#6 深妙なる闇
「機関良好、各種センサー、チェック完了!」
「管制塔より通信、規定高度周囲20キロ以内に航空機および船舶なし!出港許可、了承!」
「よし、ではこれより出港する。機関始動、出力上昇!繋留ロック解除!抜錨、駆逐艦4160号艦、発進!」
「了解、繋留ロック解除!4160号艦、発進!」
ヴィクトア艦長の号令と共に、私の乗る駆逐艦4160号艦が唸りを上げ始める。ブォォォンという鈍い低音を上げながら、一瞬、船体が揺れる。が、揺れが収まると、まるで雲のようにふわりと浮き始める。
窓の外に見える王都の街と宇宙港ターミナルが、徐々に離れていく。それを見て私は、違和感を覚える。というのも、この船が空に浮かぶ姿を幾度となく見かけたが、その船に自身が乗り、空に浮かぶなど、どうしても信じられない。だが、確かにこの船は今、私を乗せたまま浮かんでいる。
だから私は、感銘するよりも恐怖の心の方が強い。まさか生きたまま雲よりも高いところにくることになろうとは、考えたこともない。そんな私に構うことなく、駆逐艦4160号艦は空高く舞い上がっていく。
やがて、窓の外が暗くなる。今は昼前であり、地上はまだ明るいというのに、空は真っ暗だ。高いところでは、空はまるで夜のように暗くなるようだ。何もかもが、私の常識とは違う。
「規定高度4万メートルに到達!」
「前方300万キロ以内に、船影なし!進路クリア!」
出発から20分が経った。王都はすでに小さく、空はもう夜のように暗くて、相当高いところに到達したことが分かる。艦長が叫ぶ。
「これより、大気圏を突破する!仰角3度、両舷前進いっぱい!」
「了解!仰角3度、両舷前進いっぱーい!」
艦長の号令と、それに応える航海長の復唱の瞬間から、この艦橋内の様子が変わる。グォーンという唸り音が、徐々にその大きさを増していく。ビリビリと、床や椅子が震え始めた。と同時に、窓の外の風景が後方へと流れ始める。
何事が起きたのか?真下に広がる陸地が、猛烈な勢いで後ろへと流れ始め、海へと出た。それもしばらくすると、真っ暗闇へと変わる。
そのときにはすでに、ゴォーッというけたたましい音が鳴り響き、まるで地揺れでも起きたかのような小刻みで激しい揺れが襲う。耳を塞いでも、その音は私の脳裏まで響き渡る。王宮よりも大きな船だというのに、まるで石畳の上を全力で走る馬車のような様相だ。すでに周りは真っ暗な闇しか見えていないが、猛烈な速さで飛んでいることだけはこの音と揺れで感じる。
が、窓の外に見えたあるもののおかげで、私自身が遠く離れた虚空の上に飛ばされたことを実感させられる。
そのあるものとは、青く、そして丸く、巨大な球。私はそれを見て、圧倒される。
それは紛れもなく、私のいた星。地球と呼ばれる、人が住む星だ。眼前に見えるあの大陸の端の方、我がカール・マルテル王国の地が見える。その王国に向かって、この駆逐艦は突き進む。
その巨大で青い地球のそばをあっという間に通り過ぎると、今度はその向こうに見える月が、徐々に接近してくる。
そのあたりくらいから、先ほどのあのけたたましい音は徐々に小さくなり始める。と同時に今度は、眼前に月が迫ってくる。私は、いつも夜空で見る明るい黄白色の月を間近で見た。が、夜空に輝く幻想的なはずの月は、灰色でゴツゴツとした、ただの荒地にしか見えない。そんな月の正体を見せつけられた後に、この月もあっという間に通り過ぎていく。
そして月を通り過ぎると、星が散りばめられた真っ暗闇だけが窓を覆う。
「大気圏突破、完了!巡航速力にて、予定軌道上に乗りました!」
「演習場である小惑星帯まで、あと7時間!」
「よし、このまま小惑星帯にて艦隊主力に合流する。前進半速、進路そのまま」
「了解、両舷前進半速、進路そのまま!」
いつの間にか、機関音は鳴り止んでいた。ブォーンという鈍い音だけが、この狭い艦橋内部に響き渡る。
「加速フェーズは終わった。あとは艦隊の合流まで、大きな動きはない。今のうちに、休んでおくといい」
「はっ!ですが……」
「貴官は今、見習い研修兵だ。7時間後には艦隊と合流する。今のうちに休息せよ」
「はっ!ではマドレーヌ上等兵、休憩に入ります!」
私はローベルト少佐に敬礼し、艦橋の出入り口に向かう。そこで一礼し、扉を開けて通路に出る。
狭い通路を抜けると、エレベーターの横にたどり着く。その奥には、少し幅広な通路が続く。
