#5 新妙なる教育
真っ白な草原の上に、人が立っているのが見える。あのお姿、それが父上であることはすぐに分かる。その後ろには母上に兄上、そして姉上もいる。
私と目が合うと、父上は微笑む。だが父上は、その場から歩み寄ろうとはしない。私は、父上のいる方へと歩み始める。
が……私は、思い止まる。そして、父上に申し上げた。
「父上、申し訳ありません。私、もう少しここで、足掻いてみようかと存じます。そちらへはしばらく、行けそうにありません。お許し下さい」
すると父上は微笑んだまま、私に手を振る。母上に兄上、姉上も、私に手を振った。そして、真っ白な草原は徐々に光を失い、目の前は闇へと変わる……
「マドレーヌさん!起きてください!」
……と、突然、声が聞こえる。私はその声で目を覚ます。
それは、リーゼル上等兵曹の声だ。そして、ガンガンと扉を叩く音がする。辺りを見回すと、すっかり日が登っている。私は急いで起き出し、玄関の扉を開ける。
「おはようございます!どうですか、ぐっすりお休みになれましたか?」
私の顔を覗き込み、にこやかな笑顔を振りまくリーゼル上等兵曹。その隣には、男の人が立っている。
はて?ローベルト少佐ではないな。しかし昨日、どこかでお会いしたような気が……ああ、そうだ。食堂で私の前に座ったお方、ボニファーツ中尉だ。私はお二人に向かって、敬礼する。
「ここは司令部内じゃないから、敬礼しなくていいって。それよりも、司令部に行こうか」
「は、はい……」
「でね、ボニファーツ中尉が車で連れて行ってくれるって。せっかくだから、一緒に行きましょう」
車……なんだろうか、それは?もしかして昨日、少佐が操っていたあの馬なしの馬車のことだろうか?
「ありがとうございます……では私、すぐに着替えますので……」
そういうと私はその場で寝巻きを脱ぎ始める。それを見たボニファーツ中尉殿が叫ぶ。
「ああーっ!ちょ、ちょっと待ったぁ!」
といいながら、リーゼル上等兵曹を中に入れ、扉を閉じる。私は、リーゼル上等兵曹に尋ねる。
「あの……中尉殿は何を、慌てて……」
「そりゃあ普通、慌てるでしょう。なにせ目の前で異性が躊躇なく服を脱ぎ始め、その胸にあるご立派なものを、ブラジャーなしで見せつけられれば、普通はねぇ。」
まじまじと私の胸を見つめながら、リーゼル上等兵曹は呆れたように応える。しかし、すでに平民となった私相手に、中尉殿は何を遠慮などなさるのであろうか?
リーゼル上等兵曹に手伝ってもらいながら、私は軍服を着る。そしてエレベーターで下って、この大きな宿舎の外に出る。そこには、馬のない馬車が止まっていた。だが、昨日のローベルト少佐の馬車よりは小ぶりだ。やはり馬車の大きさにも、身分の違いが出るようだ。
しかし、中の椅子は少し小ぶりながらも心地よく、私を乗せて颯爽と駆ける。すっかり日が昇ったこの街には、あちこちで建物を建てる人々の姿を目にする。
しかし、その中には異様なものがいる。大きな腕のようなものがガバッと土を掘り返し、その土を巨大な馬なしの荷馬車に乗せている。その近くでは、これまた大きな柱のようなものが、ガンガンとけたたましい音を立てて、何かを打ち込んでいる。
まるで御伽話に出てくる化け物のようなそんなカラクリが、この街のあちらこちらで蠢いているのだ。思えば私が牢に入っていたわずか2ヶ月の短い間に、宿舎や市場のような建物がいくつも建てられたのは、まさにこのカラクリのおかげなのだろう。
そんな街の様子に感心していると、この車は司令部の建物に到着する。いくつもの車が並ぶ場所で3人は降りると、その司令部の建物に向かって歩く。
「さてと、まずは朝食、食べようか」
「ちょ、朝食……ですか?」
「朝ごはん、まだなんでしょう?」
「は、はい……」
ということで、司令部に着くや否や、私とリーゼル上等兵曹、そしてボニファーツ中尉殿はあの食堂へと向かう。
今度は、パンと目玉焼き、そして新鮮な野菜の上に香辛料めいたものを振りかけたサラダというものを食べることになる。トレイで机に向かうと、すでに席について、何かを食べている人がいる。
ああ、あの人は確か、トルテ准尉だ。昨日、リーゼル上等兵曹にこっ酷く言われていた、あのお方だ。私とリーゼル上等兵曹の姿を見るや、たちまち不機嫌そうな顔になる。
「なんですかぁ、トルテ准尉!」
そのトルテ准尉に、いきなり怒鳴りつけるリーゼル上等兵曹。だが、トルテ准尉はすぐさま応える。
「何よ、まだ何も言ってないじゃない!」
この二人、仲が悪いのだろうか?しかし、身分の上の者に向かっていきなり喧嘩腰とは、リーゼル上等兵曹も案外強気だ。よく処罰されないものだ。
「ちょっと、リーゼル。だめだよ、いきなり喧嘩売っちゃあ」
「いえ、別に喧嘩なんて売ってません。ただ、また妙なことを言い出さないかと、あらかじめ牽制しただけですよ」
プリプリとしながら応えるリーゼル上等兵曹。しかしこの広い食堂で、わざわざそのトルテ准尉のそばに座るリーゼル上等兵曹。この2人は一体、どういう関係なのだろうか?
