表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/18

第13話 約束の灰

 灰はもう冷たくなっていた。

 火を飲み込んだ庵の跡地に、朝の風が流れている。

 焦げた木々の隙間から、新しい芽が覗いていた。

 その緑はまだ弱く、頼りない――それでも、確かに生きていた。


「……灰の中から芽が出るなんて」

 呟いた声に、ノアが応える。

 「“庵は死なない”という言葉は、ただの比喩じゃないようですね」


 彼は杖を地面に突き、灰を掬い上げた。

 「灰は“誓いの残滓”。

  誰かが何かを信じていた証です。

  あなたたちが燃やしても、消えない。

  むしろ、それを養分にして次が生まれる」


 私はその灰を見つめながら、胸の奥で光を感じた。

 ――白銀の印。

 再び誓ったときに刻まれたもの。

 それは“守る”ための力ではなく、“繋ぐ”ための灯火だった。


「ノア、あなたはそれを知っていたんですね」

 「ええ。最初から、“庵は一度燃えなければ再生しない”と」

 「酷い話です」

 「でも、よくある話ですよ。――国も、人も」


 風が吹き、灰が舞い上がる。

 ノアの瞳が一瞬、遠くの光を映した。

 その目の奥には、私の知らない何百もの記憶が沈んでいるように見えた。


 昼、庵の鐘が鳴った。

 レオンが丘の上から戻ってくる。

 手には封筒。王都の印章。

 封蝋は金色――“召喚状”。


 「やはり来たか」

 ノアが息を吐く。

 「王都から、“庵の裁定”を求められました」

 「裁定?」

 「“庵の存在が国家秩序を乱すおそれがある”――そんな名目ですよ」

 彼は淡々と告げた。


 レオンが封筒を机に置き、私を見た。

 「行くしかない。

  庵を守るには、“正義”を見せねばならない」

 「でも、王都はあなたを――」

 「知っている。俺を“裏切り者”として見ている。

  けれど、俺が出なければ庵は潰される」


 私は唇を噛んだ。

 あの夜、彼の中に宿った“影の誓い”が消えたあとも、王都にはまだ“赤い根”が残っている。

 庵を敵視する派閥。

 “王太子の影”――彼らはきっと、この召喚を仕掛けた。


 ノアが静かに言う。

 「殿下、王都に入るなら、庵の“守護者”を名乗る必要があります。

  “庵を建てたのはあなた”という証を示さねば、

  “庵を焼いたのもあなた”と決めつけられる」


 「つまり、私も同行するんですね」

 「当然です」

 レオンが微笑んだ。

 「庵の守護者が沈黙すれば、すべての誓いは嘘になる」


 私は頷いた。

 庵を離れることへの不安はあった。

 でも、それ以上に、あの灰の中に芽生えた“新しい花”を守りたかった。


 出発の朝。

 庵の人々が門前に集まった。

 子どもたちが小さな花束を差し出す。

 白い花と灰色の葉。

 「守護者様、これ、庵で咲いた花です!」


 その花を受け取った瞬間、指先にかすかな温もりが伝わった。

 庵は生きている。

 “行ってこい”と、背中を押すように。


 レオンが馬を引き、私の方を見た。

 「帰ってこい。

  庵は、もう一度燃えなくていい」

 「はい」

 短い返事が、風に消える。


 ノアは最後まで庵を見下ろしていた。

 「本当に不思議な場所ですね。

  “灰を憎まない土地”なんて、そう多くはない」


 王都までの道は、かつてより静かだった。

 街道沿いの村は、庵の噂を聞いて安堵の色を見せる。

 “庵は復活した”“花が白に戻った”

 “守護者が王子を救った”――噂は形を変え、風に乗っていた。


 ノアが馬上で呟く。

 「噂の“形”を操るのは簡単ですが、

  “温度”を操るのは難しいんです。

  温度――つまり、人がどんな気持ちでそれを信じるか。

  あなたたちの噂は、“安堵の温度”を持っています」


 「それは良いことなんですね?」

 「ええ。噂は刃にも盾にもなる。

  “安心”で広がる噂は、刃に変わらない」


 彼の言葉がどこか優しく響いた。

 ノアの口調がこれほど柔らかくなるのは珍しい。

 彼の中にも、灰を憎まない何かが残っているのかもしれない。


 三日目の夜。

 王都の灯が遠くに見えた。

 だが、その光はどこか冷たかった。

 庵の焚き火とは違い、そこには“管理された明るさ”があった。


 宿営地に火を焚き、三人で食事をとった。

 ノアは手帳を開き、なにかを書いている。

 レオンは剣を膝に置き、黙っていた。

 私は焚き火の炎を見つめながら言った。


 「レオン。

  もし裁定があなたを罪人にするとしても、

  庵はあなたを裏切りません」


 彼は微かに笑った。

 「裏切られても構わない。

  お前が俺を信じてくれれば、それで十分だ」


 ノアが焚き火の向こうで手を止めた。

 「……信頼って、危険ですよね」

 「どうして?」

 「人は信じた相手に裏切られたとき、

  “信じた自分”を一番に憎む。

  だから、“信頼”は最も美しくて、最も毒なんです」


 その声に、レオンも私も黙った。

 ノアはペン先を火にかざし、さらりと続けた。

 「けれど、それを知ってなお信じる者だけが、

  “誓い”を持てる。

  私は――その瞬間を記録するために生きている」


 彼の瞳に、炎が映った。

 その光はまるで、“亡国の灯”のようだった。


 夜半、私は眠れずに外に出た。

 空には薄雲がかかり、月がぼやけている。

 丘の上で、レオンが一人立っていた。


 「眠れないの?」

 「王都の風が懐かしくてな」

 彼は微笑んだ。

 「この匂いを嗅ぐと、子どもの頃のことを思い出す。

  剣の稽古のあと、王都の庭で母上と花を見た」


 その笑顔は優しかった。

 でも、その奥に痛みがあるのを感じた。

 「レオン、あなたは……帰る場所を失ったんですね」

 「いや、見つけたんだ」

 彼の手が、そっと私の指に触れた。

 「庵が、それだ」


 言葉が胸の奥に染みた。

 庵は“場所”ではなく、“誰かの心”でできている。

 その夜、私は初めて涙を流した。

 悲しみではなく、温もりの涙を。


 翌朝。

 王都の門が見えた。

 金色の尖塔が陽を反射し、白壁が光を弾く。

 荘厳で、美しく、そして――冷たい。


 衛兵が槍を交差させる。

 「アルスタリア第二王子、レオン殿下。

  王都より召喚の命、確かに受領しております」

 「庵の守護者と記録官を同行する」

 「承知いたしました。――ただし、庵の者は武器の携帯を禁ず」


 私の腰の短剣が取り上げられた。

 ノアが淡々と記録を取る。

 「すべて予定通りですね」


 レオンは私に目配せをした。

 「怖いか?」

 「少し。でも……もう、燃えるものはない」


 王都の門が開く。

 眩しい光。

 その中へ、私たちは進んだ。


 庵の灰の中で芽吹いた白花が、

 遠く風に揺れている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