日本人には余り有名でないクレオパトラの物語
彼女は、血を吐き倒れる自分を見下ろす彼女の三男を、うつろな目で見ていた。
「私を甘くみましたね、母上。
この世界は、最も強い者が受け継ぐのですよ。
私こそが強く、母上、貴女は弱かったということです」
これは、日本人には馴染みの薄い「クレオパトラ」、
ユリウス・カエサルを誑し込んだ7世よりも100年程前のクレオパトラの物語である。
「私の後は最も強き者が受け継ぐが良い」
ヘラス(ギリシャ)から中東、エジプト、そしてインド西方に至る
いわゆる「ヘレニズム」の世界を統一し、創世した男、
マケドニアのアレクサンドロス大王はそう遺言して死んだ。
「強き者が受け継ぐ」、この言葉が世界に呪いをかけた。
後継者戦争の後、世界は三分した。
・大王に仕えた将軍アンティゴノスとその子孫が建てたマケドニア
・そのアンティゴノスを裏切り騎兵から成り上がったセレウコスの建てたシリア
・大王の学友プトレマイオスの建てたエジプト
国境を接するシリアとエジプトは、その地を巡って6度争った。
彼女、クレオパトラ・テアはエジプトの王女であり、シリアに嫁いだ。
彼女の最初の夫はアレクサンドロスという名だった。
エジプトとシリアの和平の為の政略だったのか?
否。
当時シリアはアレクサンドロスとデメトリオスとが王位を巡って戦っていた。
シリアの内紛で一方に加担し、漁夫の利を得る為に彼女は嫁がされたのだった。
エジプトの他、「攻め込むと大概えらい目に遭う古代史の死亡フラグ」パルティア、
そしてローマの助力で夫は勝利し、シリア王アレクサンドロス1世バラスとなった。
彼女とアレクサンドロスの間に、彼女の長男が産まれた。
このまま幸せな日々が続いていたら良かった。
彼女の夫は、6度のシリア戦争の係争地を再び欲し、エジプトと戦った。
そして彼女の最初の夫と、彼女の父プトレマイオス6世は共倒れた…。
彼女の次の夫はデメトリオスといった。
最初の夫と王位を争ったデメトリオス1世ソテルの子で、父と同名である。
シリア王としてはデメトリオス2世ニカトルと名乗った。
ニカトルは先王の妃であった彼女を奪った。
そしてニカトルとの間に、彼女の次男と三男が産まれた。
ニカトルは人気の無い男だった。
シリア国民は度々反乱を起こした。
ついにはディオドトス・トリュフォンという男が先王の子を担いで蜂起した。
先王の子、それは彼女の長男であるアンティオコスであった。
彼女の夫と彼女の長男とが争うことになった。
彼女の夫は敗れた。
シリアの西方は独立領土となった。
彼女の長男は、西シリア王アンティオコス6世ディオニュソスとなった。
彼女の夫は人気回復を図った。
軍事的勝利を欲した。
そして、「古代史の死亡フラグ」パルティアに戦いを挑み…捕縛された。
ディオドトス・トリュフォンは彼女の長男である西シリア王を、
一度統一シリア王とした後に暗殺し、王位簒奪した。
ディオドトス・トリュフォンを倒し、彼女の長男の仇を討った男がいた。
それが彼女の三番目の夫・アンティオコスである。
これは彼女の長男の名と同じである。
…古代ヘレニズム王朝は同名が何人もいるので、以後「尊称」で区別する。
本来「ニカトル(勝利王)」や「ソテル(救済王)」は名前ではないが、
この方が分かりやすいかもしれない。
シデテスは彼女二番目の夫ニカトルの弟であった。
シデテスもまた、先王である兄の妃を奪った。
そしてシデテスとの間に、彼女の四男が産まれた。
シリア王アンティオコス7ことシデテスは軍事的勝利を続けた。
イスラエル王国を攻め、属国とした。
そして……「古代史の死亡フラグ」に手を出してしまった。
パルティアは、捕虜となっていたシデテスの兄ニカトルを解放した。
王位返り咲きを主張するニカトルに気を取られた瞬間、
奇襲を受けたシデテルは戦死した。
死んだと思っていた前の夫が帰って来た。
彼女は既に新しい夫との間に子をもうけていた。
この夫婦のギクシャクさは想像するに辛いものがある。
そして「前の夫」ことニカトルは、やはり人望がまるで無かった。
再び国内では叛乱が連発した。
彼女の「最初の夫」バラスの養子(彼女の養子ってことにもなる)
ザビナスが起こした反乱でニカトルは敗れ、敗走した。
ザビナス、シリア王としてはアレクサンドロス2世だが、
その背後には彼女の実家エジプトがついていた。
ザビナスは先王の妃を自分の妃に、しなかった。
もしかしたら断られたのかもしれない。
この辺りからどうも彼女は覚醒したようだ。
最初の夫は実家と戦争起こし、共倒れた。
次の夫は、彼女の長男によって運命を変えられた。
彼女の長男は王族なのを利用された挙句、殺された。
三番目の夫は戦死し、その後に二番目の夫が帰って来た。
そして二番目の夫は、最初の夫の「養子」とやらに殺された。
最早自分が動かなければ何にもならない。
自分が強くなければならない。
この世界は「最も強い者」で無いと思うがままにならない。
強くない者は、ただただ翻弄されるだけである。
彼女が積極的に歴史に関わるようになったのは、こう思ってだったかもしれない。
彼女は実家の現当主、彼女の叔父にあたるプトレマイオス8世と手を組んだ。
このプトレマイオス8世という男も人気がまるでない。
