#3 珍妙なる司令部
私は、とぼとぼとリーゼル殿……いや、上官であるリーゼル上等兵曹の後ろについて行く。つい朝方まで、私は昼か夜かもほとんど分からぬ地下牢にいたというのに、今や窓の無い通路ですら昼間のように明るいこの奇妙な建物の中を歩いている。
そして今、向っているのは、食事を行うところだという。
ここ2ヶ月の間、私はあの地下牢で粗末な食事しか摂っていない。硬いパン、著しく悪臭を放つ肉、干びた野菜……そのような食べ物で私は今まで、命を繋いできた。
しかし、ここの食事とは一体、どのようなものであろうか?星の国から来たということだが、私が食べることができるものはあるのだろうか?
「ついたよ、マドレーヌさん。ええと、まずはメニューをめくって……」
食堂とやらに着くと、そこには大きな看板のようなものが置いてある。が、それはまた神妙な看板であった。
先ほどの会議室とやらで見せられた星の海を渡る船の絵もそうだったが、まるで本物のように鮮やかで精巧な絵が描かれている。しかもその絵は、どう見ても動いている。
リーゼル上等兵曹はその絵に手で触れる。するとまるでそれは、本のようにパラパラとめくれていく。そこに描かれているのは、どうやら料理だ。しかしその多くが、見たことのない食べ物ばかり。それがどういう料理なのか、私にはよく分からない。にも関わらず、私は本能的にそれらを欲する。
「それじゃあ、マドレーヌさんの料理は、と……これがいいかな?」
どうやら今、料理を選んだようだ。リーゼル上等兵曹は、私の料理も探してくれている。パラパラとめくれるその絵の中は、長きにわたる地下牢での生活で失っていた食への拘りがふつふつと蘇る。そしてリーゼル上等兵曹は、ハンバーグと呼ばれる食べ物を私の料理として選ぶ。
トレイと呼ばれる板を持ち、奥のカウンターというところで並んで待つ。その奥を覗くと、あの浴場にて私の身体を弄っていた、ロボットと呼ばれる不可思議な腕、あれと同じものが、まるで料理人のように料理に腕を振るっている。並んで待つ人々の料理を次々と作り上げ、それをトレイの上に乗せていく。そして私の料理も、トレイの上に乗せられる。
なんという芳しい香り、温かい料理というものは、まさに2ヶ月ぶりだ。私は、手にしたフォークとナイフをそのハンバーグに突き立てて、それを切る。そして、一片を口に運ぶ。
ああ、なんという柔らかさ、なんという味。2ヶ月ぶりに食べるまともな食事は、公爵家の夕食でも口にしたことがないほどの濃厚で芳醇な味わいだった。それを平民階級でありながら、そのような食事を口にすることができる喜び。私は思わず、この食事を与えてくださった運命の神に祈りを捧げる。
と、私とリーゼル上等兵曹が料理を堪能していると、向こう側から誰かがやってくる。
「あら、リーゼル。そちらは、どなたかしら?」
背は低いが、鋭い眼光の娘。軍服を着ているが、リーゼル上等兵曹が敬礼しているところを見ると、どうやら上の階級の軍人らしい。しかも、リーゼル上等兵曹よりもいくばかりか品があり、身分も高そうだ。私もリーゼル上等兵曹に倣い、敬礼する。
「はい、トルテ准尉。こちらは先ほど我が艦に配属された、マドレーヌ上等兵ですよ」
「ああ、もしかしてあの、元公爵令嬢の……」
トレイを手に持ち、私の前に座ったその女は、まるで私を見下すような目つきでこちらを睨む。どうやら私はこの方に、歓迎されていないらしいことは分かる。それを如実に感じさせる一言が、その女から発せられる。
「しかしマドレーヌだなんて、まるで焼き菓子のような名前よね」
そうか、私は今、馬鹿にされている。これは新入りである私に対する当て付けだ。その冷たい目付きに私は、かつての貴族社会でのある一場面を思い出す。
それは私が、初めて社交界に出た日のことだった。初めて参加する社交界に、私は心躍らせる。だが浮かれる私に、姉上が一言こう告げた。何があっても、笑顔で過ごせ、と。
その意味は、程なくして分かった。私のドレスに向かって、ワインが浴びせかけられる。相手は、あのブリエンネ公爵家の御令嬢。薄ら笑いながらその御令嬢は私に、こうささやいた。
「あら、ごめんあそばせ。あまりに地味で目立たぬゆえ、つい手が滑ってしまいましたわ」
……新参者への嫌がらせは、どこの世界でもあるものだ。トルテ准尉のその目は、あの時のブリエンネ公爵令嬢の目とよく似ている。
が、その時、リーゼル上等兵曹が突然机を叩き、立ち上がる。
「ちょっと!トルテ准尉!なんてこというんですか!」
私は、このリーゼル上等兵曹の態度の急変に驚く。それは私の常識では、考えられない出来事だった。
「な、なによ!じょ、上官に向かって逆らう気!?」
「なーに言ってるんですか!上官だからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
温和そうに見えるリーゼル上等兵曹が、まるで烈火の如く上の階級のこの女に対して怒りを表す。焦るトルテ准尉。
「だいたいですよ、それを言ったらトルテ准尉だってお菓子の名前じゃないですか!お菓子の!」
「い、いや、ちょっと……」
「胸だってどーなんですか!ほら、マドレーヌさんはFカップですよ、Fカップ!トルテ准尉なんて、せいぜいCじゃないですか!」
「あなたちょっと、なんてことを言う……」
「そーやって言われたら、自分でも嫌でしょうが!ましてやこの人は、つい今朝まで牢屋に閉じ込められてたかわいそうな方なんですよ!なんて思いやりのない人、それでも准尉は、連合軍人ですか!!」
