#17 豊妙なる宇宙(うみ)
『総員、配置につきました!』
『よし、これより当艦は緊急発進する!警報発令!機関始動、直ちに出港、離昇する!』
慌ただしい艦内放送と共に、機関が唸り音を上げ始める。いつになくガタガタと揺れる駆逐艦4160号艦。
モニターで外を見ると、まだ規程高度にも達していないというのに、目一杯エンジンを噴かしている。あっという間に、王都と宇宙港の街が、離れていく。
そして大気圏を抜けて、月軌道を通り過ぎた頃、ようやく艦長が艦内放送で状況説明を行う。
『達する、艦長のヴィクトアだ。本日、艦隊標準時0230(まるふたさんまる)に、艦隊総司令部より警報が発令。敵艦隊、急速接近中、数およそ1万。会敵ポイントは、当恒星系外縁部。これを、地球459遠征艦隊全軍を挙げて迎え撃つために出撃する。戦闘開始予想時間まで、あと8時間。艦隊主力に合流し次第、追って指示を行う。各員、戦闘に備え。以上だ』
私はこの放送を、食堂で聞いていた。目の前にはリーゼル上等兵曹と、トルテ准尉がいる。
「うわぁ、一個艦隊だよ。敵の一個艦隊が、この星域にやってきちゃったよ」
「まったくもう、哨戒部隊は一体、何をやっていたのかしら!もうちょっと手前で、敵の接近を捉えられなかったの!?」
非番の兵士は皆、この食堂に集結している。艦内放送と、モニターに映し出された敵艦隊の情報を眺めながら、口々に不安や心意気を述べている。
だが、そんな敵艦隊の情報よりも、もっと気がかりな者がいる。
「でもさ、あの人、ついてきちゃったよ……」
「ほんとですわ、ついて来ちゃいましたわね」
トルテ准尉とリーゼル上等兵曹がチラッと見るのは、この食堂の奥に座っているあの男だ。そう、ボドワン騎士だ。
彼には警報は届いていないはずなのに、周りの状況から察知して、この船に乗り込んできたようだ。なんという男か。
そのボドワン騎士が、私のところに近づいてくる。私とトルテ准尉、リーゼル上等兵曹は、思わず身構える。
「ああ、何もするつもりはない。身構えなくとも、結構」
王国風の薄青色のスーツに、刺繍を施したウエストスーツに、青色のズボンに絹製の白いタイツ。いかにも王国からやってきたと言わんばかりのこの異様な姿。紺色一色の軍服姿の中では、この姿は非常に目立つ。
「なぜ、乗り込んできたのでございますか、ボドワン殿」
「私の使命は、王国兵士の仕事ぶりを拝見し、報告すること。ましてや今は、敵が接近中とのこと。戦闘は、避けられますまい。ならばなおのこと、私は同乗するべきかと」
「こう言ってはなんですが、命の保証はございませんよ。なにせこの船は戦闘艦、往く先は戦場、覚悟はよろしいのですか?」
「元より死などおそれませぬ。私は王国騎士団参事、戦場に出向き、命を賭けるは騎士の本懐でございます。ところで……」
「なんでございましょう?」
「そちらの主計科の方にお願いがある。艦長よりの伝言です。私の部屋を、用意してはいただけませんか?」
「えっ!?あ、はい……」
リーゼル上等兵曹と共に、ボドワン騎士はその場を去る。後に残ったトルテ准尉が、私にこう呟く。
「……なんでしょうね、あの眼光は。私は恐ろしくて、声が出ませんでしたわ」
「騎士団の二番手でございますからね。戦さでは何度か、死線を超える戦いを経験しているはず。あのような眼になるのも、当然かと思います」
「そ、そうなのね。騎士ってかっこいいイメージだけど、本物はああいう感じなのね。てっきり、ヴァルター大尉くらいの男かと思ってたけど、とてもじゃないけどあれじゃあ、マドレーヌちゃんを乳牛扱いするどころじゃ済まないわねぇ」
乳牛扱いはともかく、実際にあの騎士を目にしたトルテ准尉には、あの男の持つ危険な香りが伝わったようだ。確かにヴァルター大尉など、あの男の前では小物だ。
だが、不思議と私は今は、あの男から恐怖を感じない。私は、この艦の砲撃手だ。今、私に何かあれば、自身も危ないばかりか、我が星に対する冒涜となりかねない。そこまでの危険を犯してまで私に手を出すことは、あの騎士ならばしないだろう。
そしてそれから数時間経ち、私は砲撃管制室にいた。
「揃ったな。では、戦闘前のブリーフィングに入る。今回は、一個艦隊との戦闘だ。前回のような移動砲撃のようなイレギュラーは起こり得ないと考えられる。それよりも問題は……」
砲撃長の声が響く。が、私はアウグスティン大尉のすぐ後ろにいるあの男が、気になって仕方がない。
中身など、ほとんど分かってはいないだろうが、そのブリーフィングの内容に聞き入るボドワン騎士。
「砲撃長、一つ伺いたいことがあります」
「なんだ?」
「この男……ボドワン殿を入れたまま、戦闘に突入するのですか?」
