#4 巧妙なる街
「マドレーヌさーん!こっちですよ!」
私が馬車で運ばれ降ろされた場所、すなわち、あの硬い漆黒の地面で覆われた場所に、私は再びやってきた。そこには馬が繋げられていない馬車と、リーゼル上等兵曹がいた。
「リーゼル上等兵曹、わざわざ車を寄せてくれて、ご苦労だった。」
「お安い御用です!自動運転のボタン、押しただけですから!それじゃあ早速、仮設市場へ参りましょうか。」
リーゼル上等兵曹はローベルト少佐殿に敬礼すると、その馬車の後ろの扉を開く。そして私に、そこへ乗り込むよう手招きする。
「あの……この馬車は……」
「ああ、これからローベルト少佐と共に、建設中の宇宙港ターミナルビル前に向かうんですよ」
「た、たーみなる、びる?」
「行けば分かりますよ」
聞いたことのない名前だが、どうやら建物のことらしい。だが「うちゅうこう」とやらは一体、なんなのだろう?名前から察するにそれは、港のようだ。だが、この王都には海も湖も大河すらもない。港など作れるはずが……ああ、そうだ、大事なことを忘れていた。かの者たちは空に浮かぶ船を持っている。おそらく、その空を舞う船のための港なのだろう。
私が乗り込んだ馬車は、とてもフカフカとした椅子が付いている。だが、その椅子は一方を向いており、このため私とリーゼル上等兵曹、そしてローベルト少佐とは、向かい合わせで座ることができない。
しかしこの馬車、窓が大きく、ガラスで覆われている。おかげで外の様子がよく見える。まさに私達の上をあの大きな空を飛ぶ船が通り過ぎるのが、中からも分かる。
だが、この馬車。決定的な問題がある。
馬がいない。そして、御者もいない。てっきり、ローベルト少佐が御者をしてくださるのかと思いきや、一緒に馬車の中へ乗り込んでしまった。馬もいないというのに皆が乗り込んでしまえば、一体どうやってこの馬車を引くというのか?
「では、いくぞ」
馬もないのに、少佐殿が出発の合図をする。その直後、なんとこの馬車が動き始めた。
静かに、滑らかに、しかし素早く動き始める馬なしの馬車。ローベルト少佐が目の前にある肩幅ほどの輪を回すと、この馬車は大きく曲がり始める。そして、この司令部の門を通り過ぎる。
門の外を見れば、そこは異様な場所だった。この黒い地面が、まるで碁盤目上に引かれている。その間にはまだ土が剥き出しで、ところどころ、家や屋敷を建てているのが分かる。が、私の乗るこの馬なしの馬車が向かう先には、大きな建物があった。
それは、王宮よりも高く、信じられないほど多くのガラスで覆われた、摩訶不思議な建物。まるで神殿のようなその建物の脇を、この馬車は颯爽と駆け抜ける。そしてこの馬車は、他の馬なしの馬車が整然と並んでいる、ある広場にたどり着く。
「マドレーヌさん、着きましたよ」
リーゼル上等兵曹がそう言いながら、扉を開いて外に降りる。そして私の扉の前に立ってそれを開き、私に手を差し伸べる。私はリーゼル上等兵曹の手を取り、外に出た。
その広場のすぐそばに、白く大きな箱のような建物がある。司令部にせよ、先ほどの王宮以上の建物にせよ、あれほどガラスを惜しげもなく使うというのに、この建物にはほとんどガラスが使われていない。
その建物の壁には四角い大きな穴が開いており、そこから人が出入りしている。どうやらあの中に、何かあるようだ。リーゼル上等兵曹とローベルト少佐は、その穴に向かって歩き出す。私も、その後に続く。
中に入って、私はその外観との落差に驚かされる。
そこは、まさしく市場であった。穴を潜った先に見えるのは、たくさんの野菜に果物、そして見たこともない食べ物の数々が所狭しと並ぶ。
書棚のようなものが何列も並べられ、そこに食べ物らしきものが陳列されている。しばらく奥に行くと、今度は透明な薪のような不思議なものが、山と積まれているのが見える。それをよく見れば、中には水のような紅茶のようなものが封じ込められている。それを見たリーゼル上等兵曹殿は、それを数本まとめて持っているカゴに入れる。
