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成長編 ①雪かき、思い出す

成長編

①雪かき、思い出す



フィオナ2歳 雪かき


冬籠りの間にフィオナは2歳になった。

森の谷間村は長く厳しい冬を終え、春がくる。


雪がふり止み、雪解け水が流れていく。

雪の合間から新芽が顔を出し、山の獣たちも活動を始める。


「さあフィーちゃん、お外行きますよー」

「ふぁーあ」


頑丈な玄関をヴェラがあける。

肌寒い空気が、おんぶされているフィオナの顔を撫でた。

(ひゃー冷気冷たーい)


フィオナ宅も閉ざしていた窓や扉を開け、家や庭の木々に付いた雪よけを取り外していかなくてはならない。


家の周りには真っ白で大きな雪の壁が出来ていた。

積もった雪山は自重に耐えられず向こう側に崩れたりもしているが、不思議と家側に崩れて来る雪は無かった。


(雪の壁に囲まれてる! )フィオナは現実離れした光景に驚く。

「そうね、この雪山も魔法でどかしていくのよー」

フィオナをおんぶしたヴェラがせっせと作業に取り掛かる。

レギアスは家の反対側で作業しているそうだ。



ヴェラは、大人が両手を広げたくらいの大きさの石板を魔法で浮かせて運び、雪壁の傍に置いた。

石板には魔法陣が書かれている。


そして雪方面に手をかざす。すると一帯の雪が少し圧縮された。

次に目の前の雪壁は2mくらいの感覚で切断され、さらに圧縮されて正方形の塊になる。

塊はふわっと宙を舞って、石板に当たると魔法陣に吸い込まれてしまう。

どんどん投げ入れられる塊は魔法陣に触れるとあっという間に消えてしまった。


(あれも転移魔法? どこに行ったの? )

フィオナが聞く。

「あれは一度浄化されてから、近くの川に飛ばされてどんどん流れていくのよー、そしたら自然に溶けて水になっちゃうからね」

(大きな川に⁉ 凄ーい! )

「でしょう? うふふ、雪って積もると、重いし堅いし崩れるしで大変なのよね、一気に熱で溶かしたら溶けのこりの雪が崩れて雪崩みたいになっちゃったり、雪の塊を川に流すのだって初めは上手く雪が解けなくて川が詰まって氾濫しちゃったりして、それで川を大きくして上流の湖とつなげて、また氾濫したりして…、あの時はお魚さん達に可哀そうな事をしたわ…あ、今は大丈夫よ⁉ 雪が崩れないように周りに結界貼ってあるし、川も定期的に確認してるけど、ここ何年も詰まった事無いからね! 安心してフィーちゃん! 」


急に饒舌になるヴェラ。

フィオナは話を聞いてぞっとした。

(なんかこの人達ちょくちょく災害起こしてない? 今までよく生き延びてきたな…怖い)

「え? 怖くないわ! 大丈夫よ、何があってもフィーちゃんを守るからね、あの後お魚さんも山の動物さん達も急いで回収したんだから」


除雪作業は家から時計周りに進めていた、途中レギアスと合流するとあっという間に家を覆っていた雪壁はなくなった。


(凄い早く終わっちゃった、前世の雪国の人が見たらブチ切れそうだわ)

フィオナは魔法の凄さに驚愕するしかなかった。


「これだけ溶かせば大丈夫でしょ、さ、次行くわよ! 」


ロード夫妻は、村から家まで伸びている大通りの雪かきを始めるようだ。


辺り一帯には深さ4m以上雪が積もっている。その中を除雪していくのだから、恐ろしいほど圧迫感がある。

魔法陣の石板を近くに運んでは、大通りの雪を投げ入れ、取り除いていく。

ひたすらこの作業のくりかえしだ。


しかもヴェラは定期的にフィオナを背中からおろしておしめを変えたり、お茶を飲ませたり、と世話してくれる。

これは大変な作業だと、見ているだけのフィオナは思った。

(ねぇ、ヴェラママ)

「なぁに? フィーちゃん」

(大変そうだから、私は家にいるよ)

「あらあら、いいのよフィーちゃん、それに何かあった時傍にいないと心配だわ」

「むぅ~~~」


フィオナは悩んだ。

(私、二人の作業の負担になってるよね…、ずっとおんぶの姿勢も体が痛くなるから私的にもあれだし…何かいい方法はないものか…)