「防御手の後ろに座ることになる。別に邪魔にはならないだろう」
「しかし……いえ、なんでもありません」
ダメだ、この砲撃長には、あの騎士がここにいる意味が分かっていない。単なる王国からの使いだと思っているようだ。この辺りの洞察力は、艦長とは大違いだ。
ブリーフィングが終了し、私は砲撃手席に座る。正面の照準器内のモニターには、迫りくる敵の陣形が表示されている。
敵は1万隻、距離はおよそ120万キロ。艦内放送によれば、接敵まであと2時間と伝えられる。急速に接近中で、戦闘は避けられそうにないとのことだ。
艦内放送と照準器から敵の情報を得ている時、私の横に、ボドワン騎士が寄ってくる。そして、口を開いた。
「貴方に一つ、伺いたい」
鋭い眼光を放ったまま、私を見下ろしながら尋ねるボドワン騎士。
「なんでございましょう?」
「なぜ、貴方は砲撃手とやらを目指したのです?」
「はい、それは力です」
「力?」
「王都ですらも一撃で吹き飛ばせるほどの力を行使できるのは、唯一この砲撃科のみだと伺ったので、とだけ、申し上げておきましょう」
「それは、貴方が大罪人であったことと、関係があるのですか?」
それを聞いたアウグスティン大尉が口を挟む。
「おい!ボドワン殿!それはちょっと言い過ぎだぞ!」
だが、私は右手を挙げ、砲撃長を制止する。
「よろしいのです、砲撃長」
「いや、しかし……」
「王国の人間がここにいる以上、これは避けては通れない問いかけです」
そして私は、ボドワン騎士に向かってこう言った。
「確かに、あなたの仰ることは否定致しません。ですがそれ以上に、私には亡くなった騎士団長のことがあります」
「前の騎士団長、ナタナエル様のことか?」
「左様です。昨年、隣国との戦さに敗れ亡くなった、あの騎士団長でございます。あの時、我が王国軍にもう少し力があれば、もしかしたら……それが私が、力を欲する理由であります」
それを聞いたボドワン騎士の表情に、変化が起こる。あの鋭い目つきに、わずかに綻びが見られた。
が、すぐにそれは戻り、再び取り戻した眼光で私を一瞥すると、こう応える。
「なるほど、期待以上の答えを頂いた。ならばその前騎士団長ナタナエル様になり代わり、私がその戦いぶりを拝見することにいたそう」
そう言ってボドワン騎士は、自身の席に戻る。再びこの管制室内は、静まり返る。
敵は、徐々に接近する。距離はついに40万キロを切った。艦内に、警報が鳴り響く。
『戦闘準備!総員、船外服を着用!』
『敵艦隊まで、あと39万キロ!射程内まで、あと27分!』
艦内放送も入る。だが、船外服とは何か?私は、砲撃長に尋ねる。
「砲撃長、船外服とは何でしょうか?」
「ああ、マドレーヌ上等兵曹は知らないのか。大気のない宇宙に放り出されても、短時間生きられる服だ。万一、駆逐艦に着弾し外に放り出されても、それを着てさえいればどうにか生きる可能性が残る。だが……」
「だが、何ですか?」
「我々には関係ない。あれを着て照準器を覗くことは不可能だから、我々砲撃科は、船外服を着用しない」
砲撃長から、さらりと言われた言葉からは、砲撃科の置かれた立場が分かる。万一のための備えすら、つけることはない。つまり我々砲撃科は、勝つか死ぬかしかないということだ。負けて生き延びることなど、ありえないと言わんばかりだ。
『敵艦隊まで、あと31万キロ!接敵まで3分!』
砲撃開始まで、あと僅かとなった。私は、両手でレバーを握る。そして、照準器を覗く。
『艦橋より管制室!司令部より目標指示!ナンバー4198!』
「管制室より艦橋!了解!ナンバー4198をロックオンする!」
ボニファーツ中尉が、艦橋からの指令を受けて照準を定める。私の前にある照準器には、赤茶色の駆逐艦が捉えられる。
この間とは違い、こちらに砲口を向けている。あちらも、砲撃準備をしているところだろう。今回は、正面切ってのぶつかり合いとなる。前回のように、すれ違いざまとはいかない。あちらからの反撃も、今回は間違いなくある。
と、その時、ジリリリリンとベルの音が鳴り響く。艦内放送が入った。
『敵艦隊、射程内!司令部より合図!砲撃開始、撃ちーかた始め!』
「砲撃開始!撃ちーかた始め!」
私は砲撃長の号令と同時に、装填レバーを引いた。キィーンという甲高い音が、この管制室内に響き渡る。
そして私は、唱え始める。
「太陽の神ユピテイル、大地の魔神ハーデイス、海の女神ポセテイル、空の天使ルシファルよ……四方より我が矢を導き、かの暴虐なる邪神の肝心頭腎を、撃摧し給え!」
詠唱が終わる頃、ピーという、装填完了音が鳴り響く。そして私は、右手で発射レバーの引き金を引いた。
戦端の火蓋は、ついに切られた。