さらに歩くと、今度は服のようなものが見える。リーゼル上等兵曹はその一つを私に当てて、それもカゴの中に放り込む。何が何やら分からぬまま、さらにその建物の奥へと進む。
奥にあるのは、布団だ。靴もある。侍女がよく使っていたホウキのようなものも見える。だがその大半は、私にはなんなのか見当もつかないものばかり。一つ分かるのは、この市場にはありとあらゆるものが売られているということだけだ。その中のいくつかを手に取っては、カゴに放り込んでいくリーゼル上等兵曹。
「さてと……夕飯にお茶、そしてシャンプーも買ったし、タオルもあるし、寝間着も下着も揃えたし。それじゃあそろそろ行きましょうか」
私の顔を見て微笑むリーゼル上等兵曹。私もそれに応えて、笑顔で返す。そんな私を見て、リーゼル上等兵曹は言う。
「あ、やっと笑ってくれた。いやあ、マドレーヌさん。今朝よりも随分明るくなったよ」
リーゼル上等兵曹に言われて、ハッとする。ああ、そうだ、私はいつの間にか、外の世界にいることにすっかり馴染んでしまった。つい今朝までは、あの昼と夜の区別もできないほど薄暗い地下牢におり、これほど長く光を浴びることなどない場所で息を殺して過ごしていた。
で、4つのカゴを抱えたリーゼル上等兵曹殿とローベルト少佐殿。それを見た私は、ハッと気づく。
「あ、あの……ローベルト少佐殿。私も一つ持ちます」
「いや、止めておけ。貴官には重すぎて持てない」
お二人の上官に荷物をもたせてしまうなど、すでに平民階級に落とされた私にとってあるまじき行い。だが、このお二人は特に気にすることもなく、それを抱えて出入り口の方へと進む。
それからずらりと並ぶ人の列の後ろについて、カウンターのようなところへと進む。そこにカゴを置いて、なにやら手の平よりひとまわり小さな板のようなものを当てているようだ。するとその奥ではロボットとかいう腕がそれを袋詰めしている。その袋を手に取って、人々は出入り口から外に出ていく。
リーゼル上等兵曹とローベルト少佐も同様に、カゴをそのカウンターの上に置く。するとピッと言う奇妙な音とともに、そのカゴは奥へと流れていく。そしてローベルト少佐殿が、小さな板を当てている。
あっという間に袋詰めされた荷物。それをお二人が抱えて、出入り口を出る。そのまま先ほどの馬なしの馬車まで運んでいく。
「買い物、終了!それじゃあマドレーヌさん、宿舎に行きましょうか」
といってリーゼル上等兵曹は扉を開いてくれた。私は乗り込み、再びその馬なし馬車で移動する。
あのガラス張りの大きな建物からずっと離れ、すっかり暗くなった「街中」を走る。が、街といえどそこは、まだほとんど家も屋敷もない。しかしその道の脇には、明るく光る松明のようなものが並んでいる。おかげで、日が沈んだにもかかわらずそこは、とても明るい。
そして馬車が到着したその場所に、私は大いに驚く。
高い。とても高く、そして横に広い建物だ。これはまさしく城壁。いや、その城壁には窓があり、所々光っているのが見える。
「さ、着いたよ。ええと、マドレーヌさんのお部屋は確か……17階だったよね」
どうやらここに私の住処があるようだ。なんと言うことか、私の住んでいた屋敷よりもはるかに大きい。
エレベーターに乗り、私とお二人は、とある場所に着く。エレベーターを降りると、そこがとても高い場所であることが分かる。
通路を見る。そこには、たくさんの扉が並んでいた。もしかしてここは、小さな部屋がずらりと並んだ屋敷なのか?荷物を抱えるリーゼル上等兵曹とローベルト少佐の後ろを歩きながら、私はこの異様な光景にただただ唖然とする。そして、ある扉の前で止まる。
鍵を開けて、中に入るリーゼル上等兵曹。その後ろに、ローベルト少佐も続く。私もその後に続いて入った。
そこは、とても狭い部屋。私がかつて暮らしていた部屋よりも、ずっと狭い。しかし、日が暮れたというのにとても明るい。ベッドもあり、奥には台所のようなものも見える。
