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第4話 刃の月

 ――冷たい光が走った。


 反射的に身を捻る。

 風を裂く音とともに、短剣の刃が頬をかすめた。

 焼けるような痛み。血の匂い。

 闇の中、黒い影が素早く動いた。


「誰っ――!」


 悲鳴を上げる間もなく、影が再び迫る。

 月明かりに光る刃。

 恐怖よりも先に、体が勝手に動いていた。

 枕を掴んで投げつける。刃が布を裂く音がした。

 次の瞬間、扉が勢いよく開く。


「セリーヌッ!!」


 レオンの声だった。

 彼の姿が、稲妻のように闇を切り裂いた。

 剣が抜かれ、金属音が部屋に響く。

 短剣の影と鋼がぶつかり、火花が散った。


「ルチア、灯りを!」


 侍女の悲鳴。火打石の音。

 蝋燭に火が灯ると、影の正体が露わになった。

 黒い装束。口元を覆う布。

 手には王家の紋章入りの短剣――。


「王都側の刺客か……!」

 レオンが低く呟く。

 刺客は逃げようとしたが、その腕を掴まれるより早く、

 自らの喉に刃を突き立てた。


「やめ――っ!」

 間に合わなかった。

 血が噴き出し、床に倒れた。

 その赤が絨毯を染める。


 蝋燭の火が揺れ、影が壁を這う。

 レオンが剣を下ろし、深く息を吐いた。


「……最悪だ」


「レオン殿下……これは、一体……」

「君を狙ったんだ。予想より早い」


 彼は短剣を拾い上げ、刃についた刻印を見つめた。

 見覚えのある紋章。

 それは、私の祖国――エルミナ王国の王家の印だった。


「そんな……あり得ません。陛下が私を……」

「おそらく王命じゃない。王太子派の独断だ」

 レオンの声は冷たく、そしてどこか痛みを帯びていた。


「婚約破棄の場で君を侮辱した王太子――アレクシス。

 彼は今、君を“反逆の共犯者”として追っている」


「私が……反逆者?」

「君を処分できなかったことが、彼にとっての屈辱なんだ」


 言葉を失った。

 国を守るために尽くしてきた家系が、いまや裏切り者扱い。

 それを思うと、胸が締め付けられた。


「すぐに部屋を移す。ここはもう安全じゃない」


 レオンが私の手を取る。

 その掌に、先ほどの戦いでついた血がまだ残っていた。

 温かいのに、どこか悲しい熱だった。


「ルチア、警備を二重にしろ。ノアを呼べ」


 彼がそう命じた瞬間、扉の外から足音が近づいてきた。

 現れたのは――ノア・ヴェルド。

 冷ややかな銀の髪が月光を受けて光る。


「殿下、騒ぎを聞きつけて参りました」

「お前の警備はどうなっている。侵入を許したぞ」

「申し訳ありません。北門の警備が一時的に――」


「言い訳はいらない」

 レオンの声が低く響く。

 その鋭さに、ノアでさえ一瞬たじろいだ。


「……犯人は処理されましたか?」

「死んだ。だが、これで終わりじゃない」

 レオンが短剣をノアの前に投げる。

 血の滴る刃が床に落ち、鈍い音を立てた。


「王家の紋章だ。見覚えがあるだろう?」

「――エルミナの印、ですね」


 ノアは表情を変えずに答える。

 その冷静さが、逆に不気味だった。

 まるで、こうなることを知っていたかのように。


「君は驚かないのね、ノア」

 私が問うと、彼は薄く笑った。

「政治というのは、常に誰かの血で動くものですから」

 その言葉に、思わず身をすくめた。


「ノア、君は今夜から北門の監督を外れろ。

 代わりに俺の側で、内部調査にあたれ」

「……承知しました」


 ノアは一礼し、部屋を出ていった。

 その背中に、レオンの視線がしばらく注がれていた。

 彼の眉がわずかに寄る。

 不信がそこにあった。


 私の部屋は、塔の上層に移された。

