#11 軽妙なる男
『両舷微速、上昇開始!』
機関音が高鳴る。船体が浮かび上がる。宇宙港ターミナルビルの天辺が姿を見せる。
砲撃管制室のモニター越しに、私は駆逐艦4160号艦が上昇するところを見ている。
別に部屋にいてもいいのだが、なんとなく私は、この配属されたばかりの砲撃科の主な働き場である、この砲撃管制室に来てしまった。砲撃手が座る右側の席で、艦の上昇を見守る。
眼下には、王都セリエーニュが見える。その外れにある、焦げ茶色の煉瓦造りのモンブロー監獄も見えた。あの監獄のさらに奥、日の光がほとんど届かない地下牢にて、私は生涯を終えるはずであった。それが空高く、月をも超えた宇宙の深淵にまで出向くことになるとは、人生とは解らぬものである。
私の座るこの砲撃手の席には、2つのレバーがある。装填と発射、それは司令部のシミュレーターにあったそれと、ほとんど同じものである。しかしこれは紛れもなく、本物だ。
つまり、本当の戦闘になれば、これは人殺しの兵器になる。相手は、我々とほとんど同じ駆逐艦であり、一撃でも当たれば、その船に乗る100人の乗員もろとも吹き飛ばす、非情なる兵器である。
剣すら握ったことのない私が、そんな恐ろしいものを扱うことになるのである。本来ならば死んでいるはずの私が、である。
わずかな間だけ、私は弓を習ったことがある。令嬢の嗜み程度の腕を身につけただけではあるが、強いていうならば砲撃手と私を繋げるものは、過去に弓を習ったという、その一点のみだ。
しかし、虫も殺したことのない私が、そのような物騒なものを扱うことになる。改めて私は、自身の選んだ道に迷いを覚える。
だが、私がやらねば、ボニファーツ中尉がやるだけのことである。結果としてはさほど変わらない。そう言い聞かせて、私はこの砲撃手の道を突き進むことを覚悟する。
「あれ、こんなところにいたんだ」
と、そこにボニファーツ中尉が現れる。私は座席から降り、起立敬礼する。
「はっ、小惑星帯に到着する前には一度、確認しておきたいと思いまして」
「相変わらず真面目だねぇ。でも、シミュレーターとほとんど変わらないよ」
「それはそうですが……やはりこれは本物の兵器にございます。私にそのようなものに触れる覚悟があるのか、今一度確かめたいと感じたのでございます」
「うん、そうだね。その引き金で実際に敵が沈めたことがあるわけだし……でもこの船が最後に撃沈を記録したのは、ローベルト少佐の放った一撃だけどねな」
「そうなのですか……ところで、砲撃手としてのローベルト少佐とは、どのようなお方だったのですか?」
「そうだねぇ……マドレーヌ上等兵に、よく似ていたかな?」
「私に、でございますか?」
「真面目だったよ。いや、今でもそうだけど、思い出してみれば少佐も出発時や帰還時に、この砲撃手の席に座っていた。そういうやつだったよ」
「そ、そうなのですか……」
意外だった。艦橋で指示を飛ばしているという印象ばかりがあるローベルト少佐にも、孤独に管制室の座席に座る過去があったのか。
そういえば私は、以前のローベルト少佐を知らない。あの方は一体、今まで何を考え、何を行い、そして今、何を思っているのだろう。監獄からあの司令部に連れてこられた時からずっと関わっている人物だというのに、自身のことを全くお話なさらない。謎の多いお方だ。
『規程高度、4万メートルに到達!』
『前方300万キロ以内に、船影なし!進路クリア!』
『よし、ではこれより、大気圏を突破する!両舷前進いっぱい!』
『最大船速!両舷前進いっぱーい!』
ふとモニターを見れば、もうそこは高い空の上。天辺は黒く、青いモヤの下には遠く離れた地上が見える。そしてけたたましい機関音が、この砲撃管制室にも鳴り響く。ビリビリと壁や床が震え始める。
「それじゃあ、気が済んだら部屋に戻っていて。ブリーフィングは今から2時間後、場所は第2会議場だ」
「はっ!中尉、承知いたしました!」
砲撃音に慣れた私には、大気圏突破時の音や振動などで驚くことはなくなった。再び私は砲撃手席に座り、その振動を全身に感じる。砲撃時の振動と比べたら、実にかわいいものだ。しかしこれは……案外、心地いいものだな。
地球を超え、月をも通り越し、真っ暗な空間にたどり着く。機関音は鳴り止み、静けさを取り戻していた。それを見届けた後に、私は砲撃管制室を出た。
と、管制室の出口を抜けたその時だ。突然、私は左腕を掴まれる。何事か。私に一瞬、緊張が走る。
振り返るとそこには、目を輝かせたリーゼル上等兵曹がいた。
「マドレーヌちゃん!お風呂入ろう!」
おそらくは、私がここにいることをボニファーツ中尉から聞いたのだろう。でなきゃこんなところにリーゼル上等兵曹が現れるわけがない。
「いえ、まだ出発したばかりですし、2時間後には……」
「大丈夫だよ、2時間もあるし。きれいにしてからブリーフィングに出た方が、絶対いいよ」
