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3 治平。困る

治平は竈から鍋を取ると框をあがり、火のついていない囲炉裏に吊るした。

「将監さま。よろしいのですか」

囲炉裏端に座り込み、厨から勝手に持ってきた酒を飲んでいる春虎に話しかけた。

 

本来なら下人の与平が口をきくことなど許されない身分だ。

当の本人が全く気にせず、友垣のように接してくれるのは嬉しいが、御屋形様の誘いを蹴って下人長屋で酒を飲んでいるのだから、家来衆に咎められるのではないかと気が気ではないのだ。

 

「うお。おきぬ、この茄子美味えなぁ」

蠅でも追い払うように手を振ったあと、竈の横で漬物を切る女房に声をかけた。

「んだっぺ。生姜をすってかけてんだ。お虎さま好きだっぺ」

 

与平は口だけ動かしおきぬを睨んだ。

何度注意しても言葉遣いを改めない。

いくら童のころからの知り合いでも、与平からすれば雲の上の人物である。

お虎さまなどと呼ぶのもやめてもらいたい。

だが、困ったことにこの御蔭で下人仲間に一目置かれている。


与平は三十四歳。二十五歳の頃、戦で脚に怪我をしている。

歩くのは常人と変わらないが、長く走ることができない。

戦に出ない下人として城に置いてくれたのは戦で負傷したための温情だろう。

小作百姓の三男で実家を頼ることも出来なかったから涙が出るほど感謝した。

おきぬと所帯を持ったのは四年前である。


おきぬは同じような小作百姓の娘で、一度嫁いだものの子が出来ず、離縁され城の下女として働いていて顔見知りとなり一緒になった。

将監様と知り合ったのも丁度その頃だ。


おきぬがお虎さまとに合ったと興奮し、与えられた下人長屋に駆け込んできたのだ。

お虎さまとは誰だと問うと、里の名主様の身内だという。

おきぬが子守として五年間面倒を見たらしい。

名主の一族なら城に入っても不思議な事ではない。

名主は百姓を束ねる里の侍なのだ。

ただし、家臣衆の中では身分はそう高くない。

普請方の下役あたりなら駆り出されたときに話すこともあるだろうと気にも留めなかった。


「おまえが、おきぬの亭主の治平か? 三村左近将監だ。まあ、よろしく頼むわ」

三の郭の修繕に駆り出されたとき、、おきぬが言っていたお虎様に声をかけられた。

「へい」

振り向いた与平は腰を抜かすほど驚いた。

下人ばかりではなく家臣衆も跪いていたのだ。


与平も慌てて跪こうとした。

「あっ、いい、いい。邪魔して悪かったな」

傍らの普請頭にそう告げると、またな。と与平に言って去って行った。


与平は何故知っていると詰め寄る普請頭に、逆に誰なのかと聞いて、

「御屋形様の御従弟であられる三村さまだ。おまえ知らぬのか?」

と、呆れさせた。


与平も名前だけは知っていた。

三村城主の遺児で、十三歳で城下の商家に押し入った賊を打ち取り、後継者として御家老様の竹原城に迎え入れられたという逸話があったのだ。


「お虎様は、三村大掾左近将監様だ。おめえ、めったな口をきいちゃなんねえぞ」

長屋に帰るなり与平はおきぬに言い聞かせた。

名主に預けられていたころとは、身分も立場も違うのだ。

「名主様の身内でも、御屋形様の御従弟様でも、お虎様はお虎様だ。それでいいと言われてる」

おきぬは頑なに改めようとはしなかった。

将監様も笑いながら話しているところを見ると、それでいいのだろう。

下人仲間から戦に出ないことで見下されていた与平が、一目置かれるようになったのはこのためだった。

有難いことだが、家臣衆の眼が気になるのも事実だ。


「おきぬもこっちで食え。ほお、味噌仕立てか。旨そうだ」

瓜の古漬けの入った椀を持ってきて、おきぬは囲炉裏端に座った。

初めから一緒に食べるつもりだったようだ。


「与平もおきぬも先ずは飲め。中々いい酒だ」

瓶子を掴むと椀に注ぎ、差し出した。

与平のような下人が飲む事など出来ない上等な酒だ。


「まぁた、御屋形様の酒をくすねて来なすったか」

「これ!」

与平は慌てておきぬの袖を引いた。

瓶子を抱えて入ってきたときから、厨から持ってきたことは気づいていたのに、わざわざこの場で言いだすのには意図がある。

将監様を揶揄うつもりなのだ。


「何をゆう。御屋形様が用意した俺の分だぞ。どこで飲んでも同じだろう?」

将監様は屈託のない笑顔を浮かべた。

おきぬとの会話を楽しんでいるようにみえた。

「あははは。叔父上様方の分だっぺ。だからいつも叱られるんだ」

名門大掾一族の侍大将と下人の女房の舌戦は、傍から見れば百姓の茶飲み話のようだ。

互いに揶揄いながら、笑い声をあげている。


(やれやれ、ワシなど立ち入れぬ縁があるんじゃろ。好きにさせておくか)

溜息を吐きながら酒を口に含んだ。


「やっぱ里の山鳥はうめえなあ。これに茸いっぱい入れるのがお虎様すきだったぺ」

おきぬは酒そっちのけで鳥鍋に舌鼓を打っている。


「おきぬ。里に帰る気はないか。源左衛門が今度は南側を開拓するらしい。新田開拓が進めば田一町歩のほか周り山林三反歩がもらえる。どうだ。与平」

粟谷の里は沼地が多く新田開拓を盛んにしていた。

名主源左衛門の小作であったおきぬの実家も新田を貰い自作百姓となっている。

夢のようないい話だが二人は黙り込んだ。


下人として城に仕えているより余程先はあるだろうが、新田でまともに米が採れるようになるには三年を見なければならない。

住む家も必要だし、農具も揃えなければならない。

わずかな貯えでは追いつかないほどの銭がかかるのだ。


「銭の心配ならいらないぞ。源左衛門が面倒みるそうだ。刈り入れが終ったらすぐ始めててえらしいが、急なことで百姓が見つけられないらしい」

「名主様が、おらたちの面倒見て下るのか!」

おきぬが喜びの声を出した。

 

「行く気になったか。なら、来年は茸いっぱいの鍋が食えるな」

与平は春虎を不思議そうに見つめた。

新田開拓の百姓にそこまで優遇する名主など今まで聞いたことがなかったのだ

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