19 春虎。意地を見せる
「大掾兵部大輔だ! かかれ! かかれ!」
北義憲の号令に兵五百がなだれをうって駈け出した。
北義憲は佐竹一族の若武者である。
戦達者の小野崎従通、向宜政が与力として就いていたが、止める事は出来なかった。
軍規違反の抜け駆けだった。
「ええい、仕方なし! 又七郎様に続け」
丘を駆け降りると湿地もなんのその、清幹目掛け攻め寄せた。
台地と台地の間は五町(五百五十メートル)程離れていて、湿地の中を蛇行しながら流れる小さな川があった。
大雨の度に川筋が変わるのだろう。
あちこちに深場があったが、葦や芒が生い茂っているところは以外に固くて踝が埋まる程度だ。
勢いのついた北義憲軍は泥をはね上げながら突進し川を越え清幹に迫った。
「ややっ⁉」
馬の脚がずぶりと沈み、義憲は危うく落馬しそうになった。
周りの兵士らも膝まで埋まっている。先行した兵士らはもっとひどい。
腰まで泥に埋もれ身動きが取れなくなった。
轟音が響き渡った。
大掾の一斉掃射だ。
先行した兵がバタバタと泥の中に斃れた。
しかし、次が続かない。
おかしな間がある。
「応射しろ。敵の鉄砲は少ない」
義憲はなんとか馬を下げると、後方の鉄砲隊に命じた。
竹束を押し立てた鉄砲隊が前に出でて、敵陣に狙いを定めた。
「撃て!」
三十挺を二段に分けた斉射が敵陣に放たれた。
敵は散発的に撃ちかえすだけで鳴りを潜めている。
「山尾、左より迂回し敵陣をつけ!」
正面の沼地を避け敵陣を突くのには、右か左に迂回しなければならない。
右は葦原で足場は良さそうだが、すぐ先に敵兵がいる。
多少遠回りとはいえ、左から攻め込ませるのが上策だと思った。
「よし、鉄砲隊、沼地ぎりぎりまで前進。絶え間なく撃ち込んでやれ」
敵を釘付けにするため援護射撃を開始した。
山尾駿河は騎馬武者五、槍兵三十を率い左手より敵陣を目指した。
沼地の深みに馬の脚を取られ上手く進めない。
それでも、硬い地盤を探り当てながら対岸に迫った。
隊列は伸びに伸び、足軽が遅れているのには気付かなかった。
ダダンダン。
轟音とともに騎馬武者が沼地に落ちた。
「押し通れ! 続け、続け!」
駿河は馬を煽り遮二無二、沼地を渡った。
「伏兵⁉」
丘の上に騎馬武者の一団が現れた。
その数二十騎、槍を構え逆落としに駈けて来る。
「三村大掾左近将監、見参!」
金揚羽蝶の前立ての武者が名乗りをあげた突っ込んできた。
山尾駿河は馬を煽り迎え撃とうとしたが、泥に脚がとられ思うように動かせない。
深々と槍で喉を突かれに落馬した。
ダダンダン。──
丘の上に退いた鉄砲隊が沼地の足軽を狙い撃った。
「山尾に続くぞ。走れ」
北義憲は軍勢を左に動かした。
山尾駿河が押し渡れたのなら、正面突破に拘るべきではない。
敵も沼地のため後ろをつくことは出来ないのだ。
義憲は駿河の足跡をなぞり南に進んだ。
予想より距離はあったが、対岸近くまで進むことができた。
「山尾様討ち死に!」
先行の兵士が駆け戻り声を上げた。
対岸より二十間(約三十六メートル)ほどのところに幾つもの骸があった。
先手を命じた山尾隊だ。
「鉄砲隊、前へ! 竹束を押し立てゆっくりと進め」
義憲は馬を降りた。
丘からの狙撃を警戒したのである。
岸に上がれば、大掾など蹴散らしてくれる。
義憲はめり込んだ足を引き抜き丘を睨んだ。
「よろしいのですか、又七郎に勝手をさせて」
東義久が珍しいものでも見たという顔つきで近づいて来た。
確かに北義憲は義重の命令を待たず大掾に攻め掛かった。
重大な軍規違反だ。
いつもの義重なら攻撃を中止させ、厳しい処分を科しただろう。
「此度はよい。義宣を支える武者になってもらなければ困るのだ」
床几に腰掛けた義重は、顎髭をいじりながら眼下を睨んだ。
義宣と義憲は同じ齢。
政権を担う一族として名を上げさせたいとの思いがあった。
