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師団長の奥様が女神だった話 前編


 ウィリアム・ルーサーフォード師団長は、一年と少し前の初夏に結婚した。

 俺は、レックス。ヴェリテ騎士団に所属する騎士だが、養成学校での成績が良かったので平民出身ながら師団長の事務官の一人として働かせてもらっている。ちなみに二十三歳独身、恋人絶賛募集中だ。

 師団長は、先の戦争でクレアシオン王国を勝利へと導いた英雄で次期騎士団長、大貴族のスプリングフィールド侯爵家の当主であり歴代最高の君主となられると噂されるアルフォンス王太子殿下の親友。その上、若く凛々しく勇ましく、男らしく整った面立ちに平均より高い身長に加えて鍛え上げられたスタイルの良い体、性格は快活で温厚、仕事も出来過ぎる位に出来て、身分を鼻に掛けず、一介の平騎士にも平民や使用人にさえも分け隔てなく接してくれるというちょっと出来過ぎたお人だ。

 ただ一つ欠点があるとすれば、その素晴らしい肩書と彼自身の魅力によって引き寄せられたご令嬢たちが原因で自分に秋波を向ける女性に対してのみだが、大層な女嫌いで女性不信だった。

 その上、師団長は戦争に行っている間に相思相愛だった婚約者を病で失ってしまい、余計に異性としての意味合いを強く持つ女性という存在を遠ざけるようになってしまった。師団長には、息子ほども年の離れた弟君がいらっしゃるので家を継ぐのは弟君になるのだろうと誰しもが師団長の結婚というものを諦めていた。

 だから、一年と少し前の夏の始まりの頃、師団長が婚約から結婚までを二か月間でまとめ既婚者となったと聞いた時には、騎士団、王宮、城下町、いっそ、国中が驚いたのではないだろうか。俺だって上司である首席事務官のキースさんから話を聞いた時は腰を抜かすほど驚いた。

 お相手は、由緒あるエイトン伯爵家のご令嬢で前妻のこれまた由緒あるエヴァレット子爵令嬢カトリーヌ夫人を母に持つ生粋の伯爵令嬢・リリアーナ様だ。

 とても病弱で幼いころからほとんど、というか全く表に出ることはなく、本当に存在しているのかどうかも分からなかったご令嬢だったらしいのだが、師団長はそんな彼女を妻にしたのだから、実在していたということになる。

 だがしかし、女嫌いと女性不信を拗らせていた師団長は、一年程、ほとんど家に帰らなかった。時折、夜中に帰って夜明け前に戻ってくるような生活を一年続けていた。とはいえ、確かに師団長はびっくりするほど多忙な立場であられるので仕方がないといえば仕方がなかった。

 師団長の専属執事であり事務官補佐も兼任するフレデリック様曰く、成人したばかりのリリアーナ様は、家のことを覚えるのが精いっぱいで、頑張り屋さんな彼女は病弱な体ですぐ無理をするので、度々寝込んでしまい、多忙を極める師団長とはすれ違い気味らしかった。

 大丈夫だろうか、と皆が心配していた矢先、師団長は雨天の下、決行された訓練で滑って転んで頭を打った。幸い、怪我は大したことはなかったのだが、侯爵家のお抱え医師に「とんでもない過労」と診断された師団長は、暫く強制的に休暇をとることになった。

 しかし、これが侯爵夫妻の転機となった。

 休暇が明けて戻ってきた師団長は、女嫌いの女性不信の部分は基本、残ったままだったが十歳年下の可愛い奥様を溺愛する愛妻家であり色々あって後見として引き取ることになった奥様の弟君のセドリック様を溺愛する兄馬鹿にシフトチェンジしていた。

 周囲にとっては、とても喜ばしいことだったので、俺たちは良かった良かったと安堵に頷き合った。

 師団長は、とにかく家に早く帰りたがるようになり、これまでは無視しがちだった休日というものをきちんと取るようになった。おかげで俺たち事務官のシフトも前ほど過密なものではなくなり、時間に余裕が出て来たので俺は、婚活に励むことが出来るようになった。奥様には感謝しかない。