さすがに、トルテ准尉の方がかわいそうになってきた。私はリーゼル上等兵曹の肩を持ち、止めに入る。
「あ、あの、リーゼル上等兵曹殿……私は大丈夫ですから、その辺りで……」
トルテ准尉を見ると、先ほどのあの冷酷な目つきは何処へやら、胸の辺りに手を当てたまま、涙目でこちらを見ている。その姿に私は、引く。
「う、うう……どうせ、私の胸は……うう……」
ボロボロと涙を溢すトルテ准尉。それを睨みつけるリーゼル上等兵曹。それを見た私は、酷く衝撃を受けた。
階級が上の者に対し、ここまで言っていいものなのだろうか?これが王国貴族ならば、その場で捕らえられて謹慎か、場合によっては勘当ものである。しかしここでは、そこまでの苛烈な処分は行われないのだろうか?涙を流すトルテ准尉に対し、リーゼル上等兵曹はお構いなしだ。
「おい、リーゼル、その辺でやめてやれ」
と、さらにもう1人、この場に加わってくる者がいる。同じ紺色の制服ながら、肩のあたりに派手な飾緒が見える。あのトルテ准尉よりも上の階級であることが分かる人物だ。
「あ、ボニファーツ中尉!ちょっと聞いて下さいよ!トルテ准尉ったら、マドレーヌさんに酷いことを……」
「聞いてた聞いてた。聞いてたけど、そういうリーゼルもちょっと、言いすぎたんじゃないの?」
「そ、そんなことないですよ!」
「それにさあ、リーゼル、さっきの話で行けばお前の場合は……Aじゃないか」
「ぐわっ!」
……今度は、リーゼル上等兵曹が押されている。ところで、さっきから時折出てくる、FだのAだのとは、なんのことだろう?
「い、いやあボニファーツ中尉!私だって最近は、Bぐらいはありますよ!知ってるでしょう!」
「あれ?そうだっけ?」
「そうですよ……って、ちょっと待って下さい!こんなところで、何セクハラ発言してるんですか!中尉だって、言っていいことと悪いことがあるでしょう!」
「そうだよ。だからそろそろ、やめにしようって言ってるんだよ」
「うっ……!」
なんだか分からないがこの2人、ただならぬ関係と見た。会話のほとんどが、よく見えないままではあるが、このボニファーツ中尉という人物が上手だということは分かる。
「……分かりました、中尉。もう止めます。ごめんなさい……」
「はいはい、分かればよし。トルテ准尉も、ね?」
「はい……よろしいです」
「と、いうわけで、食事を続けようか。ところで、マドレーヌさん、だよね。」
「は、はい……なんでございましょう?」
と、突然、そのボニファーツ中尉の矛先が私に向く。
「それとなく、話には聞いているけど、今日、ついさっきここに来たばかりなんだよね?」
「はい、左様でございます」
「てことはさ、当然、この中のことや我が艦のこと、それからローベルト少佐のことも、あまりご存知じゃないってことだよね?」
「ローベルト少佐殿には、先ほどよりお世話になっております」
「そうなんだ。それじゃあ、駆逐艦については?」
「……あまり、よく分かっておりません。星の国よりきた船、としか……」
「そうなんだ。まあ、焦らずゆっくり学ぶといい。マドレーヌさんも近いうちに、その船に乗ることになるから。」
「そ、そうなのですか?」
そういえば私、先ほどその駆逐艦とやらに乗ることになったと聞かされた。だが、船というものは女が乗り込むようなものではないというのが、私の知る常識だ。なれどここには、女がすでに2人もいる。だがまさか、彼女らも……
「そうそう。ちなみにここにいるリーゼル上等兵曹と、トルテ准尉、この2人も同じ駆逐艦4160号艦乗りだ」
「えっ……そ、そうなのですか?」
「そして僕も、その4160号艦に所属している者だ。」
「はぁ……ということは、もしかして……」
「ここにいるみんなは、同じ船に乗る仲間ってことだ。どうかこれからも、よろしく」
「は、はい、どうか私のこと、これからもよろしくお願い申し上げます」
いきなり新参者の洗礼を受けるが、思いの外ここは、貴族社会ほどの締め付けがないと見える。
そして、食事を終えた私は、医務室へ行き、診察を受ける。そこでお医者様からは、やや栄養失調であると告げられる。が、特にそれ以外には不調が見られないことから、日々の食事で栄養を取り続ければ良いと言われる。
そしてその日は、家に帰るよう言われた。
……が、ここで困ったことになる。そうだ、私には、帰るべき家がない。
医務室の前で途方に暮れていると、ローベルト少佐が現れた。私は、覚えた手の敬礼でローベルト少佐に向け、敬礼する。
「ああ、もう業務外だ。敬礼はいい」
そういうローベルト少佐は、何やら大きな荷物を抱えている。
「あの、私……」
「マドレーヌ上等兵、これから貴官の住居に案内する。」
「私の……住居?」
「そうだ。この街の外れにある宿舎の一室だ」
私の住処がある。それは朗報だが、一方でその言葉の響きから察するに、あまり広いところではなさそうだ。しかし、贅沢は言えない。私は、ローベルト少佐にうなづく。
「では早速、部屋に向かう。それから、日用品も必要だ。それらを揃えるため、今から街に出る」
「はい、お願い致します……」
それにしても、街とは一体、どういうところなのか?ここは王都の近郊であって、王都ではない。元々は森だったところだという。いつのまにか、このような大きな建物が建てられ、しかも街まであるというのか?
私はモヤモヤとしながらも、ローベルト少佐の後について行った。