7 佐助。キレる
溜まりに溜まった人足の不満が爆発するのにそう時はかからなかった。
新月の暗闇で仲間が足を踏みはずし大怪我を負った。
本来新月や曇りの夜は篝火を増やすのだが、ケチったのか、いつも通りの数だった。
「お前の不注意だ。この役立たずが!」
酒に酔った足軽小頭が唾を飛ばし、怪我人を罵倒する。
「虎さあ、すまん。我慢の限界だわ。彼奴等ぶっ絞めて辞めてやる」
佐助は天秤棒を抜き取ると小頭に近づいて行った。
「なんだ⁉ やるって言うのか」
足軽が小頭を庇うように前に出た。
「ああ、辞めさてもらうわ。今までの礼だ。受け取れ!」
天秤棒は太く重いが、佐助は滑らすように突き出し足軽の鳩尾にきまった。
「うげっ」
足軽は声をあげ膝から崩れ落ちた。
足軽が二人、怒声を発し佐助に躍り掛かる。
左より大きく弧を描いて佐助の顔面めがけ棒が打ち下ろされた。
これに合わせ下段より棒が突き出される。
息のあった連携業だ。
振り降ろされた棒に気を取られれば、もう一人に下段から下腹部を突かれる。
武者と戦うための集団戦法であろう。
咄嗟にこれが出来るとなると、かなりの場数踏んだ足軽だ。
佐助は一歩前に踏み出すと、突き込んでくる棒を天秤の先で弾き流し、その反動で振り降ろされた棒を受け止めた。天秤棒の重さを利用した無駄のない動きだ。
留守居部隊だったと言っていたが、なかなかの腕を持っている。
「なにをしておる! かまわぬ、逆らう者はぶち殺せ!」
小頭が刀を抜き放ち佐助を指し喚いた。
騒ぎを聞いて足軽四人が駆け付けて来た。
手には素槍を持っていた。
東の空が明るみだし、佐助の横顔もはっきりと見えた。
落ち着いていると思っていたのだが佐助は顔面蒼白、額に粒のような汗を浮かべていた。
甲冑も纏わず四人の足軽に槍で取り囲まれているのだから無理もない。
(しかたねえ。江戸を払う潮時だ)
春虎は六尺棒を拾い上げると佐助の横に並んだ。
「てめえもやるのか!」
足軽らは横に広がり春虎を睨んだ。
佐助は気を取り直したのか頬に朱を取り戻している。
何かモゴモゴといったが口が渇いているのか、くぐもった声でよく聞き取れなかった。
すまないと言ったようだ。
(さて、どうする)
棒を立てると春虎の頭の高さより少し高い程度だ。
普段戦場で使いなれている笹槍の一間半(約二・七メートル)と比べればかなり短い。
(よし!)
春虎は立てた棒の天辺を握ると左側の足軽に躍り掛かった。
突き出された槍の柄を狙った打ち込みだ。
槍先が地面に突き刺さり、バキッと音を立て柄が折れた。
春虎は棒を首筋に叩き込む。
棒とはいえ本気でやれば殺してしまう。
かなり手加減を要したが上手くいったようだ。
春虎の動きは速い。
白目を剝いて倒れ込む足軽を避け、隣の足軽の横腹を突いた。
横からの攻撃になす術もなく隣の男は悶絶して地に崩れ落ちた。
「まだやるか! 徳川の槍とはこの程度か! 次は手加減せぬぞ」
春虎の一喝に二人の足軽はじりじりと退く。
が、止める様子はない。
(小頭をぶっ倒して逃げるか)
これだけの騒ぎを起こせば春虎も佐助もただでは済まない。
逃げるにしても小屋に置いてある荷物を回収したい。
苦労して稼いだ銭があるのだ。
「佐助さぁ、手早くぶっ絞めて逃げるぞ」
「お、おおっ」
佐助は春虎の早業を目の当たりにして茫然としていていたようで、我に返ると六尺棒の足軽二人に詰め寄った。
(槍は俺かよ⁉ ま、いいわっ)
春虎は槍足軽の背後にいる小頭を睨め付けた。
ジリッ、ジリッと距離を詰める。
最早勝敗は決している。
槍足軽も小頭も春虎の気迫に押され及び腰なのだ。
「やめんか! たわけどもがっ!」
何時からいたのだろう、羽織姿の武士が立っていた。
普請役人だ。
「江戸総奉行配下、神谷庄左衛門である。このような騒ぎを起こし只では済まんぞ」
