#1 神妙なる新天地
手には届かぬほど高い天井から入る光を、ただただ茫然と眺めている。ここには他に、光というものが見当たらない。
王国一の監獄と謳われたモンブロー監獄。その監獄で、特に重罪人のみが収監される地下牢に、私はいる。ここに押し込まれて、すでに2ヶ月。そこで私は、命尽きるのをただ待つだけの毎日を送っている。
私の名は、マドレーヌ。歳は21を迎えたばかり。かつてこのカール・マルテル王国での有力貴族と言われたドルバック公爵家の第2令嬢として生まれ育った。
が、3ヶ月前に国王陛下が亡くなられ、遺された2人の王子の間で、跡目争いが勃発する。父上が推す第一王子、そして、対抗するブリエンネ公爵が擁立する第二王子のいずれが次期国王にふさわしいか、連日、貴族院で激しい議論が交わされた。
そんな争いの最中に、私は嵌められてしまった。
陛下が亡くなられて26日目、陛下の亡くなった日と同じ新月となったその日は、陛下の魂が天に召されるとされる祝天の日であった。教会での儀式を終え、貴族一同が迎賓館にて集まり、社交界が開かれる。そこには、あの2人の王子もいた。
その時、私は第一王子のもとに、ワインを渡すことになっていた。第一王子が晴れて国王の冠を抱いた暁には、私はその正妃となることが決まっていた。もはや、貴族の多くは第一王子支持に回り、第一王子の即位はほぼ約束されている。そこで私は未来の夫となるその第一王子に、祝杯を交わすこととなった。
が、今思えばこれが、油断だった。
私はワインを2つのうちの一方を、第一王子に渡す。そしてまず、私がワインに口をつける。それを見届けた王子も、そのワインを飲む。
が、すぐに異変が起こる。第一王子が急にもがき苦しみ、その場にて倒れる。直ちに奥の休憩所へと運ばれる。だが、第一王子はそのまま、息絶えてしまう。
そして私はその場にて捕らえられて、王子を毒殺した大罪人とされて、今に至る。
なぜあの時、毒の盛られた方のグラスを王子に渡してしまったのか? いや、彼らからすれば、私が毒を盛った張本人だから、どちらに毒があるかを知っていた、と強弁する。しかし、私は無論、毒など盛ってはいない。執事長から注がれた2つのワインを、ただお渡ししただけだ。第一、私が第一王子を殺す道理がない。
だが、私の主張は通らず、娘が王子殺しとなったドルバック公爵家の一族は死を賜ることとなり、私以外の一族は皆、毒杯をあおって亡くなった。そして、ドルバック家は取り潰しとなる。
この一連の騒ぎは、すでに王国中に知れ渡っていると看守は言う。一族の死、王子殺しの悪名、そして暗い地下牢での日々。すでに憔悴しきった私は、ただ一刻も早い死を望むばかりだった。
が、ここまで刑の執行が伸ばされたのは、私の悪名が王国中に広がるのを待つためだと言う。王子殺しとして広く名を残し、私は民衆の罵詈雑言を聞きながら断頭台に上がるのだと、呪詛のように毎日、看守から聞かされ続けた。
が、それにしても2ヶ月は長い。私はその間この監獄の中で、天国にて待つ父上らのもとへ行ける日々を待ちわびていた。
そして、ついに牢獄の扉が開かれた。
「おい、出ろ!」
太い看守の声が響く。いよいよ、私の最期の日が来たようだ。私は黙って、扉の外に出る。
松明の油の燃える焦げた臭いと、その明るさに私は思わず顔を覆う。あの社交会の日に来ていた鮮やかな赤色のドレスは、今ではすでにホコリにまみれ、その輝きを失っているのが分かる。
手枷をつけられて、暗い通路を抜け、私は螺旋階段を登る。2ヶ月もの間、ほとんど身体を動かしていない私にとって、この急な螺旋階段はきつい。
それを登り切ると、また通路だ。早歩きで歩く看守に、私は尋ねる。
「今から……私の処刑が行われるのですか……?」
だが、看守は不機嫌そうな表情のまま、私のこの問いに応えようとしない。そのまま私は、看守に連れられて、外に出る。
目の前に馬車があった。窓一つない木箱のような荷台の扉が開いている。その荷台の前で止まると、看守は私に言った。
「乗れ!」
私がその大きな木箱のような馬車に乗り込むと、荒々しく扉が閉じられる。そして外から鍵がかけられて、馬車が動き出す。
ああ、やっと私は父上の元に行けるのですね……などと考えるが、どうもこの馬車はおかしい。
看守は私に言っていた。私の悪名が轟いた暁には、私を臣民の前に曝け出し、罵られながらお前は死ぬのだ、と。
だがこの窓のない木箱の中では、私は民の前に晒されることがない。それはそれで私は一向に構わないのだが、どうも処刑場に運ばれるにしては様子がおかしい。私は本当に、どこに運ばれるのだろうか?