畜生と蔑まれるかわりに佐竹を強大なものにする。
秀吉が迂闊に手を出せないほどの国を作るのだ。
義宣を支える若い重臣は幾らでも必要だった。
血気に逸ったとはいえ、義憲は機を察知し兵を動かした。
北義憲の軍勢は左に移動し対岸に攻込んでいる。
回り込んだ小隊は殲滅されたが、そこを突破口に渡り切るつもりのようだ。
悪手だと義重は思った。
「山城、そちの兵をだし、又七郎を下がらせてくれ。先陣を切っただけで十分だ」
「はっ?」
「このままでは、やられる」
義重が顎をしゃくった。
対岸の丘の上から赤い線が何本も飛んでいた。
火矢だ。
義久は断りを入れ、慌てて自軍に戻った。
カッ、カッ。火矢が竹束に突き刺さり、煙を上げながら竹の表面を火が舐めていた。
矢は竹束を飛び越え、後方のまばらに生えている葦にも火をつけた。
「後方の葦原が燃え出し、兵が騒いでおります。攻め掛からなければ、陣が乱れます」
小野崎従通が叫んだ。
火を除けようと兵士らが勝手に動いていのだ。
「よし、下流に移動する。渡れる場所を探せ」
鉄砲足軽らは後退し、義憲の進行についていけなかった。
二町ほど離れた林の中に春虎ら十騎の騎馬武者が轡を並べていた。
「敵はこちらに向かっている。抜かるなよ」
馬をなだめ、迫りくる敵を睨んだ。
ダダン、ダダン。──
沼地を渡って来る佐竹軍に鉄砲が放たれた。
「首は不要。かかれっ」
春虎は騎馬武者を引き連れ沼地を駈けた。
見た目ではわからないが、わずかな幅だけ地盤を固くしてあるのだ。
一方、義憲は敵の罠に落ちたのを知った。
急ぐあまり物見を怠っていたのだ。
突然、林の中から銃撃を受け、先行する武者数騎が斃れた。
そして、疾風のごとく、騎馬武者が向かって来る。
敵は沼地に脚をとられていない。
この地に誘い込まれたのだ。
「迎え撃て! 槍衾をつくれ!」
騎馬武者らは沼に脚をとられ、思うように動けない。
足軽が槍の石附を地面に打ち込むもやわらかすぎて、柄が半分も沈んでしまう。
それでも、硬い所をみつけ、何とか槍を立てた。
敵の騎馬武者は、迎撃にでた味方の武者を次々に屠り、くるりと背を向けると戻っていく。
「追え! 敵が駈ける後を追え」
向宣政が一隊を率い敵の後を追った。
宣政は大掾との戦は直ぐに終わると思っていた。
大掾に佐竹軍を押し返すだけの兵力はない。
一方的な勝利だ。
兜首のひとつ、ふたつ取った所で大した恩賞はない。
しかし、いま、対岸を占拠できれば、一番乗りはおろか、敵軍を二分する真ん中に橋頭堡を築けるのだ。
この手柄は大きい。
歴戦の勇士にとっても涎の出るほどの好機だった。
敵の背を追う宣政の兜にコツン、コツンと当たるものがあった。
雹かと空を見上げた時、後方より爆音が響き渡った。
味方の発砲だ。
しかも、かなり遠くより放ったものようだ。
宣政は兵を止め、後方を確認した。
東義久の軍勢が見えた。
何かの警告なのだろうか、宣政は対岸を見廻す。
敵の騎馬兵は一町ほど先の林に向かって駈けている。
(山城様は、何か考えがあるのか)
宣政は先に進むのを躊躇した。
春虎は馬の鼻を沼地に向け、追撃をやめた軍勢を睨んだ。
遠くに新たな軍勢が見える。発砲したのはその軍勢のようだ。
(釣れたと思ったが、見破られたか!)
春虎は、槍足軽を林に臥せさせ、左右に鉄砲隊配置していた。
上陸した敵兵を誘い込み徹底的に叩くつもりであった。
しかし、喰いついて来た敵兵も後方からの鉄砲の音に異変を気づき、本隊に戻り追撃してこない。
あまつさえ、本隊と新たな軍勢とともに撤退を開始している。
春虎は土手に上がり沼地を眺め見たが、留まっている敵部隊いない。
暫く、丘陵に陣を張るも、佐竹から仕掛けてくることはなかった。
清幹が勝鬨をあげたが、沼地の仕掛けが露見した割に、戦果の乏しい結果だと春虎は思った。