兄であるプトレマイオス6世が死ぬと、その子プトレマイオス7世が即位した。
後見人であった彼は、兄の妃を奪い、さらに兄の娘とも結婚した。
そうして甥であるプトレマイオス7世を殺して自ら王位に就いた。
簒奪はともかく、母娘丼は当時から批判の的だった。
戦争が多く重税であったこと、
同時に妻とした母(クレオパトラ2世)と娘(クレオパトラ3世)が権力争いを起こしたこと、
民衆が怒って度々暴動を起こしたことから、プトレマイオス8世は同盟者を求めた。
彼女はそこにつけこんだ。
エジプト、プトレマイオス家の血を引く我が子をシリア王に。
そしてシリアとエジプトの和平を。
この時期、紀元前127年にはクレオパトラ2世はシリアに亡命していた。
クレオパトラ2世は、彼女、クレオパトラ・テアの母親であった。
紀元前124年、クレオパトラ2世(母)とプトレマイオス8世(叔父)との和解が成立。
この前年に夫ニカトルを処刑し、次男を王位に就けた。
シリアの支配者となったエジプト出身の彼女の仲介が、
有ったのか、無かったのか、歴史書には書いていなかった。
シリア王アレクサンドロス2世ザビナスは、エジプトを完全に味方につけた彼女に敗北した。
我が子を王位に就け、全てが安泰…の筈だった。
わずか1年、彼女の次男セレウコス5世フィロメトルは死んだ。
自然死ではない。
母親に殺されたのだ。
母子は対立の挙句、子殺しが起きた。
彼女は権力という魔物に魅入られていたかもしれない。
あるいは「強き者が全てを受け継ぐ」という「大王の呪い」に。
何故対立したのか、それは分からない。
しかし、彼女の方に原因があったのかもしれない。
共同統治者として彼女と共にシリアを治めた三男、
シリア王アンティオコス8世グリュポスともわずか4年で対立するのだから。
どうも、どの国でも見られる「権力を持った母親による過干渉」が
三男と母親との対立事由であった。
想像するに、先王である次男との対立もそうでは無かっただろうか…。
権力を握った母親は、子を殺したり、幽閉したり、衰弱させたりする。
クレオパトラ・テアは、最早「権力を持つ」ことが目的になっていた。
「権力を持って」何をするのかは考えなくなっていた。
考えてみれば、彼女は家族、夫婦に恵まれていない。
産むだけ産んだ息子たちも、自分の権力の為の道具だったかもしれない。
故に彼女は思った
「まだ四男がいる。三男はここまで対立するなら、もう用済みだ」と。
夫を殺し、我が子を殺し、シリアの最高権力者となった彼女。
それ故に油断があったのかもしれない。
彼女が毒殺を企てていることは、息子である王の情報網にひっかかった。
最早母殺しに躊躇いは無い。
殺らねば、殺られるのである。
紀元前121年、3人の夫を持ち、運命の悪戯か3人の息子が王となった
エジプト出身のシリア女王クレオパトラ・テアは
彼女の三男によって毒殺された。
その後も「強き者が後を継げ」という呪いはシリアを覆い続けた。
彼女の四男もまた、王位を求めて兄に叛乱を起こした。
三男の子がそれを鎮圧し、叔父を殺害する。
しかし四男の子がまた叛乱を起こし、従兄弟である王を倒す。
クレオパトラ・テアの孫同士は殺し合い、次第にシリアを没落させていった…。
「強き者が後を継げ」というヘレニズムの呪いは、
有名な「クレオパトラ」であるクレオパトラ7世の死で幕を引く。
その世界において最も強き「ローマ帝国」によって…。
最後に余談を書こう。
17世紀フランスの劇作家ピエール・コルネイユは「ロドギュンヌ」という悲劇を書いた。
『パルティア王女ロドギュンヌは、和平の為にシリアに赴く。
双子の王子のいずれかに嫁ぐ為だ。
しかし双子の王子の母であるクレオパートルは、ロドギュンヌ暗殺を命じる。
それを察したロドギュンヌは双子の王子に頼む
”母親を殺して欲しい”と…』
ここに出て来たクレオパートルこそ、クレオパトラ・テアの事である。
夫を殺す事、死んだと思った前の夫がパルティアで生きていたこと、
息子の一人を殺すこと、最後はもう一人の息子によって毒殺されること、
完全にクレオパトラ・テアの人生をアレンジして劇に仕立てていた。
多くの男の間を渡り歩き、世界を動かした、邪悪で権力欲の激しい女王…。
そして同じくフランス。
パスカルの哲学書『パンセ』を引用する。
『人間のむなしさを十分知ろうと思うなら、
恋愛の原因と結果をよく眺めるだけでいい。
原因は、「私にはわからない何か」(コルネイユ)であり、
その結果は恐るべきものである。
この「私にはわからない何か」、
人が認めることができないほどわずかなものが、
全地を、王侯たちを、もろもろの軍隊を、全世界を揺り動かすのだ。
クレオパトラの鼻。
それがもっと短かったなら、
大地の全表面は変わっていただろう。』
劇作家コルネイユの名とクレオパトラの名前。
これはもしかしたら、有名な7世(実際に美人であるという証拠無し)でなく
コルネイユの『ロドギュンヌ』に描かれたシリア女王クレオパートル、
即ちクレオパトラ・テアの事なのかもしれない。
この余談をもって、日本では有名でない、7世でないクレオパトラの物語を終える。
初投稿です。
練習用です。
淡々と史実だけ書き連ねて「小説」化してない感じですが、
何回か練習し短編で慣れていこうと思ってます。