このまま部屋に戻ってもいいが、私はなんとなく、艦内を巡ってみたくなる。なにせ、動いているこの船に乗るのは初めてだ。出発前に、少佐殿の案内で中を巡りはしたが、艦橋がそうであったように、動いている時にはかなり印象が違うであろう、と。
そこでまず私は、機関室に向かった。あそこは、この船の心臓部だと言う。宇宙に出て全力で働くあの機関室を見ずに、この駆逐艦を知ることなどできない。そう感じた私は、エレベーターで機関室のある階に向かう。そして、機関室の中の入った。
「あれ?マドレーヌさんじゃないですか。どうしたんです?」
そこはまるで、サウナのような暑さだ。むわっとした熱気が、私の顔を襲う。
「いえ、私、この機関室が実際に動くところを見たことがございませんので、この休憩の間に是非、見せていただこうと思いまして」
「ああ、そうでしたか。それじゃあ是非、ご覧ください。案内しますよ」
私のこの突然の申し出に応えてくれたのは、モーリッツ少尉だった。上着を脱ぎ、タオルで汗を拭いながら、私を手招きして下さる。
中は、本当に暑い。吸った息が体内でもわっと広がり、内臓に熱気を吹き込むのが分かる。唸りを上げて動く2つの機関を横目に、私は機関室の奥へと進む。
「なんだ、少尉。仕事中にデートしてるのか!?」
「ち、違いますよ、副機関長!見学したいとおっしゃるので、案内しているだけです!」
機関室の奥でモーリッツ少尉をからかってきたのは、ヴァルター大尉だ。私は敬礼する。
「……で、なんだって見習い兵に、この忙しい時に見学などさせる必要があるのだ?」
「いえ、副機関長殿、すでに全エンジンは自動航行モードに入り、我々の手も空き始めてますが……」
「そんなことないだろう!エネルギー伝達管のチェック、終わったのか!?」
「それは先ほど、機関長に報告したばかりだと……」
「もう一度だ!俺は確認を受けていない!」
「ええーっ!?いや、副機関長、この短時間のうちに2度もやるなんて、聞いたことないですよ!」
なんだろう、ヴァルター大尉からはなにやら、私に対する当てつけというか、悪意らしきものを感じる。
「どうやらお邪魔だったようですね。では私は、退室いたします。失礼します」
ヴィルター大尉とモーリッツ少尉に向かって、私は敬礼する。すると、私の振り向き様に大尉が、こう呟くのが聞こえる。
「……あれが、王子殺しの、大罪人か……」
「ちょ、ちょっと副機関長、なんてことを……」
それを聞いて諌めようとするモーリッツ少尉。が、私は聞こえなかったふりをして、その部屋を出る。
やはりここでも私は大罪人扱いなのか。生きる機会を与えられたものの、それはやはり修羅の道。王都を離れ、宇宙港の街に移り住み、事情を知らぬ地球459の人々の中に紛れても、私の罪は消えぬようだ。
それにしても、機関室は暑すぎた。おまけにあの不愉快な態度。私は、喉の渇きを覚える。そこで私は、艦後方左右にある展望室へと向かう。
ここには自販機があり、テーブルと椅子がいくつか並んでいる。そして、小さいながらも窓がある。私はジュースを一本購入し、それを飲みながら外を眺める。
だが、外は真っ暗だ。星は見えるが、ほとんどが闇。漆黒の、深い闇。今まで、夜空の向こうがこんな世界だったとは、想像すらしなかった。そんな闇の世界をぼーっと眺めていた。
すると突然、声をかけられる。
「あら、御令嬢様じゃないの」
振り向くと、そこにいたのはトルテ准尉だった。私は立ち上がり、敬礼する。
「ああ、いいわよ。今は非番だから。それよりもあなた……髪、切ったのね」
私を指差し、こう指摘するトルテ准尉。私は応える。
「はい、ここではあの長い髪は邪魔ですので」
出発の前日、私はあの長い髪を切ってもらった。腰ほどまであった髪を、肩ほどの長さまで切りそろえる。それをさらに後ろで束ねている。
「そう……いい心がけね。確かにあれは、邪魔だわ」
こう言ってはなんだが、これまでの言動から察するに、トルテ准尉も私のことをあまり良くは思っていない節がある。スマホの使い方などを教えてくれてはいたが、あれはどちらかと言えば、目下の者に接するが如く態度であった。
「ところであなた……機関室に行ったわね?」
と、そこで急にトルテ准尉がこんなことを言い出す。私は思わず、構える。もしやトルテ准尉、ヴィルター大尉と繋がっているのか?