はたからみると幼児が顎に手を当てて悩んでいるシュールな絵面だ。

そんなフィオナをみてクスリとヴェラは笑った。

「あのねフィーちゃん、作業の合間に赤ちゃんのお世話して作業が上手く進まなかったりして、そういう大変さも親だからこそなのよ、そういう大変さも、私とレギアスは体験したいの、だから負担とかフィーちゃんが悩まなくて良いのよ」


ヴェラは手袋を外してフィオナの頭をよしよしした。

「正直大変過ぎてもう無理! みたいな状態も体験してみたいけど…あまりやるとフィーちゃんが可哀そうみたい、ごめんねフィーちゃん」

う~んとヴェラも顎に手を当て考えるポーズをした。

「まぁ、今日中に全部やんなくても良いのだし、フィーちゃんも疲れちゃったし、休憩にしましょうか」


「ヴェラ! どしたのー? 」

わっさわっさと雪を掻き分けてレギアスがやってきた。

その姿は元気で楽しそうだ。疲れなど微塵も感じさせない。


「レギアス、私たちは『休憩する時』よ、フィーちゃんが疲れちゃったし、なにより私達の事も心配してくれてるわ」

「え、そうなのフィーたん? わーありがとごめんー! 」

むぎゅー! とレギアスはフィオナをハグした。

(えっえとあの)


「それなら、道は大体終わったし、この後は村の人の民家をやってけば良いんじゃないかな、村の人達が自力で出来る部分は後回しでさ」

「そうねレギアス、効率的に休み休みやりましょう、フィーちゃんのお世話と交代して作業しましょうよ」

「そうしよっか、じゃあ一旦家に帰って休憩だー」


ヴェラは魔法でふわりとフィオナを浮かして、胸の前でお姫様抱っこをした。

「おんぶの姿勢は疲れちゃったんでしょう? 」

ヴェラはフィオナにウィンクして、すたすた家路を歩く。


(あれ? 二人とも超元気…? もう2時間くらい作業しているはずなのに…? あれれ…? )

フィオナは困惑した。

「ねぇフィーちゃん、人間の大人はどのくらいの時間労働して、どのくらい休憩するものなのかしら…? 」ヴェラが質問してくる。

(え、え、え? 疲れたら休んで疲れが楽になったら再開するんじゃないの…? )

戸惑いながらも返答するフィオナ。

ヴェラも困ったわという顔をする。

「難しいわね…」


その後フィオナの前世の世界にあった『労働基準法』の話になり、ヴェラとレギアスはやたら食い付いてきたのだった。




休憩をして、作業をしてまた休憩をして、太陽が傾いてきた頃に見えたのは妙な光景だった。


村人の家に雪が積もっていない。

否、ロード夫妻宅と同じだ、見えないバリアが張られているみたいに雪の壁がそり立っている。

雪の壁は決して家側には倒れず、道を埋め尽くしている。

こんもりと盛られた雪の道はさながら白かまぼこだ。


(わ、わぁ…かまくらが作れそう…っていうかもうこの規模じゃトンネルか…)

「フィーちゃんかまくらってなぁに? 」

「トンネルって山に穴を開けて作る道のことで合ってる? 」

ヴェラとレギアスが更に食いついてきた。

(かまくらっていうのはですね、私も作ったこと無いけど、雪をおしかためて四角いブロックを作って、積み重ねて半円状にしたものをくり抜いて、中で暖をとる遊びです)


「へぇ~遊び! やろうよヴェラ」

「そうねレギアス、私達なら一瞬だもの」

ヴェラがつい、と指動かすと目の前の雪がすべてブロック状に圧縮された雪の山になる。

レギアスも「それー! 」と楽しそうに腕を振ると、あっという間に強固でツルツルな巨大かまくらが目の前に現れた。

「あとは掘るだけだね、どのくらい掘るの? トンネルって言ってたから、向こうが見えるまで? 」

(あっ、いえ、貫通はさせないで、真ん中くらいまで? 中に空間も作らなくちゃいけないから…)

