2 義国。愚痴る
「何という言葉遣いだ。あれではまた出自を疑われる。何とかならんのか」
常慶が円座に腰を落とするなり、義国に言った。
「それは、兄上の教えが悪かったのでしょう。厳しく躾なかったのは兄上じゃ!」
義国が眉を顰めて言い返す。
「な、なにぃ、拙僧のせいと申すか!」
書院に入るなり早速始まった。
春虎の教育を巡る擦り合いだ。
清幹は長烏帽子を脱ぎ、隅に寄せると大きな溜息を吐いた。
大掾家は常陸大掾職平国香を祖とし常陸平氏の嫡流を誇る。
平時の身形とておろそかにはしてはいけない。
二人の叔父は五歳の当主清幹に徹底的に教え込んだが、次兄の子は疎かになったようだ。
三村左近将監春虎の父常春は、清幹の父貞国のすぐ下の弟で、府中の南東、三村の地に城を築き三村姓を名乗った。
三村城は府中領の外れ小田領との境で、国府瀬川が香澄の海に注ぐ右岸にあり、対岸には敵対する薗部宮内大輔の小川城があり府中城南東の守りの要であった。
天正元年、薗部のとの争いの最中、小田氏治に隙をつかれた三村城は落城した。
常春や正室、側室、幼き娘まで自害し城は灰燼に帰したが、四歳だった春虎だけが下女に連れ出され生き残った。
下女は府中の西の名主の娘で、春虎は五年間その家で九歳まで育てられたのだ。
父貞国に疎んじられていたわけではないが、小田との戦や三村の地を狙う薗部、江戸との戦、佐竹の介入と次々に迫る大掾家存亡の危機に引き取ることも出来ず、預けたままになっていたのだ。
春虎が三村家の遺児として城に上がったのは、貞国が病死し五歳の清幹が当主となったときだった。
城に戻したのも、幼き当主、清幹の遊び相手のためであったのだろう。
しかし、春虎は三年とたたず不祥事を起こし常慶の寺に入れられた。
大掾に相応しい教養を施すためというのが名目だが、あまりの粗暴さに家臣にも出自を疑われていたらしい。
三村常春の子ではなく、百姓の子が偽っていると、まことしやかに噂が流れたのだ。
当初こそ熱心に軍略書など習い読み漁ったが、寺に宿を求めて来る浪人や僧兵崩れの僧の武術に魅入られ習い覚え、その武術でまた問題を起こし竹原城の義国に預けられた。
義国のもとでも素行は良くなかったが、十六で元服を迎え三村左近将監を名乗った。
ただし、三村の地のほとんどが薗部に奪われており、わずかな領地を持っているだけだった。
春虎は府中城の出城である外城の三の郭に間借りしている。
家臣と呼べるものはいないからだ。
領地の管理は外城城代岡見大蔵が代理でおこなっているのだ。
そのためなのだろう。
二十二歳になる今も嫁も娶っていない。
「外城の居候だぞ。嫁が肩身の狭い思いをする。それではかわいそうだ」
大掾に縁つきたい武家から数々申し込みがあるが、居候を楯に全て断ってしまうのだ。
春虎の詭弁であると清幹は見抜いている。
あのような性格になったのも、亡き父を含む叔父ら扱いが大きく関与しているのだろう。
現に叔父らも負い目のように感じているのは気づいていた。
「虎兄は良き大将です」
言い争う二人が、じろりと睨む。
清幹は瓶子を差し出し酒杯を満たしてやった。
「うむ。良き大将かも知れぬ。しかし、たわけというか、うつけというか、何とも歯がゆいのじゃ! 清幹も悪いぞ。御屋形らしゅう、びしりと言わぬのが、悪い!」
義国は杯を干しきり、口を拭ってまた差し出す。
「良き大将というが、功名が足らんのではないか。今少し、お前のような武名が欲しい」
常慶は眼を細めて義国を見て言った。
今でこそ後見家老として先陣には立たないが、大掾一の猛将と目されていたのは、紛れもなく竹原四郎左衛門義国である。
「いいや、兄上は戦場に出ぬから知らぬのだ。あのバカは相当なものだぞ。まともにやれば、だがな。ええい、口惜しい! どうして、いつもああなのだ!」
清幹も何度も見たことがある。
黒漆桃形兜に金色蝶の前立てを輝かせ、血槍を振るい突撃する姿は鬼人のようであった。
清幹を川や山に連れまわし、兄のように接してくれた優しい姿からは想像もできないほどの猛将なのだ。
「麒麟も老いては駄馬にも劣るというが、駄馬が時折、麒麟になるのは困ったものじゃぞ」
「あのバカは、類まれなる麒麟なのだ。だが、普段は駄馬より始末が悪い」
「嫁を貰えば変わるのではないか」
「うむ。ワシもそう思うが外城の三の丸ではなぁ」
「大掾の恥になりかねぬな。城でもあれば違うか」
「さよう。さよう」
褒めては貶し、褒めては貶し。最後は春虎の身の立て方に終始する。
なんだかんだ言っても、春虎が可愛くてしかたがないのだ。
「そろそろ佐竹従属について語り合いたいのだが」
清幹は顔つきを真剣なものに変え盃を置いた。
公私を完全に分ける。これが大掾の家風である。
たったいま、清幹は大掾家当主に成り代わったのだ。
義国、常慶も倣って杯を置き、畏まって頭を下げた。
「げに口惜しき事ながら、佐竹従属はやむを得えないことと存ずる」
「ワシも異存はござらぬ。ただ、真壁があてにならぬとなると、当家の処遇がどうなるか。そこを見極めなければいけませぬ」
先ほどの場と打って変り、両人は佐竹臣下を受け入れている。
岡見、益戸が居たため抗って見せたのだろう。
「うむ。では、祝いの使者を送り佐竹の出方を見るか」
結局、春虎の策通りなのだが、清幹はおくびにも出さず、思案気にいってみせる。
「真壁どのにも忘れなく。当てにはならぬが、佐竹方で御舅以外味方はおりませぬ」
義国は身を寄せると、小声でいった。
平家嫡流を誇りながらも、実のところは他国から佐竹の家臣となった太田や梶原より領地は少ない。
そもそも太田らが佐竹より拝領した土地自体、大掾と小田の支配地であったのだ。
佐竹を味方につけ、小田氏治と争った結果、領地を佐竹に掠め取られたのだ。
「それだけでは、足りませぬ。今一手、打つべきかと」
常慶は二人を交互に見つめ不敵な笑みを浮かべた。
「兄上。誰ぞ、心当たりがおありか」
佐竹の家臣で大掾のためになるような者は、真壁以外に思い浮かばない。
その舅の真壁さえ当てにならない。
一体、常慶はどのような人物に心当たりがあるのか、その人物は大掾の役に立つのか。
清幹は固唾も飲んで、次の言葉を待った。