「は、はい……ですが、なぜそれを?」
「あなたの額が、汗だらけよ。この艦内でそれだけの汗が流せる場所は、機関室とお風呂場くらいのものよ」
私はハッとする。言われてみれば確かに、まだ汗が残っている。するとトルテ准尉が私に言う。
「ついていらっしゃい」
「はい?」
「いいから!」
私を手招きして、展望室の外に向かうトルテ准尉。私は少し不安を抱えつつも、トルテ准尉についていく。
そのままエレベーターに乗り込み、居住区のある階で降りる。そしてたどり着いた先は、風呂場だった。
「あの、ここは……」
「見れば分かるでしょう!風呂場よ、風呂場!」
「それは分かりますが、なぜ、風呂場に?」
「額だけであれだけ汗出していれば、身体中べったりでしょう!?だから連れてきたの!」
なんだ、そういうことか……にしても、いちいち私に不機嫌に振る舞うものだ、このお方は。
貴族令嬢の世界もそうであったが、ここでも新参者はいびられるようだ。ましてや私は、大罪人。おまけに、ここでは私は年少者である。皆、私より歳上だ。責め苛む相手としては、格好の餌食といえよう。
そんな准尉の後ろを、ただ黙って付き添うしかない私。これならば、早めに部屋に戻るべきであったなと少し、後悔する。
「さ、さっさと脱いで頂戴」
トルテ准尉に促されるままに私は、脱衣所で脱ぎ始める。風呂に入る直前、准尉は私の方を見て、眉間にシワを寄せながら睨みつけてくる。
そして風呂場に入り、あの洗浄ロボットに身を委ねる。どうも私はまだ、このロボットには慣れない。が、宇宙では水やシャンプーは貴重。少しでも節約するため、身体を洗うのを機械任せにしているという。
それが終わると、トルテ准尉と共に浴槽へと向かう。しばらくの間、私の方をじっと見つめていたトルテ准尉は、私に向かってこんなことを言い出す。
「ちょっと、あなた」
なぜあれほど、私を睨みつけるのだろう?私は准尉に尋ねる。
「な、なんでございましょう?」
「前々から一度、聞いておきたいことがあったのよ。この際、いい機会だから、ちょっと聞かせて頂戴」
「なんのことでしょうか……?」
この流れ、トルテ准尉が私に尋ねるというのは、やはりあのことだろうか?つい先ほども、私は機関室で罵られたばかりだ。私は少し、身構える。
するとトルテ准尉は、私の胸の辺りを指差しながら、こう切り出す。
「……これ、どうしてあなた、こんなに大きくなれたの?」
「あの、これというのは……」
「これよ、これ!」
その指先は、私の胸の膨らみを指している。
「あの……どうしてと申されましても、気づいたらこうなっていたと申し上げる他には……」
「いえ、そんなはずないでしょう!毎日揉んでいたとか、何か秘伝の食事があるとか、貴族ならそういう秘訣、知ってるんじゃないの!?」
「い、いえ、本当に知らないんです」
なんてことだ。トルテ准尉はさきほどから、私の胸を見ていたのか。自身の小ぶりなそれと見比べながら、私を問いただそうとする准尉。
「……ま、そうよね。文化レベル2の星に、そんなものがあるわけないわよね……」
ところが、早々に諦めてしまうトルテ准尉。私は尋ねる。
「あの……胸が大きいと、何か良いことがあるのでしょうか?」
「なによ、あなたのところでは良いことなかったの?」
「いえ、特には」
「だって、男って大きい方が好きなんでしょう!?」
「そうなのですか?」
「そうって……いくら貴族でも、男との付き合いくらい、なかったの?」
「そうですね。殿方とはあまり付き合いはございませんでした」
「……それじゃあ貴族って、どうやって結婚相手とか探すのよ」
「それは、貴族同士で相手を決めてしまうもので、別に私が探すなどとは……それに、私は第一王子との結婚が決まっておりましたし」
「はぁ!?なんてことよ!自分で決められないの!?」
「そ、それはそうです。貴族同士や王族とのよしみを深めるために、結婚相手は決められるものでございますし」
「なにそれ?なんて遅れた考え方……ああ、そうよね、ここはそういうところだったわ」
浴槽の中で頭を抱えるトルテ准尉。そしておもむろに頭を上げて、私に尋ねる。
「……で、あなたはその結婚相手を殺した、と言われてるわけね」
それを聞いた私は、再び不快なものを感じる。ああ、やはり私はどこへ行っても、王子殺しとしての罪を背負い続けなくてはならないのか?