レギアスの魔法でぽっかり穴が開いて完成したかまくらの中に、キャンドルや火床、マシュマロやクッキーなどを持ち込んで、暗くなるまで『休憩』をとった。


フィオナは無性に、前世の雪国の人達に謝りたくなった。



***


村の除雪をして数週間後、ぽつりぽつりと村人が戻ってきた。

皆必ずロード夫妻宅に挨拶に来るので、自然とフィオナも顔見知りになる。


「家の除雪ありがとうございます、御屋形様、今年もよろしくお願いします」

毛むくじゃらの大男が玄関口でロード夫妻に挨拶している。


御屋形様というのはレギアスのことで、本人は少し不服だ。

ヴェラはもっぱら奥様と呼ばれている。こちらは好きな風に呼ばせている、っといった風だ。


「はい、今年もよろしくお願いしますね」

ヴェラが愛想よく答えた。

毛むくじゃらの大男はトマスと言う木こりだ。

同時に彫刻家で魔道具職人でもあり、注文品は受け付けないという頑固者の天才肌だった。

「お嬢さんは今日も輝くみてぇに愛らしいですねぇ! 」

がははと笑う。

レギアスもヴェラも自慢そうに笑う。

レギアスに至っては、「あげないよぉ~」なんて軽口を叩く。

また大男のトマスが笑って、なにやら包みをくれた。

それから会釈をして、豪快に手を振りながら一冬ぶりの我が家に帰っていった。



フィオナが知ったのは、この村は変わり者ばかりだという事だ。


人嫌いな慇懃の数学者に、根暗な天文学者、麓で魔女なんて迫害を受けて逃げてきた薬屋の美人母娘。

その誰もがロード夫妻に頭を下げ、感謝の言葉を口にして、「御屋形様」なんて言うのだ。


フィオナはロード夫妻に尋ねる。

(えと、もしかして2人は地主さまなの? )

「そうだねぇ、ここらは僕らが買った土地だよ、辺鄙だから格安でねぇ」

「それで村を作ってみたのよね、水路を掘って、道を敷いて…」

「懐かしいねぇ、それで、いつの間にかこーんな村に」

(説明端折りすぎでしょ? )


ロード夫妻の話はこうだった。


昔夫妻は自分たちの住む場所としてこの山を買った。

しかし実際に住んでみるとぽつんと一軒家すぎて何となく寂しい。

特段忙しいという事も無かったので、村作りをしてみた。

土地を伐採して畑を作ったり、上下水道を整えてみたり、道を敷いたり、レンガを焼いたり、家を増やしてそれぞれ飾り付けたり。

そうこうして遊んでいる時、一人の木こりが迷い込んできた。

遭難していた彼を保護し、麓の村に帰す際に、ついでに山を開いて道を作った。


いつの間にやら「山に妙に立派な村があり、凄腕だが変人の魔具職人夫妻が住んでいる」と噂になり、人嫌いの変人が移住してくるようになった。


冬季も山を降りない上に、雪かきも家の保全もしてくれる彼らの事を、村人は「一番の館に住んでいるから御屋形様」と冗談半分、感謝半分で呼ぶようになった。

とのことだった。


パチンパチンと薪がはぜる、その上に吊るされた鍋にはホットワイン。

そこは大きな暖炉で、赤レンガと白の漆喰で組まれている。

ヴェラは暖炉の前にベビーチェアを置いて、ホットワインをコップに注ぐ、フィオナには砂糖湯だ。

(ねぇヴェラママ、いまこの村には何人くらい住んでるの? )

「そうねぇ10世帯くらいかしら? 」

ホットサングリアを吹きながらヴェラは指折り数える。

(世帯? 総勢何人? )

「12人くらいね」

(プラス2は、さっき挨拶に来てくれた男性夫婦と薬屋の母娘の所だろうな)とフィオナは当たりをつける。

「そうそう、その子達だよ~、ヴェラ僕にもホットワインをおくれ、シナモンを効かせて~」

挨拶を終えたレギアスが戻ってきた。ドアの開閉で新鮮な酸素とぴりりとした寒さがフィオナの鼻を刺す。

「くちゅんっ! 」

「あらあらフィーちゃん、ほらチーンして」

(かたじけないでふ、チーン! )

