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私がお兄さんを買ってあげるっ!―お兄さんを買う少女のお話―

作者: はこ

お読み下さり、ありがとうございます。


あてんしょん

・恋愛と言いつつ、この話はあまり恋愛要素が出てこないような……。

・♧→少女視点。◇→青年視点。


……あぁ、もうやだ。

今日はついてない。

1ヶ月に一回来る給料日でお金をもらえたところまでは良かった。本当に少ない金額とは言えど、ないよりはましの私の給料。

久しぶりのご飯にありつける予定だったのに。


「まさか、盗まれるなんて……」


ご飯を買いに行く途中で盗まれてしまった。抵抗したのだが大人の力に勝てるわけもなく。

…お腹すいたな。

……もう歩けないや。

今日ご飯にありつけると思っていただけにダメージが大きい。

路地の端っこでうずくまった。どうにか何も考えないように、考えないようにしていたのだが……。

雨がしとしとと降っていて自分の体温を少しずつ、しかし着々と奪っていく。

寒い、寒いよ。

今は秋。夏ならまだ良かった。この出来事が1ヶ月前だったら良かったのに。そしたらなんとかなったかも。

少しずつ寒くなっていくこの季節の中で雨にあたるのは厳しいものがある。


だんだん眠くなってきた。

寝ないように、寝ないように地面に淡々と降っていく雨の粒を見つめる。

いくつ雨粒が地面に吸い込まれていくのを見つめ続けていただろう?

……もう終わりにしてもいいかもしれない。

楽しいことないし。ただただ生きていくだけ。なんの意味もなく。

もう寝てしまおうか?

なんてそんなこと思っていたときだった。

急に雨が止んだ。そして視界の端に下駄が映った。

なんだろう??

そう思って顔を上げる。


「君、大丈夫?」


そこには髪の長い青年が立っていた。



「……!?」


ここは、どこだ。すごい温かい…場所だ。

天国?私はやっと…?

しかし、よく考えてみるとどうやら私は布団に寝かされていたらしい。

この布団、すごいふかふかで気持ちいい。もっかい寝かしてほしい。

でもここがどこか…確かめないと。

眠い目を擦りながら周りを見渡す。

ここは畳敷きの個室で私が寝ている布団は、部屋のど真ん中に敷かれているようである。

また部屋の壁には絵画が掛けられている。隅のほうには観葉植物などが置かれており、この部屋の持ち主のセンスの良さが伺える。

そういえばきょろきょろしてばかりいて、自分の目の前を見てなかった…と正面を見ると…?

キッチン……があった。

そして、そのキッチンで青年が料理をしている。

いい匂いがするなぁ。


ぐぅぅぅぅぅ………………………。


…………!?

お腹がなってしまった!

そういえば何も食べてないんだった!

お腹が鳴ったことで、お腹が空いてしまっていたことを思い出してしまった。

胃がキリキリと痛む。


「あぁ、起きた?大丈夫そ?」


気づくと料理をしていた青年がこちらに振り返っていたようだ。


「お腹がすいているんだろ?」


…………!?

お腹の音、聞かれてた………!!

何かを持ってこちらにやってきた。


「ほら、これ食べな。」


卵…おじや……。


ぐぅぅぅぅぅ………………………。


再びお腹が鳴った。

恥ずかしい、そう思いながらもちらりと青年を見る。

食べてもいいのだろうか?