「でも、信じられないわねぇ。なんだってこんな大人しい娘が、自身の結婚相手を殺そうだなんて……ねえ、あなた、その第一王子って人、殺したいと思うほどの人だったの?」
「いえ、正直言いますと、まだ話すらしたことがなかったのです。私は第一王子が亡くなったその日に、初めて言葉を交わしたばかりだったんです」
「えっ!?そうだったの!?うーん……」
再び考え込んでしまったトルテ准尉。そして再び、口を開く。
「……ま、どう考えてもこれは陰謀よね。その、第二王子ってのを擁立した連中が何かを仕掛けたのは間違い無いわね。でもねぇ……せめて私達がいる時に起きた事件だったら、どうにかできたかもしれないのにねぇ」
首を振りながら私に語るトルテ准尉。そんなトルテ准尉に私は尋ねる。
「あの……ひとつお聞きしても、よろしいですか?」
「なによ」
「トルテ准尉殿は、その、振り向かせたい殿方がいらっしゃるのですか?」
それを聞いたトルテ准尉は、辺りを見回す。誰もいないことを確認したのか、私に囁くように言う。
「……約束よ。誰にも、言わないでね」
「は、はい……」
「実は私、付き合っている人がいるのよ」
「あの、それはこの艦内の人なのですか?」
「そうよ。モーリッツ少尉って言うんだけど……」
「ええーっ!?も、モーリッツ少尉!?」
「しーっ!声が大きい!」
私は思わず叫んでしまった。その口を塞ぎながら、真っ赤な顔で制止するトルテ准尉。
「……申し訳ありません。で、モーリッツ少尉殿とは、どのような?」
「あなたもあったことあるなら、分かるでしょう?少し飄々(ひょうひょう)として頼りないけれど、優しいし我慢強いし、私のような女でも根気よく相手してくれるし……ああ見えても、いざというときは男らしいのよ」
「そ、そうだったんですか……」
「でもね、あの通りのいい男だから、いつか誰かに取られちゃうんじゃ無いかって心配なのよ。で、マドレーヌちゃんに、その胸の秘訣を聞いてみようと思った次第なの。」
ああ、なるほど、それで私と話をしたいと仰っていたのか。なんとなく、私の中で繋がった。
「でも准尉殿。モーリッツ少尉殿は別に、女の胸を見ている節はございませんが。先ほど私が機関室に立ち寄ったときも、特に私の胸を見ている気配はございませんでしたよ」
「そ、そうなの?」
「あまり偉そうなことは申し上げられませんが、いくらなんでも胸の大きさだけで、殿方の気持ちが動くとは思いません。モーリッツ少尉殿ならば、准尉殿の人となりを承知の上で、お付き合いされているものと心得ます」
「そ、そうかしらね……ま、まあ、そうよね。私の人柄こそが、彼を惹きつけているのよね」
なんだか急に得意げになるトルテ准尉。どうもこの人は、感情の浮き沈みが激しい。
「さすがは元公爵令嬢っていうだけあるわね。やっぱり話してみてよかったわ。それじゃそろそろ、出ましょうか」
浴槽で立ち上がり、脱衣所のほうに向かうトルテ准尉。ところが、脱衣所の前で突然振り向き、こんなことを言い出す。
「ところで、マドレーヌちゃん?」
「な、なんでしょうか?」
「そういえば、あなたのこと、聞いてなかったわね」
「私の何を、お聞きしていないと……」
「私のプライベートなことを喋ったと言うのに、あなたのそう言う浮いた話、まだ聞いていないわよね」
といいながら、私に迫るトルテ准尉。
「い、いえ、准尉殿、私にはまだ……」
「付き合うまで行かなくとも、もうそろそろ気になる人くらい、いるんじゃないの?男なんて、この艦内にはそれこそスペースデブリのようにウジャウジャいるから、選り取り見取りよ。その胸の二つのふくらみをちらつかせれば、誰だってイチコロなんだから」
「いえ、そんなはしたないことは、さすがに私には……」
「んふーっ!でもやっぱり、女の私でも気になるわねぇ。ちょっとだけ、触らせなさいよ!」
と私はそのまま、トルテ准尉から洗礼を受けてしまう羽目になる。
が、思ったよりこの人、いい人だった。それが分かっただけでも、すぐに部屋に帰らなかったことは幸いだったと思えてくる。
だがふと思うのだが、トルテ准尉もリーゼル上等兵曹も、なぜ私の胸を触りたがるのだろうか?