#10 快妙なる日々
「……というわけだ。シミュレーション結果は上々、文句なしにこれで、砲撃手として認められる」
訓練を始めてから3週間。私はついに、砲撃手の座を得ることができた。
「いやあ、正直言って、まさかマドレーヌ上等兵が砲撃手になれるとは思わなかったよ。だがこれで、晴れて我が砲撃科の一員だ」
そう言って私に手を差し出してくださるのは、砲撃長のアウグスティン大尉だ。私も手を差し出す。そして両者は、硬く握手を交わす。
一度は、諦めかけていた。それを再び奮い立たせてくれたのは、皮肉にも、私を大罪人に仕立て上げたであろう貴族の一人の、あの一言であった。
「それにしても、最後の1週間での成長ぶりは驚異的だったな。まさか、ボニファーツ中尉を超えるどころか、我が艦隊でも1、2を争うレベルにまでなろうとは」
そう、私はここ1週間で、自分でも驚くほどの成長を遂げる。
昨日、私が記録したシミュレーションの結果は、砲撃長ですら驚くほどの結果だった。命中率11パーセントを記録し、さらに撃沈が2。
シミュレーター上ではあるが、この命中率は通常の3倍から5倍の数値だと言われた。ましてや一度の戦闘で2以上の撃沈は滅多にないという。そしてこの数値こそが、私を砲撃科の砲撃手に正式採用される決め手となる。
だが、言えない。
その数値を叩き出した、直前に起きていたことを。
あの日の昼食後、私はリーゼル上等兵曹とトルテ准尉に連れられ、風呂場にいた。そして、いつものように……
その後には、私の頭がいつも以上に冴え渡り、そのおかげであれほどの成果を出せたなどと、とても言えることではない。まさか戦闘前に毎回、風呂に行くなどできるわけもなく、正直あの結果は、私自身としては重し以外の何者でもない。
が、ともかく、晴れて私は砲撃科への配属が決まる。
と、そんな矢先、予定されていた砲撃訓練が延期された。本当なら今日、訓練に向けて出発する予定だったが、訓練場である小惑星帯で何か問題が起きたらしく、復旧の目処が立つまで、当面延期ということになった。
というわけで、私は本来なら宇宙へと向かうはずのこの時間を、別の場所で過ごすことになった。
それは、宇宙港の街に新たに開店した、ショッピングモールと呼ばれる巨大な市場である。
「いや、こっちじゃダメだって!せっかくの胸が台無しじゃないですか!」
「ちょっと、リーゼル!いくらなんでも、これはやり過ぎでしょう!これくらいがちょうどいいんですわ!」
何を揉めているのかといえば、更衣室でそのショッピングモールできていく私の服について、リーゼル上等兵曹とトルテ准尉との間で意見が分かれている。が、こういう時、最終的にはリーゼル上等兵曹が勝つ。
が、そのおかげで、実に際どい服を着せられることになった。
「り、リーゼル上等兵曹殿、この服、ちょっと胸の部分が見え過ぎではありませんか?」
「いいのいいの、それくらいが私らの普通だよ」
「いや、周りを見回しても、こんなに胸の谷間部分を晒した人など、どこにも見当たらないのですが……」
「そりゃあ、マドレーヌちゃんほどの大きな胸の持ち主がいないだけよ」
「そ、そういう問題なのでございますか!?」
絶対に騙されている。そう確信しているのだが、なぜかこの人には逆らえない。階級が上のトルテ准尉ですら、いつも言い負かされているくらいだ。
「うう……恥ずかしい……」
「ほら、もっと胸をしゃんと張って!」
「いや、そんなことしたら私、ますます羞恥心に苛まれてしまいます」
「シミュレーションとはいえ、艦隊1、2の成績を出した砲撃手でしょう!?だったらもっと、堂々とする!」
いや、それとこれとは話が違う。私は泣きそうになりながら、どうにかショッピングモールにたどり着く。
さて、ショッピングモールと呼ばれるこの新しい店は、仮設市場よりも遥かに大きい。あの仮設市場でさえも便利な物で溢れていたというのに、これほど大きな店ならば、さらに多くの品で溢れかえっているに違いない。そういう期待感が、私の胸の奥に湧き起こる。
が、それはある意味当たりで、ある意味外れだった。
そこはまったく、想定外な場所だった。
入り口のすぐそばには、4階まで貫く巨大な吹き抜けが私達を出迎える。その奥には、たくさんの店が並んでいる。
仮設市場よりは、戦艦の中にあった街に似ているようだが、吹き抜けの真ん中には、呆れるほど大きなシャンデリアが吊り下がっている。こんな大きなシャンデリアは、戦艦の街にすらなかった。