「あ、あの……トルテ准尉殿」
「なによ」
私は、思い切って話しかけてみることにした。やや不機嫌そうな顔をしてはいるものの、あの看守に比べたら遥かにマシだ。私は尋ねる。
「トルテ准尉殿は……その……リーゼル上等兵曹殿とは、どのような……」
「ああ、彼女ね、これでも私の部下なの」
驚くような回答が返ってきた。部下、ということは、トルテ准尉はリーゼル上等兵曹の上官ということになる。
「そうですよ。こんなのでも、同じ主計科で、私の上官なんですよ」
「こんなのとは何よ!こんなのとは!」
「いーじゃないですか。別に」
「あなたねぇ、上官に対する態度がそれで、ただで済むと思ってるわけ!?」
「なんですかトルテ准尉。この間の日曜日なんか、突然私に電話してきて、一緒に仮設市場に行ってくれって、びーびー泣きついてきたじゃないですかぁ」
「そ、そんなこと言ってないわよ!私、今ならあなたに付き合ってあげられるけど、どうなの?って言っただけでしょう!」
「ああ、それなら間に合ってますって電話切ったら、また電話かけてきて、どうしても一緒に行きたいなら、言ってあげてもいいのよ!って言ってきたじゃないですか。それでも断ったら、いや、だから一緒に行ってあげる……行って頂戴って!」
「むぉ~っ!なんであんたわぁ~、いつもそんなんなのよぉ~!」
また泣き顔に変わるトルテ准尉。こんなやりとり、私は未だかつて見たことがない。戸惑う私に、ボニファーツ中尉殿がそっと私にささやく。
「ああ見えてもこの2人、仲はいいんだ。放っておいても、大丈夫だから」
そういって何事もなかったかのように食事を始めるボニファーツ中尉殿。私も、罵り合うこの2人を眺めながら、朝食を食べ始める。
柔らかいパン、香辛料がふんだんに使われた目玉焼きとサラダに感銘しつつ終えた朝食の後は、私は再び会議室へとやってきた。そこには、ローベルト少佐がいた。
「きたか……」
私は、覚えたての敬礼をする。返礼で応える少佐殿は、私に席につくよう手を差し出す。
「1週間後に、我が艦は宇宙に向けて出港することとなった。それまでに、貴官には座学を受けてもらう」
「ざ、座学……ですか?」
「我々のこと、そしてあの船のこと、宇宙のこと、そしてあの船がその宇宙で、何をしているのかということ。貴官は何も知らないのだろう?」
「は、はい……」
「ではまず手始めに、この宇宙のことを教えよう」
そういって少佐殿は、壁の方を指し示す。私はその壁を見る。するとまた昨日のように、壁に鮮やかな絵が映し出される。
が、それは真っ暗な闇。その中に浮かぶ、無数の星。その星の塊は徐々に離れ、やがてストローハットのような形に変わる。
「こ、これは……」
「我々、そして貴官が今いるこの星を、ずっと遠くから見た姿だ。銀河と呼ばれるこの星の集団、我々はその端っこ、このピンク色の部分にいる」
よく見ると、淡い桃色の円がうっすらと見える。それを指差す小佐殿が、こう言い放つ。
「この円の幅は、この世で最も速い光でさえ1万4千年もかかる距離だ。その円の中に今、1000個近い数の人の住む星々が存在する」
「人の住む……星……?」
「そうだ。夜空に見える無数の星。だがその星のほとんどは、人の住む惑星を持たない星。だが、稀に人が居住する星が存在し、その星々を、我々は探し当てては交流している」
少佐殿が何を言っているのか、私にはよく分からなかった。私は、この地上が丸い地面であることは知っているが、それと同じものがこの夜空の中に1000個近くもあるとは知らなかった。そして私のいるこの星はその997番目、地球997と呼ばれていることを、ここで初めて知る。
そして私は、さらに驚くべき事実を知ることとなる。
その1000個ほどの星々は、連合と連盟という2つの集団に分かれており、互いに相争っているという。そして私達の星は連合側に加わり、連盟という敵を相手に日々、戦いを続けているというのだ。あの灰色の石砦のような船は、まさにその争いのための船だという。
あの先端についた大きな穴は、その連盟という敵を叩くための砲だという。その砲は、この王都すらも一瞬で吹き飛ばせるほどの威力を持つ、途方もない武器。私は愕然とする。
そして少佐殿は、さらに驚くべき話を続ける。
