27 雪。知る
雪は建屋の納戸に飛び込み長持ちの蓋を開けた。
来たばかりの頃、あちこち見廻って見つけた長持ちだ。
中にはこどもの着物が一杯入っていた。
雑巾にでもしようと貯め込んでいたのだろう、擦り切れや継ぎ接ぎがあり埃や黴で汚れていて、幾つもの虫に食われた穴が開いる。
手に取ると少し臭ったが我慢して小袖、袴に着替えた。
長い髪は背中に垂らし襟でわからないようにして、転がっていた突っ張り棒を手に庭に下りた。
寅寿丸は庭の奧で幹を突いていた。
コツッ。コツッ。と小気味のいい音が響いて来た。
雪も真似して小さな若木の葉っぱを突いてみた。
上手く葉っぱに当たらない。
何度か繰り返すうち当たったものの、葉っぱは落ちず揺れるだけだった。
「ただ、突いただけではだめだ。突いたらすぐ引き戻し、また突く」
夢中でやっていたのだろう、寅寿丸が横に来ていたことに気づかなかった。
言われた通りに、突いては引き戻しまた突く事を繰り返したが、葉っぱには掠りもしない。
「当たらなくてもかまわねえ。繰り返すことが大事だ」
なんとか葉っぱを散らし雪は座り込んだ。全身汗だらけだった。
「もう疲れたか。鍛錬が足りねえな。ところでお前は誰だ?」
目の前に寅寿丸の顔があった。
優しい笑顔だ。
「雪丸と申します」
咄嗟に嘘を吐いた。
女だとわかれば遠ざけられる。
「雪丸? 勘定方の子か? それとも郡方か?」
「……」
答えようがなかった。
城に居る雪くらいの男の子は勘定方と領地周りの郡方の子供数人しかいない。
寅寿丸は城主の甥だ。
勘定方や郡方の子が気軽に近づける身分ではない。
「まあいい。父御が許せば明日も来い。槍を教えてやる」
「はい!」
その日から二の郭建屋の縁側の隅にいくのが楽しみになった。
春虎が庭にでてくると、急いで納戸で着替え槍を習った。
城に来てから初めて楽しいと思えた。
雪の変化に気づいたのは、寝たり起きたりの日々を送る母だった。
「毎日、二の郭で何をしてるのです」
雨で鍛錬ができず、仕方なしに部屋にいたとき母が聞いてきた。
「二の郭の書庫で文字を習っております」
前から考えていた嘘だった。
二の郭には書庫があり毎日ではないが糸姫や綾姫が手習いをしていた。
雪でも読める書物もあったが、一度顔をだしたきりで縁側の隅に居場所を見つけ行かなくなったのだ。
「そう。もう雪は大丈夫ですね」
母も夫や城を失い気鬱になっていのだが、幼い雪にはわからなかった。
半月ほど過ぎたある日、春虎が来たので急いで着替え庭にでた。
「おう。雪丸来たか。でも、庭での鍛錬はしめえだ。叔父御に叱られた」
見渡せば庭の樹木が何本も枯れている。
流石に城主も止めさせたのだ。今までほっといたのが不思議なくらいだ。
「なあに木なんか、その辺に一杯あらぁ。雪丸。ついて来い」
二の郭の庭を後にして、三の郭に入ると様子を窺がい建屋の裏側の崖下を進んで行く。
崖上の一の郭には城に来たときに上がったことがあるが、三の郭は初めてであった。
(一体三の郭のどこに向かっているのだろう)
雪は不安になった。
敷地が終わり崖と塀のわずかな隙間を春虎はすり抜けた。
あわてて雪も続いた。
「どうだ。いい眺めだろう」
眼下に広い田んぼが見えた。真ん中を川が蛇行しながら南に流れている。
周りは鬱蒼と茂った森で、それがどこまでも続いているのだ。
「下流に少し行けば、香澄の海だ」
雪は海を見たことがない。
こんな田んぼの先にあるとは思えなかった。
「外海はずうと東だが、海があるのだ」
手を広げ人差し指を曲げ、ここに流れ込んでいると言った。
府中城の崖下を流れる国府瀬川もつながっいるのだそうだ。
