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1 春虎。訛る

天正十八年(1590年)八月七日、常陸国府中城の大広間。

「なっ、なにぃ、二十一万六千七百五十八貫だとぉ。ば、馬鹿を申すなっ」

素襖の袖を振り乱し立ちあがった大男は髭面の眼玉をひん剥いて、平伏す武士を睨めつけた。

気の毒なほどやつれた武士は肩で息を吐き、大声を上げる髭面武者から目を反らした。

よほど急いで駆け戻ったのであろう、髷は崩れ、顔や着物に泥がこびりついていた。

 

「間違いありませぬ。佐竹に常陸、下野知行の沙汰が発せられました」

武士は不貞腐れ気味にきっぱり言い切った。

喉が枯れているのだろう、しゃがれた声だ。


「ひ、常陸一国を佐竹に、かよっ」

髭面は円座に崩れ落ちた。

どすんと、音を立て建物を揺らし、平伏す侍の身体から砂埃がパラパラと落ちた。

大掾だいじょう兵部大輔(ひょうぶたいふ)清幹(きよもと)は愁眉を浮かべ、平伏す三倉兵庫とへたり込む髭面の叔父、竹原四郎左衛門義国(よしくに)を交互に見た。


やはりか。言った通りだ。──

清幹は右に並ぶ、出城の城代岡見大蔵と志筑城主益戸隠岐に視線を向けた。両人とも四十半ばで歴戦の武将である。

へたり込む三十九歳の叔父に妙案のひとつ、ふたつ言い放つぐらいできそうなものなのだが、合わせたように口をへの字にして俯いたままだ。


「石田治部少輔さまは、なんと仰せであるかな。拙僧は家老の島さまより証人承諾の文を頂いたと聞いたが」

義国の横に座る黒衣の僧常慶(じょうけい)が、平伏す三倉兵庫越しに岡見、益戸を見つめた。

頬のこけた鉤鼻で切れ長の目は鋭い。猛禽を思わせる風貌だ。

常慶も清幹の叔父である。

歳は義国より三歳ほど上で、幼少時虚弱であったため仏門に入れられたのだが、一族の血ゆえか、人並み以上の身の丈となり、細身ではあるものの僧侶というよりは、出家得度した武将のような威厳がある。

