6 春虎。友を得る
「情けねえ話だが、真っ先に門を開いて降伏したのは事実だ」
小屋に戻る道々佐助は己の事を語った。
「せめてひと当てしていれば、百姓などに馬鹿にされることもなかたんだがなあ」
佐助は二十九歳。
見かけと違い以外に若く玉繩村に妻子がいて、二町畝ばかりの田畑を持っているらしい。
兵農分離の進んでいない関東ではどこにでもいる農民とも武士ともつかぬ、村役を兼ねた地侍だと思っていたが、城務めの武士だった。
領主は北条一門の北条左衛門大夫氏勝で関白秀吉とのいくさでは九百騎を引き連れ伊豆の山中城に籠り戦ったが、佐助は玉繩城の守備部隊で山中城には行っていないのだという。
「山中城は奮戦虚しく落城したのだが、その後が情けなかった」
佐助は悔し気に顔を顰めた。
山中城は七万の豊臣軍に囲まれながらも一柳伊豆守直末という六万石の武将を打ち取っている。
しかし、兵力の差は如何ともしがたく、城主松田康長は戦死、城は落ちた。
北条氏勝は運よく落ち延びる事が出来たが、味方の籠る小田原城を素通りして己の居城玉繩城に帰ってきてしまった。
裏切ったと言われても仕方がない行動を取ったのだ。
山中城を落とした豊臣軍は間髪を入れず、小田原城を包囲、玉繩城にも徳川軍が押し寄せてきた。
「いよいよいくさだ。目に物の見せてくれる。そう思っていたんだがな」
山中城の奮戦を聞いた留守居部隊は闘志を掻き立てた。
その空気を機敏に察知したのか、徳川軍は近在の古刹の住職を使者にたて降伏を促してきた。
「実にあっさり開城したのだ。それがしでさえ、本当に裏切ったかと疑うほどに、あっさりと降伏した」
北条氏勝は、あろうことか上総や下総の道案内を買って出て、北条方の降伏の使者まで務めたのだという。
「いくさに負けたのだ。主替えも仕方あんめえ。そのお蔭であんたも生きている」
春虎はわざと辛辣な言葉を吐いた。
氏勝は降伏することにより家臣や領民を守ったのだ。
佐助が追い払われることもなく、百姓として生きて行けるのは、そのお蔭だろう。
父のように武門の意地を貫き通し、徹底抗戦の挙句、母や妹、家臣まで道連れに城に火をつけ自刃するよりは、恥を晒してでもしぶとく生き残る方が、余程力がいるはずだ。
「まあ、それはそうなのだが、嫁が怒り心頭でな。重臣の娘など貰うものではないな」
「あんたの嫁が?」
「無抵抗開城など再仕官の障りになる。お殿様は家臣の末を案じていないと、な」
「仕官するために、普請場にきたのか⁉」
「ああ、なにせ殿はいまだ徳川の客将扱いだ。嫁が百姓は嫌だというし、頼る伝手もない。ならば普請場で家来を欲しがっている殿様でも探そうと思っての。そなたもそうじゃろう?」
春虎は少し嬉しくなった。
嫁に尻を叩かれ仕官先を探しにきた佐助に親近感を持った。
「いや、俺は違う。手間取の百姓だ」
春虎はうつむいてちからなげに言った。
本当のことは言えない。
佐助のように仕官先を探すだけならどれほど気楽なことか、つくづく羨ましくなった。
「いやいや、隠さなくてもいい。どうだ、互いに知り得た情報を交換せぬか」
春虎は承諾した。ある考えが浮かんだのだ。
江戸には佐助のように徳川に仕官を望む廃家になった家臣たちが大勢入り込んでいるらしい。
急に大身となった徳川の重臣たちの中には、石高に見合った兵数が不足している者がいる。
現に雑兵、足軽ならいくらでも口はあったと佐助はいった。
まずは足軽あたりで使ってみて雇うに相応しいかどうか確かめるつもりなのだろう。