「こっちの方は上総国だぞ」
小指である。
高い山こそないが、高友の城と変わらない風景の先に海がある。
雪は背伸びをしてみたが、見えるはずはなかった。
「何をしている。行くぞ」
「えっ⁉」
寅寿丸は太い縄を持っていた。
塀の柱に繋ぎ下に垂れている。
思わず雪は下を覗き込んだ。
水堀と三の郭の中間あたりに崖を削った道があった。
道は上には繋がっておらず、下の水堀の端まで伸びている。
「滑りやすいが縄を掴んでいれば簡単だ。よく見ていろ」
寅寿丸は縄に掴まりながらあっという間に道まで降りた。
赤土剥き出しだが急斜面ではない。
雪は縄を掴みゆっくりと斜面を降りた。滑らないように気を付けていれば簡単だった。
「どこに行くのです? 勝手に抜け出して叱られませぬか」
もし海が見られるなら叱られてもいいと雪は思った。
だが、寅寿丸は城を離れると川には向かわず森に分け入った。
人が通れる小道はあるが、森の中は薄暗く雪は怖くなった。
「ここだ。足元は悪いが、戦は平らなところばかりじゃねえ。いい鍛錬になる」
雪の寝起きする一間より少し大きいくらいの地面に草木がない。
すぐ先に竹を柱に筵を乗せた小屋のようなものが建っていた。
真ん中には穴が掘られ消し炭があった。
「これは‥‥」
雪は目を見張った。
城から持ち込んだのだろう。鉈や鎌が笊に入れられ隅に置かれていた。
「嫌な事があるとここに来る。俺の城だ」
寅寿丸は小屋から長い棒を拾い上げると、照れたように笑い雪に渡した。
その日から、二の郭では素振りや型ばかりをして、十日に一度の割合で城を抜け出し寅隠れ家で樹木を叩く鍛錬となった。
森での鍛錬は城ではできない楽しみがあった。
川に出てハゼや川エビを獲り火を焚いて食べるのだ。
そういう時、きまって寅寿丸は育った里の話をした。
「ここをお前にやる」
十一月の初め、山での鍛錬は五ケ月と経たず終わりとなった。
寅寿丸は年明けとともに元服し、府中城の出城の外城に移り住むことになったのだ。
「城主に成られるのですか?」
「さあな。もし城主なら雪を召し抱えてやってもいいぞ」
雪は騙したまま別れては、いけないと思った。
男と違い女が他領行く事などないのだ。
「か、隠していました。わたしは‥‥ わたしは女子です」
雪は正直に言った。
「高友の雪姫だな」
「し、知っていたのですか?」
雪は驚いた。
寅寿丸は出自まで知っていたのだ。
「ん、まあ。大体女子というものは、こう乳がでかいのだ。お前はなにもない」
手を突き出し胸を揉む真似をした。
雪は咄嗟に春虎の顔を殴ってしまった。
鈍い音がして寅寿丸は頬をさすった。
「それでいい。強くならなければ生きていけねえ。男でも女でもな」
雪は気づいた。
寅寿丸が二の郭の庭で鍛錬していたのは偶然ではなかったのだ。
「あの、元服したら名が変わるのでしょうか?」
「父の一字をもらい春虎だ」
「春虎‥‥ 虎は同じなのですね。虎兄ぃ様とお呼びしてもいいですか」
「ああん。構わねえが。清と同じ呼び方だな」
寅寿丸は照れたように頭を掻いた。
「きよ?きよとは里の方ですか?」
「清幹。大掾の御屋形だ」
そのひと月後、寅寿丸は竹原城を去った。
(春虎様か。でも雪は虎兄ぃ様と呼んでいいんだ)
御屋形様と同じ呼び方を許された。
今度会う時は真っ先にそう呼ぼう。
寂しさは募るが直ぐに会えると思っていた。
人目を盗んで鍛錬を続け書庫にも通い文字も習った。
だが、隠れ家には一度も行かなかった。
城を抜け出すのが容易でなかったのもあるが、あの場所に春虎がいなければ余計に悲しくなると思ったからだ。
(虎兄ぃ様が城に来たら一緒に行こう)
雪はそう誓った。