「おい、この荷物、ここに置けばいいか?」
「はい、そこでいいですよ」
「袋の中を出して、入れたほうがいいか?」
「いやあ、ダメですよ少佐。その中身は下着ですよ、下着」
「うっ……いや、すまない」
この中では私の身分が一番低いはず。にもかかわらず、お二人はせっせと先ほど買い上げたあの荷物を仕舞い込んでいる。
「でね、マドレーヌさん。喉が乾いたら、この冷蔵庫に入れたこのペットボトルからですね……」
中が異様にひんやりとした、この不思議な棚に入れた透明な薪を見せながら、リーゼル上等兵曹がそれが何かを教えてくれる。その薪のようなものには蓋がついていて、それをひねって開け、口に運べば、中身が飲める。
それは、紅茶だった。ほのかに良い香りのその茶に、私は思わず今朝までのあの地下牢での日々が頭を過ぎる。
そこでは、生臭い水しか与えられなかった。それが今はとても冷たく、とても美味しい水を思う存分、飲むことができる。私はそのペットボトルと呼ばれるその容器に入ったお茶の味を、噛み締めるように感じ入る。
で、それから部屋の真ん中にある机を、私とリーゼル上等兵曹、そしてローベルト少佐が囲む。真ん中には、ハンバーガーと呼ばれる食べ物が置かれている。そこはとても狭い食卓机だが、久しぶりに私以外の人達と食べる夕食だった。
「んーっ!おいひい!」
「おい、リーゼル上等兵曹、これはマドレーヌ上等兵の食事だぞ!」
「分かってますよ。でもほら、一人より二人、二人より三人で食べる食事の方が美味しいって言うじゃないですか」
しばしの団欒の後、ローベルト少佐は帰宅する。リーゼル上等兵曹は残り、私と共に部屋の奥にある場所に行く。
それは、小さいながらも、浴場だった。
「ほら、せっかくだからここのお風呂場の使い方、教えておかないと」
こんなに狭い部屋だと言うのに、台所にトイレ、そしてお風呂場まである。先ほどの市場もそうであったが、彼らはありとあらゆるものを詰め込む習性があるらしい。
再び、リーゼル上等兵曹と裸同士で向き合う。が、ここにはあのロボットというものはない。身体を洗うのは、全て自力。手間はかかるが、それはそれでありがたい。
「……でもね、駆逐艦じゃ水とシャンプーを節約するために、洗浄ロボットで身体を洗うことになってるのよ。最初はちょっとくすぐったくて不愉快だけど、そのうち慣れるよ」
などと言いながら、私の背中を流してくれるリーゼル上等兵曹。だがやはり、昼間のあの浴場での感触に比べたら、人の手で洗われる方がはるかにマシだと痛感する。
「にしても、やっぱり胸、大きいよねぇ。羨ましいなぁ。私なんて、こんなんだよ」
と、胸を張って、自身の拳よりも小ぶりな胸の膨らみを撫でながら、私にそう話しかけるリーゼル上等兵曹。
「だけど……ここはちょっと、痩せすぎだよね」
と、今度は私の脇を摩りながら、呟くリーゼル上等兵曹。私も自覚がなかったが、肋骨が浮き出ており、随分と痩せてしまったことに気づく。
「あ……そうですね、私、いつのまにこんなにも……」
「でもまあ、毎日食べてればそのうちふくよかになるよ、マドレーヌさん」
そう言いつつ、私を背中から抱き寄せるリーゼル上等兵曹。背中から感じる人の温もりに、私は改めて地下牢より解放されたことを実感する。
「それじゃあ、明日の朝、また来るから!」
手を振るリーゼル上等兵曹。私も手を振る。そして、扉を閉める。
明かりを消して、ベッドに入る。地下牢と同様に真っ暗な部屋ながら、ここが牢獄でないことをこの布団の温もりが教えてくれる。
それにしてもここは、なんと奇怪で華やかな街なのだろうか。あれでまだ未完成だというが、すでに王国の街でも見かけないほどの不可思議で便利なものに溢れ、しかも食べ物も飲み物もすべて美味と言える。それが、平民階級に落とされた私でも享受できるとは、なんと懐の深い街なのだろうか。
私は布団の中で、あの地下牢の日々に失っていた心を取り戻す。
私はもっと、生き永らえたい、と。