26 雪。看る
雪は裏の沢で汲んだ水を甕にあけ、中を覗き込んだ。
波紋の中に己の顔がゆらいで見える。
初めて甲冑を纏い槍を振るい敵を殺した。
敵に追われ山中を逃げ回り殺されそうにもなった。
だが、水甕に映る顔は悲愴感など微塵も感じられなかった。
春虎倒れてから三日が経ったが、時折眼を覚ますものの、水や粥を与えるとまた深い眠りについてしまう。
意識が朦朧としているのだろう、御屋形様を追うと起き上がろうとしたりした。
雪は優しく肩に手を添え、傷を治してから結城に向いましょうと囁くと、春虎は安心したように眠りにつく。
無防備な寝顔は妻への信頼。
雪はそう思わずにはいられなかった。
春虎の傷は深くはないが、左の二の腕や左の腿の他に首や手にも負っていた。
一番驚いたのは、兜を脱がした時で、槍で殴られたのか大きな瘤ができ、割れて血が噴き出していたのだ。
枯れ枝に火をつけ、裏の沢から水を汲んできて湯を沸かし春虎の身体を拭き清めた。
だが、できたのはそれだけだった。
いくら探しても小屋には傷の治療に必要な物など何もなかった。
血で汚れた着物の代わりに、自分の小袖を上にかけたが、膝が出てしまうほど小さい。
あわてて炉に薪をくべ小屋の中を暖かくした。
そのせいだろうか、いつの間にか寝てしまった。
朝の陽ざしが小屋の隙間から射し込んで、雪は目を覚ました。
寝息を立てる春虎を見てほっとした。だが、雪のかけた小袖の所々が血が滲んでいた。
山を下り里で治療に必要な物を手に入れなければならない。
そう思い春虎に口移しで水を飲ませていたとき、小屋に差し込む日が、とぎれとぎれに遮られた。
外に人がいるのだ。
雪は懐に短剣を忍ばせた。鎧直垂を着ているのだ。
炭焼きではごまかせない。
敵が何人いるかわからないが、瞬時に扉代わりの粗朶木の束をどかし襲い掛かる以外、勝ち目はない。
出口に近づき耳を澄ました。
枯れ葉を踏む音が近づいてくる。
雪は短剣を抜き、意を決して飛び出した。
「うわっ」
老人が驚き尻餅をついた。辺りを見回しても誰も居ない。
雪は油断なく短剣を構え老人を睨め付けた。
麓の里の百姓だろう。
この者に手当を頼めるだろうか。
しかし、油断はできない。佐竹に知らせる恐れもある。
百姓の年寄を口封じのために殺す事などできないし身分をあかして頼んでみようか。
だが、それが逆効果になることも考えられる。
雪はどうしていいかわからなかった。
「お、お待ちくだされ。貴方様は高友の雪様では?」
懐かしい名前で呼ばれ、雪は頷いた。
「鹿子源左衛門と申します。どうか、剣をお治めください」
老人が近くの名主の隠居で、三村落城のあと春虎を一時預かっていた人物だと知ったのは、薬や白布、食料を抱えて戻って来てからだった。
春虎を連れて逃げた三村城の下女がこの老人の娘で、春虎がよく源爺と言っていた名主だった。
源左衛門は家伝の軟膏を春虎に塗り、熱は出ますが傷には効きますといって布を巻いた。
青臭い懐かしい匂いが小屋を満たした。
雪が怪我をしたとき、春虎が薬草だといって摘んできた草の香りに似ていた。
懐かしい香りである。
多分、春虎はこの老人に教わったのだろう。
その晩、春虎は高熱を発したが、明け方前に熱は下がった。
源左衛門は、名主の隠居が山をうろうろしていると不審に思う者がでると、繋ぎ役として里の夫婦者を寄こした。
雪は知らなかったが、三月前まで府中で下働きをしていた夫婦だった。
春虎の奨めにより新田開拓のため城務めを辞め、女の里に戻ったのだという。
女の家は源左衛門の小作で、春虎を良く知っていた。
「お虎様ァ。このような御姿になって!」
亭主が止めるのも聞かず縋りついて泣き出した。
「やめなさい。夫に指一本触れてはならぬ」
夫婦は膝まついて詫びたあと小屋の中に入らなくなった。
雪は春虎の幼少を知っる中年女に嫉妬したとことに気づいていなかった。
ただ、二人きりの時間を邪魔されたくなかっただけだ。
世話をすればするほど、春虎の妻になったとの実感が湧いてくる。
やすらいでいる心はこのためだろう。
雪は寝息をたてる春虎の顔を見つめた。
時折、辛そうに眉を顰めている。
初めて春虎を見た時も同じような顔をしていた。
「虎兄ぃがいたから、寂しい思いをせずにすんだ」
御屋形様の声が聞こえたような気がした。
竹原城に身を寄せたばかりのころだ。
雪は誰とも馴染めず一人でいることが多かった。
生まれ育った城は攻められ父や兄、多くの家臣が死んだ。
また戦になって、城も人も失うのではないか。
そう思うと親族とは言え親しくなるのが躊躇われたのだ。
雪の居場所は二の郭建屋の縁側の隅になった。
膝を抱え、日がな一日庭を眺めていた。
ある日の事、いつもの場所に座り込むと庭の樹木の葉が散らばっているのに気づいた。
大風でも吹いたのだろうか。
いつもは綺麗に掃除されている庭が、小枝や葉っぱで散らかっているのだ。
じっと見ていると庭の奧で動く人影が見えた。
長い棒な物を持っているが掃除をしているようではない。
逆に人影が動くと葉や小枝が舞い散るのだ。
人影は長い棒を樹木の幹に打ち付けながら外に出てきた。
身体の大きい大人だった。
槍の鍛錬でもしてたのだろう。
よく怒られないなと思った。
次の日も次の日も雪が行く頃には男は庭で棒を振り回していた。
庭の樹々は少し高い所からなくなり見通しがよくなった。
葉がなくなると次々に場所を移動し男は離れて行った。
雪は庭に降り、男が散らかした枝葉を掃除する者たちに誰なのかと聞いた。
掃除夫は畏まり困ったような顔をして、三村の寅寿丸様ですと教えてくれた。
雪も母から聞いて寅寿丸のことは知っていた。
三村城落城で唯一生き残った竹原城主の甥子だ。
府中の寺に預けられていたが元服のため城主が引き取ったらしい。
身体が大きく大人だと思っていたが、雪の六つ年上である。
(あの人もわたしと同じだ)
雪は寅寿丸から目を離せなくなった。
縁側の端がいつの間にか寅寿丸を追い真ん中まで移動していた。
顔もよく見た。
鼻筋の通った色白の大人とは違う優しい顔立ちだ。
だが、鍛錬中はいつも眉間に皺をよせ厳しい顔をしていた。
寂しさを紛らわしているのだと雪は思った。
雪には母がいるがあの人には誰も居ないのだ。
それも四歳で全てを失った。
強い親近の情が湧いた。