それから私は、ガタガタと揺れる馬車の中で、その馬車の止まるのを待つ。窓もなく、外の様子は分からない。私は今、どの辺りにいるのだろう、何をされるのだろうか? 疑問は尽きない。
随分と長いこと馬車で揺られた後に、ようやく馬車が止まる。そして、荷台の扉が開く。
「降りろ!」
看守の声が聞こえる。いよいよ、最期の時が来た……ドルバック公爵家最後の者として、最後の力を振り絞り、威風堂々、毅然として断頭台に立とう。後世の歴史家が、その首の落ちるその瞬間まで、王国貴族としての誇りを捨てなかった者と評されるほど、凛々しく振る舞うのだ。私は覚悟を決めて、扉を出た。
……なんだここは。地面が、異様に黒い。まるで炭のように黒く、石のように硬い地面だ。顔を上げると、その黒い地面は広がり、ところどころ白い筋が引かれている。
周りには、群衆はいない。断頭台も見当たらない。あるのは、白くて異様に高い太い塔。その塔は、透明で大きなガラスで全面覆われており、その高さは王都の四隅にある物見櫓よりも遙かに高い。
いや、それどころではない、さらに驚くべきものが、私の目に飛び込んできた。
その白くて高い塔のさらに上に、灰色の雲のようなものが浮かんでいる。が、それは、明らかに雲などではない。
石か岩でできた、灰色の巨大な塔。それが横倒しのまま、まるで雲のように浮かんでいる。ゴゴゴゴッと腹に響く音を立てながら、それはゆっくりと塔の上を進んでいる。
あれは、なんだ……私の処刑場にしては、あまりにも不可解なものが多過ぎる。特に空に浮かぶ、あれはなんだ? あの灰色の石砦の如きものは一体、なんなの?
私はこの2ヶ月ぶりに見た外の風景に唖然としていると、白い塔の方から男女が1組、こちらにやってくるのが見えた。それを見た看守の顔の表情が、ますます険しさを増す。
2人とも紺色の、まるで裾のない燕尾服のような衣装を身に纏っている。にしても、男はともかく、なぜ、女まで……いや、あれは髪が少し長いだけで、女ではないのか? 私は空腹と疲労感でボーッとする頭で、そんなことを考えていた。そして3人は、看守の前で止まる。
その2人は看守に向けて一斉に、直立したまま右手を額に斜めに当てる。なんだ、あの妙な姿勢は? 私は一瞬戸惑うが、察するにあれは、礼儀作法の一種のように感じる。しかし、あのような作法は今まで見たことがない。
そして、2人のうちの一人が、口を開く。
「私は、地球459遠征艦隊、第4分艦隊 第415戦隊旗艦である駆逐艦4160号艦で副長を務める、ローベルト少佐だ。まずは書類の確認をしたい」
すると看守は無言で、ローベルトと名乗るその男に紙のようなものを渡す。それにしてもその紙、見たこともないほど白く、滑らかだ。一体、何の書類なのか?
いや、そんなことよりも気がかりなのは、この男の言った言葉だ。今、何と言った? アース? くちくかん? ふくちょう? 何のことだろうか?
ローベルトと称する男は、その紙の束に目を通すと、何やらペンのようなものでそれに何かを書き出した。それを看守に渡し、こう言い出す。
「これで、手続きは完了した。彼女を引き渡してもらおうか」
すると看守はますます険しい顔をしながら、私の手を取る。そして、手枷の鍵を外す。
よく分かっていないが、何にせよこれはきっと、私が看守から死刑執行人に引き渡されるところなのだろう。そしてあの紺色の服を着たローベルトという男は、おそらくその執行人。ここは奇妙なところだが、ようやく私は……
ところが、看守からその男に引き渡された私は、その男からこう告げられる。
「マドレーヌ殿、現時刻をもってあなたは、当艦隊司令部、駆逐艦4160号艦所属の軍属とする」
まったく想定外の言葉が、私に発せられた。