 とはいえ、夏から秋にかけてはエイトン伯爵家が暗殺者の脅威に晒され、師団長を襲ったり、横領で逮捕された我が国の外交官が国際的犯罪組織が関与する人身売買に関わっていたり、奥様のご両親が離縁されて腹いせに異母姉が奥様を襲ったり、しまいには師団長が奥様と一緒に誘拐されてしまったりと大忙しだった。

 師団長を襲った悪の組織、黒い蠍がクレアシオン王国から結局、逃げ出してしまったので後処理こそ山のように残されたがとりあえず、平和が訪れたのは秋も半ばを過ぎた頃、俺が五回目の婚活パーティーで惨敗した時だった。


「旦那様、そわそわそわそわ鬱陶しいです。いい加減にしてください」


 師団長にとっては乳兄弟でもあるというフレデリック様は基本的に容赦がない。

 けれど、今日ばかりはその言葉にも仕方がないと苦笑しか零れない。

 何せ朝から師団長は、部屋の中をうろうろうろうろ、窓の向こうと時計の間で視線を往復させて、ずっとそわそわしているのだ。それでも定時で帰りたい師団長は、書類仕事だけはしっかりやっている。


「奥様がお見えになりましたら、下から連絡が参りますから」


「そんなことは、分かっているが……」


「ああ、ほら噂をすれば」


 コンコンと言うノックの音が聞こえて、返事を返せば「奥様がお見えになりました」という答えが返って来た。


「迎えに行って来る!!」


 ぱぁっと顔を輝かせた師団長は言うが早いか、立ち上がり弾丸の如き勢いで執務室を飛び出していった。


「……全く、落ち着きのない」


 フレデリック様は呆れたようにため息を零して肩を落とした。そして「紅茶の仕度をしてきますね」と言づけると手に持っていた書類を師団長のデスクに置き、隣の部屋へと消えた。

 その背を見送り、俺は部屋の隅に置かれていたパーテーションを引っ張って来て、師団長のデスクと俺たちのデスクを隠し、応接セットのソファに座って書類が見えないか、デスクが見えないかを確認し、見られて不味いものはないかと部屋の中を一通り確認する。

 基本的に騎士は仕事のことを家族にさえも話すことは出来ない。新聞に取り上げられて誰でも知っているような内容なら差し支えないが、師団長ともなれば秘密に秘密を重ねたような情報を多く握ることになるので大変だ。肩書が上がれば上がるほど抱える秘密は多くなる上、部屋も上階へと上がっていく、それに何より片付けが面倒なのでほとんどの騎士たちは家族や来客との面会を一階にある談話室で済ませる。それに上の階級はほとんどが貴族なので、貴族のご婦人が階段を登りたがらないのも理由の一つだ。

 コンコンとノックの音が聞こえて、どうぞ、と返せば、師団長の腹心の部下であるラザロス隊長が書類を手に立っていた。


「今、師団長が三階から中庭に飛び降りて行ったんだが」


 どうやらまた師団長は、距離の短縮を図ったらしい。前は五階から飛び降りていたのだが危ないからやめろと団長に怒られて三階までは走るようになった。


「ああ、今日は奥様が弟君を連れていらっしゃるので、来たという報せを受けて文字通り飛んで行っちゃったんですよ」


「……なるほど」


 ラザロス様は、苦笑交じりに頷いて書類を差し出した。それを受け取り、中身を確認して師団長のデスクに持って行く。

 ラザロス様は、子爵で貴族の身分だが平民である俺にも気安く接してくれる。剣の腕が立ち、先日の師団長夫妻救出作戦にも抜擢されたお人だ。


「キースとミケロは?」


「書類を届けに行っただけなので、そろそろ戻ってきますよ。……ところで隊長」


「ん?」


「師団長の奥様は絶世の美女って本当ですか?」


 俺の問いにラザロス様はぱちりと目を瞬かせた後、困ったように眉を下げた。


「俺もきちんとお姿は拝見したことがないんだよな」


「でも、この間の救出の時は?」


「あんときは、俺も忙しかったし、師団長が負傷してフレデリックとエルサに抱えられていて、侯爵夫人もマントに包まれて副長に運ばれていたから姿は殆ど見てないんだよ。でも前回の訪問の時に俺の事務官が姿を見たらしいんだが、月の女神と見間違うほどの美姫らしいぞ」