青年は食べていいよと笑っていた。


ごくり……


唾を飲む。卵なんてもうここしばらく食べていない。

脇に置いてあったレンゲでおじやを掬う。

きらきらと卵が光っている。

綺麗………だ。

私が今まで見たご飯の中で一番綺麗で美味しそう。

食べるのは勿体ない…けどお腹がすいた。

思いきって口の中に入れる。


「……………!!」


目を…見張る。卵がふわふわでご飯があったかくて、美味しい。

美味しい、美味しい、美味しい……よ。

こんなあったかいご飯なんて…食べたことが…ない。

目から涙がぽろぽろと流れ落ちる。

泣くつもりなんて、もうなかったのに。

泣くっていう感情なんてなくしてたはずなのに。

なくなってなんか…なかったんだ。


「………う…うっ…うわぁぁぁぁぁん…」


私の感情は決壊した。



私が落ち着くまでの間、青年は背中をさすってくれた。


「落ち着いた…?」


涙でぼやけていた視界が晴れていく。

その青年は静かに笑っていた。


「落ち着いて良かったよ。…そういえばあそこで何があったの?うずくまっていたみたいだけど。」

「………お給料を盗まれちゃって。今日が給料日で久しぶりに…ご飯にありつけるはずだったの……それでお腹がすいてて……。」


本当に、助かった。


「もう死んでもいいかなって思ったの。」


そして目の前の青年に笑顔を向けた。


「本当に…ありがとう。」


目の前の青年は目を見開いて驚いている。

私が住むあの辺りはそれが当たり前。そして私は何人も何人も仲間達が死んでいくのを見てきた。


「…………そ…っか。」


青年は悲しそうに微笑んだ。


「名前はなんていうの?」


なまえ……名前?私の?


「名前は……名前はないよ。」


きっといつか両親に呼ばれていた時期があったんだろうな、とは思うけど。

もうそんなのは、忘れてしまった。


「あなたは?」

「僕……?僕は桜雪みゆきだ。」


桜雪………。この人にぴったりな名前だなぁ。


「いい、なまえ……。」


つい呟いてしまった。

彼はまるで雪に桜が咲いているような見た目をしている。

一言で言えば美しい。

そうだ……。


「ねぇ、私の名前を考えて…くれない?」


名前なんて必要ないと忘れてしまったけど、この人になら呼ばれてみたい。


「え、僕が…………?」


目の前の青年は少しフリーズしているようだ。


「僕が…考えてもいいのか?」


しばらくした後そう聞いてきた。


「もちろんだよ。」


その言葉を聞き、青年は考えはじめた。

んー、悩んでる顔も美しいんだなこの人。


瑠璃(るり)…とかどう?」


瑠璃…?なんか綺麗な名前。


「瑠璃…瑠璃。」


何度か自分で自分の新しい名前を呼んだ。


「うん…うん!ありがとう!お兄さん!」


お兄さんは少し苦笑をした。


「……お兄さん?んー、まぁ…いいけど。」


お兄さんはおじさんっていうよりお兄さんっていう見た目な気がしたんだけど…違ったかな?まずかったかな?

そしてしばらく談笑し…まぁ談笑とは言っても…お兄さんの部屋の中には私にとって珍しいものばかりで、それらについて私が質問してただけだったが。

もうすでに長居してしまったけどこれ以上はまずいなと思ってお兄さんにさよならを言い、ここを出ようとしたときだった。

思い出したようにお兄さんが尋ねてきた。


「そういえば今日給料日って言ってたよね?」

「うん。そうだよ。」

「1ヶ月にどれくらい貰ってるの?」


どれくらい……?急にどうしたんだろう?

不思議に思いながらも答える。


「んと、500(おう)くらいかな。」


500旺じゃあんまり食べ物を買えない。だから良くないと思いながらも働いているお店の残飯などもたまに食べつつ、どうにか食いつないでいた。


「たった…500旺……。1ヶ月で………?」


そう言うと、筆と紙を取り出して何かを書きはじめた。

んー、文字が読めないからなんて書いてあるかよく分からないな。

でもよく分からないけど、字がきっと綺麗なことだけは分かる。

文字を書き終えたらしいお兄さんは紙から顔を上げて、その紙を差し出してきた。


「この紙を……銀杏通りにある“玉鬘(たまかずら)”っていうお店に持っていくといい。きっとそこの店主が力になってくれると思う。」


そう言ってお兄さんは私を送り出した。

力に……なってくれるってなんのことだろう?

この紙にはなんて書いてあるのだろうか?


