。円陣の外には数十名の鉄の鎧を着て槍を持った兵士たち、部屋の奥の赤い布と金の飾りの玉座には金色の髪の少女が座っている。あくまでそれは客観的な情報であり、彼は激しい眩暈によって起き上がることも顔を動かすこともできず、ただ薄暗い石造りの天井を見上げて呼吸を整えることで精一杯だった。

「せ、成功です! 勇者の召喚に成功しました!」

 僅かに裏返ったその声で彼は目だけを動かして周囲の情報を集める。周りにあるのは見慣れないものばかり。自分の知らない場所にいて自分の知らない人たちに囲まれているということしかわからなかった。しかし、いやだからこそ寝転がっているわけにはいかなかった。揺らぐ視界とやたら重い体を強引に律して起き上がる。

 兵士たちが槍を構えて近づいてくる。敵意のようなものは感じない。しかし警戒心を抱いているようだ。

「…すみません。ここはどこですか? これはどういう状況ですか…?」

 青年は彼らに尋ねる。兵士たちは答えなかった。兵士たちの後方で腰を下ろしていた少女が立ち上がる。黄金色の長髪が揺れ、窓から差し込む光に照らされて輝く。気弱そうだがかなりの美しさである。周囲の者たちの視線と彼女自身が身に着ける衣服や装飾品が彼女が高貴な存在であることを示している。


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