 外は月明かりが差し込むだけで、静寂が満ちている。

 眠れぬ夜。ベッドの端に座り、手の傷を見つめた。

 刺客の刃を避けたときにできた浅い切り傷。

 レオンが自ら手当をしてくれたあとが、まだ残っていた。


 あのときの彼の顔を思い出す。

 怒りと焦燥と、ほんの少しの恐れ。

 彼もまた、戦場とは違う恐怖を知っているのかもしれない。


 ――コン、コン。

 扉が軽く叩かれた。


「起きているか?」


 レオンだった。

 寝間着姿のまま立ち上がると、彼が部屋の前に立っていた。

 軍装のまま、疲れの色を隠しきれない顔。

 それでも、私を見ると微笑んだ。


「すまなかったな。怖い思いをさせた」


「……怖かったです。でも、それ以上に……混乱しています」

「当然だ。誰もが信じていた国に、命を狙われるなんてな」


「殿下は……最初から、こうなると?」

「予感はあった。だが、ここまで早いとは思わなかった」


 レオンは窓辺に歩み寄り、夜空を見上げる。

 月が赤く染まりかけている。

 “刃の月”と呼ばれる夜――戦の前兆とされる不吉な月だ。


「この月が出る夜は、昔から血が流れると言われている。

 だから俺は、この夜を嫌う」


「それでも、戦い続けるのですか?」


「やめられないさ。守りたいものがある限りは」

 彼はそう言って振り返り、静かに笑った。

 その笑顔が、少しだけ苦しげだった。


「セリーヌ。君には選んでほしい」

「……選ぶ?」

「この国で“王子の婚約者”として生きるか、

 それとも、俺が密かに用意した逃亡路で自由を選ぶか」


 突然の言葉に、息が止まる。

 彼の瞳は真剣だった。

 どちらが正しいのか、判断できない。


「でも、私がここを去れば……」

「戦になるかもしれない」

「残れば?」

「君の自由は、完全には戻らない」


 彼は微笑んだまま、目を伏せた。

 その笑みは、まるで自分を責めているようだった。


「君を閉じ込めるつもりはない。

 ただ、君がいなければこの国の均衡は崩れる」


「私は……ただの一人の女です」

「違う。君は、未来を変える“鍵”なんだ」


 またその言葉。

 鍵――。

 なぜ彼は、そう言うのだろう。

 まるで、私が何か特別な“力”を持っているかのように。


「その意味を、教えてください」

「まだだ。今は、まだ早い」


 レオンが近づく。

 その距離に、息が詰まる。

 手が伸び、頬に触れる。

 指先が、かすかな震えを伝えてくる。


「君がここにいる限り、俺は何度でも守る。

 たとえ、この国全てを敵に回しても」


 その言葉の奥に、狂気にも似た熱があった。

 私は返す言葉を失い、ただその瞳を見返した。

 彼の瞳に映る私は、どこか他人のように見えた。


 ――私の中の何かが、少しずつ変わっていく。

 恐怖の中に、奇妙な安堵が芽生えていた。

 それが愛なのか、錯覚なのか、まだわからない。


 レオンが背を向けたとき、月が完全に赤く染まった。

 塔の鐘が鳴り、風が吹き抜ける。

 その風に乗って、遠くの方から何かの叫び声が聞こえた。

 警鐘だった。


「……外で何かが?」


 レオンの表情が一変する。

 次の瞬間、彼は剣を掴み、窓の外へと視線を走らせた。


「城壁だ。侵入者――!」


 その声と同時に、城の灯が一斉に赤く染まった。

 緊急の狼煙が上がり、遠くで角笛が鳴り響く。


「セリーヌ、離れるな!」

 彼が私の腕を掴み、引き寄せる。

 その瞳に映る月が、まるで血のように赤かった。


 ――“刃の月”の夜、すべてが動き出した。


第5話「赤い契約」につづく

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