渡された鼻かみ布にフィオナは鼻をかんでから畳んで返す、これがこちら流だそうだ。


温かい暖炉のある部屋は夫妻のお気に入りだ。

人間らしくって良い! とのことである。


さて、この冬の間フィオナが何をしていたかと言えば、三分の二は寝ていた。赤子なので仕方がない。

それ以外にはヴェラに絵本を読んでもらい文字と言葉を覚えたり、レギアスに習って魔力と精神のコントロール方法を習っていた。

心は大人でも体は赤子である。

脳はまだ感情のコントロールが出来ず、ちょっとした不調や眠さ、ダルさ、成長痛などでも怒りや悲しみが沸いて制御出来ない。

貯めすぎるのは毒、ということでフィオナの部屋には強化魔法がかけられ、ストレス発散に魔法をぶっ放すことが出来るようになった。


不便さや、ままならなさに泣きそうになったことも何度もあったけれど、その度に(親友のあの子も今同い年なのだから)と思えば立ち直ることが出来た。



「そうだよ~人間の赤ちゃんなんてまだなーんにも出来ないんだから、焦らないで大丈夫、僕らに世話を焼かれておくれ」

「毎日とっても楽しいのよぉ~」

(ありがとうレギパパ、ヴェラママ、これからも迷惑かけます! )


