第15話 王の前で誓う
王の間は、息を呑むほど静かだった。
天井の金箔細工が光を弾き、床の大理石には炎のような反射が揺れる。
その中央に、白金の玉座。
そこに座る男――アルスタリア王、レオンの父。
年老いてなお背筋は真っ直ぐで、その視線には氷のような鋭さがあった。
「……よく戻ったな、レオン」
その声は静かだったが、空気を裂くほどの重みがあった。
「陛下」
レオンは片膝をつく。
私もノアもその後ろに並んだ。
「“白花の庵”の件で、報告と弁明をいたします」
「聞こう」
王の目が、私たちを一瞥する。
その視線は、まるで“刃”のように正確だった。
議場の周囲には、評議の六柱と各国の使節、貴族たちが並んでいる。
そのすべての視線が、レオンと私に向けられていた。
ノアが一歩前に出て、記録の巻物を掲げる。
「まず、庵で起きた火災の経緯を報告いたします。
――火薬の成分は、王都軍備局のものでした」
ざわめきが広がる。
王の顔色は変わらない。
ただ、眉がわずかに動いた。
「その証拠を示せ」
「こちらに」
ノアは焼け残った導火線と、黒い刻印の札を捧げた。
王はそれを手に取り、細く息を吐く。
「……確かに王印だ。だが、これは誰でも模倣できる」
「いいえ、陛下」
ノアの声は静かだった。
「この札には“黒い根”の呪素が残っています。
王家直属の“印師”だけが扱える術です」
議場が凍った。
そして、ゆっくりと一人の男が立ち上がる。
金糸の外套、灰の髪。
――王太子だった。
「弟よ、また虚言を弄するか。
庵の火災など、すべて“庵の者”の過失ではないか?」
「兄上……」
レオンの声が震えた。
「貴殿こそ、なぜ“黒い根”を知っている?」
その瞬間、王太子の笑みが固まった。
わずかに唇が引きつる。
王が低く呟く。
「……黒い根。その名は、古き禁術のものだ」
ノアが頷いた。
「はい。かつて“亡国カルデア”で使われた術。
言葉を喰らい、誓いを反転させる魔。
――そして、私がその記録官です」
場内にざわめきが走る。
“亡国”。
滅びた国の名を口にすること自体が、禁忌に近かった。
王の目が鋭く光る。
「貴様、何のためにこの場に現れた」
「真実を記録するためです」
ノアはまっすぐに王を見た。
「この国が“誓い”を恐れて自らを偽るなら、
その記録を後世に残す。それが、私の職務です」
誰も言葉を発せなかった。
その静寂の中で、王の手がゆっくりと玉座の肘掛けを叩く。
「――レオン。
お前は、この“亡国の書記”と手を組み、禁術を再び呼び起こしたのか?」
レオンは顔を上げ、真っ直ぐ父を見た。
「違います。
俺は庵を守っただけだ。
“誓い”を武器にする国にしないために。
父上、あなたの築いた秩序が、人を黙らせている」
その言葉に、王の瞳がわずかに揺れた。
「黙れ。秩序なくして国は保てぬ」
「けれど、秩序だけでは人は生きられない」
沈黙。
私は、知らぬうちに拳を握っていた。
胸の奥で“白銀の印”が熱を帯びる。
「陛下」
私の声が、広間に響いた。
誰もがこちらを見た。
「私は、“白花の庵”の守護者です。
あの場所は、王のためでも、敵国のためでもない。
傷ついた人たちが“また信じる”ためにあるんです」
私は一歩前に進む。
「陛下が誓いを恐れるのは理解します。
けれど、“恐れること”は“否定”とは違う。
恐れてもなお、信じる力が、この国を守るはずです」
王の眉が動く。
「……信じる力、か」
「はい。
庵の花は、灰の中でも咲きました。
それを見たとき、私は思いました。
“誓いは焼けても、意味は残る”と」
広間の空気が変わった。
誰かが息を呑む音。
王の隣にいた王太子が、不快そうに笑う。
「美しい言葉だ。だが、言葉では国は動かぬ」
「だからこそ、誓いがあるんです」
私は胸の印に手を当てた。
「陛下の前で、もう一度誓います。
“この国を、庵を、言葉で守る”。
誰も、沈黙の中で死なせない」
その瞬間、白銀の光が走った。
広間の空気が震え、床に刻まれた紋章が淡く輝く。
“庵の誓い”が、王都に届いた。
王は目を細め、ゆっくりと息を吐く。
「……愚かで、美しい子らだ」
その声は、どこか懐かしげだった。
王は立ち上がり、玉座の下に降りた。
「レオン。
お前はもう、王族ではない。
庵の王子として生きよ」
レオンは跪かず、ただまっすぐに立って答えた。
「承知しました。
この名を、庵の人々に返します」
王の目が、私に向けられる。
「守護者、そなたに命ずる。
“誓い”を持つ者が再び暴走せぬよう、見張れ」
「はい」
ノアが最後に筆を動かす。
「――王の赦免を記録。
“白花の庵”、存続を正式に認めらる」
その筆の音が終わると同時に、王は背を向けた。
「……お前たちの“庵”が、国より長く続くことを願おう」
それが、父から息子への最後の言葉だった。
王都を出るころには、空が青く澄んでいた。
門前で、ノアが手帳を閉じる。
「やりましたね。国を壊さずに、心だけを揺らした」
レオンが微笑む。
「それがお前の“最悪で最速”か?」
「いいえ。今回は、“最善で最遅”です」
ノアが肩を竦める。
「時間をかけて、ようやく人が一人、変わった。
これ以上の記録はないですよ」
私は振り返った。
白い城壁の上で、王が立っていた。
その背に、風が吹く。
遠く庵の方向に向かって――まるで“誓い”を見送るように。
馬上で、レオンが私の手を握った。
「これから、どこへ行く?」
「庵に戻ります」
「そうか」
「でも、あなたは?」
「俺はもう王子ではない。
けれど、誓いを持つ男ではある」
その笑みは穏やかで、どこか少年のようだった。
「なら、一緒に行きましょう。
庵には、まだ咲いていない花がある」
馬が動き出す。
王都の風を背に、灰の大地へと続く道を進む。
空は高く、どこまでも白かった。
“誓い”のように。