光ですら何年もかかる距離をわずか数日で行き来することができるワープ航法、遠く離れた人と会話することができる仕掛け、そしてこの王都のすぐ横で行われている、とてつもなく早く建物を建てるための建築技術など、我がカール・マルテル王国など足元にも及ばないほどの力の差を見せつける。
にもかかわらず、彼らはこのカール・マルテル王国を軍事的に圧倒することなく、対等に接しているのだという。おまけにその力を、惜しげもなく王国に提供するつもりだと言っている。自らの強大な力をわざわざ譲り渡すなど、未だかつて聞いたことがない。
「……で……ではなぜ……この王国にその力を……」
私は、もっと聞きたかった。近隣の王国とは幾多の戦争ののちに和睦はしたものの、この王国が持つ銃の製造法などは、決して教えたりはしない。それはその銃が、やがてこの王国に向けられるのを恐れてのことだ。それが普通だろう。だが、彼らはなぜ、そんな大事な武器を……王国などに……
「おい、マドレーヌ上等兵。顔色が悪いぞ。大丈夫か!?」
急に私は、目の前の視野が狭くなるのを感じる。どうしたのだろう?私の目は急に光を、感じられなくなる。私は再び、あの地下牢の時のように、闇に帰るのであろうか?程なくして私は、意識を失う。
次に気がついたときには、私はベッドの上だった。
「……気づいたか」
ふと見ると、私の寝るベッドのすぐ横に座るローベルト少佐がいる。私は立ち上がろうとする。
「おい、だめだ!寝ていろ!」
「い、いえ、私は……」
「命令だ、ベッドで横になってろ!」
ベッドに寝ろと命令するなど、私は聞いたことがない。だが、上官の命である以上、私は従うほかない。横になった私は、少佐殿に言った。
「申し訳ございません……」
「何を、謝る必要がある?」
「いえ、私としたことが……少佐殿の教えを受ける途上で倒れるなどと……」
「いや、私ももう少し、注意するべきだった」
聞けば、私は栄養失調による貧血とのことだった。点滴というものを腕につけて、私は寝そべるほかない。なんと情けないことか。
「ともかくだ。まずは体力の回復。それが貴官の最初の任務だ。今日の続きは、それからだ」
「は、はい……承知いたしました……」
そう言い残して、ローベルト少佐は去った。入れ替わるように、白衣を着た人物が現れる。お医者様だと言う。
「要するにだ。ローベルト少佐は、あなたに休めと言っているんだよ。少佐のいう通りだ、まずは休みなさい」
「は、はい……」
そのお医者様に諭されて、私はそのままベッドの上にある明かりを眺めつつ、今日知ったことを思い返していた。
そして私はいつの間にか、寝てしまった……
「マドレーヌちゃん!大丈夫!?」
それからどれくらい経ったのだろうか?今度は、リーゼル上等兵曹が現れた。
「あ……リーゼル上等兵曹殿……」
「そういう堅苦しい呼び名はいいから!で、大丈夫なの!?」
「は、はい……貧血だと言われましたが……」
「そりゃあそうよねぇ、あんな劣悪なところで2ヶ月も暮らしてたんだから、そりゃあ身体だって悪くなるわぁ。とにかく、今は休んだ方がいいよ」
「は、はい……」
その日は結局、私はこの医務室で過ごした。
その点滴が効いたのだろうか?翌日の昼食の後ぐらいから、急激に元気が湧いてくる。それまで、あれほど重かった身体が、なんだかとても軽い。
「ローベルト少佐!マドレーヌ上等兵、参りました!」
「うむ、でも大丈夫か?」
「はい、ご心配をおかけしましたが、今はもう平気でございます!」
「分かった。では、昨日の続きから始めようか」
「はっ!」
それから私は、あの灰色の船のことを教わる。核融合炉、重力子エンジン、高エネルギー粒子砲、そして電磁加速砲……剣や槍などは使わず、専ら砲のみで戦う彼らは他に、航空機と呼ばれる空を舞う乗り物と、人型重機という二本足で歩く巨人のような機械を持っているという。だが、それらは戦闘には直接参加せず、後方にて情報収集や工作を行うためのものだという。
その日も、その次の日も、私はローベルト少佐から教えを受ける。そして私はあの市場に、リーゼル上等兵曹とトルテ准尉とともに出向き、スマホなるものを入手する。昼食のたびにそのスマホの使い方を、このお二人は争うように教えてくれる。
そして地下牢を出て7日の間、私は真綿に染み込むワインのごとく、新鮮な知識を吸収し続ける毎日が続く。
そして私が、あの空に浮かぶ船に乗り込む日が、ついにやってきたのだ。