こうしてフィオナは、ヴェラママとレギパパの愛情にどぼどぼに浸されながら、すくすく育っていたのだった。

______________



コイフ3才 ①思い出す



コイフは順調に年を重ねていった。

3歳、教え処の最終学年だ。


マナーをはじめとした貴族教育。この大陸にある有名な国の成り立ち、文化。人国語で挨拶会話くらいはきちんとできる。

本物の社交界というものは知らないけれど、きっと惨敗にはならないだろうくらいダンスも上手くなった。もう耳が上がってしまうのだって自制できる…だろう。



「コイフおねえさま! 」

クルミちゃんはすっかり淑女になって、廊下を駆け寄って来たりしない。


「おねえさま、1歳の姉妹はどうかしら? きっと疲れ果ててテラスに転がっているんじゃないかしら」

うふふ、と笑うとクルミちゃんの愛らしさは変わりない。

コイフは自分たちが入学したばかりの頃を思い出して言う。

「初めての入浴日なのよ、きっと起こされるまで眠っているのよ、わたしたちだってそうだったのよ」

思い出したようにクルミちゃんも笑う。

「そうだったわ、起こしに行った方が良いかしら? 」

「さっきタナお姉様が行ったわ、わたしたちは食堂に急かす係をするのよ」

きっと今頃のそのそと着替えをしているに違いない。

思い浮かべて頬が緩んだ。


廊下の端に寄って、立ち話をする。目の前をヤンチャな2歳の弟たちが駆けて行った。

「今日もミシェル老師の魔法の授業だったの? 」

「えぇ、アスチルベットお姉様もいらしていたわ」

卒業したアスチルベットお姉様は、貴族居住区内にある進学先から月に1~2度、ミシェル老師の魔法の授業を受けに来る。

「コイフがまだ習っているならここに来た方が良いわ」と言っていた。


「私は魔法基礎の授業について行くだけでやっとだわ…、コイフおねえさまもアスチルベットおねえさまもすごいわ」

「うふふ、ミシェル老師の面目もあるし、きっと主席を取ってみせるのよ! 」

「そしたらベル先生の助手もしているのだから、薬学でも主席を取らないといけないわ! 」

クルミがびっくりした顔で言う。

コイフはふふんと自慢気に笑って「薬学でも主席を狙うのよ! 」と言った。



立ち話をしている後ろから、タナお姉様の「さぁ寝坊助さんたち、ちゃぁんと食堂にいくのよー! 」という声が聞こえてきた。

クルミとコイフは顔を見合わせてから声を上げる。

「「早く来ないとご飯全部たべちゃうのよー! 」わよー!」

途端に弟妹達の足音が近づいてきて、クルミとコイフは食堂までの廊下に陣取り、寝間着を逆さに着た弟妹をむんずと掴んでは着替えを手伝った。



コイフはもうすっかりお姉さんになった。

背はそんなに伸びなかったけれど、手も足もひょろひょろ細い骨ではなくなったし、耳だって捲れない。

柔らかい子供の毛から、艶やかな若者の毛になった。

自分の背丈の3倍は高く跳ねるし、足も速くなった。


窓からは春の匂いがして、コイフは目を細める。

若葉の香り、産まれた頃の香りに幸せな気分になる。


同時に食堂からいい匂いがして、ぐぅ、とお腹が鳴った。

恥ずかしくって振り返ると、クルミちゃんのお腹もぐぅ、と鳴った。

「ご飯に行くのよ」

「今日はミルク虫じゃないと良いわね」

「失礼だわ、もう好き嫌いなんてしないのよ」

とは言ってみたものの、コイフは未だミルク虫が苦手なのだった。

その時はこっそりクルミちゃんのお皿に乗せよう、とコイフは思っていた。


平和だった。

何の前触れも無かった。





その夜、コイフに異変が起こった。




「きゃああああああああああああ‼ 」

皆が寝静まった深夜、コイフが突然悲鳴を上げた。

姉妹達が全員跳び起きてしまうような絶叫だった。


「コイフおねえさま、どうしたの? おねえさま! 」

クルミちゃんが、ベッドで我を忘れてのたうち回るコイフを必死で抱きしめる。

「お医者の先生を呼んでくるわ! 」

タナお姉様達がランタンを持って守衛室に走った。




「頭、あたまが、あああ! ああああああ! こわい! 痛い! いやぁ! 」

泣きながら暴れて叫ぶコイフは、守衛兵さん達の手によって毛布にくるまれ、ベッドごと病室に連れて行かれた。

その様子を見て、泣いてしまう子や、不安に顔を曇らせる子、パニックで足ダンをしてしまう子等も出て、ちょっとした騒ぎになった。


「一番元気だったのに…」

「もしかして、助からないんじゃ…」

姉妹達の呟きに、おばあちゃんのベル先生が「大丈夫よ、さあ寝室に戻って」と姉妹達を部屋に戻して回った。






コイフは夢を見た。

実際には夢ではなくて時々意識があったので白昼夢というのかもしれない。



夢の中でコイフは人間種だった。

毛皮を剥いだような、無毛の肌で、長い指で、貧弱な長い脚。

灰色の土と灰色の箱の街に住んでいて、空だけが場違いに青かった。



その夢をコイフは何と表せば良いかわからなかった。

負の感情と、知っているような知らないような記憶の濁流で高熱が出た。



夢の中は酷く苦しく、痛く、つらく、悲しくて、嫌で、寂しくて、自信が無くって、体は妙に重くしんどかった。


人の顔は全く覚えていなくて、家族らしい人間も、友人らしき人間もみんな灰色の無彩色に見えた。


彼らに話しかけようとしても、まるで別の世界に存在しているみたいに無反応で、時間の流れも違うみたいにコイフの傍を通り過ぎて行ってしまった。

寂しい。でも声はもう届かない。そんな気がした。




「カフェに行こうよ」