 俺は、ふむと頷きながら顎を撫でる。

 ちなみに副長とは、副師団長のことであり、我が国の王太子でもあらせられるアルフォンス・クレアシオン殿下のことだ。

 彼もまた「王太子ってなんだっけ??」と人に思わせるくらいには、気安く人懐こい人で度々、仕事に飽きるとここへやって来てフレデリック様とタッグを組んで師団長を揶揄っている。だがしかし、次期国王となる彼は非常に優秀なのは間違いなく、王に相応しい冷酷さも非情さも持ち合わせている。けれど同時に愛情深い人でもある。とはいえ少々変わり者であることは否定できないが。人の上に立ち、人を統べる人というのは、少し変わり者くらいが丁度良いのかもしれない。


「ただいま戻りまし、おや、ラザロス」


 キースさんとミケロさんが戻って来た。キースさんとラザロス様は同期だそうで、仲が良い。ラザロス様はひょいと手を上げて返す。


「レックス、師団長は?」


「奥様を迎えに行きました」


「ああ、成程」


 頷いてキースさんは部屋の中を見回した。不備がないことを確かめると「大丈夫そうですね」と呟いた。


「夫人は今日はここへいらっしゃるのか?」


「ええ。何でもセドリック様が、ああ、奥様の弟君ですよ。そのセドリック様が騎士団に来たいとおっしゃったそうで、師団長は我が子のように可愛がっておられるので甘いのですよ」


 説明しながらキースさんは手に持っていた新たな書類をミケロさんと共にパーテーションの向こうのデスクへと運んでいく。


「んだが、五階までなんて大丈夫か? 確か夫人はあまり体が丈夫ではないだろう?」

 

 ラザロス様の問いに答えようとキースさんが口を開くより早く、ふわりと紅茶の匂いが鼻先を霞めて、フレデリックさんがワゴンを押しながらこちらにやって来た。


「大丈夫でございますよ。当家の旦那様は馬鹿なので、ほら」


 にっこり笑ったフレデリックさんが指差した先を俺たちも振り返り、ぱちりと目を瞬かせた。

 にこにこにご機嫌な師団長は、その片腕に薄青いドレスを身にまとった女神を抱えて立っていた。もう片方の手には小さな手を握りしめていて、天使のように愛らしい淡い金髪の少年が物珍しそうに部屋の中を見回していた。師団長の背後からメイド服の女性が二人、現れる。一人はフレデリック様の奥さんであるエルサさんでもう一人は黒髪で小柄な可愛らしい少女だった。多分、奥様か弟君の侍女だろう。

 師団長は、壊れ物を扱うかのように繊細に奥様をそっと床に下ろした。背が高くてごつい師団長の隣にいると師団長の肩にも届かない奥様は余計に小柄で華奢だ。


「……ここまで奥様を抱えてらしたんですか?」


「ああ、あんな長たらしい階段を登ったら私のリリアーナが疲れてしまうからな」


「大丈夫ですと何度も申し上げましたのに降ろして下さらなくて……」


 可憐な声が恥じらうように告げた。

 ああ、こりゃ女神だわと俺たちは揃いも揃って呆けた顔で納得した。

 弟君と同じ淡い金の髪に星の光を閉じ込めたかのような銀の瞳はけぶるように長い睫毛に縁どられている。雪のように白い肌にすっと通った小さな鼻も淡い薄紅色の形の良い唇もどれをとっても美しい。きゅっと最高にくびれた細い腰、その上には華奢な体には持て余すような豊かなふくらみがあった。体つきからしても女神のようだ。いや、多分、女神だ。我らが英雄は女神様が地上に降り立った隙を逃さず捕まえて嫁にしたに違いない。


「フレディ、僕は自分で上ったんだよ!」


「そうでございますか、流石はセドリック様ですね」


 フレデリック様に褒められたセドリック様はむふーと嬉しそうに胸を張った。非常に可愛らしい。常日頃から師団長が「セディは前世天使だったから可愛さが隠せないんだ」と自慢していた気持ちが分かってしまうくらいにはお可愛らしい。