「ごめんね。こんなことしかしてあげられないけど。」


お兄さんは悲しそうに笑っていた。



裏口からお兄さんの部屋がある建物を出る。

ここは私が倒れていた路地からそう遠くない場所にあるようだ。

表にまわると建物にはなにかの文字が書かれた看板が下げられていた。ここはなにかのお店のようだ。ということはお兄さんはここの従業員か。

どうせ行くところもないし、帰るところも…あるはあるけども…お兄さんの部屋に行った後に帰ろうという気分になれる場所ではないし、お兄さんに教えてもらったお店に行ってみようかな。

この紙になんて書いてあるか知りたいし。

仕事を始める時間までに私が働いているお店に帰っていれば怒られないだろう。それまでまだかなり時間がある。

もらった地図どおりに歩いていく。

その足取りは今まで生きてきた、たった10年の中で一番軽いような気がした。

そんなに遠くない場所に銀杏通りがあった。

銀杏通りは賑わっていて、私が働いているお店の方の通りとは大違いだった。

人々に活気がある。みんな笑顔で楽しそう。

なんだか私は場違いな気がする。

そしてそんな通りの真ん中あたりにそのお店はあった。

この通りで一番賑わっているそのお店。

なんていうお店かは分かんないけど、でも紙に書いてある文字と形が一緒だ。

お店の前で人々の邪魔にならない程度に突っ立っていると、お店の人が声をかけてくれた。


「どうかしたの?」


お店の人は私の身なりを見て驚いているようだった。

それもそのばず。髪の毛はぼさぼさであっちこっちにはねている。ちゃんと切りそろえていないから毛先の方の長さが、がたがた。

…それに私のような見た目の子は、そもそもここに来ないだろうし。


「この紙を……お兄さんが…」


……うぅ、言葉が上手く出ない。

お店の人は紙を受け取ってくれた。

そしてその紙にさっと目を通した。


「……なるほど、ね。あなた名前なんていうの?」


なまえ……。


「瑠璃……です。」


お店の人は優しく笑ってこう言った。


「いい名前ね。じゃあ瑠璃こっちへいらっしゃい。」


……………??


「んー、にしてもまずはお風呂に入らないとね。」


お風呂………?


「そして髪を揃えて…きっと可愛くなると思うわ。」


髪を揃える…………?


「ちょっと!菖蒲(あやめ)!この子に似合うような、動きやすくてかわいい着物を持ってきなさい。」


お店の人は近くにいた人に声をかける。


「はい、分かりました。女将さん。」


……………?女将さん!?


「そういえば、私の自己紹介を忘れていたわね。私の名前は日華(にっか)っていうの。一応ここの女将ってことになってるけど、そんな固くなくていいわ。私、みんなと家族のように仲良くしたいもの。」


私が驚いて固まったことを察したようだ。

そう言ってくれて、なんだか少し安心する。

だからここは賑やかで楽しそうなのかもしれない。きっとみんなの仲が良いんだ。

私は状況が理解できないまま、女将さんに連れられてお風呂に入った。



お風呂なんて初めて見た。聞いたことはあったけど見たことはなかったから……。

それは広い広い箱みたいな物にお湯が溜められていた。


「まずは頭を洗いましょうか。」


そう言ってお湯を頭からかけられる。

あったかい………。

気持ちよくて目を細めた。

そうやって順調に体も洗っていく。


「湯船にも浸かるといいわ。きっと疲れが取れると思うから。」


そう言われたので恐る恐るお湯に体を沈めていく。

お風呂は明日も入りたいなと思うほどに素晴らしいものだった。入れるわけなんてないけど。

しばらくお風呂を堪能した後、女将さんに連れられて着物を着せられた。

………こんなもの着たことがない。

落ち着かなくて目をさまよわせる。


「あとは、髪ね。」


着物の上から白い布を被せると女将さんはハサミを持ってきた。

そしてばさばさと切っていく。

私は、はらはらと落ちていく自分の髪の毛を見つめていた。

そして、ついに。


「はい、できたわ。」


女将さんに鏡を渡される。


「随分可愛くなったと思う!」


その鏡を見ると、前の自分とは全く別人の自分が見つめ返してきた。

これが…自分?


「ありがとう……ございます。」


自分ではないみたい。自分もまともになれるんだと嬉しくなった。

だけど…………。 


「でもこんな綺麗な着物着て、お店に帰ったらこの着物を売り飛ばされちゃいます。だから…あの…」


売り飛ばされたくない。

ここのお店の女将さんは優しいけど、私が働いているところの女将さんは…………うん。


「…あれ?桜雪からの紙には“雇ってくれないか”って書いてあるけど………?」


雇う?