リーゼル上等兵曹への拒否権などあろうはずもなく、私はなされるがまま、お風呂場へと連れて行かれる。そこには、示し合わせたかのようにトルテ准尉もいる。
「では、いざっ!」
「いざっ、ですわ!」
「ひやあああぁ!」
そしてあとは、いつもの入浴風景が続く。
風呂場で気持ちいい……酷い目に遭い、かえって疲労がたまった私は、そのままブリーフィングへと向かう。といっても、その場では大した話があるわけでもなく、明日一番に行われる砲撃訓練の手順を話し合うだけにとどまる。朦朧とする頭で、その場をなんとか乗り切る。
で、30分ほどでブリーフィングが終わり、なんだか妙に疲れ切った身体を引きずりながら、私は部屋へと向かう。エレベーターに乗り込み、居住区のある階で降り、通路を歩く。
やれやれ、酷い目にあったものだ……これからはブリーフィング前に風呂に入るのはやめよう。いや、あの2人から逃れるには、どうすればいいのか?などと考えながら、部屋へと向かう。
と、その時だ。また私は、左腕を掴まれる。
なんと……また私を風呂場に連れて行くつもりなのか?いや、もうダメだ。さすがに今日はもう寝たい。私は振り返り、その腕を掴んだ人物を思いっきり睨む。
しかし、だ。その人物は、私を通路の壁に押し当てる。そして私の前に立ちはだかった。
その人物の顔を見た瞬間、私は凍りつく。
それは、ヴァルター大尉だった。私の左腕を掴み、行く手を阻む。薄ら笑みを浮かべる大尉のその表情に、私の背筋は、まるで真冬に屋敷の軒下にできた氷柱がべったりと張り付いたかのように、冷え固まる。
「マドレーヌ上等兵よ」
先日のショッピングモールでもそうだったが、どうして私はこの男と出会うのだろうか?いや、ショッピングモールとは違い、ここは狭い艦内。すれ違うことは珍しくない。だが、今度のこの態度は少し、いやかなり強引だ。
「放してください!」
私は目一杯拒絶する。だが、大尉は私の腕を放そうとしない。
「放してもいいが、少し話を聞け」
「いえ、結構です!」
「お前が良くても、俺は良くないんだよ」
まるで獲物を捕らえた狼のように、ヴァルター大尉はその鋭い目で私を睨みつける。抵抗しようにも、その冷たい視線で睨まれて、私は動くに動けない。
「なあ、お前、恋人はいないのだろう?」
「な、なんですか……」
「付き合っている男はいないのかと聞いている」
「おりません……が、それが何か……」
「俺が、その男になってやると言っている」
「は?」
何を言い出すんだ、この男は。私には、その言葉の真意が分からない。
「考えてもみろ。お前は王国でも知らぬもののいない大罪人で、俺は将来有望な軍人だ。お前がこの先、あの王国で生き存えるには、強いやつの元で庇護されながら生活するほかにはない。その相手として俺がふさわしいことは、一目瞭然だ。そうは思わないか?」
私が今までの人生で、おぞましいと感じた人物は2人いる。一人目は、私を大罪人呼ばわりし、牢獄へ送り込めと罵ったブリエント公爵。そして二人目が、まさにこの男だ。
機関室にて初めて言葉を交わしたときには、私を大罪人呼ばわりした挙句、私を機関室より排除した。その人物が今度は自分のものになれと言わんばかりに迫ってくる。これは一体、どうした心境の変化か?
まさか、ショッピングモールでのあの際どい姿を見られたことが、大尉を「誘って」しまったのか?それとも、最初から私をそのような対象としか見ていなかったのか……何れにせよ、私にはおぞましい人物であることには変わりない。
私は、覚悟を決める。この男の要求など、聞き入れるつもりはない。たとえここでこの命果てようとも、この男の言いなりにはならない。
そう考え、左腕を振り下ろそうとしたその時だった。
「何をしている!」
叫び声が聞こえる。その声の主は、カツカツと激しい靴音を立てこちらに迫ってくる。そして私の左腕を握っている大尉の右腕を掴む。
それは、ローベルト少佐だった。
「……聞かせてもらおうか。何ゆえマドレーヌ上等兵の腕を掴み、壁に押し付けるような必要があるのかを」
しばらく、両者は睨み合う。広い平原で出会ってしまった狼と獅子のように、一触即発の危機。だが、ヴァルター大尉はその右腕を振り払う。私の左腕と、ローベルト少佐の右腕が、弾かれる。
険しい表情のまま、ヴァルター大尉は少佐に向かって敬礼し、そしてその場にて転回、早足で去っていった。
「大丈夫か?」
ローベルト少佐が、私に声をかける。私は応える。
「は、はい、大丈夫です……」
「気にするな、といっても、気にはなるだろうが、なるべく気に病まないようにせよ。あまり考え込むと、明日からの訓練に響く」
「承知いたしました……」
そう告げると、ローベルト少佐はその場を去った。私はそんな少佐の背中に向け、敬礼する。
後味の悪い出来事だ。この狭い艦内にたった一人とはいえ、煩わしい人物がいる。できればもう二度と、ヴァルター大尉には会いたくないものだ。私は、心底そう願う。