第14話 裁定の城
王都は、美しすぎた。
白い石畳が陽を反射し、通りには香辛料と花の香りが満ちている。
けれど、その輝きの裏に、私は確かに“冷たい音”を聞いた。
――秩序の音。
誰かの心を削ってまで保たれる、人工の静寂。
「入城の記録を。名を」
門番が無表情に言う。
レオンが一歩前へ出た。
「アルスタリア第二王子、レオン=ヴァレンティア。
“白花の庵”の代表として参上した」
その声に、一瞬ざわめきが走った。
門番が視線を交わし、慌てて頭を下げる。
「……殿下、王議会は本日正午より。議場までご案内いたします」
ノアがそのやり取りを淡々と記録していた。
「王都の文官たちの“言葉の癖”が変わりましたね」
「どういうこと?」
「“お待ちしておりました”ではなく、“議場までご案内します”。
つまり、“歓迎”ではなく“監視”です」
私は息をのむ。
王都の空気が、ゆっくりと重くなっていく。
庵にいたときの自由な風が、ここでは一歩ごとに凍っていった。
“裁定の城”は、王都の中心にあった。
外壁は白い大理石、天井は高く、光が差すのにどこか暗い。
廊下に立つ兵の鎧が、息をするように鳴った。
私たちは案内され、広間へと通された。
その空間の中央には、半円形の壇があり、
そこに六人の貴族が並んで座っている。
彼らが“評議の六柱”――王政を補佐する最高議会の面々だった。
最上段に座る初老の男が、重い声で言う。
「アルスタリア第二王子、そして“庵の守護者”。
あなたがたは、本国の“不可侵律”を破った罪に問われています」
“罪”という言葉が、冷たく響く。
レオンは一歩前に進み、堂々と答えた。
「不可侵律を破ったのは我らではない。
むしろ、“不可侵”を守るために庵を建てた」
「では問う。“白花の庵”の火災は、誰の命令によるものか」
「敵国の陰謀によるものだ」
「証拠は?」
沈黙が落ちる。
ノアが前に出た。
「庵で発見された導火線の成分は、王都軍備局の火薬と同じものでした。
つまり、“敵国の陰謀”ではなく“王都の一部”による自作自演です」
議場がざわつく。
レオンがわずかに目を伏せ、口元を引き締めた。
――彼も知っていた。
“敵”は外ではなく、この国の中にいる。
六柱の一人が冷たく言った。
「その証拠は、あなたの言葉だけだろう?」
「いえ」
ノアは懐から一枚の札を取り出した。
それは灰色の札。庵の火の中で焼け残った唯一のもの。
「この符には、“黒い根”の刻印が残っている。
これは“王家直属の魔印師”しか使えません」
「――!」
議場に、一瞬だけ沈黙が走った。
その沈黙の重さが、すべてを物語っていた。
裁定はすぐには下されなかった。
評議は一度休会となり、私たちは“待機室”と呼ばれる部屋に通された。
窓の外に王都の庭園が見える。
人工の花が咲き、鳥の声すら作り物のようだった。
レオンが椅子に腰を下ろし、額を押さえる。
「……予想どおりだ。
“影の誓い”を仕掛けた者が、王都の中枢にいる」
「でも、庵の証拠を出したのは大きいです」
「いや、あれは逆に“火種”になる」
ノアが扉際で低く言った。
「王都は“誓い”を恐れている。
力を持つ者が言葉を使うと、体制が揺らぐ。
あなたたちの“誓い”は、人の心を動かした。
それが最も危険なんです」
私は拳を握る。
「それでも、“守る”ために誓いました」
「わかっています」
ノアは微笑んだ。
「だからこそ、“最悪で最速”の策を準備しています」
「……またその言葉」
「最悪の手段を、最速で使う。それが僕の流儀です」
彼は窓の外を見た。
「今夜、評議の一人が“裏の契約”を結ぶ。
庵を潰すための“黒い会談”。
そこに僕たちが先に“入る”」
レオンが立ち上がる。
「罠の中へ自ら?」
「罠の“設計図”を盗むんです」
ノアの目が細く光る。
「それが、僕の仕事――“亡国の記録官”の務めです」
夜。
王都の裏街区。
石畳の奥に、古い教会があった。
外観は閉ざされているが、扉の隙間から灯りが漏れている。
ノアが囁く。
「ここが“黒い会談”の場所です。
殿下、守護者、準備を」
彼の手には、黒い羽根。
「これは“影の筆”。
これで書いた言葉は、目に見えないまま真実を記録します」
レオンが剣の柄に触れ、静かに頷く。
私は息を整えた。
“音”が戻ってきている。
庵の鼓動が遠くで鳴る。
私の中の誓いが、再び呼吸をしている。
扉の向こうから、声が聞こえた。
「――庵を潰せば、王国は統一される」
「守護者など一人殺せば済む」
「だが、殿下が邪魔だ」
ノアの筆が宙に動く。
透明な文字が、空気の中で記録されていく。
“裏切りの証言”。
王都の権力者たちの本音。
だが、扉が軋んだ。
中の気配がこちらを察した。
「誰だ!」
レオンが一瞬で動いた。
剣を抜き、私の前に立つ。
影の中から兵が飛び出す。
鉄の音。火花。
私は掌を掲げ、白銀の印を解放した。
――“庵の誓い、ここにも届け”。
光が走る。
狭い教会の中で、黒い影が弾かれ、壁に叩きつけられる。
声が途切れ、沈黙。
ノアが床に落ちた書簡を拾い上げた。
「……これで十分です。
評議の裏契約書。これを明日、議場に出す」
私は息を吐いた。
レオンが剣を収め、静かに笑う。
「やっぱり、お前は危険だな」
ノアが肩をすくめる。
「僕が“記録する”のは、真実だけです。
ただし、真実は時に――国を壊す」
夜が明けた。
王都の空が、赤く染まっている。
新しい“裁定の日”。
私は庵の白花を胸に飾り、壇上へと向かう。
レオンはその隣で、まっすぐに前を見据えていた。
ノアは灰色の筆を持ち、記録を始める。
この日、
“白花の庵”の名は、
初めて王の前で呼ばれることになる。