「瑠璃……この店で働くんじゃないの?」


女将さんに聞かれて困惑した。

ここで働く?私が?


「嫌なら別に構わないけど………。」

「は、は、働きたい…です!!」


気づけば大声で即答していた。

そして私にもこんな大声が出るのかと他人事のように感心した。

まさかお兄さんがこんな良い場所で働かせてもらえるようにとここの女将さんに手紙を書いてくれていた…なんて。

夢のようだった。

お兄さんはうずくまっていた私に食べ物をくれただけではなく、新しく働く場所もくれるなんて。


「ふふっ。いいお返事ね。お給金は1ヶ月1000旺。ちょっと少ないかもしれないけど三食のご飯や、部屋をあげるから少し我慢してほしい。お店のことを覚えて色々任せられるようになったら、もっとお給金を増やしてあげられるから許してね。」


三食お部屋付き…………?


「いや、あ、あの!そんな豪華でいいんですか?」


思わず聞いた。だって前のお給料は500旺だったし、部屋だってご飯だって一食たりともついてなかったから。


「…差し支えなければ聞いていいかしら?一ヶ月のお給金っていくらだったの?」


お兄さんにも聞かれたなぁ。


「500旺です。」


そして女将さんは恐る恐る聞いてきた。


「もしかして三食のご飯もお部屋もなかったの?」

「えと………はい。」


女将さんがものすごい目で睨んでいる…………すごい殺気………。


「あ、ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったの!それに瑠璃は悪くないわ。それで…瑠璃の働いていたお店ってなんて名前かしら?」

(つごもり)っていう名前だと思います……多分。」


なにせ文字が読めないから……お店の名前すら怪しい。あのお店の女将さんが、お店のことを晦って言っていたのを聞いたことがある…ってぐらいだし。そのときの話の流れから、多分お店の名前であっていると思うんだけど。

それを聞いて女将さんは納得したようだ。


「あー、あそこのお店ね。あそこには色々話を聞かなくちゃならないことがたくさんあるし、ちょうどいいわね。瑠璃がうちの店で働くことも伝えておきましょう。」


…………………!!

あの女将さんにもう合わなくていいんだ。

それからというもの私の生活はがらりと一変した。

毎日が楽しく、まるで生まれ変わったようだった。

お店で働いている人はみんな私に優しくて。

お兄さんにもう一回お礼を言いたい、そう思った。

それを女将さんに伝えたら少し困った顔をしていた。


「瑠璃は優しいのね。構わないけど……。そうね、うーん。」


女将さんはなにかと葛藤しているようだ。

そして意を決したように口を開いた。


「桜雪が働いているお店……“夕霧亭”というのだけれどあそこは…従業員の時間を売っているの。」


時間を売る?


「あそこの従業員はみんな料理人なんだけど、料理人ひとりひとりに一時間いくらって値段が決まってて、お客さんは料理人の一人を指名して好きな料理を作ってもらえる…の。」


うん……うん?


「昼間は指名制のお食事処だと思ってくれればいい。だから桜雪に会いたいなら、桜雪を指名したほうが確実だと思うの。指名もせず会いに行ったことが夕霧亭の店主にばれたら、あそこの店主はケチ臭いからなんて言われるか分からないし、なにしろ会わせてもらえない。」

「いくら払えば会わせてもらえるんですか?」


今の全財産は初任給でもらった1000旺。足りる…かな?