ならば、仕官を口実に徳川の武将と面会し、武将を通し家康に渡りを付けてもらうこともできるかもしれない。
現場で機会を窺うより、よほど可能性はある。
春虎は佐助に巡り合ったことを好運と思った。
しかし、この約束はこの日の内に反古となった。
「おまんは今晩から夜の作業だら。飯屋で大層揉めたそうだな。罰だら」
春虎は止めに入ったのだ。
罰せられる理由がない。昼の現場でさえ身分の高い武士に会えないのに、可能性すらなくなってしまう。
「知らんがね。決まったことだら」
取り付く島もなく春虎を夜間作業の人足小屋に追い立てた。
(こりゃ、もう無理だ。府中に帰るか‥‥)
諦めにも似た気持ちが湧いて来た。
もし、夜間作業人足小屋に佐助が居なければ、春虎は諦めて帰っていただろう。
「おお、虎之介さぁも罰をくらったか。すまぬなあ」
「あれ、佐助さぁもか。こうなったら、例の件はむりだっぺな」
春虎は百姓を装い続けた。
北条の元家臣だけなら気を許してもいいのだが、出自不明のものが混じっていた。
警戒に越したことは無い。
「雨の日もあるべ。俺はまだあきらめてねえぞ」
佐助は意図を汲み取ったようで、土地の言葉を使った。
帰郷を考えていた春虎であったが佐助に言われると、なら俺もと気を変えたのだ。
その晩より二人は夜間作業に従事した。
小高い丘を切り崩し、干潟を埋める作業だ。
干潮時に土を盛るだけではない。
山の樹木も大切な資材で、枝や幹の置き場は決まっており、根さえ掘り出し燃料や灯りとしていた。
作業は薄暗くなった頃より始まり、先ずは掘り出した土を海岸に運び貯め、潮が引いたら干潟を埋めていくもので、常に二人一組になって、畚を担ぎ行うものばかりだった。
春虎は佐助と組んだ。
潮が満ちて来ると土運びは終わり、切り倒した樹木を担ぎ降ろす作業になる。
どれもこれも、きつい仕事で、篝火があるとはいえ、かなり暗く二人の息が合わなければ危険な作業だった。
幸い佐助とは息も合い、互いに励まし合い作業をこなしていった。
「お前ら、作業が遅れてるぞ。お殿様も怒りだ。今日より賃金は八十文だ。よいな」
十月の半ば、新しく代った人足頭が小屋に来て怒鳴り声をあげた。
自分の殿様の拝領地が決まれば江戸普請に就いている足軽たちも行ってしまう。
監督者の足軽はコロコロ変わった。
今度の人足頭は四十過ぎの痩せこけた男で、今までの男より更にたちが悪く、賃金の値下げに不満の声があがると、六尺棒を突きつけて、
「殿様に逆らうのか? 辞めてもいいんだぞ。おおっ」
薄笑いを浮かべながら、脅してくる始末だった。
この足軽の言う殿様というのが、自分の領主を指すのか、
はたまた作事方なのか、その所在さえ不明だ。
「なんだ、あの言い草は! 俺らを何だと思ってやがる。ぶっ絞めて、辞めてやるか」
流石の佐助も頭に来たようで、真っ赤な顔をして怒りを表した。
足軽風情に搾取されながら働いているのが馬鹿らしくなったというのが本音だろう。
しかし、佐助は辞めなかった。仕官を諦めて家に帰る度胸はないらしい。
夜間作業になってひと月以上、予想通り、全くといっていいほど武士らしき人物に遭遇しなかった。
春虎は佐助とともに頭を抱えた。
その上、晩秋となり冷たい海風が吹き付ける季節が到来すると足軽らの態度は日増しに悪化した。
足軽たちは、現場で火にあたり一歩も動かず、夜間をいいことに酒を飲み、酔いが回ると口穢く人足を怒鳴り散らし悦に入っているのだ。