服屋に雑貨屋、石鹸ばかりを売る店もあれば、カバンや家具を扱う店もある。戦艦の街と異なるのは、ここが生活のための品を多く扱っているところだということだろうか。戦艦の街というのは主に駆逐艦乗りの慰労の場であるため、家具や石鹸など、駆逐艦内での生活には不要なものなどほとんど売られていない。しかしここは逆に、生活のための品がたくさん並べられている。
唖然としながら私は、それらの店を見回す。王宮を遥かに凌ぐ規模の4階建の建物の中に、所狭しと珍しい品が並ぶ。よく見れば、香辛料や穀類などの食材を扱う店まである。その向こうには、様々な形をした焼かれたパンが並ぶ店まである。
もはや私は、あの恥ずかしい服装など顧みず、物珍しいこの新しい商業施設に夢中になっていた。そして私は、ふと気づく。
いつの間にか、一人になってしまった。
トルテ准尉に、リーゼル上等兵曹はどこへ行ってしまったのか?周りに目をとられて、私はあのお二人と逸れてしまう。
が、ここは宿舎に近い。いざとなれば、一人で帰ることができる。逸れはしたものの、私はさほど深刻には考えず、再び店を巡る。
2階へと向かう。そこにも多くの店が並ぶ。どちらかといえばここは、服屋が多い。ただその合間に、食べ物屋らしき店が見える。
その店の店頭には、パンケーキというやつが皿の上に載せられた見本が置かれているが……そのパンケーキの量が、尋常ではない。5、6枚のパンケーキに、その上からかけられた膨大なシロップ。これは本当にこのままの姿で出されているのだろうか?
が、店を覗くと、確かにこの呆れた量のパンケーキを食べている人がいる。格別に美味い食材溢れる地球459の星の店だが、こればかりはあまりの多さに食べる気が失せる。
少し胸焼けを覚える光景を目にして、胸に手を当てたまま歩いていると、向こう側から軍服姿の人物が現れる。
いや、ここは軍服姿の人だらけなのだが、正面から迫るその人物には見覚えがある。
「なんだ、お前、あの元貴族令嬢じゃないか」
そう、忘れもしないこの顔。ヴァルター大尉だ。機関科所属の副機関長。訓練前に機関室を訪れた際、私を「大罪人」呼ばわりした男だ。
「道に迷ったのか?ならば、俺が送ってやろうか」
よりによって、最も警戒すべき人物と鉢合わせてしまった。私は大尉の申し出を拒絶する。
「いえ!結構です!」
「おい、何をそんなにナーバスな態度をとるんだ。男を誘うような姿をしてるくせに」
が、この男は私の手を取ろうと、右手を伸ばす。何を考えている、なぜ私がこんな男と手を繋がねばならないのか?人もまばらなパンケーキ店の前で、後退りする私に、迫るヴァルター大尉。
「あ!マドレーヌちゃん!」
と、その時、後ろから私を呼ぶ声がする。あの声は、リーゼル上等兵曹だ。振り向くとそこには、トルテ准尉もいる。
「急に姿が見えなくなったから、探しちゃたよ!どこ行ってたの!?」
「あ……リーゼル上等兵曹……」
私は振り返って、ヴァルター大尉を指差そうとする。が、そこにはあの男の姿はなく、いつのまにか、消えてしまった。
「えっ?何かあったの?」
「はい、実は今、ここで……」
私はヴァルター大尉のことを話そうとする。が、辺りを見回していたリーゼル上等兵曹は、突然叫ぶ。
「なーんだ、マドレーヌちゃん、それならそうと言ってくれればいいのに!」
「へ?あの……何のことです?」
「これが食べたかったんだ、このパンケーキタワー!」
と、リーゼル上等兵曹の指差す先を見れば、パンケーキが山と積まれたあの見本を指していた。
「いえ、リーゼル上等兵曹、私、こんなには食べられないです!」
「大丈夫だよ、3人で食べれば楽勝だって!」
「えっ!?ちょっとリーゼル、私も食べるというのですか!?」
「あったりまえじゃない!さ、行こう行こう!」
そう言いつつ、そのパンケーキの店に引きずられるように入る私。店内には、甘い香りが漂う。
で、席に座り、リーゼル上等兵曹が注文すると、しばらくしてあのうず高く積まれたパンケーキがやってきた。私は再び、胸焼けを覚える。
その運ばれてきたパンケーキのシロップの照かりを見て私は、先ほどのヴァルター大尉の目を思い出す。なぜかあの男から、譬えようのない恐怖を感じた。あのままリーゼル上等兵曹に出会わなければ一体、どうなっていたか。
いくら食べても減る気配のないパンケーキを食べながら、何となく私は、譬えようのない不安を覚える。ちなみにそのパンケーキは、とても美味しかった。