平清盛入道とはこの様な人だったのではないかと清幹は思っている。


「確かに証人承諾は治部の家老島どのより頂戴した。ええい、三倉よ、治部どのは何と申した。会えたのであろう?」

清幹の二歳になる嫡男の人質差入れは岡見が中心に進めたことだ。

関白豊臣秀吉の股肱の臣、石田治部少輔三成を通し上手くいったはずであった。


「治部少輔さまには幾度も面会を求めましたが、奥州仕置きのため多忙と断られ、関白軍は会津に進軍を開始して そ、それがしは宇都宮には留まることも敵わず‥‥」

擦れた声が小声となり、涙声になった。


「騙されたのだ。大方、佐竹が裏で糸を引いていたのだ」

俯いたままの義国が、ぼそりといった。

「ま、まさかに⁉ では、大掾家はどうなりまする? 領地は?」

岡見大蔵が身を乗りだし何か言いかけて口籠った。


確かに水戸の江戸重通との戦はおかしなことばかりだった。

二年前和睦を結んで以来小競り合いひとつなかったのだ。

その江戸重通が今年の初め、突然兵を動かしたのだ。

和睦の証として娘を側室に差し出した義国は、使者をたて理由を問いただすも明確な答えのないまま使者は追い返された。


江戸重通の軍勢は小幡城や片倉砦に続々と集結し府中を窺う動きを見せた。

清幹も竹原城に兵を送り迎え撃つ態勢を取ったが、江戸勢は城や砦に留まるばかりで、仕掛けては来なかった。

睨み合いがふた月ほど経った頃、関白豊臣秀吉からの小田原参陣の要請が届いたのだ。


西国の覇者が関東に狙いを定めた。

関東の雄小田原北条とて強力な軍事力を誇る関白豊臣秀吉には敵うはずがない。

氏素性にこだわり参陣を拒めば大掾は生き残れない。

清幹は小田原参陣を決めた。

ところが、いままで城に籠っていた江戸重通が侵攻を開始したのである。

江戸重通が北条についたとしか思えない行動だった。


義国がなんとか押し返したものの、清幹は府中城を離れることが出来なくなった。

佐竹義重や義兄の真壁氏幹に和睦の仲介を頼むも一向に進まず、当の佐竹が真壁ら佐竹方の国人衆を引き連れ小田原に参陣してしまったのだから仲介など進みようもなかった。

唯一の頼みは、佐竹に頼んだ不参陣の取り成しだけという、、曖昧なものになってしまったのだ。


身動きが取れなくなった中、奇策を進言した者があった。

秀吉への忠誠の証として正室と嫡男を差し出し、府中を離れられないのは、小田原に味方した江戸重通のせいだと訴えろと言うのである。

「大掾家も小田原北条方と戦っている。関白殿下への忠誠の証として、妻子をお預けいたす」  

とって付けた様な奇妙な言い分だが、清幹はこれに乗った。

何もしてくれない義兄の真壁氏幹への面当てでもあった。

 

これが功を奏した。石田治部少輔三成から承諾を得たのだ。

人質さえ差し出せば不参陣を咎められる事はないはずだった。


七月五日、小田原北条は関白豊臣秀吉の圧倒的兵力前に降伏した。城を囲まれてわずかふた月である。

関白軍は北条方の諸城を攻撃し北条領を平定すると、秀吉は軍を引き連れ下野宇都宮城に入った。

秀吉の呼びかけに応じなかった関東、奥州国人の征伐を始めたのだ。


その間、石田治部少輔から何の沙汰もなく、清幹は三倉兵庫を宇都宮城の石田治部少輔のもとに送り証人差入れを進めた。

しかし、石田は面会を避け、常陸国は佐竹義宣のものになり大掾家には一畝の領地安堵もない。

叔父義国の言葉通り、まんまと騙されたとしか思えない。


「おきぬ、竜神山の山鳥じゃ。名主どのが持たせてくれたわ。鍋にしてくれ。あまり治平に食わすなよ。精がついて離してくれなくなるぞ」

「あははは。お虎さまったら」

静まり返る大広間に下世話な会話が聞こえて来た。


来た。──

清幹は右眉をピクリとあげ、叔父らを横目で覗き見た。

項垂れていた義国は居住いを正し威厳を整え、声の方を睨んでいる。

常慶は深い皺を眉間に刻み半眼である。


「いやぁ、遅くなりも申した」

どたどたと濡縁を踏み鳴らし、開け放たれた大広間に入ると一瞬びくりとのけ反ったのは、叔父常慶の姿を見たからだろう。

三村みむら左近将監(さこんしょうげん)春虎(はるとら)は、叔父の常慶を大の苦手としているのだ。


春虎は三倉兵庫の脇に並んで平伏し頭を下げた。

髪を藁で縛り上げ、色褪せた小袖に半袴、手甲脚絆を巻き付け、脇差の横に大きな瓢箪をぶら下げている。

どう見ても下人か百姓にしか見えないが、紛れもなく清幹の四歳年上の従弟だ。


「左近将監、田畑の検見より、ただいま戻りました。中々の豊作にて祝着でござります」

春虎が身体を起こしニコリと微笑んだ。

色白で鼻筋の通った顔立ちは品位があり、くりっと、愛嬌のある目が良く似合っている。

清幹は吹き出すのを堪えた。

田畑の検見など頼んだ覚えもない。それに竜神山の近くは、家臣の知行地ばかりで大掾の直轄地はないのだ。

 

「三倉どの、いかい足労をかけた。竜神の湧水だ。もうここはよい。下がって休まれよ」

脇の三倉兵庫に瓢箪を差し出し優しく言った。

 