「紹介しよう。私の事務官で首席のキース、次席のミケロ、三席のレックスだ。こっちはラザロス・エルデン隊長だ」


「初めましてリリアーナ・ルーサーフォードと申します」


「セドリック・オールウィンです!」


 奥様がスカートを摘まみ折れそうに細い腰を折り、セドリック様も丁寧に礼を取る。俺たちは慌てて挨拶を返し、それぞれが改めて名乗り自己紹介を済ませる。


「いつもウィリアム様がお世話になっております」


「いえ、こちらこそ師団長閣下にはお世話になっておりますので、どうぞリリアーナ夫人、おかけくださいまし」


 キースさんがソファの方へと夫妻を誘い、フレデリック様がお茶の仕度を整える。

 セドリック様が呼ばれるままに師団長の膝に座ってご満悦な様子がとても可愛い。それを見つめる奥様も女神の慈愛と名付けたくなるような美しい微笑みを浮かべている。師団長もかなりの男前なので四角く切り取ることが出来れば、それだけで素晴らしい絵画の一枚になりそうだ光景だ。タイトルは「英雄の休息~女神と天使を添えて~」だ。ちょっと料理名みたいだが俺にこれ以上のセンスは求めないで欲しい。


「エルサ」


「はい、奥様」


 奥様が声を掛ければ、エルサさんが大きなバスケットをテーブルに置いた。

 今日は、昼食を奥様が作って来てくれるのだと師団長が朝からはしゃいでいたから、多分、それだろう。


「フレデリックさんが、皆様はいつもウィリアム様を支えて下さっていると聞いたので、お茶の時間に少しだけ息抜きになればと思って、マドレーヌを焼いて来たんです」


 そう言って奥様はバスケットの中から別の籠を取り出した。掛けられていた布巾を外せば、プレーンとチョコレートのマドレーヌがお行儀よくたくさん並んでいた。


「アリアナが手伝ってくれたので、たくさん作って来たのですよ」


ふんわりとバターの良い香りがしてとても美味しそうだ。


「よろしいのですか?」


「はい。あ、でもお口に合わなかったら、どうしましょう……そもそも甘いものはお好きですか?」


「「「大好きです!」」」


 不安そうに眉を下げた奥様に俺たち事務官は揃って頷いた。あの無口の極みみたいなミケロまで口を開いたことに驚きつつ、キースさんがマドレーヌを受け取った。師団長がアリアナという名前らしい可愛い侍女さんに何事かを言い付けるとアリアナちゃんは、キースさんの持つ籠からマドレーヌをそれぞれ一つずつ紙に包んでラザロス様に渡した。


「居合わせたから、特別にくれてやろう。心して食え」


「はっ! ありがとうございます!」


 多分、溺愛する奥様の手作りのお菓子を自分とセドリック様以外の男にはやりたくないのであろう大人げない師団長は、けれど、溺愛する奥様の為に大人になったようだった。ラザロス様が有難く受け取り、頭を下げる。

 棚からケーキというのはこういうことを言うのだろう。報告書を提出に来ただけで女神特製マドレーヌを貰えるなんて、ラザロス様は運がいい。


「義兄上、今日はアル兄様はいないのですか?」


「残念ながらアルは王城で政務に関する会議が入って、今朝、喚きながら出かけて行って留守だ」


「まあ、アルフ様とカドック様もいらっしゃるかと思ってバケットサンドを多めに作って来たのですが……」


 奥様の言葉に師団長は数秒固まった。表面上は笑っているが、何かを葛藤しているのが伝わって来る。


「ミケロ、レックス、今日の昼食は?」


「食堂です」


「右に同じです!」


なぜ、キースさんとラザロス様が候補にあがらないのかと言うとお二人は既に結婚しておられて、愛妻弁当持参だからだ。


「………………食うか?」


「「是非とも!!」」


 物凄い抵抗を理性で押さえ込んだらしい師団長の問いかけに俺とミケロさんは、勢いよく頷いた。仕事のやり取りですら最低限なのにこんなにはっきり喋るミケロさんはとても貴重だ。

 こうして俺たちは運良く侯爵夫人お手製バケットサンドを手にすることが出来たのだった。






明けましておめでとうございます!!

昨年は本当にお世話になりました。皆さまの支えがあってこそ駆け抜けることができた一年でした!!

今年も色々頑張ろうと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致しますm(__)m


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