「そうね、1時間2000旺ってとこかしら?」


…………………………。

私の二ヶ月の給料。しかもたった一時間………。


「よし、私お仕事頑張ります!」

「1000旺くらいなら、出してあげ……」

「そ、それじゃあ駄目なんです。私が働いて貯めたお金でお兄さんに会わないと!」


それに女将さんに頼ってばかりでは駄目だ。



そして約一ヶ月後――――


「はい。これが今月のお給金ね。」


差し出された茶封筒を受け取る。なんて書いてあるかは分からないけど、女将さんもとても綺麗な字だなぁ。


「明日は、お休みの日だから……明日は好きなように過ごしなさい。“夕霧亭”に行ってきてもいいわ。でも行くならこの手紙を持っていきなさい。」


そして私はもらった封筒と手紙を自分の部屋の大切な物を入れる引き出しにしまい、眠りについた。


次の日になり、私はてけてけと歩いて“夕霧亭”へ向かった。

一ヶ月前に“夕霧亭”から“玉鬘”に向かった道を逆戻りしていく。

あのときは絶望していた。

今はあのときとは全く別の感情を抱いて、同じ道を歩いている。

不思議な気分。

そしてそう遠くない場所に“夕霧亭”を見つけた。

一ヶ月と変わらず、そのお店は建っていた。

ドアに手をかける。

ドアはカラカラという音を立てて開いた。



「いらっしゃ………いませ。」


お店の人が出迎えてくれた。私を見て少し驚いているようだ。

お店の中を見渡すと……大人ばかりだ。

私のような年齢の子供はあんまりこのお店に来ないのかもしれない。


「え…と?」


お店の人が戸惑っている。


「あの…この手紙を………」


女将さんにもらった手紙を差し出す。

お店の人は受け取り、手紙を読んでくれた。


「はい。えとご指名は桜雪ですね?時間は、1時間……分かりました。ご案内致します。」


お店の人に連れられて建物の中の廊下を歩く。

前回来たときは正面から入って出たわけではなかったので気がつかなかったが、この建物はかなり廊下が入り組んでいた。

奥へ奥へと進んでいき、見覚えのあるドアの前で立ち止まった。


「桜雪。お客様です。」


しばらく時間を置いた後、「はい」という少しため息混じりの声が聞こえてきた。


「どうぞお入りください。」


そう言われたのでドアを開けて中に入る。

すると目の前にお兄さんが立っていた。

目を見開いて。状況が理解できていないようだ。


「え?………え?……………瑠…璃?」


まだ覚えてくれていたことに安堵した。

忘れられたかもしれないと思ったから。


「お兄さんにお礼がもう一度言いたかったの。お兄さんのおかげで今、毎日が楽しい。」

「……………………。」


お兄さんはどうしたんだろう?


「とりあえず…………座れば?」


とお兄さんは座布団を指さしたのでお言葉に甘えることにした。


座ったはいいものの沈黙が続く。

どうすればいいのかなぁと前と変わらない室内を見回していた。


「えと、このお店の仕組みは知ってる?」


仕組み?


「お兄さんの時間を買うってやつ?」

「うん………まぁだいたいそんな感じだ。うん。」


なにかおかしかっただろうか?


「“玉鬘”の女将さん、よくここに来ることを許したなぁ」なんてお兄さんは呟いている。


「まぁいっか。とりあえずせっかく僕の時間を買ってくれたんだ。お昼は食べた?まだ食べてないならなにか作るよ。リクエストある?」


“夕霧亭”はご飯を食べるところだと聞いていたのでもちろんお腹はすかせてきた。


「卵おじやがいい。」


そう私は即答した。


「……いやそんなんでいいの?」

「うん。」


だってあの卵おじやは人生の中で一番おいしかった。もちろん毎日“玉鬘”で食べているご飯もおいしいけど、まだあの卵おじやを超えるものにまだ出会えていない。


「…………割に合わない気がするんだけど。」

「?」

「瑠璃は僕を1時間2000旺で買ったはずだ。卵おじやはどう考えたって割に合わない。」


……………んー、でも卵おじやがいいんだけど。


「じゃ、じゃあ!」


いい考えを思いついた!