「な、なにを勝手なことを!」

「将監どの、御屋形様を差し置き無礼であろう」

義国と常慶が同時に怒気を含んだ声をあげた。

まだ、何も打開策がでていない。使者の三倉を退席されるには早すぎると清幹は思った。

 

「あーっ、うるせぇ、おんつぁまらだな。俺に考えあるから、三倉は帰ぇらせてやれや」

ボサボサの髪を掻きながら横目で義国と常慶を睨んでいる。

 

「な、何と言う口の利き方っ」

常慶の漏れ出た言葉に、

「三倉、大義であった。下れ」

清幹は即座に命じた。

 

春虎が百姓言葉を使いだしたら要注意なのだ。

叔父でも重臣でも容赦なく捲し立てる。一切引くことはない。

 

三倉兵庫がふらつきながら出ていくと春虎も常慶の横に移動し、二人分ほど座を開け座り込んだ。

「何故、離れる」

常慶が振り向きもせず声を発した。

こめかみに青筋が浮かんでいる。

「あ、汚れておりますので、叔父上の衣を汚しては大変かと。はい」

子供の頃から拳骨を喰らい過ぎたため身に着いた習慣だろう。

尤も殴られるのは春虎だけで、常慶叔父が人に手を上げたことなど見たことはない。


「将監、大掾の一族として恥ずかしい振舞いをいたすな。常陸平家の正統である我がっ」

「あー、お怒りは重々承知しております。何卒お叱りは後ほどに。今は佐竹の対策を計らなければなりませぬ」

普段なら常慶の説教がぐだぐだと続き、義国がそれに便乗して春虎を叱りつけるのだが、今回は佐竹をだしに、逃がれようとしている。 


「遊んでいた御仁が、妙案があるとはこれ如何に。戯言だったら、ただでは済まぬぞ」

はぐらかされた義国が真っ赤な顔で吠えた。

「うほん。では、我が策を具申致す」

空咳をひとつし、全員を見廻した。


「佐竹義宣に祝いの品を送る。大掾は佐竹に臣下するのです」

岡見も益戸も言葉が出ない。厳格な常慶ですら眼を皿のようにして固まっている。

 

「な、何を申すか! 佐竹に臣下など出来ようか!」

沈黙を破ったのは義国だった。青筋を立て真っ赤になりながら震えている。

「江戸重道ごときに勝てねえのに、佐竹に勝てるはずあんめぇ。大国北条もコロッとやられた関白さまが後ろ盾だ。臣下するしかあんめえ。違うか」

向けられた視線は鋭く厳しい。

後見家老の叔父とはいえ引くつもりはないようだ。


小田原参陣も秀吉への人質も言い出したのは春虎である。

二年前の江戸重通との戦から、佐竹義宣の腹黒さを見抜いていたのだ。

加勢に来た義兄の真壁氏幹でさえ疑っていた。


「あいわかった。佐竹に祝いの品を送ろう。ただし、臣下は皆に計らなければならぬ。岡見、益戸、家臣らを集めよ」

清幹は努めて声の抑揚を押さえ二人に命じた。

春虎が口角をあげ何度も頷いている。


「お、お待ちください。御屋形様」

義国が慌てて口を挟んだ。後見家老の意見を待たずに命令したことを咎めているのだ。

しかし、今の大掾では、いくら頭を突き合わせ知恵を絞ったところで春虎以上の案がでるとは思えなかった。


「よいのじゃ。お二人は我が書院にお越し下され。続きはそこで。将監は」

「あ、俺はいいや。治平と山鳥を食わなければならん」

当主の誘いを一言のもとに断る。

しかも、驚くことに下男と飯を食うことを理由にしている。

呆れるほどの身勝手だが、将監では仕方がないと認めるしかない。

叔父らが一緒では、諫言ばかりになるのだから、春虎が嫌がるのは無理もないことだし、それに叔父らも春虎がいたのでは、建前ばかりで本音を言わないのだ。

二人とも春虎だけには、強い叔父を見せつけ尊敬を勝ち取りたいのだろうと清幹は思っている。

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