急に誰かが話しかけてきた。

振り向いた先には色の付いた人間がいた。

「あの、ケーキの美味しいところ」



瞬間、この子は親友だ。と思い出した。



この子との思い出は全て温かかった。

他愛ないおしゃべり、絵の描いてある本を二人で読んだ。

箱の中の演劇を二人で観た。

一緒にお料理もたくさんしたわ。

立派な裁縫の揃いの服と、ピカピカに磨かれた皮の靴を履いて、教え処(ガッコウと言っていたので多分そうだ)に行ったりもしていた。

喧嘩もしたけど楽しかった。

この子と居る時は、楽しくって優しくって幸せだった。




どこからか音楽が聞こえた。

思い出せないけど大好きな歌だ。

何曲も何曲も。

聞いたことのない巧みな旋律の曲。

テンポの速い音楽。

どんな楽器なのかも想像できない不思議なメロディ。



その中でも一番聴いた曲が耳の中で再生される。



けせらせら

わっれば、うぃるびーうぃるびー

だ、ふゅーちゃならうす、とぅしー

けせらせら

わっっうぃるびーうぃるびー



ああ、わたしこの歌が好きだったわ。

夜の公園で、あの子と歌って踊ったわ。

ケセラセラ

なるようになるし、なるようにしかならない。どうとでもなる。

みらいはまだわからない。

わからない。




ごめんぽよ。




コイフは悲鳴を上げた。

人ならざる人型の何かが、理不尽に唐突に、わたしたちの未来を奪った。


奪われた未来の代償に、わたしは健康な兎人になりたいと願った…のだと思う。



そうしてまた親友に会うのよ。

そう約束したの。


約束したのよ。






コイフが悪夢から目覚めたのは3日後の朝だった。

「コイフさん大丈夫!? 先生のことわかる? 」

おばあちゃんのベル先生が覗き込んでいるのが見えた。

コイフはあの悪夢の世界から帰って来られた事を知って、心底ほっとした。

「べるせんせぇ、ただいま、なの」

言ってまた眠った。

夢は見なかった。



目覚めたコイフは、夢の中の人間種の生活をすっかり忘れてしまった。

(きっとあの夢は前世なのだわ)とコイフは思った。

時々何故か知っていた知識は前世のものだったのだ、そして前世の知識だけは、コイフの中にしっかり残ってしまった。


でも2つだけ、良い事があった。

沢山の歌を『思い出した』事。

きっとこの世界のどこかに居る『親友』に会う、という目的が出来た事。



コイフは7日後には元気に回復し、兄弟姉妹にたくさん抱きしめられた。


「コイフおねえさま、もう大丈夫なの? 」

「うん、クルミちゃん、毎日お見舞いに来てくれてありがとうなのよ」


「コイフったら、本当に心配させるんだから、私きっとどこかに禿げが出来てしまっているわ! 」

「タナお姉様ごめんなさいなのよ、妹達のお世話大変だったでしょう? 」


「コイフの居ない授業は退屈だったわ」

「アスチルベットお姉様、コイフは果報者ですわ」


コイフは今生がとっても幸せで得難い物だと知った。


以降コイフはずっと元気だった。

あの神を名乗る人でないものには『人並の健康』を望んだはずなのに、とうとうコイフは風邪ひとつ、怪我1つせずに3年をすごしてしまった。


(馬鹿は風邪をひかないなんていうけれど、コイフはそんなにおバカさんではないと思うのよ…)とコイフは別の意味で不安になった。




その冬、コイフは卒業試験でダンス、薬学、基礎魔法学の主席を取り、教え処を卒業することになった。

体術や算術は下から数えた方が早かったけれど。 (兎人流算術は転生前知識でどうにかできるような桁数ではなかった、インド式計算に似ているのかもしれない)


もちろん3歳全体の主席はタナお姉様だった。


卒業パーティーの食事会は、人国ひとくに流の社交界形式だった。

最後の実践授業と、初めて着るドレスにうんざりしたり喜んだり忙しかった。

とっても美味しい食事は少ししか食べられないし、量も少ない。

でもダンスを実践できたのは楽しかった。




コイフは最終進学先を、王都の魔法学校に定めていた。


レッキスの先生が

「貴族の義務として、進学先では外交をしなければなりません、なので出来るだけ皆さんは分散しなければいけないのです、もし最終進学先が被ってしまった場合、成績優良な者が優遇されることも過去ありました」

と言っていたから頑張ったのだ。


毎年一人二人、継承位の高い兄弟姉妹は、王宮で統治学や帝王学、法律などを学ばなければならないのだけれど、私達の歳は、タナお姉様とポコお兄様が立候補してくれたので、上から数えた方が早いコイフは肩を撫で下ろしたのだった。




『親友』は美少女になりたい、魔法を使いたい、貴族になりたいと言っていたから、きっと人国に産まれているはずだ。

美しい貴族の娘なら噂になるはず。

王都でなくとも、貴族の多い魔法学校に行けば噂だけでも手に入るはず。とコイフは信じていた。



クルミちゃんは教師になりたいと言って、学都の教員育成学校を希望したし、アスチルベットお姉様の様に最終進学先を神都に定めた兄弟もいた。


コイフの同じ年の兄弟で、王都に進学を希望した兄弟は一人も居なかったので、コイフは安心して教え処を卒業できた。



まだすこし耳寒い(人国語で言う肌寒いの意味)けれど、心地の良いうららかな日差しの中、寝床と私物を抱えて向かうのは進学先。

最終進学の為の学舎、コイフは進学魔法学舎に入学したのだった。


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