足軽らは慌てて獲物を捨て拝跪した。
周りの人足や佐助も倣って土下座をしたが、春虎は拝跪をせず頭を下げた。
敵か味方か分からぬ者に膝をつく訳にはいかない。
敵とわかれば、惜しい事だが銭さえ捨てて逃げ出すつもりだった。
「こ、この人足らが騒ぎを起こしました。こいつらが悪いのです」
小頭がうろたえながら訴えた。
神谷の眼が春虎に向けられた。
浅黒い肌の精悍な顔つき、三十ぐらいか。
「たわけぇが! 駿河の新参者が好き勝手やりおって。たった斬るぞ! くおらあ」
割れ鐘のような声で、小頭を怒鳴りつけた。
「もももも、申し訳ござりませぬ」
小頭は頭を地べたに押し付け悲鳴に似た声を出した。
何故だか神谷の眼は春虎を睨んだままだ。
「すまぬ。新領地に赴いていて監視がおろそかになった。この者らはきつく罰しておくゆえ勘弁してくれ」
素直に頭を下げる神谷に戸惑いを感じた。
武士と人足、身分の差は雲泥なのだ。
人足などに頭を下げる武士にお目にかかったことなどない。
「事情を聴きたい。二人とも俺についてこい」
腹蔵があると思ったが、普請役人に逆らえるはずもない。
佐助と共に神谷について山を下りた。
普請場に来て三カ月、初めて城の近くまで入れた。
海岸付近とは違い既に建物も多く建ち並び道も整備されている。
塀や門は建築中のようだが瓦葺の乗った屋敷まであった。
「ここだら」
門も塀もない広大な敷地に粗末な板屋根小屋が並んでいて、奧には屋根の乗ったばかりの建物が見える。
役人宿舎ではない。
おそらく神谷の主君の屋敷だ。
神谷は二人を小屋にいるように命じいなくなった。
槍を持った男二人が戸口に立っている。
見張りだろう。
「まずいぞ。榊原式部大夫様の御屋敷だ。こ、殺されるかもしれぬ」
佐助はおびえたように呟いた。
春虎は首を振った。
神谷は最初に江戸総奉行配下を名乗り普請小頭の横暴を詫びている。
何かあるとは思うが、わざわざ屋敷に招き入れ殺すことはないだろう。
「俺は眠くてかなわねえ。ひと寝りするわ」
春虎は板の間に大の字になった。
「うん。まあ。成るように成るか」
佐助も覚悟を決めたようだ。
榊原式部大夫といえば、家康の股肱の重臣で、先手衆を務めている。
伝手とするには最高の家臣だろう。
春虎にとっては好機到来であった。
どの位寝たのだろうか、周りから槌や鋸の音が聞こえてきて目が覚めた。
普請作業が始まったのだ。
「おい。出ろ」
戸が開けられ二人は外に連れ出された。
五人の槍を持った足軽が前後を固めている。
「おい。事情を聴くのではないのか。どこに連れて行くつもりだ」
佐助が抗議するも足軽たちは無言である。
資材置き場をぬけ、広場に連れ出された。
「おまんら浪人だら。ちと、わしにつき合え」
神谷は穂先の代りに丸い布がついた槍を持っていた。
たんぽ槍だ。
「お、お待ちください。我らを連れて来たのは人足頭との諍いを吟味するためでは」
「そんなんいいだら。悪いのは奴らだ。あわてて雇った新参者に碌なもんがおらんのよ」
笑顔を浮かべるが、二人に向ける視線は刺すように鋭い。
「おまんら、うっとこに来る気はないか」
「えっ⁉」
佐助が驚きの声を発した。
榊原政康は新領地館林十万石を拝領している。
仕官先には申し分のない相手だ。
「安くは売れませぬが、仕官先を探しております。お求めとあらば、吝かではありませぬ」
春虎は佐助の言い草に感心した。
飛びついては微禄で召し抱えられても馬鹿らしい。
かといって待ちに待った機会を手放す気はないらしい。
「それは腕次第だら」
大幅に領地の増えた武将らは縁故のからの新兵補充では間に合わず、武田や今川の旧家臣を召し抱えていた。
榊原家も同様だが、人足小頭のようなどうしようもないクズが混ざっているため、神谷は苦悩していたらしい。
二人は空き地の真ん中に移動し槍を立て向かい合った。