「私に文字を教えてよ!」

「文字?」

「私、文字を読むこともできないし、書くこともできない。だけど…これから働くにあたって今は必要ないけど、いつか必要になるときが必ず来ると思うんだ。それに知っていて損はないし。」


文字を教えてもらえれば色々知りたいことも学べるかもしれない。

もっと女将さんの役にたてるかもしれない。


「いいけど…………。」

「やった!」


ということで私はお兄さんに文字を習うことになった。

卵おじやを作ってもらったあとに食べながら文字を習った。まずは平仮名から。


「これが“あ”でこれが“い”。んーーー。」


50個も覚えなくてはならないのか…………。

しかもその後にカタカナと漢字もある。漢字なんてひらがなと比じゃないくらいの数があるんだとか。

でも覚えられればお兄さんのように、女将さんのように手紙が書けるようになる。

俄然やる気が出てきた。


「お兄さん!瑠璃ってひらがなだとどうやって書くの?」

「これとこれで“るり”って読む。」

「じゃ、お兄さんの名前は?」

「これとこれとこれで“みゆき”って読む。」


ふむふむ。

そうやってお兄さんと1時間を過ごした。


「じゃあお兄さん、そろそろ私帰るね。」

「……気をつけて帰れよ。」


お店の人に2000旺払った。


「ねぇお兄さん!また文字教えてね。」


お兄さんにそう言って“夕霧亭”を後にした。



あの少女――瑠璃に出会ったのは久しぶりにあの店を出て食材を見に行った帰りだった。

雨が降っていて寒いなぁなんて呑気なことを考えながら。

すると誰もいない寂しい路地にぽつんとうずくまっている少女がいたのだ。

寂しそうに、雨にうたれながら地面に落ちる雨粒を見つめているように見えた。

その少女をほおっておくべきだったのかもしれない。あの少女のような子供はこの街にたくさんいるわけだし。

少女と自分が重なる―――――

…見捨てるなんてそんなこと僕にはできなかった。


「大丈夫?」


少女の側に行ってそう声をかけた。

僕を見上げた少女から全く反応がなく、訝しく思っていると急に少女の体が傾く。

既のところで少女を支える。

危なかった。危うく地面に頭をぶつけてしまうところだった。

気絶してしまったようだ。

…………んー怖がらせてしまうようなことをしたか?

いや、大丈夫なはず…大丈夫なはず……。

少女をそのまま放置しておくわけにもいかず、その少女を抱えて自分の部屋に帰ることにした。

今日なにも買って帰らなくて良かった。

店主になにか言われたら嫌なので、一応裏口から自分の部屋に向かった。


少女を布団に寝かせてどうしようかと迷っていたとき、少女のお腹がぐーーっと音をたてて鳴った。

お腹がすいているのか。

うーん、なになら食べれるだろうか?

そう考えながら手を動かしていたのだが………


「あっ…………」


気がついたら卵おじやを作っていた。

無意識だ。頭を抱える。

あれだな。幼い頃に病気になったときは母に卵おじやを作ってもらっていたからだ…………。

あー、少女にアレルギーとかあったらどうしようか?

ま、いっか。最悪の場合作り直せばいいし。

なんて思いながら作ってそして少女に卵おじやを出して。

そしたら泣き出してしまって…………。

きっとこの小さな少女は計り知れないほど大変な思いをして生きてきたんだろう。

名前を忘れてしまったと言われたときは本当に驚いた。

…まぁ名前を考えてくれと言われたときの方が驚いたけど。

少女の名前はその目の色からとった。

深く澄んだ綺麗な瑠璃色の目。

酷い扱いを受けていただろうに、その目に曇りは一つもなかった。

…僕なんかとは違う。

…濁った世界で生きている僕なんかとは違うんだ。

夜の仕事をするときは、適当にお客様にお酒を飲ませて済ませているけど…いつかは…しなくちゃならないかもしれない…………。

だからもう会うことなんてないと思っていた。

でも瑠璃と出会ったあの日から一ヶ月後、瑠璃は僕のところにお客様として来た。

夜にはお客様がそれなりに来るが、昼間に来るなんて珍しい……。でも相手をするのがめんどくさいなんて思っていたら。

まさかの瑠璃だった。

そして僕に卵おじやを作ってくれ、文字を教えてくれなんていうから本当に驚いた。

しかも瑠璃は僕にお礼をしに来たあの日から、二ヶ月ごとに“夕霧亭”に来るようになっていた。 

大事な給料をこんなところに来るのに使ってはいけないと思い、少女に伝えたが怒られてしまった。

来たくてきてるのだから、どうせ給料の使い道なんてないから、と。

嬉しくもあり、でも瑠璃はこんな場所に来てはいけないのだ。

いつかは突き放さなくてはならない。

瑠璃はあっという間にひらがなを覚え、カタカナを覚えた。

卵おじやの作り方を教えてくれとせがまれて教えた。

瑠璃がどこで聞いたのか僕の17の誕生日を祝ってくれた。

嬉しかった。

瑠璃に誕生日はいつかと聞いたら瑠璃は分からないけどお兄さんに名前をもらった日が誕生日がいいと言った。

だから一年後、お返しに瑠璃の11の誕生日を祝った。

気がついたら僕は二ヶ月に一回、たった一時間のこの時間が楽しいと手放したくないと感じるようになってしまった。

ああどうしよう。

ついに店主に言われてしまった。昼間とはいえたった11歳の……しかも“玉鬘”という有名な由緒正しき店で働いている子がここに来るのはまずいと。

それにこういう店だから間違いが起こったら…………。

それに少女はここがどいう店か把握してないだろうと痛いところを突かれてしまった。

それでも僕は瑠璃に言うことができず。

僕の誕生日が過ぎ……………。

瑠璃の12歳の誕生日。

もう誤魔化すことはできない。



私の誕生日。

いつものように“夕霧亭”のお兄さんの部屋にいた。

でもいつものようではなかった。お兄さんの雰囲気が違う。


「瑠璃……単刀直入に言う。もう、ここには来るな。」


私は息を呑んだ。


「ここに瑠璃は来ちゃいけない。本当はもっともっと前に言うべきだった。でも僕が臆病だったから。」

「そんなことは………」

「あるんだ。あるんだよ。」


お兄さんは私の言葉を遮ってそう言った。


「ここは“遊郭”の一種だ。子供が来る場所じゃない。昼間はあまり“遊郭”っぽくないが夜はそういう場所だ。」


…………………。


「知ってた。知ってたよ、お兄さん。」


なんとなく、察してはいた。


「だけど、お兄さんと一緒に話したりするのが楽しかったから………だから………。」


なんとなく、いつかは終わりになるってわかってた。


「ねぇお兄さん、また会えるよね………?」

「…………………。」


お兄さんは黙ったまんまだった。


「僕はここから出ることはできない。ここは“遊郭”だから。普通の“遊郭”とはちょっと違うけど。それでも“遊郭”なんだ。…………僕がここから出るには身請けしてもらうしかない。」


それを聞いて私は深呼吸をした。

そしてお兄さんに言った。


「……………私がお兄さんを買う。」

「え?」

「だったら私がお兄さんを買うよ!」


きっと相当なお金が必要なんだろう。

だけど私が貯めてお兄さんをここから出す。


「そんなことを………」


私は、お兄さんの言葉を遮る。


「うううん。決めたの。もう決めた。それにお兄さんは私を救ってくれた。だから今度は私の番。」


お兄さんは諦めたように笑っていた。


「分かったよ…期待して待っとく。」


寂しくなんてない。辛くなんてない。

最初からなんとなくこうなることは分かってたんだから。



「……………私がお兄さんを買う。」

「え?」

「だったら私がお兄さんを買うよ!」


なんだって?


「そんなことを………」

「うううん。決めたの。もう決めた。それにお兄さんは私を救ってくれた。だから今度は私の番。」


本当にびっくりした。何を言ってるんだ、目の前にいる少女は。

僕を買う?

身請けするっていうのはどんだけ人気のない人でも、相当な金額が必要になる。

そんなの……………無茶だ無謀だできるはずない。

そもそも瑠璃は普通の少女だ。

身請けなんてできるほどお金を持っているのは、金持ちの坊っちゃん、お嬢ちゃんあたりだろう。

だけど、だけど、だけど。

できなかったとしても僕をこの“遊郭(とりかご)”から連れ出してくれようと、そう言ってくれるだけで嬉しかった。


「分かったよ…期待して待っとく。」


僕…いや俺をきっと救ってくれるって信じてる。

料理できる人羨ましいなぁ。

…できないことはないんですがね。

すごい中途半端な終わり方でごめんなさい。短編なので………。

お金なんて少女は持ってないのにどうやって青年を買うんでしょうか………?


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